レズカップルに追いつめられるのは好きですか? 7
翌朝の教室で、立川は机の上で宿題に向き合っていた。昨日、浅井とのやり取りの前にやっていたものだ。
昨晩は盛り上がり過ぎた。荒い息を整えながら電話を切る頃には夜も遅く、宿題をやるような体力すら残っていなかった。
猿かよと自分でも思うが、これはしょうがないことなのだ。女子高生の性欲をあまり舐めないで欲しい。
夜更かしの元凶をちらりと見れば、いつもの廊下側最前列で、いつものように本を読んでいる。あの様子では、浅井も宿題は終わっているのだろう。
電車で鉢合わせた時は気まずかった。積極的に話をしにいくような仲では無し、しかして無視するような仲でも無し。浅井からは目礼されたと思う。いや、目が前髪で隠れてるからよくわからなかったが。その後の浅井は電車を降りるまで本を読み、一度たりともこちらに視線を向けることはなかった。
視線を戻し、早乙女に解き方を教えてもらいながら宿題を解き進めていく。こういう時、立川の恋人は答えを直接教えるようなことはしない。
―――だって、一緒の大学に行きたいでしょ?
そう笑顔で言われてしまえば立川は頑張るしかない。高校受験の時は一年間の地獄を見た。早乙女は塾講師に絶対向いていると立川は思う。だって自分のような馬鹿をこの高校に入学させたのだから。
立川はそう考えているが、当の早乙女はそうは思っていなかった。これは偏に愛の力だ。立川以外の相手には、早乙女はこうも熱心に勉強を教えたりはしない。
立川が今この高校にいるのは、愛の力だからと自惚れても許されるだろう。
立川がなんとか強敵を片付けるのと、牧と小鳥遊が教室に入ってくるのはほぼ同時だった。一緒に来るのは珍しい。この二人は同じ方向の電車だが、小鳥遊が安定していつも同じ時間に来るのに対して、牧はひどく不規則だからだ。
四人で朝の挨拶をして、荷物を置いて戻ってくる。いつものように駄弁り始める。牧はちゃんと宿題をやったんだろうかと立川は思うが、やってないどころか覚えてすらいないなこれはと結論した。覚えていたら、早乙女か小鳥遊に答えを見せてもらおうとするからだ。
「そんで、例の人に財布は返せたの?」
牧が名前を伏せてそう言うのは、ヒルナシの正体が浅井だという真実を爆弾だと理解しているからだ。巨大な不発弾である。この四人組の中で一番の情報通である牧は、この不発弾が万一着火すれば教室の平和はもろくも崩れ去り、外的要因による学級崩壊を招き、2年3組担任教諭である地獄坂光27歳が胃薬の数を増やすことになると確信していた。
「ええ、おかげさまで無事に。牧ちゃん、ありがとうございます」
「あ、じゃあマジであの人があいつだったんだ」
「まきちー自分で見つけたんじゃないの?」
それどころか確認すらしていないようだったと立川は戦慄する。そういえば、メッセージには「あそこにいるかも」という可能性の話しかしていなかった。メッセージを受け取った当初は、浅井が客であの場所にいるという意味だと思っていたのだが、浅井が店員だと知っていたとなると話は異なる。
「いやさーウチじゃないのよ。彼氏が教えてくれたの。連絡先知らない?って聞いたら」
「イトケンが?」
なんでも、自分たちが聞いて回った時、ちょうどデートの真っ最中だったらしい。イトケンこと伊東ケンジ。下の名前を漢字でどう書くか、立川は覚えていない。いやまて、名字も伊東だったか、それとも伊藤だったか。
どうでもいいかと思う。興味のない異性の名前なんてそんなもんだ。
「連絡先はケンジも知らなかったけど、あそこで働いてると思うって」
「よく気付いたね。私言われないと気付けなかったよ」
「うん。ほら、ケンジ、バスケ部じゃん。んであいつもケンジと同じくらいデカいじゃん。1年の最初、席が前後だったらしくてさ。バスケ部に何度も誘ってたらしいんだよね」
