はなしあうぽんぽこ
「鼻がいいのは分かったが、あまりにも間ーー無防備じゃないか?」
「素直に間抜けって言った方が」
火の前で丸くなる私の傍、人間たちがなにやら会議をしています。
晩御飯も食べ終わったというのに、何をそんなに話すことがあるのでしょうか。
まるで、子狸のような落ち着きのなさ。
いい成体であれば、食べ終わったのなら体力を消耗しないためにも寝るべきです。
「まさか、リードでは不十分だったとはな」
「抱き上げて探索すればいいんじゃないですか、私やりますよ」
「お前は斥候だろう」
赤毛の提案が、ちくヒゲによってあっさりと却下されます。
ぱちぱちと爆ぜる焚き火にも、随分と慣れました。
直接触れなければ、これもそんなに悪いものではありません。
火のことをよく知らない獣たちも、これには近づかないので。
それに、焼いたお肉というのも案外オツなものです。
「持ち運んでは、さすがに匂いが分からなくなるのでは……」
今日はヒョロ人間も夜更かしさんのようで、ちくヒゲたちと一緒に火を囲んでいます。
私はそろそろ寝てしまいたいのですが、奴らが喋っている間は煩くて眠れません。
離れて過ごそうにも、ちくヒゲが妙に紐を短く持っているのです。
何度かせめて伸ばせと身体表現で交渉しましたが、聞く耳持たず。
「俺たちで気をつけてやるしかないのか……しかしなぁ……」
「茶色ばっかに集中して、索敵が疎かになっては危険ですしね」
大人間が、訳知り顔で言葉を紡ぎます。
狩に使うには大仰だと思った人間たちの道具は、今日見た生き物のような大物へ使用するものようでした。
驚くべきことに、この森にはあんなアバンギャルドな動物が大量に生息しているようです。
今更ながら、すごいところに迷い込んでしまったものです。
故郷のげんこつ山が、とても恋しい。
確かに正気を失うほど美味しい食べ物はありませんでしたが、ほどほどに平和な良い山でした。
「どうした、遠い目をして」
「夕食のことでも、思い出してるんでしょう」
郷愁の思いに駆られている私を見て、人間たちが好き好きにコメントをします。
おそらく、彼らにはこのような繊細な感情は存在しないのでしょう。
生きるのが楽しそうで、うらやましいことです。
「しばらくは、俺たちで気をつけるしかないか」
「ええ」
各々で何かを納得したのか、うなずき合っております。
人間たちは言語以外にも、存外身体的なコミュニケーションを使用するようです。
お山にいた頃は滅多に接することはありませんでしたが、こうして観察してみると、なかなかどうして多彩な。
「茶色、今日は私と寝ようか」
むんず、と赤毛が私の首根っこを掴みます。
大人しく丸まっていた狸に、なんたる仕打ち。
「どうした珍しい」
「ああ、今日寒いもんな」
あれほど懐いていたちくヒゲは、そうそうに赤毛に私を譲り渡しました。
その隣で、大人間が興味なさげに枝を火へと放り込んでいます。
「いいでしょ茶色、女子テントはむさくないよ」
ちくヒゲに比べればほっそりとした手が、もふもふと頭から背にかけてを撫でます。
むむ、なかなかのテクニシャン。
赤毛がそこまで私のことが好きというのなら、やぶさかではありません。
「それじゃ」
軽々と私を抱えたまま、赤毛が歩き始めます。
その背後で、ちくヒゲたちが片手を上げて見送るのが見えました。
今までいたのと違う色のテントの中は、確かに赤毛の宣言通りましな匂いがしました。
人間はみんな饐えた脂の匂いがするのかと思っていたら、個体によるようです。
先に寝ていた数人の間に、赤毛は私を抱いたまま静かに滑り込みました。
他の野生動物を思わせるような気配の薄さに、少々感心してしまいます。
そういえば、この人間はいつも動きがしなやかです。
隙間の多いテントの中は、たしかに快適そうな雰囲気でした。
赤毛が密着してやや暑いものの、悪くはありません。
早々に寝息を立てる赤毛の腕の中で、私もそっと目をつむりました。
その夜、奇妙な視線を感じました。
こちらに来てから感じることのなかった、覚えのある匂い。
顔を上げて辿れば、それは風上から流れてきているようでした。
赤毛は、規則正しい寝息を立て熟睡しています。
起こさないようにそっと体を起こし、静かに匂いのもとへと歩いて行きました。
まだ燃えている薪とは、反対の方向へ。
徐々に暗くなっていく森でも、何があるかはよく見えます。
近頃は人間と行動し続けていたので、少し心配だったのですが。
夜目が衰えていないことに、内心でホッとしました。
暗がりは、私たちの縄張りです。
匂いを追って静かに歩いていくと、大きな木の根元に見慣れた影がありました。
大きさこそ私とはずいぶんかけ離れているものの、その形は間違いなく同族のもの。
向こうは最初から私に気づいていたようで、少しも動じた様子がありません。
私の三倍はありそうな狸は、静かに私を見つめていました。
明らかに、相手の方がはるかに強い。
大きさの違いだけではなく、その身に詰まった生命力が違った。
まるで狼にかち合ってしまったような気まずさを覚えますが、まだ敵意は感じません。
よく見ればその大狸にはいくらか白い毛が混じっており、相当な年齢であることが伺えました。
ふと、覚えのある匂いがしました。
