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レズカップルにお祝いされるのは好きですか? 2

 2年3組担任教諭である地獄坂光は、他の教職員からは地獄坂先生と呼ばれる。生徒には本人の要望通り、大多数から光先生と呼ばれる。

 しかして現2年生の間だけで、この人物はこうも呼ばれている。


 クソ度胸の女教師、と。


 1年の初日のことである。浅井は既に暗黒門番であったが、浅井が暗黒門番であることを知る人物は一人もいなかった。

 浅井は誰よりも早く登校し、誰よりも早く自分のクラスがどこかを把握し、誰よりも早く教室で待っていた。廊下側最前列(初期配置席)で。

 たまったものではないのは他の生徒である。最前列の目の前の扉から教室の中に入って、さていったいどんな人がいるだろうかと胸を期待に膨らませてその目を向けるのだ。そしてでかくて黒いお化けを発見する。誰しもが驚いた。そして教室の中にいる先に驚いた者たちと照れ笑いしながら合流し、次の犠牲者が来るのを待つのである。

 あの教室にヤバい奴がいる。そううわさが流れるのは早かった。怖いもの見たさに尋ねる生徒は後を絶たず、知っててなお驚くのを見て皆で笑う。分かっていても怖いのだと。

 そうする中、とある考えが広がっていった。


 我々の担任教諭があの姿を見た時、いったいどれほど驚くのだろうと。


 チャイムが鳴る。もうすぐその担任が入ってくる。絶対に見逃せないベストシーン。浅井を除く誰しもが、その瞬間を今か今かと待ちわびる。


 足音。

 扉が開かれる。

 来た。

 現れたのは若い女だ。浅井の後ろの席からはその姿は見えなかったが、それを見た誰もがこう思った。おいおいこれ泣いちゃうんじゃないの、と。

 担任教諭が教室を見渡す。浅井で目が留まった。次の瞬間に何が起きるか、その光景を見る皆が、固唾を飲んで見守っている。


 笑った。


 笑ったのだ。浅井優大を見て。いると知っててなお驚く、このデカくて黒くてお化けのような男を見て。

 無理をしているんじゃないかと考えた。だが誰しも、そんな風には見えなかった。

 そして一学期が始まり、担任教諭地獄坂光の性分を知るにつれ、この女は芝居が出来るような人間ではないと理解が広がっていく。それはつまり、浅井を始めてみた瞬間のあの笑顔も芝居などではなく、これが当然の光景だと即座に受け入れたに他ならないのだと。


 そして地獄坂光の評価が生徒の間に広がるのと同時に、教師はおろか他の学年にも伝わらない通り名が新入生の間だけに伝わっていった。クソ度胸の女教師、と。




 教卓に向かう途中、そして挨拶の途中だった。言葉が尻すぼみに消えていく。

 手に持っていた荷物が零れて床に広がる。

 誰しもがその光景を見ていた。二学期の初日、2年3組の教室で、全員が地獄坂の元気な姿を見れると思っている。チャイムが鳴って扉が開く。地獄坂が浅井を見ても驚かないのを、誰しもが当然のように疑わない。

 地獄坂が教室を見渡して、浅井の席でピタリと止まる。言葉も止まる。そして教卓にすらたどり着くことなく、突然その瞳から大きな涙を流して、先ほど入って来た場所から走って立ち去ってしまう。


 この瞬間、浅井を除く2年3組全員の心が一つになった。


「「「「「泣かしたぁーーーーーーーーー!!!!!!」」」」」




 午前中のホームルーム中には、地獄坂は戻ってこなかった。代わりにやって来たのは学年主任のデブ眼鏡だ。えー地獄坂先生は急に気分がすぐれなくなったとのことで休憩中だ代わりにこの時間は僕が受け持つからはいそこ不満を言わなーい人間だれしもそういうことはあるんだからこの後は始業式だから終わったら体育館に移動するようにほら全員いるか出席取るぞー浅井ーお前何だその腕どうしたんだ


 学年主任のその言葉で、ようやく教室の全員が浅井の状態を把握した。右腕を三角巾で釣っている。では地獄坂はその光景を見て泣き出したのでは。一体どういうことなのか。疑惑は噂を生み、噂は尾ひれを付け、夏休みの間に浅井優大が地獄坂光を暴漢から助けあの腕はその時の名誉の負傷だという本当にどこから湧き出たのか分からない噂が学年中に広がっていく。


 立川と早乙女は、揃って頭を抱えていた。




「えっと、ごめんね。ちょっと骨折に嫌な思い出があってね。それを思い出してびっくりしちゃっただけでね。浅井君がどうこうっていうことはないの。浅井君は何も悪くないからね」


 始業式の後のロングホームルーム。地獄坂は元気な姿を見せていた。しかし始業式にその姿はなく、目はまだ赤く、また鼻声だ。化粧は最低限しか施さないのが功を奏したというべきだろうか。涙が顔面を崩壊させるまでには至っていないのが不幸中の幸いだった。


 早い段階で地獄坂自ら事態を収拾しようとしてくれたことに、立川たちは安堵していた。もしこれで浅井が孤立を通り越して迫害されようものなら、二人は周囲の視線もなんのその、浅井のために立ち上がるかと覚悟を決めているところだったのだ。


「あ、その手だとノートとか取れないよね。誰か代わりに書いていいって人いるかな?」


 事前に浅井が左手でも字が書けると知っていて良かったと立川は思う。もし知らなければ、確実にここで手を上げていただろう。それが筋だというものだと。何でこいつが、と周りに奇異の目で見られることも構わずに。


「いえ、左手でも書けますので」


「え、そうなの?」


「はい。右腕が使えないのは二度目ですから」


 教室内はじわりとした緊張が漂っていた。浅井が自発的に話しているからだ。少なくともいつもの浅井なら「右腕が使えないのは二度目」という発言をするとは思えなかった。

 一学期の記憶が確かなら、教師とのやり取りでも「はい」で終わってキャッチボールが返ってこない。

 よもや成長したのかと。暗黒門番が一年と五ヶ月を得てレベルアップを果たしたのではないか。

 そしてさっき泣かせたというのによくこんな風に話せるなと、浅井の度胸にも緊張していた。お前、また泣かすなよ、と。


「うーん、ちょっとお話聞きたいから、お昼休みに来てもらえる?」


「はい」


「あ、それと早乙女さんと立川さんも」


「え?」


 急な名指し。教室を覆う緊張感とは別に、背中に嫌な汗が湧いてきた。もしかして、夏休みに三人で同棲生活みたいなことをしていたのがバレているのだろうか。違うんです先生。あれは勉強合宿なんです。その男が振るったのは腰のものではなく教鞭なんです。本当です信じてください。ボクたちは二人ともまだ処女です。


「アルバイトについて確認したいことがあるからね。

 浅井君と一緒に来てちょうだいね」


 ()()アルバイトについてか、地獄坂は主語を明確に言わなかった。

 わざとだろうか。それとも自然にだろうか。


 昼休みを迎えないと、その真意は分からない。

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