レズカップルに押しかけられるのは好きですか? 2
「え、ダメなの?」
「当たり前だ。大問題になるぞ普通に」
暴力を振るわないよう立川に注意して正解だった。
言ってなければ近いうちに騒ぎを起こしていたかもしれない。
「別にボク一人でもどうにか出来ると思うよ?」
「いや、どうにもならないし。そもそも暴力を振るった時点でアウトだ」
不服そうな顔をされた。
「その手の馬鹿は言葉が通じない。くだらない面子を気にして奇行に走る奴もいる。立川が一人で対処したら、学校とか店の外でまで付きまとわれてもおかしくないぞ」
「うぇ、キモッ! そんなん本当にいるの?」
「いるんだよ、こういう仕事では割と」
「学校でそんな目に遭ったことないけど……」
「そういうことをやる連中は、店員には何してもいいって考えてるような連中だから。店の中でそうなると、平気で外でも店の中と同じようにしてくるようになる」
「それは嫌ですね。そういう連中が平気で百合カップルの間に挟まりたいとか言い出すんですよほんともげろって思います。紬ちゃん、その時は素直に浅井君に助けてもらお。汚らしい返り血で紬ちゃんが汚れるのも我慢ならないし」
「理由がちょっと気になるんだが……。正直、そうしてくれると俺も店も助かる」
「もぐのも手伝ってくれます? 私さわりたくありませんし」
「もがねえよ。俺だってさわりたくねえよ」
「ところで浅井さー、なんか実感こもってるね?」
「去年、実際に何度か体験したからなぁ」
「もぐのをですか?」
「そっちじゃない」
「もひとつついでに浅井さー」
ニヤニヤ笑いだった。
嫌な笑い方だったが、対応しないわけにもいかなかった。
「なんだ」
「教室でのボクらの話、聞いてたんだね」
地雷だと分かっていても、踏みに行かなければならないことはある。
「……聞こえるように話してただろ」
苦虫を嚙み潰したような顔だと、二人にそろって笑われた。
それもこれも全部、宇宙からの電波ってやつのせいなんだ。
浅井の帰りは遅い。
2年3組の担任教諭地獄坂光が夕食のために襲来し、ついでにまだ店内に残っていた生徒達を追いだしていく。
追い出される生徒に混じって、新米バイトの二人も一緒に帰らせる日課が追加された。部活帰りの生徒も多い時間帯なので、仮に追いだす生徒がいなくても駅まで安全だろうと浅井は思う。
そして静まった職場には浅井と紗雪の二人が残る。その二人で取る夕食では、立川はどうだ早乙女はどうだ学校はどうだとの弾幕をかすり除けしつつ時折削られながらも切り抜け、全体の掃除と火元の確認と最終施錠、そして翌朝の仕込みのために泊まり込む紗雪に別れの挨拶をして帰路に就く。
これが浅井の去年から続きつつ、若干の変更が入った日々だ。
しかして数日後、立川が休み早乙女が出るシフト。金曜日のことである。浅井は爆弾を一つ投げ渡されることになった。
「うーん、それなら、しばらくうちに泊まらない?」
そう言ったのは店長の今泉紗雪。そう言われたのは新人バイトの早乙女疾風。
そして言った内容が流れ弾となったのがベテランバイトの浅井優大である。
「もしそうするなら、親御さんには私の方から連絡を入れておくわ」
「……紗雪姉、不安なんで一応確認するんだけど」
「今は勤務中なんだから『店長』よ、ヒルナシ君」
「……店長、不安なので一応確認したいんですけど」
言い直した。紗雪はこの辺りは割と厳しい。
「早乙女が寝泊まりするのは、ここでですよね」
「そんなわけないじゃない。私一人が寝るスペースしかないの知ってるでしょ」
「……じゃあ、今日は店長も家に帰るんですよね?」
「そんなわけないじゃない。帰ったら明日のあさイチの仕込みが間に合わないでしょ」
「……もしかして、店長の家に誰が住んでるのか忘れてたりします?」
「そんなわけないじゃない。早乙女さんと同い年の男の子が一人で家を守っているわ」
えっ、という声が早乙女から漏れる。
「早乙女さん、この子が私の家に居候しているけど、大丈夫よ。手を出したりは出来ないから」
この子、というのは言うまでもない。早乙女と立川の裸を既に見たことがある男、浅井優大その人である。困惑の声が早乙女から洩れる。しょうがないと浅井も思う。
「早乙女、事情は聞いてなかったんでよく分からないんだけど、家出か? 撤回したらどうだ?」
早乙女が目を閉じる。悩んでいるのが手に取るようにわかる。そんなに葛藤するほどの理由があるのか。さっき二人が何を話していたのか、しっかりと聞いておくべきだっただろうか。
うん、という声で早乙女が再起動した。まぁ結論は先に出てるんだから、悩むまでもなかったんじゃないかと浅井は思う。
「何日かお世話になります」
あっれぇー!?
