奇術師、世界の成り立ちを知る
チサトに案内されアリスリーエルは教会内を歩く。しばらくしてチサトが足を止め傍にある扉へと手を触れる。その扉には取っ手の様な部分などはなく、チサトが触れた場所から扉全体へと微量の魔力が流れ光が表面を走る。その光はまるで魔方陣でも描くかのように広がっていくと、扉がひとりでに開いた。
「さあ、中に入ってください」
「これは…。魔法的な施錠ですか?」
アリスリーエルの指摘に、チサトは少々驚いた表情を浮かべた後、その目に魔力を宿しアリスリーエルを観察する。
「よくわかりましたね。…なるほど、エスさんの眷属になった影響でアリスリーエル様も力を宿しているようですね」
「わたくしも、ですか?」
「ええ、ターニャさんを見た時に気づいてサリアさんも確認しましたが、二人ともスキルと言える力を宿していました。サリアさんに至っては、すでに使いこなしているようでしたけど」
そう言いながらアリスリーエルを部屋の中へと案内する。そこは、書斎のような場所となっており沢山の書物が置かれていた。アリスリーエルの知る書物も沢山見受けられるが、中には見たこともない様な書物もあった。そんな沢山の書物が収められている本棚へとチサトは近付くと、一冊の書物を手に取りアリスリーエルの元へと歩いてくる。
「こちらをどうぞ。教会に伝わる治癒術についてまとめられています。今のアリスリーエル様なら読むだけで十分使えるようになるでしょう」
「えっ!?」
「アリスリーエル様がエスさんの眷属になって手に入れたと思われる力は、所謂【解析鑑定】と【魔力精密操作】、前者は物事の本質や、その構成を見抜く力。恐らく書物をたくさん読み知識を蓄えていたから手に入れたのでしょう。後者は元々の才でしょうね。魔力の流れを見ることのできる魔力視などが含まれます。それに、アリスリーエル様は稀な全属性適正、【魔力精密操作】と合わせればどんな魔法であれ使えるでしょう」
「そう、なのですか?」
「少しの間、私が教える必要があるかと思いましたが、これなら必要はなさそうですね。その書物を部屋から持ち出すことは厳禁ですが、この部屋は自由に使って構いませんので、ゆっくり読んでいってください」
「はい、ありがとうございます」
「これでは、私がここにいる理由がなくなってしまいましたね…」
どうしようかとチサトが考えていると、アリスリーエルが思いついたかの様に話し始める。
「あっ、ではわたくしが勉強中であることをエス様にお伝えしていただけませんか?」
「ええ、では行ってきますね」
チサトはアリスリーエルへと軽く手を振ると、そのまま空中へと消えていった。
「わたくしも、少しでもエス様の面倒事を取り除けるように頑張らないと…」
アリスリーエルは小さく決意を呟き、手に持つ書物を開いた。
アリスリーエルがチサトから治療術に関する本を渡されていた頃、エスは神都を見渡していた。エスが座っている場所は教会の屋根の上、眼下に広がる神都と夕日を眺めていた。たった一日であったが色々なことが起こり、流石のエスも肉体的には問題無いにしても精神的には疲労していた。故に、エスは癒しを求めて【奇術師】の力を利用し教会の屋根へと上ったのだった。
「イイ景色だ。だが、まあ見たことのないような景色ではないな…」
エスが呟くように、夕日に染まる街並み自体は元居た世界でも見られるものだった。高い場所から見下ろすということも然程珍しくはない。そんな風景をなんとなく眺めふと下を見ると、全体ではないが聖騎士たちの訓練所が見えた。そこでは一人の少年が剣を振っていた。
「あれは、勇者君か。手合わせの後だというのに熱心な事だ」
剣を振るうマキトの姿を眺めつつ、手合わせの時のことを思い出す。
「勇者か、実に損な役回りだな…。腐らず頑張っているのだから誉めるべきか。私だったらさっさと投げ出してしまうぞ。それにしても、キデンスでのことが納得いかないのだろうな。こんなファンタジーな世界なのだ、殺伐としていても仕方ないとは思うのだが…」
