レズカップルにお祝いされるのは好きですか? 6
浅井のギブスが取れた。
予定通り、10月頭のことだ。
右腕が軽くなり、再び自由に動かせるようになったことで、浅井は浮かれていた。
だから、すっかり忘れていたのだ。立川にそのことを指摘されるまで。
「浅井、ネクタイは?」
「……あ」
「何々、まだ私に結んでほしいの?
しょうがないなぁ浅井君は」
「そんなんじゃない。普通に忘れていただけだ。
右手も使えるから自分でやるよ」
そう言って襟の中にネクタイを通す。
右側を上に持っていく。
しばらくして、今度は左側を上に持っていく。
しかし、浅井が結び始める様子はない。
見かねた早乙女が確認する
「……浅井君。最後に自分でネクタイ結んだの、いつです?」
「……一学期の最終日」
実に二ヶ月以上前である。
浅井はすっかり結び方を忘れていた。
記憶の引き出しから結び方を思い出そうとしている間に、立川がいつものように目の前にかがんでいる。
「ほら、やったげるから貸して」
この一ヶ月ですっかり定着した光景。クラスにいる誰もが、そうする二人を気にしていない。
……否、一人だけ気にしている人物がいる。早乙女だ。多分、今日は席替えがあるはずだけど、その後もこの二人はこうしているのだろうか、と。
ついでに、もう一つ気になることもあった。
「バイトの方にはすぐに復帰を?」
「いや、放課後はしばらくリハビリ。
それにもうすぐ中間テストもあるし」
「あぁ~もうテストか……」
立川の嘆きを早乙女達はスルーした。
「じゃあテスト明けですか。……復帰のお祝いでもします?」
「いらん。立川が勉強から逃げる口実にする」
よくわかっていることで、と早乙女が肩をすくめた。
浅井相手に嫉妬する日が来るなんて、という心を隠しながら。
ついでに、もう一つ隠していた心がある。浅井がバイトを休んでいる間に、紗雪に教えてもらったことだ。
復帰以外なら、お祝いしてもいいですよね、と。
二学期の中間試験が終わった。
いつも通りにバイトは一週間前から休みに入り、放課後のバイトの時間は立川が浅井にしごかれる時間になり、料理できるようになった早乙女が浅井の代わりに夕飯を用意するようになった。
試験前の押し込み授業に立川は自分でも付いていけていることに驚き、「ボク、成長しているんじゃない?」と慢心が見られた。だから、浅井は少し難しめの応用問題を出した。
しばらく格闘したのちにギブアップしたのを見て「前は即座に諦めてたのに、確かに成長はしている」なんて言ったら怒りを露わにしていた。褒めているのに理不尽だと浅井は思う。
ちなみに身長は成長していない。浅井から身長を伸ばす波長は出ていないからだ。
ちなみに胸は成長している。浅井はさすがにそこまでは知らないが、早乙女はそれをよく知っていた。そのことは、僅かながらに早乙女の自尊心を満たしていた。
浅井はいつものように全て90点台。
早乙女は浅井には及ばぬものの、全体的に点数が上がった。
立川は平均点を余裕で超えていたが、一科目たりとも早乙女には届かなかった。
「頑張りましたね、紬ちゃん」
「頑張ってはいるが、まだ上を目指せるな」
「浅井が厳しすぎる……!」
「早乙女が緩すぎるだけだ」
「浅井、終わったことじゃなくてこれからのことを話そうよ」
「これからのことを話してるだろ」
「そうじゃなくてー!
