奇術師、館へと招かれる
食事を終えたエスたちは、店を出るとそのまま真直ぐエルマーナの館へと歩いて向かった。途中、行きかう人々からは食堂で向けられたような視線を向けられるが、それとは別の視線と監視であると思われる魔法的な干渉があったことをエスは感じ取っていた。ただこちらを見ているだけなら問題無いだろうと考え、その視線を無視した。
エスたちはエルマーナの館へと到着すると、何の問題もなく中に入ることができた。館の門で待っていた者は無言のまま、とある一室へとエスたちを案内する。館に入ったことで、こちらを監視しいた視線や魔法の気配は消えていた。案内された部屋の中では、書斎机で積まれた書類を確認しているエルマーナの姿があった。
「来たか。すまない、少し待ってくれ」
こちらを見ることなく告げたエルマーナの手が止まるまで、エスは室内を観察していた。何かの魔道具であろうか、強い力を持つ道具が、いくつかの棚に所狭しと置かれている。また魔導書のような書物や、巻物のような物も見受けられた。他にも変わった植物もあるようだ。錬金術のようなこともやるのだろうか、とエスが考えていると書類仕事が一段落ついたのかエルマーナが立ち上がった。
「待たせたな。ここは話をするには向かん。別の部屋に行こうか」
そう言いながら、エルマーナはエスたちの前へと歩いてくる。部屋に入ったまま、立ち止まっていたエスたち。部屋に出入りする扉はエスたちの背後にあるのだからエルマーナの行動は自然なものだった。
エスたちを避け、扉を開け出ていくエルマーナに続きエスたちも部屋を出る。全員が出たのを確認したエルマーナが、扉を閉め手をかざす。すると、結界のようなものが扉全体に広がった。
「それは鍵の代わりか?」
「ああ、アタシの部屋ってだけで侵入しようとする輩がいるんでね」
エスの質問に、エルマーナが肩を竦めてみせた。
「それはまた、大変だな」
「さあ、こっちだ。ついてこい」
エルマーナに連れられ、エスたちは広い応接室のような部屋へと案内させられた。何の革かわからないが、相当上物だとわかる革が使われたソファーにエスは腰を下ろす。その隣にアリスリーエル、向かいにエルマーナが腰を下ろすと豪快に足を組んだ。間には膝の高さ程度のテーブルが置かれており、その中央には水晶のようなものが埋め込まれている。他の仲間たちは、エスが座るソファーの後ろで物珍し気に室内にある物を眺めていた。高そうな壺や、見たこともない名前も知らない動物らしきものの剥製など飾られている。
「さて、来てくれたということは報酬は決まったのかな?」
エルマーナにエスは首を振り答えた。
「詳しい状況を教えてくれないか?詳細を見て判断しようと思ってな」
「一理ある。いいだろう」
エルマーナがソファーの間にある机に手をかざす。すると、水晶のようなものから天井へ向け扇状に光が広がっていき、その中にどこかの風景が映し出される。映し出されたのは、どこかの軍が休憩している様子であった。
「これが、マシャルの主戦力、君らに潰してもらいたい連中だ。現在地は首都の東側、国境付近だな。他の部隊の展開を待っているのだろう。しかし、予想以上の大部隊だな。いつの間にここまで増えた?」
映像を見つつ、エルマーナが軽く驚いている。その様子を見て、演技ではないようだとエスは感じていた。エルマーナから目の前の映像へと視線を移し、軽い違和感を覚える。何がおかしいのかと問われたら答えられないが違和感を感じた。
「映像自体ではないな。映っているこいつらの中に何かあるのか?」
「どうしました?」
思わず呟いたエスに、隣に座っていたアリスリーエルが気づいた。
「いや、気のせいかもしれん、だが…。エルマナーナよ、こいつらは種族としては人なのだな?」
アリスリーエルの問いかけを無視し考えていたエスだったが、エルマーナへと一つ疑問をぶつける。
「ああ、マシャルは力こそ全てと考える人族だ」
「魔力こそ全てと考えるのが、君らというわけか」
「その通り」
帰ってきた答えは想定通りのものだった。エスは再び考え込む。
(魔女と呼ばれるこの街の者たちは間違いなく人だった。映像に移っているマシャルとかいう国の者たちも、同様に人であることはわかる。それだというのに何だ、先程から感じるこの違和感は…。この戦争、何か裏がありそうな気がするな。あまり、踏み込まないほうが良いかもしれん。避けられない場合は…)
