奇術師、最高司祭の依頼を達成する
「さっき司祭を鑑定してわかったんだが、あいつは悪魔になろうとしてる。しかも、信じられないことに『憤怒』と『嫉妬』が混ざってる」
「どういうこと?今まで二種類以上に染まった悪魔は今までいなかったわよ!」
マキトから聞いた内容に、リーナが驚愕の声をあげる。
「事実だ。だいたい、蛇頭の触手は『嫉妬』の身体的特徴だろ?それが『憤怒』の亀裂から現れてるんだ。見た目が既におかしいんだよ」
「確かに…」
マキトに説明され、リーナも口を閉ざす。マキトが説明した通り、動物の頭を持つ『強欲』、黒い翼をもつ『傲慢』のように、他の悪魔も身体的特徴を持つ。『憤怒』の悪魔は体に走る赤い亀裂。そして、『嫉妬』の悪魔の特徴こそが司祭の背中に生える蛇の頭を持った触手であった。そして、その触手の数はそのまま『嫉妬』の悪魔の強さを表していると言われている。司祭は『憤怒』と『嫉妬』の特徴を併せ持っていた。そのようなことはリーナの長い記憶にも無いようなことだった。
「どうして司祭がそんなことに…」
「それは知らん、とりあえずなんとかチサト様に報告しないと…」
次の瞬間、マキトたちの話を遮るように教会内に爆発音が響き渡った。皆が一斉に音のした方を見ると、司祭が天井へと叩きつけられたところだった。叩きつけられた天井から床へと着地する。
「この障壁がある限り、私に傷はつけられないわ」
「そうか?」
エスは『強欲』の剣を構え司祭へと斬りかかる。剣は予想通りに障壁に防がれた。
「障壁を奪う」
エスが一言呟くと展開されていた障壁が消え去る。そのまま振り下ろされる剣を、司祭は焦った様子で背後に飛び退き躱した。
「き、貴様!何をした!」
「邪魔だから奪っただけだ。安心しろ…」
エスは剣を肩に担ぎ、冷徹な笑みを浮かべた。
「貴様は簡単には殺さん」
「障壁を消しただけでいいきになるな!何度でも張り直して…、何故だ?何故でない!」
司祭が手を頭上へとかざすが、再度障壁を張ることができずにいた。エスは障壁を奪うと言ったが、それは障壁を張る能力自体を奪っていたのだった。
「仕方がない、来い、眷属召喚!」
両手を掲げた司祭の左右に幾何学模様の、如何にも魔法陣といった感じのものが床に現れ赤い光を放ち始める。右手側からは司祭服を着た、体型を見る限り女性での首から頭の代わりに無数の蛇が生えた者が現れる。両腕も太い蛇頭の触手になっていた。左手側からは同様に司祭服を着た男性が現れる。所謂スキンヘッドで、体中に赤いヒビが入っているようだった。
「外の連中とは違うぞ!おまえたち、こいつらを皆殺しにしろ!」
命令を受けた二人の眷属は無言で一番近くに立つエスへと襲い掛かる。だが、眷属たちの拳はエスをすり抜け床を砕いた。
「力だけで頭の回らないやつらだ。わざわざ無警戒で立っている者がどこにいる」
そんなエスの声は司祭の後から聞こえてきた。司祭が振り向くと、横薙ぎに振られる『強欲』の剣が迫っており、間一髪のところで司祭はしゃがんでそれを躱す。もう少し遅ければ、確実に首を切り落されているところだった。剣を躱したことで安心した司祭を、エスは思い切り蹴り飛ばす。油断していた司祭は、防御することもなく食らうと教会の床を転がるように吹っ飛んでいった。そんな司祭へと歩くエスの前に眷属たちが立ちはだかる。
「やれやれ、こんな奴にはもったいないほど忠実なことだ。だいたい、脅しで振っただけなのに大袈裟に避けるのもどうかと思うがな」
立ちはだかる眷属たちを見て足を止めたエスはため息をついた。エスが言った通り先程、司祭の首を狙った一撃は当たったとしてもすり抜けるように【奇術師】の力を発動していた。元からエスは司祭を殺すつもりの一撃ではなかったのだ。
「それに、たかだか伯爵級の悪魔二匹程度で私が止められると思っているのか?」
「な、んだと!?」