地獄坂光が襲来し、店舗は今閉店へと至る。当然だが、今日はこの時に早乙女は帰らなかった。
夕飯も三人で取る。紗雪が作ってきたのはオムライスだ。何の皮肉だろうか。それとも遠回しに手を出すなよと注意喚起しているのか。そう浅井は考えたが、紗雪は同盟のことは知らないはずだ。……知らないよな?
更衣室で学生服に着替えて待っていると、デカいボストンバッグを持った紗雪が戻ってきた。家出のために用意したものではないだろう。浅井の私服と同様に、何かあった時用に用意していたものだと浅井は思う。
自分が持って行くべきだろうかと一瞬思うが、当然あの中には下着も入っているはずだ。そうするのは憚られた。早乙女はもちろん紗雪にも何も言われなかったので、多分これで正解だったんだろう。
紗雪に見送られて二人で駅に向かう。道行く人は他に誰もいない。
気まずい。こういう時、何を話せばいいんだろうか。毎週土曜日の夜に紗雪と二人きりでこの道を歩いて帰る時は、一体どんなことを話していただろうか。
気になるのは家出の理由だが、よもやこのような道端で聞く話でもあるまい。「両親が離婚するんですが、私の親権で揉めてるんです」なんて重い話が飛び出てきたら、とても浅井一人では受け止めきれない。
紗雪が明日帰ってくるのでその時にでも聴こう。浅井には問題を先送りすることしかできなかった。
そもそも、土台無理な話だったのだ。普段から話題を提供しないようなやつが何を話せばいいのか悩むなんておこがましい。立川の時はやはり宇宙からの電波を受信していたのではないかと浅井は思う。
「帰る時は、髪はそのままなんですか?」
ほらみろ、結局早乙女から話題を振られる始末だ。今日は紗雪のコーディネート。残念ながら、浅井はこの髪型の名前を知らなかった。
風呂に入れば元に戻るんで帰る時はそのままだ。それよりも、今後は自分一人でもどうにかできるようになるべきだろうか。安芸や暁はこれからより忙しくなるだろうし。とはいえその度に店長の手を煩わせるわけにもいかないだろう。
そういうことを最近になって考え始めたのだが、それを伝えると、「付け焼き刃でどうにかなると本気で思ってます?」「人には向き不向き以前に可能不可能というものがあるんですよ」「その時は私や紬ちゃんがいますので、抵抗することなく弄られてください」と返された。そう言われると何も否定できない。
電車の中では「パスケースにしたんですか?」駅から出れば「どれくらい歩くんです?」「近くに美味しいご飯が食べられる所はありますか?」と常に早乙女から話しかけられ、自分から話題を振れないような男で申し訳ないと内心恐縮する。
ここだ、と伝えれば、早乙女はポカンとした表情でマンションを見上げていた。
「うわぁ。いいとこ住んでますねぇ……」
「俺じゃなくて紗雪姉のだけどな。大学進学の時、セキュリティがしっかりしてるところをってことでグレードの高いのにして、そのまま続けて使ってるらしい」
郵便受けを確認したが何もなかった。エレベーターへ向かえば運よく1階に残っている。行先は5階。早乙女も乗り込んできた。
密室の中で二人きりになる。今更ながら、話題を一つ思いついた。
「……なあ、立川の家じゃ駄目なのか?」
「紬ちゃん家、お隣なんですよ。それだとさすがに家出じゃないですし。それに、家族の喧嘩なんかで迷惑をかけたくないですし」
「俺には迷惑をかけていいと」
「まぁ、浅井君ですしね。それに、応援するって言ってくれたじゃないですか」
ひょっとして、喧嘩したのは立川のことでだろうか。
「紗雪姉も言っていたけど、今晩は俺と二人だけ。部屋は紗雪姉のを使ってくれ。内鍵もかかるから。オーケー?」
「はい、大丈夫です」
「早乙女の貞操観念は大丈夫じゃなさそうなのがなぁ」
「ちょっと、どういう意味ですか」
「教室で全裸になるような女だし」
「変なこと言わないでくださいよ!?
