レズカップルに追いつめられるのは好きですか? 8
そういやバレンタインやんけ!ということで2話続けて投稿します
路行く人を避け、隙間を縫い、浅井は黒い風のように走った。
飛び込んできた猫を飛び越え、雨で重くなったビニール袋を蹴飛ばし、普段歩く速度の、十倍も早く走った。
立川と早乙女の関係を浅井が知り、浅井の連絡先を立川と早乙女が知ってから、既に二週間が経過していた。
先週に行われた中間テストは浅井のバイトの時間を奪い、早乙女には恋人に勉強を教えつつ苦悩する姿を特等席で見れるという充実の時間を与え、立川の脳と心と成績に重大な被害をもたらしていたが、おおむね平和な二週間であった。
だというのに、浅井は今日も放課後に走っているのだ。一週間の始まり、月曜日からさっそく。
あの二週間前の放課後のように。安寧の地たる月の夜へ向けて。
本日の降水確率は30%。傘を持って行かなかった朝の自分に対して、浅井は恨むことしか出来ない。
そして突然の土砂降りに対して今出来ることは、自分が働いている喫茶店へと走ることだけだった。
浅井は今日休みなので、スタッフとして働くことはない。だが、雨が上がるまでの間は休憩室で待たせてもらおうと思っていた。
Mondnachtには店長の今泉紗雪が普段から泊まり込んでいる。紗雪の洗濯物や制服のために洗濯機や乾燥機はもちろんのこと、果てはシャワーまで完備されていた。至れり尽くせりだ。こういう場合に備えて浅井も私服を置かせてもらっているので、それらを有効活用するつもりだった。
店にたどり着き、庇の下に飛び込んだ。すぐにでも店内に入りたかったがそうもいかない。ずぶ濡れなのだ。タオルくらいは持ってきてもらった方が、後の掃除も楽だろう。
濡れた前髪が鬱陶しかった。乾いている時ならともかく、今は顔に張り付いてただひたすらに邪魔に思う。両手で雑に後ろに流せば、多少であるが濡れていなかった掌が完全に濡れてしまっていた。
上着を脱いで水を払う。中まで浸水していないのは幸いだったが、このまま放置してはじわじわと侵略されてしまうのは目に見えていた。
「あっ、浅井ー!?」
店の外からだ。まだ雨が降る野外から名前を呼ばれて顔を向ければ、立川が走ってくるのが見えた。浅井より長く雨に晒されたのだろう。浅井以上に雨で全身を濡らし、それでもわずかでも濡れてなるものかと鞄を頭の上に掲げ、こちらの隣へ向かって全力疾走して
コケた。
浅井の目の前。まるでスローモーションのようだと立川は思う。十分な勢いのついた身体は慣性に従い重力に逆らい空を飛ぶ。人間飛行機立川紬が目指す着陸地点は喫茶店のガラス壁。顔から突っ込んでいくのが分かる。ガラスの向こうに人がいないのは幸いと言えるのだろうか。両手を振り回すがどうしようもない。確実な激突を予感した立川は両目をきつく瞑り腕で顔を庇い少しでも痛くないようにと姿勢をとるが、ブチン、と何かがちぎれたような音と共に、予想よりもゴツゴツとした感触に受け止められた。冷たいが、少なくともガラスの冷たさではない。冷たいのは表面だけで、中には熱を持っているのが感じられる。
あれ、あまり痛くないと思って目を開けば、丈夫なガラスに映る見慣れた自分の顔……ではなく、浅井の顔が目に映った。
胸の中に抱きしめられていた。わずかな間、そうしてお互いの顔を見合っていると、浅井に顔を背けられてしまった。
もしかして、と立川は思う。もしかして、もう自分の顔も見たくはないのではないか。二週間前のあの約束を、浅井は今更ながら後悔しているのではないか。その思いが、今頃になって態度になって出たのではないか。
あの日、あの時、応援すると言ってくれたのが嬉しかった。誰が見方で誰が敵か分からない暗中模索のあの日々の中、「俺は味方だ」と伝えてくれたあの笑顔に、自分たちがどれだけ救われたと思うのか。
それなのに、どうして。どうして今更そんな態度を取るのか。あとになってそうするくらいなら、最初からあんなことを言わないで欲しい。あんな笑顔を向けないで欲しい。
涙が出そうになるのが分かる。泣いちゃ駄目だと頭の中では思うのに、弱気になった心では、身体に言うことを聞かせられない。
「立川」
名前を呼ばれる。今更なんだ。話があるなら目を見て言え。あの時はそうしていたじゃないか。
