レズカップルにお世話をされるのは好きですか? 3
夏休みになった。
終業式の校長の長い話に耐え、体育館の暑さに耐え、昨今では意味などないといわれる山ほどの課題を渡された直後に窓から投げ捨てたい欲求に耐え、夏休みになった。
そして今、立川紬は先日購入した水着を置いたまま、右には参考書の山を、左には参考書の山を、そして正面には浅井優大を配置して、手元で山ほどの課題を消化している。
「こ、この鬼畜……!」
マンションの5階ともなれば、耳障りなセミの鳴き声も遠い。クーラーが立てる音の方がまだうるさいくらいだ。
そして立川の嘆きの声は、セミの声に消されることもなく、クーラーの音に消されることもなく、無事に浅井のもとに届いた。
「誰が鬼畜だ誰が」
「浅井以外に誰がいるんだよ!?」
立川が顔を上げるが、隣に座る愛する恋人の顔は見えない。この参考書の山こそが悪名高いベルリンの壁。浅井が考えた対レズカップル用勉強集中環境である。
「お前ら、勉強中でも顔が見えるとすぐに乳繰り合い始めて課題が進まんだろうが」
「癒しをくれよ~! 問題と浅井の顔しか見えないんだよ~!!」
「我慢しろ。今のうちにここを矯正しなきゃ今後がどうにもならん」
「せっかく水着買ったのに、まだ一度も着れてないしさ!」
「着たいんなら着てもいいけど。今の格好と大差ないだろどうせ」
「それ水着で勉強しろって言ってるよね!?」
「ほら、そろそろ課題に戻れ」
渋々ながら言われたとおりにしようとする。そういえば、立川が騒いでも隣の早乙女は静かなものだ。さすがはボクの恋人だなぁ、と思ったが、ちょっと気になったので立ち上がってベルリンの壁の上から見てみる。「あ、こらっ」と浅井が怒るがちょっとくらいいいじゃないか。浅井だって前ボクのおっぱい見たんだから見逃せよ。
「紬ちゃん紬ちゃん紬ちゃん紬ちゃん紬ちゃん紬ちゃん紬ちゃん紬ちゃん……」
ベルリンの壁の上から見れば、早乙女疾風が虚ろな瞳で机に寝ていた。口からは、呪詛のように恋人を呼ぶ声だけが漏れている。
「はっ、疾風ー!?」
ベルリンの壁が崩壊する。あぁせっかく積んだのにという浅井の嘆きは崩壊する音に紛れて消えた。流通が回復し、立川の手で早乙女の涙を流す顔が持ち上げられる。
「ああもう、立川断ちの途中だったのに。また最初からか」
「こんな状態になるまでほっとくなー!!!」
浅井にとってはまことに遺憾ながら、ベルリンの壁再建は二人の乙女による断固たる抵抗によって無期延期となった。
早乙女の顔は立川の胸の中に埋まっている。何か成分を補給しているのではないかと浅井は思う。早乙女は完全に中毒患者だ。浅井一人の手では治療は難しい。しかして社会環境にて立川中毒の治療が行えるような施設は存在せず、協力してくれる人物も存在するはずがない。一気に絶つより少しずつ薄めていくべきだったかと浅井は中毒症状の治療の難しさに一人頭を悩ませる。
「Hallelujah」
立川が雄たけびを上げた。7月末、連日連夜取り掛かっていた課題が、ついに終わったのだ。ちなみにこの雄たけびは直前にやっていた英語の課題の影響であった。立川の心情を表すぴったりの言葉だったのだ。
喜びあれ、と。
立川は調子に乗っていた。
「立川、うるさいぞ」
「まぁまぁ、快挙なんですよ。今までこんなに早く夏休みの宿題とかを終わらせたことなんて無かったんで」
浅井は夏休みの宿題は、可能なものは全て7月中に終わらせるタイプだった。
早乙女は夏休みの宿題は、計画的にやって8月頭までには終わらせるタイプだった。
そして立川は、最終日に早乙女に泣きつくタイプであった。
言うまでもなく、立川以外の二人はもう課題を終わらせていた。立川が終わらせるのを二人して待っていたのだ。
立川は調子に乗っていた。
「すごい解放感を感じる。いまなら空だって飛べそう」
「感」が重なってて日本語おかしくなってるなぁ……と浅井は思うが、結局何も言わなかった。ハイテンションになっていると誰しもこんなものだろう。しかして釘は刺さねばならない。反重力装置で飛び立った精神を、強く殴って言い聞かせて地面に戻すのが浅井の役目であった。
「課題が終わったのなら、次は受験対策を始めるぞ」
「うぇええぇぇえええええ……」
反重力装置の故障を確認した。任務完了だ。
「ちょっとくらい遊ぼうよ~。プール行こうよプール~。絶対ナンパされるから浅井も一緒に行こうよ~」
反重力装置で宙に浮いた物体が、反重力装置が壊れたらどうなるか。
浅井は今、目の前でそれを体験していた。つまり、制御ができなくなるのだと。
そういえば、と立川に魔が差した。浅井には、これを聞いたことが無かった。
もし浅井に「夏と言えば?」と聞くと、浅井の妙なマイブームのせいで「UFOの夏」とか「宇宙人の夏」なんて妙ちくりんな答えが返ってきただろう。
だけど、「ひと夏の過ち」なんて表現があるように、夏と言えば「セ○クスの夏」だと立川は思うのだ。
立川は調子に乗っていた。
「ねえ、浅井って童貞?」
浅井は何も言わなかった。
その反応を見て、立川は疑惑を得た。
立川の知る限り、童貞に童貞を指摘すると、自分は童貞ではないと否定をしようとする。
では非童貞に童貞を指摘すると、『まぁ君がそう思ってるんならそう思ってていいよ。俺は俺が童貞じゃないことを知ってるんだし』という反応をする。
では、浅井の反応は果たしてどちらか。
後者だと思った。
立川は調子に乗っていた。
「えっ、マジ? 浅井童貞じゃないの!? えっ、いつ!? いつやったの!?」
もはや興味を抑えられぬという勢いで浅井に質問突撃を敢行していく。全世界のパパラッチが参考にしてもいい勢いだ。
立川は調子に乗っていた。
「ねえねえ相手だれ!? えっもしかして紗雪さんとヴォッ!?」
立川は、調子に乗りすぎた。
立川が気付いた時には、宙に浮いていた。
支えているのは浅井の右腕だけだ。
首を掴まれている。
浅井が、窒息しろ、骨が折れろと言わんばかりに力を込めているのが分かる。
浅井は、無表情だった。




