奇術師、不在の間に事は起こる 2
アリスリーエルたちがエルレムと睨み合っている様子を眺めていたグアルディアは、ふと危機感を感じ背後を振り向く。すると、昏倒させたはずの兵士たちがゆっくりと起きあがろうとしていた。
「気絶させるだけでは駄目ですか。仕方ありませんね。自国の者を手にかけるのは忍びないですが…」
一番手前にいた兵士の懐に一瞬で移動したグアルディアは、握りしめた拳をそっと兵士の胸に当てた。そして、当てた拳へと力を送るように全身を捻り拳を突き出す。軽く浮いた兵士はそのまま床へと倒れ血だまりが広がっていった。その胸から背にかけて腕が通るほどの穴が出来ていた。完全に心臓は潰されており、兵士が死んだのは確実だった。
「さすがにこれで動けは…。っ!?」
倒れた兵士の腕が突然動きそこから纏わりつく蛇が数匹、グアルディアに絡みつこうと伸びてきた。グアルディアは、自分の足元に伸びてきた蛇を、咄嗟に後ろに飛び退くことで躱す。着地したグアルディアの目の前で、胸に穴があいている兵士がゆっくりとふらつきながら立ち上がった。
「そうですか。これでは死なないというわけですね。しかしこうなると、彼らは生きてると言える状態なのでしょうか?」
同じように【嫉妬】の力に侵食された兵士を見る。心臓を潰しても動くということは、すでに命はないのかもしれない。そう考え、グアルディアは兵士たちを止める手立てを考える。
「手足を無くせば…。いえ、無理そうですね。狙うのであれば…」
先ほど胸に穴をあけた兵士を見ると、穴を塞ぐように蛇が集まっていた。その様子から手足を失ったとしても、蛇がその代わりをするであろうことは予想できた。
グアルディアの姿が陽炎のように揺らめき消える。グアルディアの姿を見失った兵士たちが一瞬動きを止めた。その瞬間、胸に穴のあいた兵士の頭が床へと転がり落ちる。頭のなくなった兵士は再び床に倒れ、その背後には手刀を横に振り抜いたままの恰好をしたグアルディアの姿が現れた。
グアルディアは足元に倒れた兵士を見る。体に纏わりついていた蠢く蛇の姿がどんどんと薄くなっていき消えていった。転がった頭の方を見ると、そちらは蛇が消えることなく蠢いていたが、頭だけで動くことなどできるはずもなく無害化できたと判断できた。
「なるほど、頭を潰せばよさそうですね」
グアルディアは転がった頭を掴みあげ、拳で粉砕する。アーティファクトである手袋に守られ、グアルディアは【嫉妬】の力により浸食されることはなかった。
止める方法が分かったグアルディアは捕まらないよう素早く動き、兵士たちの頭を次々と粉砕していった。
一方、アリスリーエルたちは、エルレムの剣を避けながら策を練っていた。
「アリス、どうするつもり?」
「お兄様を殺します」
「いいの!?」
自分の問い掛けに答えたアリスリーエルの強い口調に、リーナは驚きの声をあげる。
「問題は、【憤怒】の力がどこに根を張っているのかです。最悪、あちらの兵士たちのような状態かもしれませんから、殺すつもりでなければいけないと思います」
「つまり、元を破壊して再生させるってことかしらぁ?」
「ええ。ただ、魂にまで侵食が及んでいたら、蘇生しても無駄かもしれませんが…」
サリアに答えたアリスリーエルは自身の魔力を高め、いつでも魔法を放てるよう身構える。その横では、なるほどそれならエルレムを助けられるかもしれないとリーナは納得していた。ただ、【憤怒】に浸食されているのが肉体だけであるかどうかは不明であるため、この策自体分の悪い賭けであることには変わりなかった。
リーナは僅かに視線をグアルディアの方へと向ける。そこでは丁度、掴んだ頭を粉砕するところだった。頭部のなくなった体から、蛇が消えていることに気づいたリーナは再びエルレムを見据え観察する。まず観察したエルレムの頭部は、その体全体の中では【憤怒】の力が弱く感じる。ならば、と全身を観察し始めたところにエルレムが飛び込んできた。アリスリーエルたちは四方に飛びエルレムの剣を避ける。
「アリス、頭部の反応は薄いわ」
「見える範囲でヒビが入ってるのは腕だけだね。姉さん、背中のほうは?」
「そうねぇ…。あれ、何かしら?」
剣を振り下ろした反動でマントが翻り背中が露になる。その左脇腹の背中寄りの部分に何か光るものをサリアは見つけた。だが、光った物を確認しようと思った矢先、降りてきたマントですぐにその何かは隠れてしまった。