「ふむ、この依頼はお断りしよう」
「なんだって!?」
「だから、お断りすると言っている」
まさかここまで来て断られると思っていなかったのか、エルマーナが驚きの表情で固まっていた。
「理由を聞いてもいいか?」
「もちろんだ。まず始めに、我らに利益がない。次に、君らに求める報酬も特にない。つまり、受ける理由が見つからないな」
「そうか。まあ、仕方あるまい。アタシが強制できる立場じゃないからな。はぁ、上になんと報告するか…」
「上、ですか?」
ため息をついたエルマーナの言葉に、アリスリーエルが反応する。
「そうだ。元老院、大魔女様の裏でこの国を仕切ってる連中さ。どんな情報網を持ってるのか知らんが、君らが来るから丁重にもてなしてマシャルの連中にぶつけるように言ってきたんだよ。報酬には糸目はつけるなともな。どうも、アタシらに戦わせたくなさそうな感じだったな」
「どの世界でも、中間管理職は大変そうだな」
「その感想は、ないと思う…」
エスの呟きを聞き、後ろでソファーの背もたれに腰掛けていたミサキが苦笑いを浮かべ呟いた。
元老院とやらの目的はわからない。だが、自分たちとマシャル軍を争わせること自体が目的であれば、そこに何かしら意図があるのだろうと考えられる。
「となると、この国を移動中にその元老院とかいう連中から嫌がらせを受ける可能性もあるというわけか。実に、面倒なことだ」
ため息をつき、未だ目の前に表示されているマシャル軍の様子を見る。先ほどから感じる違和感は変わらない。この違和感に元老院が関わっているわけではないのだろうか。それとも、この違和感の原因が自分たちを戦わせたい理由なのだろうか。どちらにしても、現状では推測でしかない。
「このまま元老院とやらから移動中に不意を突かれるよりは、原因をはっきりさせるためにマシャル軍の相手をしてみるのもアリか…」
どうしたものか、とエスは腕を組み天井を見上げる。その顔をミサキが覗き込んだ。
「なんだ?」
「エス、悩んでる?」
「そう見えるか?」
「うん。悩んでるならさ、いつも通り面白そうだと思えるようにしたら?」
「ふむ…。それもそうだな。よし」
何かを思いついたのか、エスはエルマーナを正面から見つめた。その顔には先程までなかった笑みが浮かんでいる
「どうした?」
エルマーナが意味ありげな笑みを浮かべるエスを訝しむ。
「やはり、依頼を受けてやろう。報酬は、元老院の連中との面会だ」
「何!?」
予想外の要求にエルマーナは驚いた。
「ダメなら、この話はなしということで」
「いや待て、分かった。だが、その報酬はアタシの一存では決められん。元老院に聞いてみるから明日まで待ってくれ」
「フハハハハ、構わんとも。そうそう」
さらに笑みを深めエルマーナを見つめる。その悪意を含む笑みにエルマーナは気圧されていた。
「元老院の者たちに伝えてくれ。断っても構わないが、もしマシャル側がいい報酬を提示して依頼してきたら、私はそちらに付く可能性もあるぞ、とな」
「わ、分かった。すぐに…」
次の瞬間、部屋の中に強力な魔力が渦巻く。その魔力にエスは覚えがあった。館に入る前に感じたものだ。
『話は聞いていた。奇術師、おまえの望み通り我らのへの面会、報酬として認めよう』
部屋に響く老婆のような謎の声はそう告げる。内容からして、声の主が元老院の者だろうと理解できた。
「ほう。これはこれは、元老院のお偉いさん直々に交渉に来たというわけか。なるほど、この魔力。街中で私たちを監視してたのはおまえたちか」
エスの体から殺気が迸る。殺気にさらされたエルマーナは軽く体を震わせた。同じく声だけの元老院の者はエスの殺気を軽く受け流している。
『そちらの要求は飲むと言っているのだ。そう、殺気立たれても困る』
エスは一息つき、殺気を消した。
「で、おまえたちは私に何をさせたいのだ?」
『そこに映る、マシャル軍主力部隊。それを率いている武王を始末しろ』
「武王?」
『そうだ。やつさえいなくなれば、我ら魔女は安泰だ』
そういうことを聞きたかったわけではないのだが、とエスは思いながらも話を続ける。
「その武王とやらは、マシャルのお偉いさんか?」
『そこの娘の国でいうところの、国王のようなものだ』
「なるほど」