思わず口の中に唾液が溢れてくるような薫香は、こちらのどんぐりのものです。
どうやらその大狸は食事の最中であったようで、口元から小さなカケラが落ちました。
瞬間、飛びつきたくなるようないい匂いが強くなります。
私が見ているものを察したのか、大狸の毛皮がにわかに逆立ちました。
こんなに大きくても、威嚇をするときは自分を大きく見せるものなのですね。
ぶわりと膨らんだ彼の姿は禍々しく、私の背毛も釣られるように逆立ちます。
勝機は万に一つもないでしょうけれど、こうなってしまってはどうしようもありません。
普段であれば上手いこと逃げていたところですが、それを選択できないほどの殺気がこの場に満ちておりました。
小さく、うなり声が響きます。
それが自分の喉から発されていると気づいたのは、少し経ってからでした。
まるで雪を乗せた細枝のような緊張感が続きましたが、破綻の瞬間はあっさりと来ました。
私がプレッシャーに耐えきれず、吠え声を上げて襲いかかったからです。
一刻も早く、奴を打ち倒さなければいけない。
そんな思いが、私の小さな体からあふれ出したのです。
私をじっと見ている大狸の毛皮の薄い足首に食らいつこうと、牙を向きます。
その瞬間、視界の端で蒼い火が揺れるのが見えました。
体をねじり距離を開けると、先ほどいた場所に煌々と燃える蒼い火の玉が。
どこか口惜しそうに、ゆるりと空にかき消えてゆきました。
それほど速度はないものの、先ほど接近したせいで毛皮の先がちりちりと焦げています。
私の美しい毛皮に、なんてことを。
この恨み、はらさでおくべきか。
私の内部で、新鮮な怒りがかっかと燃えます。
ちょうど、寝る前にみた薪のように。
はちはちと肉を食らって、ごう、と燃え上がるのです。
気づけば私の毛皮から、はらはらと火花が溢れ始めていました。
初めての感覚ですが、どうしてか何が起こっているのかは直感が理解しています。
腹の中が温かく、口の端から火の粉があふれました。
正面に立つ大狸の目つきが、明らかに変化します。
まるで毒蛇を見たときの私のような、忌々しげな視線です。
「お前」
地の底から響くような、低い声。
口から蒼い炎を散らしながら、大狸が言葉を発しておりました。
「俺のものを、食ったな」
心当たりがない。
この辺りには狸の縄張りの気配はなかったし、そうでなくても狸同士で食事の奪い合いというのは基本行いません。
豊かな木々の間では、争うほどの飢えには至らないからです。
「俺の、俺の、おれの、お、お、おおおおおおお」
そもそも様子のおかしかった大狸でしたが、さらにおかしなことになりはじめます。
はっきりと言葉を喋ったかと思えば、あっという間にその能力を失ってしまったようです。
口から吐かれる炎の量は増し、森中の動物が逃げていきそうな殺気が膨れ上がります。
その気迫に死を予感した瞬間に、風を切る音がしました。
「茶色!」
光をまとった矢が、幾本も大狸に向かって放たれています。
幾つかはその肉体へ刺さりましたが、煩わしげに体を震わせると全てが落ちてしまいました。
傷口と思しき部分から炎が漏れて、その数瞬後にはきれいに完治します。
ちくヒゲが素早く距離を詰め、大きな刃物を振りました。
大狸は冷静に避け、憎々しげにちくヒゲを睨みつけます。
私はといえば、火口のようにグツグツと燃える血を抑えきれず、体勢の崩れた大狸の足に噛みついていました。
口の中が、自分から出た炎で焼ける音がします。
痛みに耐えきれず口を離すと、大狸が低く唸りながら私から飛び退きました。
彼の肩から、蒼い炎が漏れ出している。
きっと、ちくヒゲの仕業でしょう。
少し経てば治るのでしょうが、大狸は一声吠えてから我々と反対の方に走り出しました。
狸とは思えないほどの素早さに、ぽかんと口を開けて見守ってしまいます。
あれほど大きくとも、狸は狸。
逃げるときの判断の早さが、尋常じゃありません。
「くそっ、逃げられたか!」
「モルネイ殿、今治癒を」
いつの間にか、かなりの人間が起き出していたようです。
先ほどの騒動で怪我をした赤毛に、ヒョロ人間が手を合わせています。
まだ死んでないのに弔うとは、ちょっと気が早くないでしょうか。
あっ光りだした。
人間って不思議。
「怪我はないみたいだな」
私の前で片膝をついたちくヒゲが、あちこちに触れながら確認をします。
そんなことをして熱くないのかなと思いましたが、いつの間にか私の周りの火の粉は消えておりました。
やれやれ、今夜は大変な目に遭いました。
赤毛もなぜか元気になったようですし、テントに戻るといたしましょうか。
女子テントはなかなか気に入りましたよ、なにしろ匂いがちょっと良いのです。
「まったく、目を離した途端だな。おら、今日はやっぱり俺と寝ろ」
ちくヒゲの毛の生えた腕が、ひょいと私を抱えました。
そんな、ちくヒゲではむさ苦しすぎます!
私はもう女子テントの快適さを、知ってしまったのです!
「おぉ、よしよし落ち着け。怖かったなぁ」
離せ!離せぇ!!
私の渾身の抵抗もむなしく。
その夜は結局、ちくヒゲのむさ苦しい布団に収納されてしまう運びになりました。
何を思ったか前よりもがっちりと締め上げてくる筋肉布団は、寝心地最悪であったことを申し添えておきます。