テストが終わったから文化祭だろー!」
そういえばそんなのあったな、と浅井は思いだした。
小仙上高校の文化祭は、1年生はクラス単位での参加で、2年生と3年生は好きにグループを組んでの自由参加だ。2年の時点で自由参加になるとは言え、1年時に比べて自由度が高くなるので参加率は中々に高い。
そして3年生は体育祭と同様に、「参加しとる場合かぁー!」と勉強に精を出すもよし。後輩が頑張る姿を肴にジュース片手に友だちと見て回るもよし。あるいは去年の失敗を胸に2年続けて同じことをやって、失敗を成功体験で上書きするのもよしだ。
「去年は充実した時間だったな」
「え、何? 浅井んとこ何やったの?」
この男が充実した時間などと言うのだ。興味がわかないわけがなかった。
「展示」
「「……は?」」
立川と早乙女は、目が点になった。
「県内の名物とか、見所の展示」
点になったまま目を合わせる。
訳が分からない。
分からないことは聞くしかない
「……浅井君、それがどうして充実した時間に?」
「それぞれが希望する場所の地域単位でグループを組んだんだが、俺は実家方面にしてな」
オチが読めたな、と早乙女は思った。当時の光景を思い出したからだ。
県の外形部を形作るマップがあり、資料と該当地域のマッチングが視覚化されていた。
大抵が高校近隣の市町だったのだが、ある資料だけ、遠く離れた場所のものだった。
「俺の中学からこっちに来たの、俺以外には市原しかいなくてな。だから当然俺は一人で作ったんだが、中学時代の宿題を流用してすぐに終わらせて、あとはずっと図書室」
図書室でこの男が何をしていたか、考えるまでもない。
少なくともクラスメイトの手伝いの類では絶対にない。
「……そんなんだと思いました」
「浅井らしいや」
「そう言う二人は何やったんだ?」
「喫茶店だったんだけど滅茶苦茶しんどかった」
「今喫茶店で働いてるから分かりますけど、当時は見積もりが甘すぎましたねー」
二人がバイトを始めたばかりの頃、浅井は二人とも予想していたよりも動けていると思ったが、どうやら経験があったらしい。
「そんな苦労して、よくまた喫茶店で働こうと思ったな」
「喉元過ぎたんですよ。あと文化祭の方は来る人が多過ぎました。休む暇もありませんでしたね」
「なるほどな。で、今年はいつも集まってる四人で何かやるのか?
あ、それと客の取り合いになるから、文化祭中はバイトは全日休みになる」
「牧ちゃんも小鳥遊ちゃんも恋人と一緒に回るそうです。
私も紬ちゃんと一緒に回ろうかなって思います」
「浅井はどうする?
ボクたちと一緒に回る?」
浅井はプレッシャーを感じた。早乙女からだった。目力が凄い。言葉にされなくても何を言い痛いのかが伝わってくる。
立川の問いに首を振って答えた。
「たまには二人で遊んできたらどうだ。俺に気は使わなくていい」
「浅井、本読みたいだけでしょ」
立川が忘れ物に気付いたのは、駅に到着してからだった。図書室から借りているSF小説。浅井から勧められた作者の本だ。読んでみるとこれが意外に面白く、他の誰とも一緒にいない時の格好の暇つぶしになった。
多分、喫茶店の休憩室だ。今日は浅井と立川のシフトだったので、一人休憩中に読んでいたのだ。
取りに戻ろうか。今ならまだ浅井もいるだろうし、なんなら浅井と一緒に駅に戻ってもいい。
全速力で走ったりしないなら、胸もあまり揺れずに痛くはない。最近は帰るころには日も落ちて、暑がりの立川でも上着を着るようになっていた。それで揺れが抑制されるのも手伝って走りやすい。
あまり息も乱れないうちに到着した。まだ店舗には電気が付いている。
お店の方にいるのかな、とガラス壁から店内を見る。
浅井がいた。紗雪もいた。
二人とも立川には気付いていない。
紗雪は立川からは顔が見えない。背中を向けているからだ。
浅井は立川からも顔が見えるが、目を瞑っているからだ。
紗雪は浅井の腕の中にいる。その手を浅井の背中に回しているのが見える。
浅井は、紗雪の肩と腰に手を置いているのが見える。
紗雪は少し背を伸ばしているのが見える。
浅井は少しかがんでいるのが見える。
キスしている。
気付けば、立川は駅にいた。どこをどう走ったのかは覚えていない。全力で走ったせいで息が切れていた。
取りに戻ったはずの小説なんて、もちろん持っていない。
喉の奥がグズリと痛む。
だけどそれ以上に、胸が痛かった。




