奇術師、会場を借りる
「アレが相手なら手を貸すぞ」
「どうせこちらを見逃してはくれないでしょうし」
エスは声をかけてきた二人を交互に見つつ、やれやれといった感じに首を振る。
「なんだ?おまえたちも目立ちたくなったのか?」
「そうじゃねぇよ!」
「はあ、アレには私たちの正体も気づかれているでしょ?だからよ」
「ふむ、この世界は物騒な事ばかりだな。まあ、前の世界も似たようなものか…」
そんな会話をする三人だったが、その最中もレケンの様子は変化していく。声にならないような叫びをあげるレケンの背中が裂けると、そこから鋭い爪を生やした毛深い手が現れ裂け目を押し広げていく。何かを脱ぎ捨てるように裂け目から現れた者は、エスの三倍近いの背丈をしていた。脱ぎ捨てられたレケンの体は背が裂けた状態で血の海に横たわっている。
現れた悪魔の姿は二足歩行の雄牛といった風貌で、全身は毛で覆われ手足には蹄の代わりに鋭い爪が四本ずつ生えていた。その悪魔は足元に横たわるレケンの亡骸へと視線を向ける。
『この者の望みを叶える必要はもうないが、貴様らは始末してくれる!』
敵意を自分へと向ける悪魔を気にも留めず、エスはため息をついていた。
「何故始末されなければならんのだ。私はただこの世界を見てまわりたいだけなのに…」
「おまえが首を突っ込んだんじゃねぇか!」
サルタールの怒鳴り声が響く中、雄牛の悪魔はエスたちへとその鋭い爪を振り下ろす。サルタールとリーナは左右に飛びこれを避ける。床を砕いた悪魔の爪の上にはエスが立っていた。
「美しい造りの謁見の間が台無しではないか。掃除をしてくれる者たちに謝りたまえ。ところで…」
エスは指を鳴らした。
「牛君、君は空を飛べるのかな?」
『何!?』
雄牛の悪魔を、その足元から現れた布が包み込む。中では布を切り裂こうと悪魔は爪を立てるが、布には傷一つ付けることができない。そのまま、布は縮むと床へと吸い込まれるように消えていった。
雄牛の悪魔がいなくなると、謁見の間の扉も開くようになり我先にと貴族たちは逃げていく。
「さて、王よ。王都中央の広場を貸してくれないか?」
「何故だ?」
この騒動の中でも椅子に座ったままいた王へとエスが話しかけた。その王の前には守護するようにヴェインが剣を持ち立っている。
「なに、さっきのアレと遊んでやろうと思ってな。無理なら別の場所へと変えるとするが…」
「…よいだろう。ヴェイン、兵士たちに言って広場の人払いをさせよ」
「ハッ!」
ヴェインが謁見の間を急ぎ出ていく。その様子を見送り、エスは他の面々へと指示をする。
「サリアとターニャは王女を守ってやりたまえ」
「ええ」
「わかった」
「リーナとサルタールは一緒にくるのだろう?」
「当然だ。パッソ、おまえも行くぞ」
リーナは頷くだけだった。先程から誰にも相手にされず膝を抱えて座っていたパッソは、サルタールに突然声をかけられコクコクと頷いている。
「というわけだ、王よ。いろいろと詳しい話は先程の悪魔を始末してからにしよう」
「わかった。しかし、貴様たちだけで勝てるのか?儂の目から見ても、あの悪魔は最低でも伯爵級であろう」
「ふむ、爵位についてはよく知らんがあの程度の輩なら問題にもならんだろう」
エスの言葉にリーナとサルタールは頷く。
「それよりも、ここからがクライマックスだ!城から中央広場を見ることはできるかな?」
「バルコニーから王都を見渡せる。そこから見ることは可能だ」
「素晴らしい!ならば城の手の空いてる者たちも連れて見物するといい。最高のショーをご覧に入れよう」
エスは、それだけ告げ指を鳴らす。エスたちの足元から布が広がる。四人は布に包まれると謁見の間から姿を消した。
四人は中央広場周囲の建物、その屋根の上に現れた。エスは上空を見上げると、そこには布に包まれた何かが落下してきているのが見えた。
「タイミングは完璧、さて避難の方はどうかな?」
広場の方を見るとすでに人はおらず、周囲の建物から外を窺う人たちいるだけだった。広場に繋がる道や建物の間の路地には、兵士たちが集まっていた。
「兵士諸君も素晴らしい仕事ぶりだ。舞台も万全、天気も良い、さあ派手にフィナーレといこうではないか!」
その言葉を聞いたサルタールとパッソは笑みを浮かべる。リーナだけは頭を抱えてため息をついていた。
「私はそこまで目立ちたいわけじゃないんだけど…」
リーナの呟きは誰にも聞こえていなかった。
しばらくして空から布に包まれた悪魔が降ってくる。地面に叩きつけられた悪魔は未だに自分を包む布に悪戦苦闘していた。それを眺めつつエスたちは建物の屋根から飛び降りた。サルタールは宙返りしつつ、リーナはふわりと広場にある街灯の上へと降り立つ。エスはまるで階段を下りるように空中を歩きながら別の街灯の上へと降り立った。その頭には、先程までは被っていなかったシルクハットを被っている。エスは片手でシルクハットを抑え、もう片腕を広げ天を仰ぐ。
「さあ、最高のショーを…」
エスの声を遮るように何かが地面に叩きつけられる音が響いた。
音に驚いた周囲の視線が、エスたちからその音がした方へと向く。その視線の先には縞模様の寝間着を着た男が地面にうつ伏せで倒れていた。様子を窺っていた者たちは唖然とした顔をしている。
「…パッソめ、おいしい所を持っていくではないか。流石は道化師だな。さて、そろそろ牛君も解放してあげよう」
エスが指を鳴らすと、悪魔を包む布は一瞬で燃え上がり消えてなくなった。自由になった悪魔は立ち上がり、街灯の上に悠々と立つエスを睨みつける。
『この程度で我を殺せると思ったか?』
「いいや、全然。むしろ攻撃だとでも思ったのかね?周りを見たまえ」
悪魔は周囲を見て今自分がいる場所を認識する。
『ここは…』
「ようこそ、牛君。これから君は公開処刑だ!」
次の瞬間、エス目掛けて悪魔が爪を横薙ぎに振り抜く。しかし、爪はエスをすり抜け空を切る。
『おのれ!幻影か』
「はぁ、牛君、眷属たちに教わらなかったのかね?」
目の前にエスはいるが、その声は別の場所から聞こえてきていた。声のした方へと皆が向くと、屋根の上に街灯上にいる幻影と同様にシルクハットを被っているエスがいた。エスが動くと同じように幻影も動く。
『馬鹿にしおって』
「フハハハハ、馬鹿になどしていないぞ」
街灯上の幻影が消えると、エスは幻影が降り立った時と同じ動きで街灯上へと移動しながら話す。
「揶揄っているだけだ!」
その言葉を聞き、悪魔は爪をエスへと怒りのままに振り下ろす。エスは素早く取り出したステッキで爪の側面を叩き軌道をずらす。振り下ろされた爪は地面を砕いた。
『殺す!その身を切り裂き、はらわたを引きずり出して城に放り込んでやろう!』
「いやぁ怖い怖い。果たして、牛君にできるかなぁ?」
笑いながらステッキを回すエスを悪魔は睨みつけていた。