レズカップルにお祝いされるのは好きですか? 4
「浅井君、これからも紬ちゃんに結んでもらうんですか?」
昼休みが始まって早々に職員室への廊下を歩いていると、早乙女が話題を振って来た、
ネクタイの話だろう。早乙女はあの場にいなかったが、恐らく見ていたのだ。刺されたりしないだろうかと新学期早々にヒヤリとする。
「あー、片手での結び方を後で調べておく」
「いーよいーよ、私がやったげるから。というかやりたい。次はもっと上手くできるよ多分」
「そうしてくれるのは助かるけれど」
「どうせ後ろの席だしね。そんな手間でもないよ」
そうか、と浅井は立川の申し出を受け入れることにした。早乙女の方は少し怖いが、立川からやりたいと言っているのだから大丈夫だろうと浅井は思う。それに、一ヶ月ほどとは言え一緒に生活していたのだ。もはや拒絶や遠慮をする様な関係でもない。
「お昼はどうするんです?
前はお弁当でしたよね?」
「この手では作れないし、作っても食べにくい。しばらくはパンだな」
「……私が作って「こなくていい。そこまでしないでいい」……むぅ」
毒を心配しているわけではない。単純に、そこまでさせるのは悪いと思ったからだ。早乙女はまだ浅井の怪我を自分のせいだと思っているのだろう。浅井は浅井で、自業自得だと思っているからこうなるのは当然だった。
「晩御飯はどうするの? 紗雪さん所で食べる?」
「ああ。往復も手間だし、かと言って席を占有するわけにもいかない。いい時間になるまで休憩室にいるよ」
「それじゃ一緒に行こうよ。私たち友だちと約束あるから少し待ってもらうかもだけど」
「分かった」
職員室に到着した。話しているとすぐだった。
二学期初日の職員室だ。立川はこんなにも清々しい気持ちでここに立つのは初めてだった。なにせ今回は課題が全て終わっているのだ。これまでは毎年呼び出されて戦々恐々としながら向かっていたのに。
ありがとう浅井大明神。滅茶苦茶怖かった。大明神じゃなくて貴様さては阿修羅だな。
そんなことを考えながら地獄坂の元に向かう。いったい何の用かと思ったら、先ほど考えたことを思い出して清々しい気分は見事に霧散した。
「11月に修学旅行があるからね。その日程とアルバイトを重ねないように注意してねっていうお話よ」
それだけだ。紗雪にもこの話はすでに伝えているらしいが一応、ということだった。
「それと浅井君のその右手、完治はいつぐらいになりそうか分かる?」
「あと一ヶ月程でギブスが外れるらしいですが、その後のリハビリは状態次第と言われています」
「あー、じゃあ9月の体育祭は見学かしら」
「はい。下手に参加して悪化するのは避けたいです」
「うん、分かったわ。そういう風に他の先生方にも伝えておきます。
それと、見学でも当日は登校するようにね。いなかったら欠席扱いになっちゃうから」
「分かりました」
それだけであっさりと解放された。ロングホームルームが終わった後に呼び出しでも良かったんじゃないかと三人で話しながら教室に戻る。
「そっか、浅井見学なんだ。今年は勧誘されなくて済みそうだね」
「全くだ。去年も怪我すればよかった」
馬鹿なことを言い合いながら三人で昼食を取る。牧も小鳥遊もそれぞれ恋人の元へと向かったようで、戻った時には教室にその姿が無かった。
これからはこの三人で昼を取ることになるんだろうかと立川は思う。何もおかしなことはないじゃないか。だって前後の席なんだし。誰に言うまでもなく心の中で言い訳する。
悪くない。浅井とこうやって、教室の中でも他愛のない会話が出来るのが。
立川達と普通に話す浅井を見て、他のクラスメイトの浅井を見る目も変わっていく。あいつ、お化けとかじゃないんだなと。だけど当の三人は、教室の空気の変化に気付かないままだった。
放課後の人の少なくなった教室に、後ろのドアから誰か入って来たのに浅井が気付いた。習慣とは恐ろしいもので、浅井が暗黒門番をやめても、前のドアを使うものはまだ少なかった。
入って来たのはクラスメイトではない。立川や早乙女も覚えがない。だが、浅井はその人物を知っていた。
「……市原?」
背は低い。立川といい勝負だ。学生服を着ていなければ小学生に間違われてもおかしくない。クラスも違い、わざわざ会いに行くこともしないので見るのは久々だった。だが記憶にある市原と今の市原の身長に違いがあるようには思えなかった。中学一年生の頃は同じくらいの背丈だったのに。どこで差が付いたんだろう。やっぱりセ○クスしたことだろうか。
