奇術師、仕掛ける
時はエスがサリアを眷属にした頃に遡る。
契約を済まし、エスは『傲慢』の悪魔に対する準備を進めていた。
「パーウェル殿、住人を家の中に避難させられるかね?」
「理由はわからんが、いいだろう」
エスの言葉に疑問を持ちつつも、パーウェルは呼び出した部下に住人たちを家の中へと避難させるように指示する。部下たちは深く一礼すると素早く部屋を出ていった。
「ではそれが済み次第、次に移ろう」
しばらくして、パーウェルの部下から住人の避難が完了したと報告があった。それを聞き、エスは徐に指を鳴らした。
「これでよし。さあ、窓の外を見てみるといい」
エスに言われるがまま皆が窓の外を見ると街の周囲が森に囲まれ、少し離れた場所に開けた広い平地が見えていた。よく見ると、見えている平地が元々街があった場所で、今街がある場所はルイナイからファスキナ遺跡へ向かう際に通った森の中だった。
「何をしたのだ!?」
その事実に気付き驚き声を上げるパーウェルに対し、笑みを浮かべながらエスは答える。
「なに、実験がてら街を転移させたのだよ。平地が見えるだろう?あそこが元々この街のあった場所だ。ただし、転移は一時的なものだがな」
「街ごと転移だと…」
「あとは…」
再びエスが指を鳴らすと、街の上空に薄い膜のようなものが広がっていく。その膜には、薄っすらと紋様が浮かんでいた。その様子を窓から見ていたリーナがエスへと問いかける。
「これは?」
「このままでは街が見つかるだろう?だから上空からは森に見えるように細工しただけだ。『傲慢』の悪魔どもにどの程度通じるかわからんが、無いよりはマシだろう」
エスはゆっくりとアリスリーエルとサリアの元へと歩くと二人の肩に手を置く。エスが触れると、二人は体に魔力のようなものが流れるのを感じた。驚いた二人がエスを見ると、いつになくエスは真面目な表情をしていた。
「ここはおまえたちに任せよう。アリスは転移した街の維持、サリアは上空の魔法の維持だ。まあ、ここに居るだけで特別なことをする必要はないがな」
「わかりました」
「了解よ」
二人の返事に満足気に頷いたエスは、いつもの笑みを浮かべターニャとリーナの方へと向く。
「ターニャとリーナは二人の護衛だ。恐らくこちらには誰も来ないだろうが…」
「え?」
「一人で行くつもりか?」
「相手の実力がわからないからな。私一人なら逃げるのも楽だ」
それに眷属を手に入れたことを知られない方が、後々、戦闘が避けられなくなった時に有利にことを運べるだろうしな。
そう考えてエスは一人で対処するつもりでいた。
「では、任せたぞ」
そう言って部屋を出て行こうとするエスをグアルディアが遮った。
「エス様、せめてこちらを持っていってください」
グアルディアの差し出した手にはファスキナ遺跡で手に入れた短杖が握られていた。それをエスは受け取ると短杖を持った手を振る。すると短杖が二本に増えていた。
「これでよし。では一本は貰っていこう」
エスはグアルディアに短杖を一本を渡すと、もう一本をポケットへとしまった。唐突にアーティファクトを増やしてみせたエスの行動に驚くグアルディアだったが、短杖を受け取ると一歩下がった。エスは廊下へと出た後、自分に布を被せルイナイの街があった場所へと転移した。
「さて、歓迎の準備をするとしよう」
両手を広げるエスを中心に家が現れる。それは、エスが幻惑魔法で作り上げた幻影だった。どんどんと家が現れていき、ルイナイの街が再現される。
「ふむ、我ながら中々の再現率だな」
幻影で作られた家の扉に触れてみる。エスの手には本来の素材である木の感触があり、開け閉めすることができた。
「フハハハハ、まるで実物だな。これも眷属を得たことによる特典といったところか。詳しいことはわからんが、これは使える」
エスは満足気に笑うと、こちらを目指す『傲慢』の悪魔たちの様子を見るため幻影で作り出した偽パーウェル邸の屋根へと壁を歩いて登った。遠方には多数の悪魔が飛んでいるのが見える。
「できることはした。しかし、【奇術師】を使用し続けなければいけない手前、【崩壊】が使えない。さらに【奇術師】と幻惑魔法は使い続けてるため本来の力は出せない。やれやれ、格上相手にハンデ戦とは頭が痛いな」
ひとつため息をつき、エスは再び迫る悪魔たちを見る。すでに悪魔たちは近くまで迫っていた。
エスと『傲慢』の悪魔たちが相対した頃、アリスリーエルたちはパーウェル邸からその様子を眺めていた。
「エスはどうするつもりなの…」
「大丈夫ですよ。エス様は始めから勝つつもりも負けるつもりもないようですし」
「どういうこと?」
何気なく口にした呟きに答えたアリスリーエルに対し、リーナが問いかける。
「私もなんとなくわかるわ。多分、聖騎士たちが到着するまで時間稼ぎするつもりのようね」
リーナの問いかけに答えたのはサリアだった。サリアは窓の外、エスがいる場所を見ていた。
「ですね。契約のためかわかりませんが、なんとなくエス様の行動がわかります」
アリスリーエルもそれに同意する。そして、眺める先ではたくさんの黒い球体が空に浮かんでいた。ターニャが驚きの声をあげる。
「あれ、遺跡にいたリッチが使ってたやつじゃ」
「あのリッチと『傲慢』の悪魔は何か関係があったのかしら?」
「可能性はありますね」
サリアとアリスリーエルはそう分析する。その後、始まった戦いを黙って見守っていた四人の目の前でエスが『傲慢』の悪魔のリーダー格に蹴り飛ばされた。
「エス様!」
アリスリーエルが悲鳴に似た声をあげる。その瞬間、僅かに街が揺らいだ。驚いたサリアとターニャがアリスリーエルの方を見ると、焦る彼女をリーナがなだめていた。
「大丈夫、エスはあの程度では死なないわ。それよりもここの維持に集中して。見つかってしまったらエスががっかりするわよ」
「そう、ですね」
リーナの言葉に平静を取り戻したアリスリーエルは、再び街の維持に集中する。エスとリーダー格の悪魔は家の影に入ってしまい見えなくなった。しばらくして幻影の街の上空目掛け、白い光が薙ぎ払われる。その光に当たった悪魔たちは消滅してしまった。
「あれは?」
「恐らく聖騎士の攻撃ね」
「ということは、エス様は予定通り持ちこたえたのですね」
ターニャの疑問にリーナが答え、アリスリーエルがエスの勝利を確信する。その時、幻影の街の方を見つめていたサリアが驚く。
「あら?街が…」
皆の目の前で幻影の街が消えていく。
「どういう…」
「計画通りに進んだから消しただけだ」
突然、背後から掛けられた声にターニャが振り向くと、そこにはエスが立っていた。
「二人ともご苦労だったな、あれを見てみろ」
そう言って窓の外、幻影の街があった場所を指差すエス。指差す方角を皆が見ると、黒い帯を引きながら何かが飛び去るのが見えた。
「これで街を戻せるのか?」
声をかけたパーウェルに対し、エスは首を横に振って答えた。
「まだだな。後は聖騎士たちがどう出るかだが、会って話をしてみる。もうしばらく維持を頼むぞ」
それだけ言うと、再びエスは布を被り転移する。転移した先は本来ルイナイの街の門がある場所であり、到着した聖騎士たちの眼前だった。