「背中に何かあるわね。見間違いかもしれないけど」
「確認してみましょう」
サリアの報告を聞き、アリスリーエルは魔力を高めるのと並行し【愛】の力を使用する。その力の性質上、相手の生命活動を把握できることを利用し、エルレムの生命活動を観察する。サリアの言った場所から腕にかけ普通ではありえない力の流れを見つけた。
「サリアさんの見つけた物が当たりかもしれません。異常なエネルギーを感じます」
「なら、そこを狙ってみましょ」
リーナはエルレムの背後に回り込むように移動する。
「させない!」
それを追うように向きを変えようとしたエルレムだったが、ターニャが牽制で投げた短剣の対処で断念した。その隙をついて、リーナはエルレムのマントを根元から切り裂いた。
切り裂かれひらりと床に落ちるマント。マントがなくなったことにより、サリアの見つけた物がはっきり見えた。それは小さな針だった。小さな針は白金のような色をしているが刺さっている部分が禍々しく、脈打つように赤く点滅していた。
「サリア、お手柄ね」
「ここからよ。あれをどうしたら…」
リーナとサリアは刺さったままの針を見つめ、どう行動するかを考える。兵士たちのように、迂闊に触れれば自分たちも侵食されるかもしれないと思われた。その間も、ターニャは素早くエルレムへと攻撃を加え注意を引き付けていた。
「ターニャが注意を引いているうちに…」
サリアはエルレムの背後に移動すると、手に持った槍で針を思いきり弾き飛ばした。最悪、浸食されるようなら槍を投げ捨てるつもりでの行動だった。エルレムの体から抜けた針は、弾き飛ばされた勢いのまま飛んでいき壁に突き刺さる。その後、針の光はだんだん弱く、点滅もゆっくりとなりやがて消えてしまった。
「槍は、問題なさそうねぇ」
針を弾いたサリアは、すぐにエルレムから距離を取り状況を確認する。
「王子様はどう?」
「ダメです!すでに力がお兄様の体に侵食してしまっているようです」
アリスリーエルが答えるように、エルレムの様子に変化はなかった。
「やるしかないわね。ターニャ、援護お願い!」
「わかった!」
ここにきてようやく、リーナがエルレムを殺す覚悟を決めた。家族であるアリスリーエルや、眷属といえども人であるサリアとターニャが王子を手をかけるよりは、悪魔である自分がやるのが後々問題が少ないと考えたからだ。
「リーナさん…。援護します!」
リーナの考えに気づいたアリスリーエルだったが、言いたいことは一先ず口にするのは止め、いつでも魔法が発動できるよう集中する。
エルレムは自分に向かってくるリーナに剣を振り下ろすが、その剣の軌道が僅かに逸れ床を砕く。ターニャの投げた短剣が剣身をとらえ、その軌道をずらしていた。それを煩わしく思ったのかエルレムはリーナの曲刀を避けると、そのままターニャに向かって走り出した。そのエルレムの前に一本の槍が飛んでくる。床に刺さった槍に足を引っかけ、エルレムは勢いよく床を転がった。
「さすが、サリアね」
床に刺さったままの槍を見て、それがサリアの投げたものだと理解する。リーナは転んだエルレムの背へと飛び乗り足で押さえつけると、両手に持った二本の曲刀を振り下ろした。
「ガアアアァァァ」
両腕を切り落とされ、エルレムは激痛に叫び声をあげる。それを無視し、リーナはエルレムを足で抑え針が刺さっていた周辺の服を切り裂いた。リーナの目に映ったのは、針が刺さっていたと思われる脇腹からヒビが背中を通り、腕の付け根へと伸びている。今は腕が切り落とされていて肩の付近までしかヒビはないが、手の先までおそらく伸びていたのだろうと推測できた。
「力業になっちゃうけど、我慢してね王子様」
エルレムの耳に届いてないと理解しているが、そう呟いたリーナは両手の曲刀を素早く振り【憤怒】に侵食されていると思われる肉体を削いでいく。声にならない叫びをあげ、血を巻き散らすエルレムを手を止めることなく鋭い眼差しでリーナは観察する。そして、【憤怒】の力の気配がなくなったのを確認し声をあげた。
「アリス、今よ!」
「はいっ!」
アリスリーエルの返事と同時に、エルレムの体が白い光に包まれる。すでに叫び声をあげる力も残っていないエルレムの体が徐々に再生されていく。脇腹から背中にかけて削がれた肉体が戻り、切り落とされた腕が骨、筋肉、皮膚と再生していく。エルレムから白い光が消えたことを確認したリーナは、エルレムの呼吸が戻っていることを確認しアリスリーエルの傍へと歩いて行った。
