奇術師、国境の街に滞在する
王都を旅立ち二週間程度が経った。速度が出て疲労すら感じない金属の馬がひく馬車のおかげもあり、エスたちは今フォルトゥーナ王国北の国境にある街に滞在していた。ここから先は、小国群が小競り合いを続けているらしく治安も悪いとのことで、比較的安全な道を調べるべく情報を集めていた。
今、エスは独り宿の部屋にいる。そもそも、エスのいる部屋は一人部屋である。女性陣は大部屋に全員で泊まり、エスは前世や見た目は男性なのだからと一人部屋に追いやられていた。だが、エスは特に文句を言うこともなくそれを受け入れて一人気楽に過ごしている。部屋の椅子に座りのんびりしながら、エスはテーブルに置いたグアルディアから旅立ちの際に渡された首飾りを見ていた。その首飾りからは、聞き覚えのある声が聞こえていた。
『…と、いうわけですので、警戒を怠らぬよう頼みますよ』
「ふむ…」
エスは、グアルディアから報告を受けていた。内容は勇者マキトがフォルトゥーナ王国を北上し、妖精国方面へと出国したという話だった。王都を出発した時はまだ噂程度であったが、グアルディアはここまでの短期間でマキトが向かった先まで予測できる程度に情報を集めていた。
「このタイミングで、勇者君が妖精国に向かったかもしれないか。お供の二人も一緒なのだろう?」
『そのようです。ただ、何かに警戒しているようだったという報告も受けています。目撃時期がひと月程前なので待ち伏せの可能性も捨てられません』
「フリなのか、実際に何かに警戒していたのか。それは知りようがないか。教皇国が裏で糸を引いている可能性もあるし、こちらも警戒するに越したことはないだろうな。ただ、時期的にこちらの行き先を知っていたとも思えないが…」
『私の方でも調査は進めますが、流石に国外までは正確に動向を掴むことは困難です。ましてや、北の小国群は戦争ばかりしてますから、密偵を送ろうにも他国の人間は警戒されてうまく情報が集められません。現地の人を取り込むという手もありますが、取り込むまでの手法が問題ですし時間がかかってしまいます』
「仕方あるまい」
『まあ、一般的な兵士や盗賊程度でエス様たちをどうこうできるとは思いませんが、くれぐれもご注意ください』
「了解だ」
『それでは、また何かわかり次第ご連絡いたします』
グアルディアがそう告げると、淡い光を放っていた首飾りから光が消えた。何度か使った経験から、それが通信が終わったことを意味すると理解しているエスは、首飾りを自分の首へとかけ服の中へ隠した。
「勇者君が妖精国へ向かった可能性がある、か。予想されるのは私たちの始末か足止め、もしくは教皇国が嫌になって逃げたか、くらいか。どちらにせよ、勇者君もなかなか波乱に満ちた人生を歩んでいるようだな」
以前、共に旅をしたマキトの顔を思い出しつつ、エスは一人外を眺めていた。
少しして、エスがいる部屋にノックの音が響き、扉が開かれた。入ってきたのはリーナだ。
「エス、取り敢えずは妖精国までの道筋は決まったわよ」
「おお、そうか。で、街中で問題はなかったか?」
「今のところは、ね。食堂でみんな待ってるわよ。どうせ、昼食は取ってないんでしょ?」
「ああ」
エスは立ち上がり、リーナと共に宿にある食堂へと向かった。食堂は混雑していたが、エスを見つけたミサキが手を振っており皆が座っているテーブルはすぐに見つかった。周囲のテーブルには、戦争で一儲けしようとする冒険者や傭兵と思われる厳つい男たちが多く座っていた。
エスは仲間たちの座るテーブルへとつくと、情報収集が終わった仲間たちを労った。
「皆、お疲れ様だったな」
満足気に頷く仲間たちを見て、エスも笑みを浮かべた。情報収集にエスが同行しなかった理由を知るアリスリーエルが、エスに状況を尋ねる。
「グアルディアから連絡があったのですよね。何か言ってましたか?」
「ああ、勇者君が妖精国を目指してフォルトゥーナ王国を抜けたらしい」
「マキトが!?ほんとなの?」
驚くリーナにエスは頷き肯定する。
「出国後の足取りは不明だがな」
「狙いはやはり、わたくしたちでしょうか?」
「目撃された時期的にその可能性は薄いが、教皇国の依頼で動いているのなら可能性はあるだろうな。なんにせよ、勇者君のことがなくてもこの先は警戒しながら進む必要があるのだから、あまり関係はないだろう」
「それもそうね。警戒しすぎたらこっちが疲れちゃうわぁ」
