奇術師、怒る
教会の外観は爆発音などなかったかのように綺麗なままだった。入口の扉へと手を触れたエスは、そのまま動きを止める。
「どうしたのですか?」
不安そうに声をかけるアリスリーエルの視線を感じつつも、エスは扉の向こう側へと意識を集中する。
「どうも勇者君たちは苦戦しているようだな。それに妙な気配も混ざっている」
「…確かに、これ人なの?悪魔とも違う気がするんだけど…」
エスの言葉を肯定するように頷いたリーナも、扉の向こう側へと集中していた。
「よし、できる手は打っておこう。リーナ、ターニャを連れて裏に回れ。気づかれないようにな。何かあってもリーナなら対処できるだろう。それに侵入ならターニャは得意だろう?」
頷いたリーナとターニャは静かに教会の裏手へと走っていった。
「さて、我々はド派手に入場するとしよう!」
そう言って、エスは教会の扉を勢いよく開ける。その瞬間、エス目掛けて何かが飛んできた。飛んできたそれをエスは難なくつかみ取る。手に持ったそれを見ると燭台であった。
「やれやれ、まだ私が登場の挨拶をしてないというのに、とんだご挨拶だな」
燭台を投げたと思われる人物は、前世の記憶にある司祭服に似た服を着た女性だった。見た目からしてニ、三十代であると思われる。その女性が燭台を止められたことに驚き声をあげた。
「よく防いだな。私の教会に無断で入ったその罪、この私の手で裁いてくれる」
問答無用といった様子で、その女性は片手を高々と掲げる。その手には魔結晶の埋め込まれた杖が握られていた。エスたちの背後で勢いよく扉が閉まる。驚いたサリアが駆け寄り扉を開けようとするが、開く様子はなかった。
「閉じ込められたわねぇ」
「あの杖、嫌な感じがします」
「同感だ。ともあれ、あの者がチサトの言っていた司祭だろう。これは面倒なことになりそうだ…」
アリスリーエルは司祭が掲げた杖を睨みつけていた。エスが司祭の行動を警戒しつつ周囲を見渡すと、マキトたちを発見する。軽い怪我をしているものの、無事であることが確認できた。
「勇者君、苦戦しているようだな。手伝いに来たぞ」
「いったい、外の連中は一体何をしている?」
マキトたちへと近づくエスたちを見て、司祭は悪態をつく。
「ああ、外の『憤怒』たちなら消し飛んだぞ。数は凄かったが、如何せん頭の中身が残念だったな」
そう言って笑うエスに対し、司祭は杖を向けた。
「ふざけるな!」
その言葉と同時に、司祭の周囲にあった長椅子や燭台がエス目掛けて飛びかかる。エスは飛んできた燭台を避け、長椅子の一つを受け止めると、そのまま司祭目掛け長椅子を投げ返した。だが、投げ返した長椅子は司祭の眼前に現れた幾何学模様の障壁に阻まれ砕け散った。
「おお、なんというファンタジー感あふれる防御だ。素晴らしい!」
「そんなこと言ってる場合か!あんた、何で来た?」
マキトに対しエスはやれやれと首を振ってみせる。
「手伝いに来たと言っただろう?人の話はちゃんと聞きなさいと、ご両親に教わらなかったのかね?」
「そういうことじゃねぇ!あんたなら教会に入らなくてもヤバいことくらいわかっただろ!」
「ああ、わかったから来た」
「…アホなのか?」
「君は本当に失礼な奴だな」
「あんたに言われたくはない!」
そんなやり取りをするエスとマキトへ、今度は柱が飛んでくる。それを二人は難なく回避した。
「私を無視しておしゃべりか!貴様ら全員殺して、その首をあの女の前に並べてやるとしよう」
「おお、怖い。なんとも猟奇的な発想だな。あの女とはチサトのことかな?だが、果たしてそううまくいくだろうか」
その言葉を合図としたかのように、司祭服の女性目掛け氷の棘が無数に飛んでくる。だが、先程の長椅子同様に障壁に阻まれて女性まで届くことはなかった。
「ふむ、魔法もダメか。勇者君、アレが何か知っているかね?」
「あれは、かなり上級の障壁魔法です」
エスの問いに答えたのはマキトの仲間であるエルフの少女だった。
