奇術師、戦いを盛り上げる
エスは雄牛の悪魔の攻撃を華麗に躱す。できる限り戦いを見る者を楽しませるように、時にはピンチを装う。しばらく続けていると突然、雄牛の悪魔が前のめりに地面へと倒れた。その足元を見ると、足首にしがみつくパッソの姿があった。
『邪魔だ!』
立ちあがり後退るパッソ目掛け、雄牛の悪魔が爪で薙ぎ払う。しかし、爪が当たる寸前にパッソは後ろへと転び、そのまま転がりながら距離を取っていた。パッソが転んだところには何故か空のビンが落ちている。離れたところでパッソは起き上がるとキョロキョロと辺りを見回していた。
「あれも【道化師】の力なのか?」
「ああ、【道化師】の力は運命操作。パッソにとって都合が悪い状況というものは書き換えられるってことだ」
エスが呟いた疑問に、傍へと近付くサルタールが答える。
「なんとも都合のいい能力だな」
「まあ、自分に都合よくはなるが対価は声、それに本人の意思で操作できないという欠点があるけどな。おまえの【奇術師】の方が異常だ」
「そうなのか?」
「…あなたたち、話なんてしてないでパッソを助けてあげなさいよ」
エスとサルタールが話している所へリーナが近付いてきた。話をしている間も、パッソは雄牛の悪魔に執拗に攻撃されていたが一切当たっていなかった。その様子を見ている周囲の人たちが悲鳴を上げたり、ほっとした声を上げたりと忙しない。
「パッソだけ目立っていて許せんな」
「なら今度は俺が目立ってやるか」
エスの隣からサルタールが雄牛の悪魔へと向かい歩く。その手にはどこからか取り出した短剣を数本持ちトスジャグリングをし始める。突如、サルタールの足元が不自然に沈むとトスジャグリングしていた短剣を指の間に挟み、沈んだ地面が戻る反動を利用し雄牛の悪魔の頭上を飛び越えるように跳ねる。そして、手に持つ短剣を頭へと降らせた。短剣は頭だけでなく肩にも刺さるが、小さな短剣では雄牛の悪魔に対しては効果が薄いように見えた。だが、その中の一本が雄牛の悪魔の左目に突き刺さり声にならない叫びをあげる。
『鬱陶しい奴らが!この街ごと消えてなくなれ!』
雄牛の悪魔が両腕を上げると、上空には巨大な黒い炎のような球体が現れ徐々に大きくなっていっていた。
「ほほう、あれも魔法か?素晴らしくファンタジーな光景だな。フハハハハハ」
「笑い事じゃないわよ。あれが落とされたらこの辺り一帯消し飛ぶわよ」
「ふむ、それは困った。何かいい案はあるか?」
「仕方ない、あれは私が何とかするわ。少しの間、援護をお願い」
リーナは羽織っていたローブを脱ぐと舞い始めた。雄牛の悪魔の足元には守護するかのように蛙頭の大男が何人も現れる。
「私の見せ場がなさすぎじゃないかな?ここはひとつドカンと…」
エスがそんなことを呟いていると、蛙頭たちとサルタールが戦い始めていた。エスの隣にはいつの間にかパッソが立っていて、エスと同じ格好を取っている。
「おや、パッソ無事だったのか?さっきから一人で目立ちおって」
エスが睨みつけるとパッソは走って街灯の影に隠れた。
「いいから、手伝えよ!」
その様子を横目に見たサルタールが怒鳴る。サルタールはリーナに向かおうとする蛙頭たちを止めるため奮闘していた。
「ふむ、取り合えずリーナがいいと言うまで蛙君たちの相手をすればいいのだな。簡単簡単!」
エスはサルタールが戦っている場所へと走り出すと、蛙男を数人まとめて殴り飛ばす。殴り飛ばされた蛙男たちは街灯や建物の壁にぶつかると黒い靄となって消えてしまった。ぶつかった場所は凹んだりヒビが入ったりと被害が出てしまっている。
「おや?どこかにぶつけるのはやめておいた方がいいか」
再び雄牛の悪魔の足元に蛙男たちが現れ始め、数が減る様子はなかった。
「他に何か使えるものは…」
周囲を見渡したエスはある一点をみて笑みを浮かべる。視線の先には雄牛の悪魔が力を込める球体があった。エスは素早く蛙男の首を掴むと、その球体目掛けて放り投げる。蛙男は何も抵抗できないまま飛んでいくと、球体に飲み込まれ塵となった。