エスの言葉に司祭は何を言っているのか理解できず、起き上がることすら忘れエスの動きを見ていた。エスは、眷属たちの気配から伯爵級の悪魔であることは把握している。リーナより遥かに強さは下であること、そして自分から見れば取るに足らない相手であることは理解していた。
「伯爵級の悪魔が二体同時だぞ!英雄でも避ける状況なのに、何故貴様はそんな平然と…」
「主人がこの程度だから、眷属どもも頭が回らないのだな。邪魔だ」
エスは『強欲』の剣を眷属たちへと向け一言発する。
「存在を奪う」
エスの言葉と同時に、眷属たちは一瞬にして塵となった。あまりの出来事に、司祭は倒れたまま唖然としてる。自分の最強の眷属たちが、一瞬で塵にされ思考が追い付かなかった。
「さあ、次はなんだ?」
『強欲』の剣を担ぎ唖然とする司祭を煽る。エスは司祭の持つすべての手札を潰し、絶望を味合わせるつもりだった。先程の眷属たちが司祭の最高の切り札だったことは薄々感じていたことではあったのだが…。司祭は杖を両手で握り、震える声で叫ぶ。
「なんなんだ貴様は!」
「そうだな、勇者君たちの言葉で言うところの原初、と言うらしい。これで貴様に通じるかな?」
「原初…だと…」
そこで司祭は顔を青褪めさせた。
「ふざけるな!原初、しかも奇術師といったら先の大戦で滅ぼされているはず!」
「その、先の大戦とやらは知らん」
一瞬でエスは司祭との間合いを詰めると、剣を持つ手とは逆の手で首を掴み持ち上げる。もがく司祭の触手がエスへと襲い掛かるが、エスに届く前にすべてが切り落された。切られて地面に落ちた触手はしばらくのたうつと、泡立つ液体となって消えていく。触手の切断面は泡立ち再生する兆候を見せていた。
「ギャアアアア、カハッ!」
「うるさい」
触手を切断された痛みから叫び声を上げる司祭の腹部を、『強欲』の剣の柄頭で突きあげる。司祭がふと周りを見ると、無数の魔導投剣が宙に浮かび自分へと剣身を向けていることに気がつく。そして、逃げ場がないとことに絶望した。
「私が悪かった。許してくれ…」
司祭は涙を流しながら命乞いを始めた。それを聞きエスが手を放した瞬間、司祭は地面へと潜り離れた場所に現れ杖を構えた。
「馬鹿め、命乞い程度で甘いこ…」
「平衡感覚を奪う」
司祭の言葉を聞き終えることなく、エスは司祭から平衡感覚を奪い去る。倒れそうになる司祭は杖を使い何とか立っていた。
「四肢の自由を奪う」
ただでさえ、まっすぐ立てなくなった司祭は手足が自由に動かせなくなり、その場に倒れた。支えとなっていた杖は司祭の手を離れ床を転がっていった。
「な、何が、どうなって…」
周囲を飛ぶ魔導投剣をエスは回収しながら、倒れる司祭へと歩み寄る。そして、司祭の眼前に『強欲』の剣を突き立てた。
「簡単には殺さんと言っただろう?貴様は良くて侯爵級、私の力から逃げられるわけがない。まあ、この辺りの仕組みはアヴィドのおかげで知ったのだがな」
「アヴィド…だと!?貴様、『強欲』の仲間か!」
「この剣は、アヴィドの形見だ。その意味がわかるか?」
「アヴィドを…滅したのか!?」
司祭の言葉にエスは冷徹な笑みを深める。それを見て司祭も自分が辿り着いた答えが真実だと、そして今の自分の悪魔としての力ではどうあがいても勝ち目がないことを理解する。
「た、助けてください。なんでもしますから…」
涙を流しながら訴える司祭を見ても、エスはその表情を変えない。
「どうか…」
「断る。ただ、今ここで楽に殺してしまっては私の怒りが収まらん。だから…」
『強欲』の剣を引き抜き、エスは宣告する。
「視覚、聴覚、味覚、嗅覚を奪う」
司祭の視界は暗転し、何も見えず聞こえなくなった。助けを乞う言葉は発せられるが、自分の声が何と言っているか聞き取れない。
「さて…」
エスは『強欲』の剣を頭上へと放り投げ、消し去るとポケットから今度は魔器を取り出す。動けず何かわからないことを叫ぶ司祭の掌へと魔器を押し付けると魔力を魔器へと込める。魔力は剣の形をとり、司祭の手を貫通し床へと突き刺さった。