そこの娘、というのがアリスリーエルのことであるのはなんとなくわかった。つまり、この進軍に相手国の国王自らが出張ってきているということか、と考えながらエスは目の前の光景へと視線を移す。慌ただしく行動を始めたマシャル軍の姿が見える。
「どうやら、あちらさんは準備が終わったようだぞ」
『早いな。すぐにでも向かえ。何としてもワシらのいる首都へ近づけるな!』
それだけ告げ、部屋に満ちていた強力な魔力は消えていった。
「帰ったか」
「生きた心地がしなかったぞ…」
エスの目の前では、机に突っ伏しそうになっているエルマーナの姿があった。
「フハハハハ、あの程度でそんな様子になるようでは、私と交渉など始めから無理だったのではないかな?」
「クッ…」
悔しそうに自分を睨むエルマーナの姿を見て、エスは満足気に笑っていた。
「さて、私はこいつらと遊びに行くとしよう。他の者は、ここでのんびり待つのも構わないぞ。そうだな、できればターニャは連れていきたいが…」
「なんで!?」
意図せず名前を呼ばれ、思わずターニャが声をあげる。
「暗殺向きだからだ。あとはミサキだな、証拠隠滅に便利だ」
「どういうこと!?」
ミサキもターニャと同じようにエスに食って掛かる。それらを笑い飛ばしつつ、エスはアリスリーエルだけに聞こえるように呟く。
「アリス、ここで待機だ」
そう言った後、アリスリーエルの肩に手を置きエスは耳元へと顔を近づけると、アリスリーエルだけに聞こえるように呟く。
「元老院も油断ならん。エルマーナは何も知らないようだし、ここで様子を見ていてくれ」
「わかりました」
エスの意図を理解したアリスリーエルはエスは頷く。アリスリーエルから離れ、リーナとサリアを交互に見る。
「リーナ、サリア。アリスリーエルの護衛として、おまえたちはここで待機だ」
「わかったわ」
「任せてぇ」
エスは立ち上がると、ターニャを近くへこいと手招きする。ミサキはすでにエスの近くにいる。ターニャが不貞腐れながらも近づいてきたことを確認し、エスはいつものように指を鳴らした。
「では、行ってくる。そちらはそちらの判断で動いてくれ」
「わかりました。行ってらっしゃいませ、エス様」
足元から現れた布がエスたちの姿を隠し、いつものように消え去る。エスの転移自体は一度行ったところに行けるというものではあるが、映像で見た場所も同様に転移できた。これは、以前教皇国でチサトからイメージを受け取り転移したときから、可能であることがわかっていた。
エスたちの転移した先は、映像でも映っていたマシャル軍の後方、軍を見下ろせる丘の上だった。マシャル軍を挟んで反対側には、遠くに大きな都市が見える。おそらく魔女の国の首都であると思われた。距離からしてそこそこ離れてはいるが、進軍を開始すれば二日程度で到着するのではないかと思われた。
「さて、役割分担だが」
そう言ってエスはミサキとターニャを見る。
「ターニャは武王の暗殺、ミサキはその援護だ」
「エスはどうすんだよ」
大役を任されたターニャが声をあげる。
「私か?私は、おまえたちが仕事をしやすいように陽動だ。適材適所というやつだ。視線を集めるのは得意なのでな、フハハハハ」
「まぁ、そうだよね。で、開始の合図は?」
「やつらが私の陽動に食いついたら、自分たちのタイミングで始めて構わんよ。もし、失敗しそうなら私がいる方へ逃げてきたまえ。くれぐれも、無理はしないようにな」
「わかったけど…」
「ターニャ行こう。じゃ、エス先に行ってるよ」
「ああ、任せたぞ。それと、ミサキ、十分注意しろ」
エスの言葉に僅かな疑問を抱いたターニャだったが、頷いてすぐに動き出したミサキに手を引かれ丘の下へと向かっていった。
「さて、ミサキは気づいているみたいだな。であれば、無茶はしないだろうし大丈夫だろう。私も準備をするとしようか」
エスはこの地に立ってから、映像で感じていた違和感が強くなっているのに気づいていた。それは、一際大きく豪華なテントから強く感じる。武王がいると思われるテント、それが違和感の出所だと考えると、やはり何かあると思わざる得なかった。ミサキもその違和感に気づいたようだったため、判断を任せることにした。
エスは進軍の準備をするマシャルの者たちに気づかれぬよう、軍の向かうであろう首都側へと再び転移をした。