「流石はエルフ、魔法に詳しいのだな。しかしまあ、上級だ下級だと言われても私には理解できないが。とにかく、厄介なことはわかった」
どうしたものかとエスが司祭の様子を観察していると、その背後で気配を殺しこちらの様子を窺っているリーナとターニャの姿が目に入った。
「少し気を引くか…」
独り言を呟いたエスはゆっくりと司祭へと歩き近づいていく。そんなエスを警戒し、司祭は杖を構えた。
「それ以上近づくな!」
その言葉に従うように、エスはその場で歩みを止める。
「さて、まず初めに自己紹介させてもらおうか。私はエス、奇術師のエスだ。君の名は何と言うのかね?」
「貴様に名乗る必要などない!」
「やれやれ、ヒステリーか?どこかイイ病院にでもかかってはどうかな?」
「何をわけのわからないことを!あの女といい、どいつもこいつも私を馬鹿にして!」
司祭は頭を掻きむしりながら傍にあった長椅子を蹴り飛ばす。
「まったくもって行動が司祭のそれではないな。それで、街をこんな有様にして何が目的なのかな?」
「あの女を最高司祭の座から引きずり降ろして、私が最高司祭となるのよ!邪魔をするやつはみんな死ね!」
「ふむ、これは説明してくれるのか。フハハハハ、だが貴様の行動はチサトにはバレバレだったようだな」
チサトの名を口にしたエスを、司祭は睨みつける。注意がエスに向いたその瞬間を狙い、ターニャが素早く物陰から飛び出すと、司祭の持つ杖へと手を伸ばした。飛んできた物体や魔法を防いでいた障壁は反応しなかったのか、近づくターニャを阻害することはなかった。
「危ない!」
サリアが声をあげると同時に、ターニャに追いついたリーナがターニャを抱え後ろへと飛び退いた。ターニャの手が杖に届こうとしたその瞬間、司祭の背に赤い亀裂が入り裂けると、そこから蛇の頭が付いた触手が飛び出してきたのだった。ターニャの元へと駆け出したサリアを無視し、司祭はエスを観察し続ける。その背には何本もの亀裂が走り、中から無数の蛇の頭の付いた触手が生えてきていた。
「ターニャ、ターニャ!」
サリアの悲痛な叫びにエスがそちらへと視線を移すと、首から肩にかけ食いちぎられたかのような怪我を負ったターニャの姿が見えた。アリスリーエルも気づいたのか、ターニャの側へ行き治癒の魔法を発動し始める。
「おい、勇者君」
「なんだよ…」
表情から笑みを消し、今までと違う雰囲気のエスに少したじろぎながらマキトは答える。
「少しアレの相手をしていたまえ。すぐ戻る」
それだけを告げたエスの姿は消えると、離れたところにいる仲間たちの元に現れた。
「ダメです。出血が酷く、治癒の魔法だけでは…」
現れたエスに気づいたアリスリーエルが魔法を行使しつつ状況を説明する。
「治癒の魔法は生命力を高めるだけ、失ったものを再生するのは難しいわ。それこそ再生の魔法を使える者じゃないと…」
助からない、そう表情で告げるリーナを見てエスは考える。その視線の先ではサリアがターニャの傷を癒そうと、自分の持つ各種薬品を取り出していた。ターニャは出血が酷いのか既に顔は青くなっていた。
「生命力を高める…つまり元の生命力を高められれば治癒の魔法でも治療できるのだな。一か八かだターニャ、嫌かもしれないが今からおまえを眷属にする」
「エス!?何を言って…」
「不老長寿、それほどの生命力なら治癒の魔法で助かるのではないか?私が体に穴が開いていてもアリスの魔法で治ったようにな」
「…確かに、それなら…」
リーナがエスの言葉に納得している横で、エスはターニャの手をとり自分の手と合わせる。
「あとはおまえの気持ちだけだ。大好きな姉を寂しがらせたくないのなら受け入れたまえ」
僅かにターニャが頷くと、眷属としての証である紋様がターニャの手に現れる。次の瞬間、治癒の魔法で劇的に傷が癒えていった。
「これで大丈夫なはずです。ただ出血が酷かったので少し安静にしていなければ…」