「おお、これは便利!」
そう呟くエスは次々と蛙男を上空の球体へと投げ入れる。現れては塵にされる眷属たちを見ても、雄牛の悪魔のその表情に変化はない。眷属たちはあくまで足止め用の捨て駒、無数に呼び出せるもの。そちらに構っていてくれるのであれば自分には好都合だった。
しばらくしてエスは雄牛の悪魔の目の前、空中に立っていた。それに構わず雄牛の悪魔は上空の球体へと魔力を注ぎ込んでいた。
「牛君、ご苦労さん。だが、無駄な努力だったようだぞ」
エスが話すその背後でパンッと手を叩く音が聞こえる。雄牛の悪魔がそちらを見るとリーナが胸の前で手を合わせていた。その音と同時に上空で巨大化していた球体が掻き消える。周囲にいた眷属たちも塵となった。
『なっ!何をした!』
「さぁ?やった張本人であるリーナにでも聞いてみたまえ」
「あなたの魔法は封じさせてもらったわ」
雄牛の悪魔の疑問に首を傾げるだけのエス。そこへリーナが簡潔に答える。
『封じた、だと』
「そのようだな。いやぁしかし、私の見せ場が殆ど無く終わってしまいそうではないか」
額に手を当てたエスは、何かを思いついたのか笑みを浮かべる。
「そうだ、牛君。一つ賭けをしないか?」
『賭けだと!?』
その言葉を聞き、サルタールとパッソ、リーナはエスの様子を窺う。
「そう賭けだ!私に傷を付けられたらここから逃がしてやろう。ただし、私も抵抗するがな」
『いいだろう、死ねぇ!』
突然、雄牛の悪魔はエスへと殴りかかる。エスはそれを背後へと飛び回避した。
「やれやれ、せっかちなやつだ」
地上へと降り立ったエスへ雄牛の悪魔は迫り再び殴りかかる。エスのすぐ背後には建物があった。中からは人の気配がする。
「ふむ…」
避けるわけにはいかない状況を理解したエスは、咄嗟に被っていたシルクハットのつばを両手で左右から掴むと、両手を広げるように左右へと引っ張る。シルクハットは何の抵抗も見せず引き裂かれたように見えたが、エスの両手にはそれぞれ無傷のシルクハットを持っていた。両手に持ったシルクハットをエスが振ると、突如として巨大化する。
エスは殴りかかる雄牛の悪魔の拳を横に避けつつ、シルクハットでその拳を受け止める。拳はシルクハットの中へと吸い込まれていくと、雄牛の悪魔は何かに殴られたように後ろへと吹っ飛んだ。周囲の人の目にはもう一つのシルクハットから雄牛の悪魔の拳が現れ自分自身を殴り飛ばす姿が見えていた。
『何が、起こった!?』
「フハハハハ、自分を殴った気分は如何かな?私は経験がないのでね。教えてほしいものだ」
笑いながらエスがシルクハットを振ると、シルクハットは元の大きさに戻った。両手のシルクハットを上空へ投げ指を鳴らすと、投げられたシルクハットは燃えて消える。ふと、エスの目に遠くで剣をトスジャグリングをしているパッソが見えた。パッソの近くには兵士がいる。おそらく、その兵士から借りた剣なのだろうとわかった。
「パッソは、何をやっているのだ?」
エスの疑問をよそにパッソはジャグリングを続けていたがフラフラと歩き始めると派手に転び、持っていた剣の一本を空高く放り投げた。
「ふむ、やはり転んだか。パッソは見てると転ぶな。さて牛君よ」
エスは空を指差す。雄牛の悪魔はそれにつられて空を見上げる。
『グガアアアアア』
見上げると同時に雄牛の悪魔は叫びをあげた。雄牛の悪魔が手で押さえる鼻頭には先程パッソが放り投げた剣が深々と刺さっていた。
「フハハハハ、愉快愉快。こうも簡単にひっかかるとは」
『どこまでも馬鹿にしおって!』
怒りを宿した視線で雄牛の悪魔はエスを睨みつける。しかし、エスは笑みを浮かべながらゆっくりと雄牛の悪魔へ向かって歩いていた。
「だから揶揄っているだけだと言っているだろう。それに…」
一層笑みを深めたエスは言葉を続ける。
「そろそろ終わりにしようではないか!」
エスは振り下ろされる雄牛の悪魔の爪を避け懐に飛び込むと思い切り腹を蹴り上げた。