マキトが言った「全てを守る」という言葉、それは叶わないとエスは確信していた。恐らく、マキトもわかってはいるのだということも理解していた。それでも、そうしたいと言い努力するマキトにエスは好感を持っていたのだった。
「あまり根を詰めすぎても心が病んでしまうぞ…」
その時、マキトの側に二人の少女が駆け寄る。それはマキトの仲間である少女たちだった。手渡された布で汗を拭くマキト、それを笑みを浮かべエスは眺めた。
「あの二人がいるから、まあ大丈夫か」
そう思いながらしばらく眺めていると、不意にフィリアがこちらを向いた。
「おや、気づかれたか。フィリアだったか、なかなか鋭い感覚だ。とりあえず、手でも振っておくか」
気配を隠したりなどしてなかったとはいえ、この距離で気付くフィリアに感心しながら、エスは笑みを浮かべると、こちらに気づいたフィリアに手を振る。
訓練所では、エスに気づいたフィリアがマキトたちに声をかける。
「あそこ」
「どうしたんだ?」
フィリアの視線、そして指差す方向をマキトが見ると、屋根の上で手を振っているエスの姿が見えた。
「あいつ、あんなところで何やってんだ?」
「手、振り返す?」
「無視しなさい!無視!それより、そろそろ中に入りましょう。もうじき夕食よ」
エルフの少女に促され、マキトたちは教会内へと入っていった。
マキトたちが教会内に入っていくのを見送り、エスは再び神都へと視線を移す。綺麗な街並みが夕日に染められていく様を眺めながら手合わせの時のことを思い返す。
「ふむ、エルフの少女がやっていたような魔力の流れを作れば魔法も使えるのだろうか…。アリスの魔法も見ているから、流れ自体はわかるのだが…」
試しにとエスは魔力を操ってみる。頭の中で思い描く通りに、目の前で魔力が集まり流れを作る様子が見て取れる。操れるだろうという不確かな感覚があったため試したのだが、思いのほか簡単に操ることができた。
「この魔力を見たり簡単に操作できたりするのは、元々悪魔に備わった力なのか?便利だから追及は面倒だしやめておくか。で、確かこうだったな」
アリスリーエルやエルフの少女が火球を出したときの事を思い出し、自分の魔力で流れを再現、それと並行して今まで見てきた火球を強くイメージする。すると、目の前にイメージ通りの火球が生成され始めた。
「おおっ!でき、あっ!」
現れた火球に感動した次の瞬間、火球は消滅してしまった。散っていく魔力を観察しつつ考える。
「魔力は、正常だった。ということは、つまり…」
「エスさんに火を操る適性がないということです」
突然声をかけられ、横を見るとチサトが立っていた。先程まで魔力に集中していたせいでチサトの転移に気づかなかったのだ。少々驚いたものの、それを悟らせずエスはチサトに問いかける。
「魔法にはやはり適正があるのだな」
「ええ、その者の気質などが反映されます。例えば、マキトなら数少ない『光』の適正、エスさんなら『幻惑』の適正といった感じですね」
「適性の無い魔法は使えないのか?」
「使えますが、相当な努力が必要ですよ」
「そうか、ならば暇な時にでも練習するとしよう。それで、私の適正は『幻惑』だけなのかな?」
「生来、悪魔は魔法に長けますが、得手不得手はあるようですね。エスさんの場合は、『幻惑』以外ですと…」
そう言って、チサトはアリスリーエルを観察した時のように、その眼に魔力を宿しエスを見る。
「『空間』に適性があるようですよ。それにしても、【奇術師】【強欲】それに隠している【崩壊】に加えて、【模倣】も持っているのですね」
「やはり【崩壊】を知っているのだな…。ところで、【模倣】とは?」
「【模倣】は一度見た技術などを真似できる力ですね。流石に適性の無い魔法やスキルは無理ですが」
「ふむ、所詮は真似であろう?真似ではオリジナルに勝ることはない。だが、真似できるということは、それそのものを知るにはもってこいだな。利用価値は高そうだ。なるほど、カーティオの剣技が理解できたのはそれのおかげか…」
「特殊で強力なスキルですが、そこまで嬉しくないようですね。マキトは大量のスキルを持っていることに喜んでいたのですが…」
