奇術師、神都を出発する
その日の夕食時、ドレルを含む全員が食堂に集まっていた。いつものように食事をし、皆が食べ終わったタイミングでチサトが口を開いた。
「それでは、エスさん依頼の件を説明しますね」
「嫌だ、と言ってもするのだろう?」
「はい」
笑顔で頷くチサトを見て、エスはやれやれと首を振る。
「エスさんたちは海龍の巣へ寄るのですよね?」
「私はそのつもりだが…」
エスが仲間たちを見ると、リーナの嫌そうな顔が見える。その隣に座っていたグアルディアがエスに話しかける。
「エス様、それに関して手は打ってきました」
「おうよ!少し前に儂の技術を結集して作り上げた船があったんだが、それを更に改造して用意してやったぞ。あの船なら海龍に攻撃されても問題ないだろうよ」
グアルディアの言葉に割り込むように、ドレルが説明し始めた。
「なるほど、それでこんなに時間がかかっていたのだな」
「本当はもう少し早く戻るつもりだったのですが…」
そう言ってドレルを睨むグアルディアだったが、ドレルは知らん顔で飲み物を口に運ぶ。
「ドレルに船を使うと連絡したら、自分も行くと聞かなくてですね。王も許可を出してしまったばかりに…」
「いいじゃねぇか。高速で走る馬車に丈夫な船、下手にその辺の船に乗るよりは安全ってもんよ」
ガハハと笑うドレルを見てグアルディアはため息をついてた。
「話を戻しますね。依頼内容ですが…」
グアルディアとドレルの会話が一段落したと判断し、チサトが話し始める。
「その海龍の巣にマキトたちも連れて行ってください」
「えっ!?」
チサトの依頼内容に驚いたのはマキト本人だった。驚いた表情で固まっているマキトにチサトが優しく微笑みかける。
「マキトたちには海龍の巣に住む、海龍の調査と必要に応じて討伐をお願いします」
「必要に応じて?」
チサトの言葉に疑問を持ったのはエスだった。そんなエスにチサトは頷くと話を続ける。
「海龍は船を沈めると噂され恐れられていますが、実際には海龍が船を沈めたという事実はありません。別のモンスターが船を沈めています。ただ、船を沈めているモンスターを海龍が放置している理由が知りたいのです。本来、あの海域は海龍が守っているのですよ」
「ほう、チサトは海龍自体より、その船を沈めているモンスターとやらが気になっているのだな。そのモンスターの正体はわからないのか?」
「もちろんわかります。そのモンスターは…」
エスは、モンスターの名を告げようとするチサトを手で制し首を振る。
「おぉっと、わかってしまっては実に面白くない。ただ一つだけ教えてくれないか?」
「なんでしょう?」
「そのモンスターは海龍より強いのかね?」
エスの質問は、自分たちが使う船が破壊されないか懸念してだった。海龍の巣に向かうために用意した船であれば、対海龍用に強化されたものだとは理解できる。その船であれば、海龍よりも強いモンスターでもない限り破壊されることはそうそうないだろうと考えていた。
「いいえ」
エスの質問に答えたチサトは首を振る。それを見てエスは頷くとドレルの方を見た。
「ならば問題なかろう?」
「ああ、当然だ!」
自信満々に頷くドレルを見て、今度はエスがため息をついた。
「なんだろうな。ドレルが自信満々だと、とても不安になるのだが…」
「なんだと!?」
「エス様もそう思いますか…。ドレルがこんな時は大概何か失敗するのです」
エスとグアルディアに言いたい放題言われ憤慨するドレルだったが、真面目な表情となり船に関しての説明を始めた。
「あの船は防御に特化した造りにしてある。海龍どころか伝承の存在である天龍の咆哮も一回くらいは耐えられるはずだ」
「ほほう、天龍か。まあ、その話は旅の最中に聞くとしよう。それで、勇者君たちはこの依頼を受けるのかね?」
突然エスに話しを振られ動揺したマキトだったが、小さく頷き答えた。
「ああ、当然だ。水晶窟にいたやつみたいに、人を苦しめてるなら放置できない」
「ふむ、実に勇者をしているな。そうか、水晶窟にいたドラゴンは害獣だったのだな。それを勇者君が討伐したのなら、私が文句を言えないな。いやはや、楽しみを奪われてちょっと頭にきていたが、それなら仕方がないな」
「何がちょっとだ…。テメェ相当キレてたじゃねぇか」
研究所でエスの怒りを目の当たりにしたドレルが呆れたように呟くが、その呟きは周りに聞こえていなかった。
「では、海龍の巣の調査以降はマキトたちの自由で構いません。エスさんたちに同行するも、船を調達しこちらに戻るのも自由です。また、何かあれば聖騎士が連絡に行きます」
「わかりました」