「服を」
服がなんだ。透けてるのか。雨に晒されたんだからそんなの当然だ。
「服を直してくれ」
言われている意味が分からなかった。そうしてようやく、立川は自分の今の姿を確認する。
丸出しだった。
脳が今の状態を理解できていないので、もう一度繰り返そう。
丸出しだった。
下着が透けているどころではない。そっちのほうが遥かにマシだ。
浅井が受け止めた時、最初に背中に回り込むようにシャツに力がかかってしまったのだろう。多分、脇に手を入れて受け止めようとしたんだと思う。結果として、まず勢いに耐え切れず胸のボタンが弾け飛び、力のベクトルの通りに背中に向けて、ボタンという正面の支えを失ったシャツが開いてしまっていた。
それだけならまだよかった。最後の砦が露出したまま、浅井に正面から受け止められたのだ。つまり、ブラジャー姿で、上から下にそれを引っ張られるとどうなるか。
浅井が顔をそむけた理由がようやくわかった。浅井の腕の中で、何一つ隠すものの無い立川のおっぱいが、その先端部まで丸見えになって彼の目の前にあったのだ。
「っっっぎゃあああああああああ!?!!?!!???!!!?」
驚くほど可愛くない悲鳴が出た。
ようやく自分の状態に気付いてくれたと分かった浅井が、顔をそむけたまま地面に落ちた上着を拾って羽織らせようとしてくれる。しかし、立川の行動はそれより一瞬だけ早かった。
浅井が自分たちを裏切ったのだと勘違いした心がひどく申し訳なかった。
二週間前の遠目とは違う。今度は目の前で胸を見られた恥ずかしさが、体に染みついた動きを再現させるトリガーとなった。
足を踏み込む。踏み込んだ足が軸足となり腰に回転を入れる。腰の回転が土台になって肩を回す。肩から回された拳が曲げた肘のまま打ち上げられる。申し訳なさによる手加減が使い慣れた正拳突きを選択させず、恥ずかしさがそれでも暴力を振るわせた結果、二つの無意識の板挟みでアッパーカットになった。
この瞬間、少なくとも三つの不運が重なった。
一つ目。立川と浅井の身長差。
30cmを超える身長差は顎を狙うアッパーカットとはならず、ボディブローの高さになった。
二つ目。立川と浅井の現在の体勢。
お互いが抱き付き合うように密着しており、ボディブローは吸い込まれるように鳩尾へと入っていった。
三つ目。浅井が上着を脱いでいたこと。
分厚い生地があればその威力を大きく減する役割を果たしたであろう上着は、随分と前に脱がれてしまっていた。
結果として、空手経験者から放たれたボディブローが、殆ど威力を減らさないまま浅井の鳩尾へと打ち込まれた。
あ、と立川の声が漏れる。とんでもないことをしてしまったと。自分を助けてくれた相手に対して、まさか暴力でお礼をしてしまうとは。
そして、浅井の身体から力が抜けた。
「は、え、ちょっ! 浅井!?」
30cm以上も背が高い大男が、正面から圧し掛かってくる。必死で支えようとするが、この体勢はどう見てもあれだ。
身長差のあるカップルが店先で抱き合いながらキスしてる風にしか見えないんじゃない!?
どうしようと立川は思う。浅井に早く復活してもらわないと。このままだと圧し掛かるを通り越して押し倒されてしまう。そして今、自分はおっぱい丸出しなのだ。今は浅井で隠れてるからまだいい。もし押し倒されたらそうでない保証はないし、その光景を学生の誰かに見られでもしたら明日には絶対に噂になっている。退学になってもおかしくないのではないか。
涙が出そうになるのが分かる。泣いちゃ駄目だと頭の中では思うのに、弱気になった心では、身体に言うことを聞かせられない。
「えーっと、そこのお二人さん?」
「ぎゃああああああ!!?」
急に声をかけられて、またもや全くかわいくない悲鳴が飛び出る。
誰でもいいから助けてと思う。
誰も見ないで無視してくれと思う。
相反する二つの願いを宿した視線を向ければ、
「お店の前でいちゃつくのもいいんだけどね。いい加減、中に入ったら?」
そこにいるのは救世主だった。呆れた顔で二人を見ていた。
Mondnachtの店長、今泉紗雪。
両手に一枚ずつタオルを持って、今、庇の下に華麗に参上。
レズカップルのスケベ担当の方が立川です