「久しぶり、浅井君。その右手どうしたの?」
「また骨折だよ。今回は自業自得だけど」
「浅井君、お知り合いですか?」
立川の席にいつもの四人組は屯していた。その中の一人、早乙女の問いに浅井は頷きで返す。
「同じ中学だったんだ。こっち来るのは珍しい、……いや、高校では初めてか。何かあった?」
「浅井君にじゃないけど用事というか、なんというか……」
その言葉で、早乙女達は市原が何者か分かった。小鳥遊の趣味を知っていたからだ。
その言葉では、浅井は市原の用事が分からなかった。小鳥遊の趣味までは知らないからだ。
小鳥遊が市原に近付いて抱きしめた。市原の顔は見事に胸の中に埋まっていった。手慣れていると浅井は思う。小鳥遊の吸い込み方にだ。一朝一夕ではこうはいくまい。きっと幾度となく繰り返している。
「……紹介する。市原。私の彼氏」
紹介されても顔が見えない。
「……んっ!」
市原を紹介された全員がそう思っていると、小鳥遊が教室には似つかわしくない艶やかな声を漏らした。市原が体を180度回したせいだ。頭が胸に埋まったままぐるりと回り、再び顔が見えるようになった。
「えっと、その……夏休み中にそういう関係になりました」
後頭部を胸に埋めたまま、市原はそう言う。その顔は赤い。小鳥遊の胸に埋まったからか、それとも発言のせいか。両方だろうと浅井は思う。だがこういう時、何を言えばいいのかまでは分からなかった。対人経験があまりに少なすぎた。とりあえず頭に浮かんだことを口に出すしかない。
「……おめでとう?」
「なんで疑問形なのかが不思議だけど、ありがとう」
「……市原、あまり浅井には近付かないで」
小鳥遊の突然の発言。
場の空気が凍る。
どういう意図で言ったのかが分からない。立川と早乙女は、浅井と小鳥遊のどちらに味方すればいいか本気で悩む。
言葉が足りないと気付いたのか、小鳥遊が言い足した。
「……浅井みたいに背が伸びると困る」
「それは一体どんな理屈でそうなるんだ」
「……牧は巨乳になるために巨乳の近くにいる。巨乳は巨乳になる波長を出していると。
……だから市原も浅井のそばにいると、背が伸びる波長を浴びてしまうかもしれない」
本気で行っているんだろうかと浅井は思ったが、立川達は本気で言っていると分かった。
牧の行き過ぎた巨乳信仰の弊害だ。目を向けられた牧は「こんなことになるとは思わなかった」と手を合わせて謝罪の意を表明していた。
「……いや、たかちー。大丈夫だから。浅井のそばにいてもそれだけじゃ背は伸びないから」
「……本当?」
「もしそうなら私の背が伸びてる」
牧の胸も大きくなってる、とまでは言わなかった。武士の情けであった。
「……納得した。浅井」
「……なんだ」
今度は何を言われるんだと、思わず心が身構える。
「……さっきはごめん。市原のこと、これからもよろしく。
……でも背が伸びそうな入れ知恵はしないで」
「……よく分からんが、まぁ分かった」
後で浅井に小鳥遊の趣味について説明しておかなければ。立川と早乙女はアイコンタクトでそれを伝え合った。そうでないなら無駄な軋轢を生みかねない。
「……紹介もおわったし、行きましょうか」
小鳥遊のその言葉に、一体どこに行く気だと浅井を除く三人で思う。それにもっと詳しい話を聞きたかったが、あまり遅くまで時間をかけられない。立川と早乙女にはバイトがあるのだ。
「……Mondnachtよ。私たちも店長に呼ばれてるの」
立川と早乙女は分からなかった。なぜ紗雪がこの二人を呼んでいるのか。
浅井はすぐに気付いた。会いに行くほどではなかったが、気にはなっていたからだ。
「宇宙人の観察対象は、お前たちだったのか」
浅井の発言に、全員が本気で意味が分からなかった。恐る恐る、市原が代表して聞いてみる。
「……どういうこと?」
「いや、すまない。こっちの話だ。長くなる。俺の4月からの読書遍歴が関わってくるから」
「それは、確かに長くなりそうだね……」
行こうか、と誰ともなく言う。そして立川と早乙女はようやく思いだした。
夏休み。三人のペナルティ。都合よく入る二人の補充要因。
夏休みの間、三人の代わりに働いていたのは小鳥遊と市原だということに。
設定上存在した市原君がやっと登場。
今後もほぼ出番はないです。
まぁスピンオフ書く時の主人公として考えているので致し方なし