「だから勇者君は強くなれなかったのではないか。才能に胡坐をかいているだけでは、強くはなれん。その力を活かすための努力が必要だと私は考えている。まあ、その点に関しては手合わせで気付いたようだがな」
エスは先程まで訓練をしていたマキトを思い出しながら、誰もいなくなった訓練所を見る。
「しかし、スキルとはまるでゲームだな」
「それは仕方ありません。神が私たちが元居た世界の娯楽に興味を持って作った世界だそうですから」
「それは初耳だ」
「エスさんは神に会ってないのですから、そうかもしれませんね。私はこちらに来るときに、神から直接そう聞きました」
「そうか、ファンタジーな世界はたいへん好物なので何の問題も無いがな」
この世界の成り立ちを聞き、複雑な思いになるエスだった。そしてレマルギアのアワリティア支配人代行のマニーレンが話したことを思い出しチサトに問い掛ける。
「少し、教えてくれないか?レマルギアにあるアワリティアの支配人代行であるマニーレン、奴は妖精族だと言っていたが、何故アヴィドについていた?それに、レマルギアの『強欲』の悪魔たちを放置している理由も知りたいな」
少し間を置き、チサトが口を開く。
「…そうですね。アヴィドたち、七大罪の悪魔が元々人だったということは言いましたよね」
「ああ」
「その頃の彼らは英雄と呼ばれる者たちでした。当時、アヴィドの片腕として活躍していたのがマニーレンです」
「アヴィドが悪魔となってもマニーレンはアヴィドと共にいたということか…。ということは、妖精族が悪魔を嫌うというのは、その後の話か」
「その通りです。あと、レマルギアの『強欲』の悪魔たちを滅ぼさない理由ですが、簡単な話です。すべて滅ぼしてしまうとレマルギアが娯楽都市としての機能を失ってしまうという点。そして、レマルギアを通って魔工国が攻めてくる可能性があるためです」
「なるほど、『強欲』の悪魔たちがいる限り、迂闊に魔工国はレマルギアを侵攻できないというわけか。七聖教皇国としての安全を守りつつ様子を見ていたというわけだな」
「レマルギアの『強欲』の悪魔たちは、借金の取り立て等の理由以外で無意味に魂を奪うことをしていなかったので、我が国としても滅ぼす理由がなかったということもありますね。無駄に争っても損害だけで利益がありませんから…」
「まあ、清濁併せ呑むのも支配者の器というわけだな。それともう一つ、勇者君たちが手合わせの時に口にしていた詠唱の様な言葉。魔法はイメージを形にするだけで詠唱など必要ないと思うのだが?」
「その通りです。魔法に必要なのは魔力操作とイメージ。ですが、そのイメージをやすくするために彼らは言葉を使っています」
「なるほど、意味はあったというわけか…」
チサトの説明を聞き、色々と思考を巡らすエス。その様子をチサトはしばらく眺めていた。
「そうそう、目的を忘れてました。エスさん、アリスリーエル様から治療術の勉強中ということを伝えて欲しいと言われていたのでした」
本来の目的を思い出したチサトがエスにそう伝える。
「そうか、自分の力不足を嘆いていたようだからな。感謝する。チサトがアリスリーエルに治療術を教えたのであろう?」
「わかりますか…」
「でなければ、チサト自身が私に伝えに来るわけがあるまい。フハハハハ、少し考えればわかるだろう」
僅かな警戒心を見せるチサトに、エスは笑って答える。チサトとしては、自分が持っている力と同様の力をエスが持っていないことは、先程の観察で証明されているにもかかわらず、まるで見てきたかのように行動を当てたことに驚いていた。
「安心したまえ。チサトと敵対する気などあるわけない、まったくもって面倒極まりない」
「まるで、私が面倒な女だと言いたいようにも聞こえますよ?」
「それは失礼」
そう言って座りながら頭を下げるエスに、チサトは少し怒った素振りを見せる。
「では、伝えましたので私はこれで。ターニャさんの様子を見に行きます。」
「ああ、私ももう少ししたら見舞いに行こう」
チサトはエスに背を向けると転移したのか姿を消した。