誰が聞いてるのかも分からないんですよ!?」
何のことだろう、と思って早乙女が指差している物に気付いた。
「……ああ、カメラか。声までは入らないよ」
そもそも、今二人が客観的にどう見られているのか、分かっていないのだろう。
「映像だけ見れば、週末に彼氏の家にお泊りしに来た彼女だしなぁ」
「!? な、え……?」
ひょっとして、紗雪は分かっていたのではないだろうかと浅井は思う。
夜遅くにボストンバッグを持った女子高生と同じ学校の制服を着た男子が共に駅に向かう姿を見て、ひとりほくそ笑んでいたのではないか。
そしてそのまま同じマンションに入る姿が周りからどう見られるか、紗雪は気付いていたのではないだろうか。
追及してもはぐらかされるのは目に見えていたので、精神衛生のために浅井はそれ以上考えないことにした。
「あ、あのですね、そもそも私が大丈夫だと思ったのには、ちゃんとした理由があってですね」
早乙女が正当性を主張してくるのを、話半分で聞いてやることにした。
「聞かせてもらおうか」
「店長とお付き合いしてるんですよね」
話半分で聞いていたので、剛速球でデッドボールが直撃したのには反応できなかった。
そうしていると、勝手に結論を出されてしまう。
「あ、やっぱりそうなんですね」
「……違う」
絞り出すように出た声では、どれほど真実味があるのだろうか。
「……まぁ、お世話になるのですしそういうことにしておいてあげます。それじゃあお二人はどういう関係です?」
無言で抵抗する。
「……どうせ店長に聞けば教えてくれると思いますけど」
その通りだった。余計なことまで言いだしそうで、それなら自分から伝えたほうがマシだと浅井は思う。
「……親が親友らしくてな、昔から家族ぐるみでの付き合いがあるんだ」
「え、あ……。もしかして、浅井君のご両親が亡くなったんで、今泉家に引き取られたとかですか……?」
「想像力たくましいなぁ。どっちも親は健在だよ」
隠すようなことでもない、もっと単純な話だ。
「俺たちの実家から、大学までが遠くてな。それでまぁ、さっき言った通り、紗雪姉がここを借りて」
「浅井君も同じように家から遠くて、ここでお世話になることにした、ということですか」
なるほど、という言葉で得心したようだった。さっき言っていた大丈夫な理由ですけどね、と続く。
「店長、浅井君はそんなことする子じゃないから、って言ってたんですよ。私が信じたのはその言葉です」
なんで出会って数日の上司の言葉が信じられるんだろうと浅井は思うが、紗雪は生徒たちに信頼されている。よく悩みの相談に応じている姿を浅井も見ていた。早乙女がこうしてここにいるのも、その一環なのだろう。
同時に、その言葉で多くのことも納得出来た。
紗雪の一言で、早乙女は余計なことまで信じてしまったのだ。
きっと早乙女の頭の中では、浅井の返事には関係なく真実は紗雪と浅井は付き合っていて今は仕事で忙しいけど前は同棲状態で、紗雪の言からまさか恋人の家で浮気するような人間じゃないと結論しているのだろう。
そんなんじゃないのに、と浅井は思う。
そんな風に出来たらもっと楽になれるのに、とも浅井は思う。
―――もし本当に手を出せたなら、それはそれでお姉ちゃんとしては嬉しいわ。
早乙女が席を外している隙に言われた言葉を思い出す。
なんて女だと思わずにはいられない。これで本当に手を出したのなら、笑うのか泣くのか、もしくはその両方だろうか。
ポケットを上から触れてみれば、パスケースの硬さがかえってきたのに安心する。
「……ところで浅井君、まだ降りないんですか?」
エレベーターは、とっくに5階に止まっていた。
ようやく発覚する浅井くんの家庭事情