「ギャアアアアァァァァ」
エスが五感のうち、触覚を奪わなかった理由はこれが目的だった。厳密には別ではあるものの、触覚を奪った際に痛覚まで奪ってしまっては目的を達せられないからだった。そこまでのテストをしていなかったことを心の中で悔やみながら、エスは魔器を思い切り引き抜く。再び司祭の絶叫が教会内に響き渡った。
「これでターニャの分はよしとしてやろう。あとは貴様の始末だが…。どうせ見ているのだろう?そっちに送るから好きにしたまえ」
そう呟きエスは指を鳴らす。倒れた司祭の体を布が包むとスルスルと地面に消えていき、司祭の体を消してしまった。
同時刻、神都の教会ではアエナを連れたチサトが教会の訓練所へと移動していた。
「チサト様、牢の準備は完了しています」
「ええ、牢に入れる必要もない状態ですけどね」
そんな話をする二人の前に布に包まれた何かが現れ、中から先程までエスが相手をしていた司祭が姿を現した。背中の触手は回復しており、見境なく周囲の地面を叩いていた。
「アエナ」
「はい」
チサトに呼ばれたアエナが、剣を鞘から抜き横薙ぎに振るうと白い光が触手を切り裂く。切り裂かれ落ちた触手はそのまま塵となり、本体側も再生する様子はなかった。
「ありがとう、アエナ。五感が殆ど奪われてる。これではいろいろと聞き出すこともできないですね。エスさんが帰ったら戻してもらいましょう」
「では、牢の方へ運んでおきます」
「おねがいね」
司祭はアエナに担がれ運ばれていった。
「さて、ターニャさんには悪いことをしましたね。何かお詫びを考えましょう」
そう呟きチサトは教会の奥へと歩いていった。
キデンスの教会ではエスが床に落ちていた杖を拾い上げて観察していた。
「魔力の流れが今まで見たことない感じになっているな。というか、魔結晶の部分だけで杖の本体は飾りか…」
エスは魔結晶を眺め、杖の機能の全てが魔結晶自体に集約されていることを知る。それを取り外すと杖の部分を放り投げ、仲間たちの元へと歩いていった。エスの表情は先程までと打って変わり、いつもの胡散臭い笑みを浮かべている。
「エス様、お見事でした」
「たいした相手ではなかったがな。それよりターニャ、平気か?」
サリアに抱えられたままのターニャに声をかけ、頷いたのを確認した。エスの口調がいつもと同じに戻っていることに、仲間たちは安堵した。
「よし、ではこれで依頼完了だな。さっさと神都へ帰るとしようか」
「そうね、疲れたわ」
エスの言葉にリーナが同意し、いざ帰ろうとエスが頭上へと腕を伸ばしたとき、マキトが声をあげた。
「ま、待てよ!その魔結晶どうする気だ?」
そう言われエスは手に持ったままだった魔結晶に視線を移す。
「ふむ、これに何が刻まれてるかわかるか?」
「えっ!?」
エスは手に持っていた魔結晶をマキトの仲間であるエルフの少女へと投げ渡す。突然のことに驚きながらも魔結晶を受け止めた少女は、その魔結晶を眺め顔を青褪めさせた。
「これ、何かを増幅させて操ることができるようになってる…」
「何かって何だ?」
「わからない…」
マキトの質問に少女は首を振る。少女の知識では表面上の機能しか理解できなかった。
「増幅か。恐らくは憤怒や嫉妬の感情だろう。司祭は街の人間や動物の感情を増幅させて『憤怒』の悪魔にしたのだろうな。その手の感情などどんな人間でも持っているものだ。そうなると、悪魔になるのは人間だけではないのかもしれないな…」
結果、悪魔にされた者たちが眷属という形となり司祭の悪魔としての力が増幅したのだとエスは理解した。そして条件次第では、人間だけでなく動物やモンスターでさえ悪魔となる可能性があることに気づいた。
「ともあれ、全て終わった。その魔結晶は君らに預けるから処分しておきたまえ」
「ああ、わかった。責任を持って処分する」
エスの言葉にマキトが力強く頷く。それを見てエスも頷いた。
「さあ、帰るぞ」
今度こそ、エスは頭上へと腕を伸ばし指を高らかに鳴らした。