確かに、浅井は部活の勧誘がしつこくて連絡先を誰にも教えなかったと言っていた。情報提供者はイトケンだが、そもそも誰も浅井の連絡先を知らない元凶の一人はイトケンその人ではないだろうかと立川は思う。
そしてふと、立川はその光景を幻視した。去年のクラス。出席番号1番と2番が壁のように高く並ぶその姿を。果たしてその感想は。
「高層ビルかよ」
「ブッフ……!?」「うわ、汚っ!?」
立川の言葉の意味を即座に理解したのだろう。牧が吹き出した。ツボに入ったのか「高層ビル…! 高層ビルって……!」と一人横隔膜を震わせながら呼吸困難に陥っていく。
「……そんで、たかちーは何をさっきから考え込んでるの?」
一人崩れ落ちていく牧を放置する。小鳥遊は片手を顎に当て、物憂げに佇んでいた。小鳥遊が考え込む時のいつもの姿だ。もう片方の手は肘の下を支えつつも乳を支えているのも含めて。あの体勢はきっと楽なんだろうと、おっぱいが大きい立川は思う。
「……ううん、昨日は力になれなくてごめん」
「気にすることないですよ。無事解決もできましたし」
「……うん。心当たりは一人いたんだけど」
「えっマジで?」
予想外のところからの新情報だった。というか小鳥遊はそれをどうやって知ったのかの方が立川達は気になった。
「……その心当たりへ連絡するための心当たりがなかった」
あぁー……。
「そりゃごめんって気持ちにもなるわ」
「それは確かに面映ゆいですね……」
「ヒッヒッヒィー……!」
ところで牧は大丈夫だろうか。そろそろ過呼吸になってやしないか。どうすればいいんだっけこういう時。ヒッヒッフーって呼吸させればいいんだっけ。
「……ハァーッ! ……ハァーッ!」
立て直せたらしい。追撃するとどうなるかは気になったが、何か忘れているような気がする。
「それで牧ちゃん、伊東君が気付いたってお話の続きは?」
早乙女の言葉で立川も思い出した。そういう話をしていたんだった。
「フゥ、フゥ……。うん、あの……6月だったじゃん。去年。オープンしたの」
そうだったっけ、と早乙女を見れば頷き返してくれた。
「確か例の店員さんを見ながら期末テストの勉強しよう、って人たちが大勢向かったら」
「あ、思い出した。テスト前の期間は、ずっと午後は休店しますって張り紙があって、開店したばかりで大丈夫かよこの店って話題になったんだった」
フゥー! と牧が大きく息を吐きだした。ようやく落ち着いたらしい。
「うん、もう大丈夫。一目ですぐにわかったって。でも教室での様子を見ても、他に誰も気付いていないみたいで、誰にも言わなかったって」
「あれ、それでバスケ部に誘わなかったの? バラされたくなければ~って」
「いや、それがもうキッツく断られた後だったらしくてね。それにほら、バスケってチームプレーじゃん」
なるほど、と。その言葉で立川も理解できた。
「脅迫して部に入れても空気悪くするだけか」
そもそも、元の雰囲気が元の雰囲気だ。仮に個人での能力が優れていたとしても、メンバーとしては入れにくいだろう。
話が一段落ついたと思ったら、小鳥遊が顔を近付け、声を潜めて聞いてきた。
「……で、どっちが狙ってるの?」
立川は早乙女を見た。早乙女も立川を見ていた。
次いで、二人して浅井の方を見た。浅井は先ほど見た時と同様に本を読んでいた。
再び視線を小鳥遊に戻して、
「「ないない」」
「んだよー、2年3組が誇る難攻不落で三大巨乳の一角が崩れる日が来たのかと思ったのに」
補足するが、三大巨乳とは立川、早乙女、そして小鳥遊のことだ。
発言者たる牧は、悲しいほどに平らだった。巨乳のそばにいれば自分も巨乳になるという謎の信仰にすら頼るほどに平らだった。
「誰が難攻不落やねん」「そういえば、今年は誰からも告白されてないですね」と、難攻不落であることは否定しても、巨乳であることは誰も否定しなかった。
悲しい男たちの話をしよう。死屍累々の男たちの話を。