サリアはコップを置きながら、エスに同意した。
「ということで、今日はゆっくりして明日出発ということでいいか?」
「異議なし!」
「ええ、構わないわ」
「んじゃ、今日はちゃんと食べとかないと!」
ターニャ、リーナが答え、ミサキはテーブルに置かれた食事へと手を伸ばす。
しばらく、和気あいあいと食事を楽しんでいるとエスの背後に大柄の男が立った。
「よう、おまえら北に行くのか?なんなら俺らが案内してやるぞ」
どうやらエスたちの話を盗み聞きし、小国群を抜ける予定だと知ったようだった。男の背後、隣のテーブルには数名の男たちが下卑た笑みを浮かべている。それを見て、サリアとターニャ、アリスリーエルは顔を顰めていた。ただ、リーナは我関せずといった表情で、ミサキに至っては完全に無視し食事を続けていた。
「おい!聞いてんのか?」
一番手前にいた振り向きもせず食事を続けるエスへと男が手を伸ばす。だが、男の手は途中から先に進まなかった。まるで、見えない壁でもあるように。
「やれやれ」
エスが食事を中断し立ち上がる。エスの身長も高い方だが、男の身長はそれよりも高く隆起した筋肉も相まって威圧感があった。ただ、その程度のことでエスが怯むはずもなく、見えない壁に戸惑っている男を嘲笑する。
「見たところ傭兵志望かな?ま、何であれ必要ないのでお引き取り願おう。その、つまらないパントマイムももう結構だぞ」
「んだと!?」
「テンプレだなぁ」
男の荒げた声に、笑いながらミサキが聞こえるように呟いた。もちろん、わざとだ。
「こいつは詫びてもらわねぇとな」
「男は要らねぇ、ボコって捨ててこうぜ」
そんなことを言いながら、下手なパントマイムを続ける男の背後のテーブルに座っていた男たちも立ち上がった。
「ふむ、まだ相手の力量がわからないか。頭まで筋肉なのかね君たちは。その程度の思考で傭兵は無理だろうに。ああ、だから傭兵志望と言われて否定しなかったのか。そうかそうか」
煽るようにやれやれと首を振るエスの姿を見て、男たちはさらに怒りに表情を染める。
「エス様、煽りすぎですよ」
「いやいや、煽って冷静さを失った時点で三流以下でしかなかろう?」
「そうとも言えるわねぇ」
「エスも姉さんも、容赦ないね…」
エスと男たちが一触即発の状態を察した周囲の客たちが一斉に離れていく。食堂を経営している者たちは、こういった状況に慣れているのか、離れたテーブルの対応をしていた。
「仕方ない。ほら、遊んであげるからかかってきたまえ。なに、私がもし負けたら彼女たちを連れて行っても構わんぞ」
「ヤロウ!」
声をあげ、男たちは武器を手にエスへと襲い掛かる。だが、振り下ろされた武器は空中で何かに弾かれエスには届かない。
「おお、すまない忘れていた」
エスが指を鳴らすと、始めに立ち上がった男が勢いよくエスの前に倒れた。そんな男たちを見て、エスは呆れた声で問いかける。
「なあ、君らは魔法を知らないのか?いくら何でも、自分たちの攻撃を防いだものが魔法によるものである可能性程度考えられるだろうに…」
「バカにしやがって!」
見えない壁がなくなったことを悟った一人の男がエスに襲い掛かる。だが、その程度の者がエスに傷をつけられるはずもなく、目にも留まらぬ速さで動いたエスに、後ろに立っていた男たちの元へと殴り飛ばされた。
「おや、だいぶ手加減したのだが。これは、流石に弱すぎる。だが…」
死なない程度には手加減したつもりだったが、殴り飛ばされた男はすでに気を失っていた。しかし、エスは男たちの心を折り見せしめすることで、明日の朝までのんびり過ごせる環境を作ろうと考えていた。
そんな考えが、エスの表情に現れ悪意のこもった笑みとなる。
「うわぁ…」
「あれ、絶対よくないこと考えてるわね…」
その表情を見て、肉串片手にミサキが絶句しリーナが頭を抱えていた。
「そうだ。君ら腕相撲は知っているかな?」
「なんだと!?」
エスはミサキを手招きしテーブルの上で腕相撲とはこういうものだと見せる。
「こういうものなのだが?」
「そのくらい、知ってるわ!」
「それは重畳。では、腕相撲で勝負といこう。私一人対君ら全員ということでどうかな?」
「ほほう」
腕相撲なら勝てると思ったのか、男たちの顔に再び下卑た笑みが浮かぶ。そんなエスたちの間に、この食堂の料理長なのかコック帽のようなものを被った男が姿を現した。コック帽を被ってはいるが、どう見ても目の前の男たちよりも腕っぷしは強そうに見えた。