マキトがチサトの依頼を了承すると、アイリスとフィリアも頷く。それに微笑み頷き返し、チサトはエスへと視線を移した。
「よろしいですか?」
「ああ、構わんよ。今の勇者君なら役に立つしな。私ものんびり旅を満喫できそうだ。フハハハハ」
エスは、道中のモンスターによる面倒事などをマキトたちに押し付ける気満々だった。とはいえ、見たことのない動物やモンスターであれば、エスは率先して戦うであろうことは仲間たちは理解していたため、何も言わずに聞いていた。
「出発は明日の朝でいいか?」
「はい、構いません」
エスにアリスリーエルが答えると、サリアとターニャも頷く。特に準備といったものもないため、グアルディアものんびりと飲み物を口に運んでいる。
「では、明日の朝、教会前に集合としよう。勇者君たちもそれでよいかな?」
「ああ、わかった」
マキトが頷いたのを確認したエスは満足気に頷き席を立つ。
「それでは、早めに休むとしようか」
そう言ってエスが食堂を出て行くと、それを追うようにエスの仲間たちも退室していく。食堂にはチサトとマキトたちだけが残っていた。
「チサト様、海龍の調査だけが依頼ですか?」
「ふふふ、マキトの想像通り、一応エスさんの監視も含まれますよ」
「やっぱりそうですか…」
海龍の調査だけであればエスたちに同行する必要はないと感じ、マキトが確認したがチサトの答えを聞き納得する。
「ですが、エスさんが人に敵対しなければ特に何かをする必要はありませんよ。その辺りの判断はマキトに一任します」
「…わかりました」
たとえ、エスが人に敵対したとしてもマキトにそれを抑えることはできないということはチサトも理解していたが、監視としてだけであれば問題無いという判断だった。マキトもそれを察し、渋々了承する。
「では、よろしくお願いしますね」
翌朝、朝食を済ませたエスたちは教会の入口門に集まっていた。目の前にはドレルが取り出した馬車があり、興味深げにエスがブラススレイプニルと呼ばれる金属の馬を見ていた。
「ブラスと言いつつ、これは真鍮ではないな?」
コツコツと馬の胴を叩きつつエスがドレルに問い掛ける。叩いた感触からも、それがエスの知っているブラス、つまり真鍮ではないことがわかった。
「当然だ。真鍮じゃ強度が心配だったからな。そいつに使われてるのは、儂らドワーフ独自の製法で作った金属だ。その金属に名前がないんでな、とりあえず見た目の色でブラスって言ってるだけだ」
「ほほう、ドワーフ独自の金属か。ふむ、実にファンタジーの王道ではないか!イイな、実にイイ」
そう言ってエスはますます金属の馬を眺める。そんなエスと一緒に、アリスリーエルとターニャも馬を眺めていた。しばらくして、マキトたちを伴いチサトが現れた。
「お待たせしてしまいましたか?」
「いいや。勇者君たちも準備は終わってるかね?」
「ああ、大丈夫だ。すぐ出られるぞ」
「うむ、では出発するとしようか」
エスの言葉を合図にアリスリーエルたちが馬車に乗り込む。
「ほら勇者君たちも乗りたまえ」
エスに促され、マキトたちも馬車に乗り込んだ。馬車自体は全員が乗っても余裕がある程大きな物だった。エス以外が乗り込んだのを確認しドレルとグアルディアが御者台に乗り込む。
「エスさん」
馬車に乗り込もうとしたエスをチサトが呼び止める。
「マキトたちをお願いしますね。また、神都にいらしてください」
「ああ、また機会があれば寄るとしよう」
チサトが差し出した手を、握り返し握手をする。その手を握った瞬間、エスは掌にまるで血を抜かれるような感覚を覚えた。
なんだ!?
手を放し違和感のあった手を眺めるが、特に変わった様子はない。そんなエスに対してチサトが微笑みかける。
「どうかしましたか?」
「いや、気のせいか?」
何事もなかったように話すチサトを見て、エスはすぐに消えてしまった違和感は気のせいだったと割り切り、馬車へと乗り込んだ。エスたちの乗った馬車は、手を振るチサトに見送られ神都を出発した。
エスたちを見送ったチサトは自室へと戻っていた。誰もいない自室で、チサトが自分の掌へと視線を落とす。すると、何もない掌の上に薄っすらとした光る球体が現れ、その球体にチサトは微笑みかける。
「ふふふ、ようやく油断してくれました」
まるで、チサトの言葉に応えるように球体は淡く明滅した。
「大半が奪われてしまいましたが、まだ何とかなりそうですね。それにしても、本当に自我の強い方でした…」
光の球体はゆっくりと掌へと入っていったのを確認し、チサトは部屋の窓を開け空を眺めた。そして、口元に笑みを浮かべ呟く。
「『色欲』を倒し、『怠惰』を発見することを期待してますよ」
PC更新中のため次回は2020/03/12予定