とびあがれぽんぽこ
ちくヒゲの夢枕に立ってから、数日。
このところは平穏で、どんぐりが見つからない代わりに大狸の気配もありません。
というか、どんぐりが近ければ大狸も近いということでしょう。
つまるところ、どんぐりが欲しいならば大狸との邂逅が待っている。
まったく、忌々しい事態です。
それも相手は、すでに大量にどんぐりを食した存在。
人間どもが頑張ろうと、力の差が開きすぎています。
もちろん、私との差も。
これではまるで、狒々に挑む兎。
非常に、不利な状況でしょう。
とはいえ、考えても仕方がないことを考えるほど、愚かな狸は存在しません。
どんぐりの気配も感じませんので、私はのんびりと赤毛の腕の中であくびをしました。
今日はもう、歩くのも面倒です。
「ちゃーちゃん、今日やる気ないの?」
「……もうすぐ次の街へ着く、少し休憩させてやるか」
耳の付け根をゆるくマッサージされて、目を細めます。
あ あ あ、そこそこ、そこもっと……。
歩調に合わせて揺れる赤毛に運ばれて、目が覚めた時には知らない人間の集落でした。
道をゆく人々が、私の美しい姿に視線を送っているのを感じます。
しかしこんなに人間が多くては、地面を歩くとちょっとまずいやもしれません。
赤毛、決して走らず堂々と歩いて。そして狸を敬って。
こんな|幼気«いたいけ»な狸に、そんな苦労をさせるなどもってのほかです。
しばらくそうして歩いていると、微妙に見覚えのある建物に着きました。
かちかちつるつるの石で構成されたそれは、先日過ごしたどんぐりを溜め込んでいる館です。
「神樹の種の回収、ご苦労様だった」
これは、面妖な。
通された先で見たのは、この間会った耳長でした。
鼻をくすぐる匂いも、仕草も、見た目もまったく同じ。
それに、向こうも私に見覚えがあるようです。
私を一瞥してから、特に質問もなくちくヒゲたちと会話を始めました。
「……なるほど、今度は五つか。今までに比べると目覚ましいペースであるな」
「仮説の通り、茶色は頑張ってくれましたよ。種はここでお渡しした方が、いいですかね?」
「そうしてもらおう」
あああ、私がせっかく見つけたどんぐりの入ったずた袋が、耳長に引き渡されてしまいます。
人間たちは、なぜこのろくに働いていなさそうな耳長に、全てのどんぐりを明け渡してしまうのか。
せめて三つくらいは、発見者の私に寄越すべきではありませんか。
あとの二つを、耳長とちくヒゲで分けておればよろしい。
本来なら、全部私に権利があるくらいでしょうに。
「その獣の様子は、どうだった」
「随分役に立ってくれましたよ、報告書をまとめてあります。後ほどまた説明に」
「よかろう、まずは身体を休めてくるといい」
耳長の言葉を皮切りに、人間たちがまたどこぞへと散っていきます。
私といえば、未だ赤毛に抱きかかえられた状態でした。
「ちゃーちゃん、行こうか」
どこへ。
特に答えてもらえるわけでもなく、赤毛はてくてくと歩きます。
ついた先は、雌の人間ばかりいる部屋でした。
ちくヒゲ率いる群れの中にいる、女たちです。
あまり関わることはありませんが、存在は把握しておりましたとも。
その中の一人、髪の茶色い女に赤毛が声をかけます。
茶色は、狸の色。目が黒いのも、なかなか良いですな。
ふむ、嫌いじゃありません。
「リーラ、風呂は空いてる?」
「今ターナが出たとこ」
嫌な単語が聞こえました。
もぞりと身じろぎをして逃げようと挑戦しましたが、赤毛の腕は緩みません。
「ありゃ、察された」
「賢いんだねぇ」
ちくヒゲに比べ線が細いからと、油断しました。
赤毛だって、十分にムキムキではないですか。
懸命にもがいている間にも、赤毛は御構い無しに部屋の奥へと進みます。
私が危惧した通り、着いた先はあの温かいお湯が出る密室でした。
うおぉ!離せ!!うぉおお!!
必死の抵抗も虚しく、完璧な秩序が保たれた私の毛皮は見るも無残なフワフワにされてしまいました。
うう、私に染み付いた森の香りが……。
「不満そう」
「やっぱ野生動物なんだねぇ」
人間たちが、口々に適当な感想を述べます。
大人しく水気を拭われながらも、私は不機嫌に唸りました。
クッキーが貰えなかったら、暴れていたところです。
地獄のような時間を過ごした後、いつもより多めにご飯を与えられ私は眠りました。
人間たちは雌雄を分けて寝るのですが、一体これにどんな意味があるのでしょうか。
そして、その夜のこと。
私のために用意されたふかふかの小さな巣で、ぐっすりと寝ていた頃。
毛皮の根っこが、ふと逆立ったのです。
野生の勘は、獣たちの最も優先すべきもの。
寝床から静かに立ち上がり、廊下へと繋がる扉の前に向かいます。
人間の暮らしは独特ですけれど、このしばらくで私もいくつか学習しました。
扉というものにはドアノブがあり、それを回し力を加えれば開閉が可能なのです。
人間に合わせたそれは高い位置ににありますが、私は密かに攻略法を見つけていました。
四肢にぐっと力をこめて、山猫のように飛び上がります。
ぴんと伸ばした両前脚でドアノブに体重をかけ、重力に従い落ちました。
扉がほんの少し動き、隙間が空きます。
こうなってしまえばこっちのもの。
そこを前脚でかりかりと引っ掻いて、自分が通れるくらいの空間を作り出しました。
扉の向こうはしんと静かで、灯りも最小限。
どんくさい人間たちはこんな時は火などを携行するようですが、私には必要ありません。
床が硬いせいで、爪が当たって足音が鳴るのはいただけませんが。
ちゃかちゃかと音を立てながら、予感のする方へと歩いていきます。
時折人間が歩くなどしているものの、暗闇の中では私が察知する方が早い。
前もって物陰に隠れていれば、見つかることもありません。
そうしてしばらく彷徨いた先で、間違えようもない香りが鼻をかすめました。
あの、どんぐりの素晴らしい薫香。
なるほどなるほど!
理解しました、わかりましたとも。
この《ぞわぞわ》はつまり、どんぐりの呼び声だったというわけですね!
俄然、気分がふわふわとし始めます。
人間たちをことごとく欺いて、私はどんぐりの匂いへとどんどん迫ってゆきました。
途中で気がついたのですが、ここはあの耳長の縄張りのようです。
そこかしこから、いけ好かない匂いがしています。
しかし今はそれに構っている場合では、全然ないのです。
はやく、はやく。
人間を避けるのすらもどかしい思いで、私は進みました。
そして、うなじの毛がざわざわする程どんぐりの気配を感じた頃。
長い廊下の向こうに一つだけぽつんとある、扉が見えました。
幸いな事にそこはばばーんと開いており、左右で見張っていたであろう人間は、疲れてしまったのか地面に伏せ眠っていました。
ふふふ、お間抜けさん!
こんな夜更けに、狸がやってくるとも知らないで。
意気揚々とその部屋に踏み入れ、鼻腔いっぱいに匂いを嗅ぎました。
薄暗い部屋の中に、どんぐりを入れた箱がたくさんあるようです。
そして、ぱりぱりと鳴る小さな音。
部屋は広く物もたくさんありますが、あまりにも異質な存在感に意識が集中します。
壊れた、否、壊した箱から崩れ出たどんぐりを咀嚼する黒い影。
そろそろ結構な回数出会っている、大狸の姿。
お、おお、おまえー!!