「腕相撲なら、これを使え。テーブルは壊さんで欲しいからな」
男は抱えていた大きな樽を床に置いた。それを見たエスは目を輝かせていた。
「素晴らしい!腕相撲するにはもってこいではないか。雰囲気的には、だが」
エスはさっさと置かれた樽の傍に立ち、樽に肘を置いて腕相撲をする準備を整えた。そして立ち尽くす男たちに対し、早く来いと手招きした。他の客たちも、酒を片手に持ち遠巻きにエスたちを囲んでいた。その表情から状況を楽しんでいるように見える。
「ナメやがって」
「あんな細腕、へし折ってやる!」
煽られた男たちが次々とエスへ挑戦していく。だが、誰一人エスに勝つことはできなかった。ある者は手を握りつぶそうとするがびくともせず、ある者は勢いよく腕を倒しエスの腕を折ろうとするが、逆に捻られていた。何度か挑戦した者もいたが、男たちは今床に倒れ息を荒げていた。涼しい顔で彼らを見下ろしながら、エスはため息をついた。
「貧弱すぎだな。その程度の実力で君らはどこへ行こうとしていたのかね?」
そんなエスに言い返す元気のある者はいなかった。
「よし、難易度を下げてあげよう。君らの代表一人を決めたまえ。なんなら腕の回復もしてやろう」
「俺が、やって、やる!」
息も絶え絶え立ち上がったのは、始めにエスたちに絡んだ男だった。
「では、アリス。あのパントマイム君の腕を回復してやってくれ」
「わかりました」
アリスリーエルが返事をすると、淡い緑の光が立ち上がった男の腕を包んだ。光が消え、息が整い腕の感触を確かめている男にエスは声をかける。
「腕の調子はどうかな?」
「へっ!治療しておいて負けたらやっぱなし、なんて言わせねぇからな」
「いいね。君は実にいい。三下っぷりが最高だよ」
「んだと、テメェ!」
「で、君の相手なんだが。ミサキ、相手してやってくれ」
「えぇ、あたしが?ヤダよ、むさ苦しいもん」
何気ないミサキの言葉に、男が若干ショックを受けているのが分かったエスが笑みを浮かべる。実際、ミサキに相手をさせようと思った最大の理由は心を折るためであり、もう一押しで目的が達成できるのではないかと感じていた。
「まあ、そう言わずに。そうだな、この食堂の一番美味い物を値段に関わらず食わせてやろう」
「のった!」
スタスタと樽の傍へ歩いて行ったミサキが、肘をつき男に手招きする。
「どいつもこいつもバカにしやがって!腕が折れても知らねぇからな!」
怒り心頭といった男がミサキの待つ樽へと向かい、勝負が始まる。結果は予想通りだった。勢いよく倒されたミサキの腕、その勢いで男は床を転がっていったのだった。
「…本当に、弱すぎる」
それを見て頭を抱えたのはエスだった。
「ハッハッハッ、あんたら強いな。嬢ちゃん、美味い物が食いたいんだったな。待ってな、特上の皿を用意してやる」
そういって樽を持ってきてから様子を眺めていたコック帽を被った男が食堂の奥へと消えていった。それを見送っていたエスに、リーナの声が聞こえた。
「ハイハイ、終わったならテーブル戻すわよ。エス、あんたも手伝いなさい」
樽を置くスペースを作るため動かされたテーブルや椅子を、仲間たちとともに元に戻す。腕相撲を見に来ていた他の客たちも自分の席へと戻って行っていた。
床に転がっていた男たちは、起き上がるとフラフラと歩きながら店を出て行った。
「あの様子なら、もう絡んではこなそうだな」
「こんな、か弱い美少女に負けたんだよ。もう、立ち直れないんじゃない?」
「どこにそんなか弱い美少女がいるのか知らないが、衆人環視の中であの醜態、立ち直れないというのは同感だな」
「エェェェスゥゥゥ!」
ミサキの睨みつける視線など気にも留めず、エスは料理が運ばれてくるのを待っていた。
しばらくし、コック帽を被った男が料理を持ってくる。かなりの大きさの大皿に野菜や肉が所狭しと置かれていた。よく見れば、いくつかの料理を一皿にまとめたもののようだった。
「今日仕入れた最高素材を使った皿だ。存分に味わっていけ」
「いいの!?こんなに?」
「ああ、楽しませてもらった礼だ」
そう言って男は笑う。
「迷惑をかけたのはこっちな気がするがな」
「あんなのは、日常茶飯事だ。気にするこたぁない。いい見世物になったし、遠慮せず食ってってくれ」
それだけ告げ、男は手を振りながら再び食堂の奥へと消えていった。
折角だからと、エスたちは料理を堪能することにした。味は先ほどまで食べていた料理より数段美味だった。