「そうか。とにかく、おまえたちは巻き込まれないように下がっていろ」
そう言ってエスは司祭の方を見る。そこでは、マキトたちが劣勢でありながらもエスの言った通り時間稼ぎをしていた。
「あちらも治療が必要だな。アリス、任せるぞ」
「はい!」
司祭だったモノの背から生える無数の触手がマキトたちに襲いかかるその瞬間、パチンッという指を鳴らす音と共にマキトたちの姿が消えアリスリーエルたちの側へと移動していた。獲物を見失った触手たちは、どこからともなく現れた大きな布を引き裂き暴れている。
「おい」
ゆっくりと歩き、気づかれることなく司祭だったモノの背後に立ったエス。そのエスに気づいた触手たちがエスへと向かってくる。それに構うことなく、エスは司祭本体を思い切り殴り飛ばした。周囲にあるものを破壊しながら転がる司祭だったが、明滅するように現れる障壁がなんの痛痒も与えられていないことを物語っていた。
「許さない、この高貴なる私を殴ったな!この私こそが最高司祭に最もふさわしいと何故わからない!」
叫ぶ司祭を無視しエスは無言で歩く。その表情にいつもの笑みはなく、静かに司祭を睨むだけだった。歩きながらエスは頭上に手をかざすと、空中に布に巻かれた何かが現れその手に収まる。何かを包む布がどこかに吸い込まれていき、『強欲』の剣が姿を現した。エス自身、そして手に持つ剣から溢れ出る異様な気配に、異形となった司祭もたじろいていた。
「な、なんなんだ貴様!」
「私か?奇術師だと言っただろう」
「そう言うことじゃない。その気配、悪魔のものじゃないか」
「その通り、私は悪魔だからな。それよりも…」
エスは『強欲』の剣を司祭に向けると、怒りを露わにする。それに呼応するかのように『強欲』の剣からは禍々しい気配が溢れ出した。
「よくも私の物を傷付けてくれたな!ただで済むと思うなよ」
口調も荒くなり、いつもと違う雰囲気を纏うエスにアリスリーエルたちも困惑していた。
「エス様…。相当、怒ってるようですね」
「意外ねぇ」
「物と言っちゃってるのが気になるけどね」
リーナの言葉を聞き、未だ動けないターニャも自分が物扱いされ苦笑いを浮かべる。だが、自分のために怒っているのを理解し複雑な気分になっていた。
「貴様を殺して、最高司祭の座も奪い取ってやる!」
激昂した司祭の声を合図とし、背に生える無数の触手がエスへと向かった。
そんなエスの姿を見て、マキトの仲間であるエルフの少女は震えていた。
「あれは公爵級の悪魔じゃない。なんであんなのが平然と人の街にいたの…」
マキトの目には司祭を鑑定した情報が見えていた。その内容は異常であり、自分の鑑定能力に疑念を持ってしまい伝えるべきか戸惑っていた。
「マキト、どうしたの?」
フードの少女に声をかけられ、マキトは我に返る。自分が見た内容を伝えようかと思ったところに、アリスリーエルが近づいてきた。その後ろにリーナ、ターニャを抱えたサリアもいる。
「観光だそうですよ。今すぐ、治療しますね」
「あんたたち、あいつ一人に任せていいのか?エスのやつも大概だが、アレは…。司祭は正真正銘の化物だぞ」
エルフの少女の呟きに答えながら、アリスリーエルは治癒の魔法を行使し始める。リーナがエスを見ると、威嚇するように立つ司祭に無防備に歩いていく姿が見えた。
「無理ね。今のエスは、私には止められないわ」
「いや、あんたたちの言葉なら聞くだろ」
「そうだといいんだけどねぇ」
諦めたようにサリアは答えた。そんな話の最中、アリスリーエルはマキトたちの治療を終えた。
「エス様は気まぐれですが、敵対しないものに対してはそこまで酷い仕打ちはしませんよ」
「ふふ、気まぐれ、確かにそうね」
アリスリーエルの言葉に、リーナも笑いながら肯定する。その様子を見たマキトたちはエスの怒りの矛先が自分たちに向かないことを祈っていた。そして、マキトは司祭を鑑定して得た情報をエスの仲間たちに話すことにした。