「やれやれ、話の流れで色々聞けたが…。察するに魔工国はレマルギアの悪魔たちの存在と力を知っているということか。魔工国に行くときは気をつけた方がよさそうだな」
チサトとの会話で色々知ることができたのだが、逆に魔工国という面倒が増えたのではないかと思いながらエスは夕焼けの空を仰ぎ見た。それはそれとして、自分の魔法適正について考える。
「『幻惑』と『空間』か…。どちらも【奇術師】の力と被るところがあるな。まあ、それが適性というものなのだろう。【崩壊】や【強欲】の力との切り替えはスムーズにできるようにはなったが、どうしても切り替え時に微妙なズレはある。カーティオの様な手練れを相手にした場合は致命的な隙になってしまうしな。二つの魔法をうまく利用すれば【奇術師】の力と誤認させ、他の力での不意打ちができるのではないか?ふむ、要練習だな」
他にも自分の知り得た知識からできることを探るべく、エスは時間を忘れ思考を巡らせた。
エスの元から転移したチサトの視線の先では、ターニャの面倒を甲斐甲斐しくみるサリアの姿があった。ベッドで上体を起こし、姉にされるがままになっているターニャは、ようやく動くようになってきた体を確かめていた。
「お体の具合はどうですか?」
「チサト様!」
「ありがとうございました。もう大丈夫です」
ベッドから降りようとするターニャをチサトが手で制す。
「そのままでいいですよ。良くなるまでここは使って構いませんからゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
チサトの言葉にサリアが礼を告げる。微笑みながら頷くチサトは、二人に宿った眷属としての力を説明する。アリスリーエルへ伝えた時の反応を見る限り、この姉妹に真実を伝えても問題無いと判断したからだった。
「お二人に伝えることがあります。サリアさんは気づいているようですが、エスさんの眷属となったお二人には、スキル、つまり特別な力が宿っています」
「この力ですよねぇ?」
サリアが徐に、腿に巻いたベルトに隠していた小さな槍を取り出すと、その槍を利用しやすい大きさまで巨大化させる。実際には小さくしていた槍を元の大きさに戻したわけだが、知らない者から見れば小さなものを大きくしたと思うだろう。
「それがサリアさんに宿った【変質】の力。エスさんの【奇術師】の一部のような力ですね。使いこなせば形も変えられるようになると思いますよ」
「それは便利ねぇ」
「ターニャさんは、【隠形】の力。これも【奇術師】の一部といえる力で、姿を消したり短距離の転移が可能な力のようです」
「便利そうだけど、使いこなすのは難しそうだ」
「あら、ターニャも練習が必要ねぇ」
笑い合う姉妹の様子を微笑みながらチサトは眺めていた。
「その力は、使う時に僅かではありますが悪魔の気配を伴います。それだけは注意してくださいね」
「わかりました」
「眷属としての力だし仕方ないわよねぇ。気をつけないと」
「姉さんは、街中で平気で使ってたよね…」
じっと姉を見つめるターニャだったが、サリアはそんな視線を気にも留めていなかった。チサトは、そんな姉妹の様子を窺いつつ、ふと思った疑問を口にする。
「アリスリーエル様もそうでしたが、皆さん力を手に入れたことをあまり喜ばれないのですね…」
それを聞いたサリアとターニャは顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「だってねぇ」
「あのエスが、自分の力を過信せずに毎夜訓練してるんだ。借りものの力で喜ぶ気にはなれない」
旅の最中、眠る必要のないエスは夜間の暇な時間を力の使い方などの訓練に使っていた。宿内であれ魔法の訓練程度であれば問題無いため、訓練は欠かすことがなかった。
「そうですか。力を過信しないのは良いことです。では、私は部屋に戻りますね。お二人の夕食はこちらに運ぶように伝えておきます。そうそう、エスさんもお見舞いにくるそうですよ」
そう言って手を振るチサトの姿は、そのまま空中へと溶けるように消えていった。