結論から言えば、立川と早乙女はモテる。ロリ巨乳の立川に男たちは我こそはと立ち上がり、美人で巨乳の早乙女にも男たちは我こそはと立ち上がった。
立ち上がった直後に伐採された。
ロリコン。胸ばかり見るな女の敵。私を通して本当は疾風狙いだろこのクズが情けないと思わないのか。
あなたで私と釣り合うと本気で思っているんですか。胸ばかり見て顔を見て話せないんですか女の敵。私を通して紬ちゃんと懇ろになる気ですか一昨日来やがってその時間の貴方と殺し合ってください。
立川は早乙女のナイトであり、早乙女もまた立川のナイトであった。
去年の1年で男たちはすっかり心を折られてしまった。そして新入生は美人の先輩がいると聞いて、人の通りが多い後ろの扉を避けて前の扉を開き、教室の中を覗き見ると暗黒門番とこんにちはして悲鳴を上げて逃げ出すという愚行に走るのだ。ほら今もまた二人悲鳴を上げて逃げていったぞ。
マジかよ。暗黒門番が本当に門番じゃん。
自分たちの平穏が実は浅井によって守られていたことに今更気付いた。ちょっと複雑な気持ちだった。
余談だが、小鳥遊は人気はあるが告白されることは少ない。やはり思春期の青少年にとって、自分より背が高い女子というのは手を出し辛い高嶺の花なのだ。
もっとも、小鳥遊が難攻不落なのは別の理由があるのだが。
「そういうたかちーはどうなん。店の方とかどんなバージョンが良かった?」
首を横に振られる。
「……長いのはタイプじゃない。私は胸の中で抱きしめられるんじゃなくて、胸の中に抱きしめたい」
そう。そうなのだ。これが小鳥遊が難攻不落な理由なのだ。
「……小さくて童顔なら年は問わない。オジサマでもいい。もう背が伸びるリスクがないし。でも加齢臭があるのは論外」
小鳥遊の趣味。それは童顔かつ低身長である。ショタ風とでもいえばいいか。
基本的に無表情で、普段から何を考えているのか分からない。しかしてこの友人、小中学生を見ている時だけはすごく分かりやすいのだ。彼らを見る小鳥遊の目は、本気で狂気だった。
さすがに小学生はやめときなよ小学生は!せめて中学生にしとこ?と言えば「……でも、中学生はすぐに育っちゃうし」と本気で悲しそうな顔で深刻に言うのだから質が悪い。
もしこいつが暴走したら是が非でも止めねばならないというのはこの三人の共通見解であり、「いつかやると思っていました」と声と画像を加工してテレビに映る日が来ないことを祈るのも同様だった。
「そうだ、イトケンで思い出した。イトケンって去年、光ちゃん先生が担任だったよね。ちょくちょく席替えしてたと思うんだけど、今年はしないのかな?」
「光ちゃん、去年の一学期は一度もやらなかったらしいよ。二学期は月1でやってたっぽいけど」
「光ちゃん先生はそういうスタンスかー」
小鳥遊が気付いてしまった。イトケンが一学期の間に一度も席が変わらなかったということは、当然ながら浅井も一学期の間ずっと同じ場所にいたということだ。つまり1年生の一学期という第一印象が重要な時期に、扉を開ければこんにちは。門番と暗黒のコラボです。なんてことになればどうなるか。
「……それが原因じゃない? 浅井が暗黒門番なんて呼ばれるようになったの」
「「「……あぁー」」」
四人はそろって浅井優大を見た。
今日も今日とて廊下側の最前列に座り、図書室から借りたであろう分厚いハードカバーを読んでいる。先ほどと読んでいた本が変わっていた。きっと今日辺りにまた図書室に行くのだろう。
2年3組担任教諭の光ちゃん先生こと地獄坂光が去年と同じ方針を今年も続けるなら、この光景が一学期の間、今は5月だからあと2ヶ月余りは続くのだ。その後も浅井の様子を観察していたが、チャイムが鳴って先ほど話題に出た担任教諭が目の前の扉を開いて教室の中に入ってくるまで、浅井が手元の本以外に視線を移すことは終ぞなかった。
イトケン、サブキャラのサブキャラなんて立ち位置なんで名前の漢字すら考えられなかった悲しき男