「お疲れ様、アリス」
「リーナさん、嫌な役回りですみません」
「いいのいいの。私は悪魔だし、このぐらい問題ないわ。あとは【憤怒】の力が戻らないことを祈るだけね」
「そう、ですね。魂にまで浸食が進んでしまっていたら、助けるのは無理かもしれませんし…」
そんな話をしていたアリスリーエルとリーナのもとに、サリアとターニャも合流する。
「終わった?」
「多分ね」
「さすがに疲れたわねぇ。汗を流したいわ」
ターニャの言葉に首肯するリーナ、その横でサリアは伸びをしていた。その手には回収してきた自分の槍が握られている。
「皆様、お疲れ様です。あとはエルレム様の様子見ですね」
アリスリーエルたちのもとに様子を見ていたグアルディアが歩み寄り、倒れたままのエルレムを見ながら四人を労う。
「これを」
視線をアリスリーエルたちに向けたグアルディアが、手を差し出す。その掌には、エルレムの背中に刺さっていた針があった。グアルディアは手袋をしており、針からの浸食はその手袋に防がれていた。
「まだ、力が残ってるわね。って、なんであなたは浸食されないのよ」
「さて、この手袋が高性能だからでしょうか。それより、これをどうされますか?」
「破壊します!」
強く宣言したアリスリーエルの体が淡く白く光り始める。次の瞬間、グアルディアの手にあった針はまるで錆びるかのように赤茶けると、風化したかのように塵になっていった。【愛】は生と死を司る。それは何も、生物だけを対象としたものではない。今回は、針を文字通り風化させ破壊したのだった。この場で、針を破壊できるのはアリスリーエルの【愛】の力だけであった。
「しかし、エルレム様はあの針が原因だったとして、兵士たちの【嫉妬】は何が影響したのでしょう?」
「そういえば、そうね」
グアルディアの言葉に同様の疑問を抱いたリーナが、兵士たちの死体がある方へと近づく。グアルディアが戦っていた様子から、【嫉妬】の浸食元が頭部にあったことはわかっていた。兵士たちを止めるためグアルディアは頭部を破壊している。そのため、浸食元ははっきりしなかった。
「さすがに、わからないわね」
「こんなことなら一人くらい残しておけばよかったですね」
突然背後から声をかけられ驚いたリーナが振り向くと、兵士たちの死体を眺めるグアルディアが立っていた。
「自分の国の兵士を殺したわりに、平然としてるわね…」
「そう、見えますか?私本来の仕事柄、味方だった者を手にかけるというのは然程珍しくはありませんので、覚悟はすでにできていただけですよ。それより、やはり原因はわかりませんか?」
「ええ、頭が残っててもわからなかったかもね…」
未だ弱弱しい反応ではあるが、兵士たちの体から【嫉妬】の気配はしていた。それも徐々に薄れてきている。これ以上、観察していても原因はわからないだろうと感じたリーナは調査を諦めた。
「それで、王子様は?」
エルレムの傍で様子を見ていたアリスリーエルにリーナは声をかける。
「大丈夫そうです。あとは、意識が戻ってみないとわかりませんが、おそらくは問題ないでしょう」
「では、エルレム様は私が運んでおきましょう。陛下への報告も私の方からしておきますから、皆様は休んでいてください」
「そう、ならそうさせてもらいましょう」
「では、グアルディア。後はよろしくお願いしますね」
グアルディアは、アリスリーエルの言葉に一礼し答える。
「それでは、わたくしの部屋に戻りましょうか」
「そうねぇ、疲れたわ」
「汗流したい…」
「では、先に浴場に寄って戻ることにしましょう」
「賛成よ」
アリスリーエルたちはグアルディアに全て任せ、謁見の間を後にした。
アリスリーエルたちがいなくなったことを確認し、グアルディアは小さな球体を取り出す。それは、自分の直属の部下たちへと連絡するための通信用魔道具だった。
「全員、謁見の間へ集合。それと、三人ほどで陛下を謁見の間へご案内するように。まだ、浸食された者がいるかもしれませんから、十分に注意しなさい」
一方的にそう告げると魔道具をポケットへとしまい、部下の到着を待つ間少しでも手掛かりを掴もうと周囲の調査を始めたのだった。