奇術師、建物を修復する
夜も明け、エスは眺めていた刀を鞘に納め片付けると部屋を出た。宮殿内を使用人たちが、朝の仕事のため歩き回っているのを眺めながら歩く。少し身体でも動かそうと中庭を目指していた。
中庭に着くと、空を見つめるアリスリーエルが立っていた。エスに気づいたアリスリーエルが手を振った。
「エス様、おはようございます」
「おはよう、早いのだな」
「いえ、寝る必要がないというのも落ち着かないものですね…」
「そうか、アリスも人ではなくなってしまったのだったな」
エスはアリスリーエルも【愛】の力を得て、人ではなくなってしまったことを思い出した。呪詛を解くための旅だったものの、最終的に人をやめてしまうという結果になってしまったことに関して、エス自身も思うところがないわけではなかった。フォルトゥーナ国王にどう報告したものかと考えていると、アリスリーエルも同じように考えていたのかエスに問いかける。
「エス様、今後わたくしはどうしたらよいのでしょう?お父様にはなんと報告したら…」
「おまえが望むのであれば、まだ人に戻ることはできるぞ。まだ力が体に馴染みきっていない。今の私であれば、その力を私が吸収することは可能だからな。もしその力を受け入れるというのであれば、私が知り得る限りの範囲で、いろいろとレクチャーしてやろう」
「…そうですか。少し考えてみます」
エスは頷くと、考え込むアリスリーエルの邪魔にならぬよう中庭の中央付近へと移動した。軽くストレッチをしたエスは刀を取り出し、抜刀や素振りを始め動作を体に馴染ませていった。刀に魔力を纏わせることも、【崩壊】の力を纏わせることも問題ない。いろいろと試しつつ続けていると、アリスリーエルとは別の気配が近づいてくるのがわかった。その気配に向け、エスは素振りを続けたまま視線を向けることなく声をかける。
「何か用か?グアルディア」
「お邪魔して申し訳ありません。ひとつ聞いておきたかったことがありまして」
そう言って、グアルディアは中庭の端の方で悩むアリスリーエルを見る。エスは刀を鞘に納めるとグアルディアの視線を追った。
「アリスのことか?」
「いえ。エス様は今後どうされるおつもりですか?」
「観光、と言いたいところではあるのだがな。とりあえずの予定としてはフォルトゥーナ王国に戻った後、水晶霧渓谷へ行ってみるつもりだ」
「水晶霧渓谷、ですか?」
「ああ、『嫉妬』の悪魔であるレヴィの隠れ家があるそうなのでな。少々気になることがあるので、こちらから会いに行ってみようと思っているのだ」
「そう、ですか。景色は確かに良い場所ですが、ここ数年で水晶霧が濃くなっている危険地帯ですね」
「まあ、あくまで予定ではあるがな」
まずは、フォルトゥーナ国王への報告が先だとエスも理解している。それから特に予定も決まらないようであれば、水晶霧渓谷へ行くつもりであった。サリアとターニャを水晶霧渓谷へと連れていくことにも問題があることが予想されるため、確定した予定とは言い切れなかった。
「まずは、この国がハリスヴェルトたちだけで問題なくなった後、フォルトゥーナ王国に戻るということですね」
「ああ」
「わかりました。では、失礼します」
グアルディアはエスに向かって一礼すると、宮殿内へと向かい歩いていく。エスは刀を手に馴染ませるべく、再び素振りを始めた。
しばらくし、エスたちは朝食のため食堂へと集まっていた。食事をしつつ、グアルディアとハリスヴェルトから今後の復興計画を聞いていた。
「ドレルが一晩で首輪の解除用魔道具を量産してくれましたから、まずは奴隷たちの解放から進めましょう」
「そうだな。その後、住人や元奴隷たちから有志を募って建物の修理に取り掛かるとしよう。必要資材に関しては兵士たちが今日から収集に向かう予定だ」
グアルディアの報告にあったドレルはここにはいない。グアルディアが言うには徹夜で作業した後、寝てしまっているとのことだった。エスは食事の手を止め、ハリスヴェルトに提案する。
「そうだ、ハリスヴェルトよ」
「なんだ?」
「建物の修復に関してなのだが、ちょっと試したいことがあるので今日一日任せてもらえないか?」
「どちらにせよ、奴隷たちの解放で一日潰れるだろうから構わないが…。何をするつもりだ?」
ハリスヴェルトが明らかに不信感を抱いているのがエスにはわかったが、それを笑い飛ばし答える。
「フハハハハ。なに、迷惑になるようなことはしないさ。一つ試したいことがあってな。丁度良い状況だから試させてもらおうと思ったのだ。失敗しても現状維持、成功すれば万々歳、といったところだな」
「意味がわからんが、被害が拡大しないのであればいいだろう。ただし、くれぐれも被害を増やさないでくれ」
「ああ、わかったわかった。心配性なやつめ」
ハリスヴェルトとエスのやりとりを、仲間たちは苦笑いを浮かべながら聞いていた。
食事が終わり、各々が復興に向け動き出す。エスは一人、リフィディアが破壊した塔の傍へと来ていた。
「さて、まずは被害の範囲を調べなければな」
エスはスタスタと塔の外壁を歩いて登っていく。周囲で瓦礫を片付けていた住人たちは、塔の壁をまるでそこが床であると言わんばかりに地面と水平になって歩くエスの姿に驚き、口を開けたまま眺めていた。ふと振り返り、自分を見ている住人たちに手を振ったエスはそのまま崩れている上部へと登りきった。
「ふむ、随分と崩れたようだな。周囲は、意外と被害が少ないな。これもアリスたちのお陰か」
塔の上部から周囲を見渡し、落下した瓦礫により被害があった範囲を確認したエスはふわりと地面へ飛び降りた。
ゆっくりと地面に着地したエスを、住人たちは再度驚いた表情で見ている。
「フハハハハ、皆、驚かせてしまって申し訳なかったな。そのまま作業を進めてくれたまえ」
エスはそう告げると、被害が確認できたエリアの外周をゆっくりと歩いて回っていく。ところどころ地面に手を触れつつ、一周し終わったエスは、再び塔の傍へと戻ってきた。
「建物の一階部分には瓦礫による被害はほぼなかった。であれば、あとは…」
エスは指を鳴らし中央宮殿へと転移する。転移した先は、ハリスヴェルトが奴隷たちを集め何やら説明している場であった。
「うわっ!?エスか、脅かすな」
「おや、これはこれは、タイミングが悪かったかな?」
「いや、説明はほぼ終わった。それより何の用だ?」
「ちょっと頼みがあってな。この街の地図はないか?」
「これでいいか?」
ハリスヴェルトは一枚の紙を取り出す。そこには詳細な街の地図が描かれていた。奴隷たちへ解放後、街の復興を手伝ってくれる者たちに説明するため用意していたものだった。その一部を指でなぞりながらエスは質問する。
「ふむ、この範囲にいる住人を一旦範囲外に移動させられないか?」
「何故だ?と聞いても言うつもりはなさそうだな…」
ハリスヴェルトが理由を聞こうとしたが、エスの表情を見て諦めた。その表情は、悪戯を思い付いた子どものような笑みを浮かべていたのだった。諦めたハリスヴェルトは、エスの提案を受け入れる。
「わかった。残っている兵士たちに言って全員を宮殿へと移動させよう」
「その者たちには、崩れた塔が見えるようにしておいてあげたまえ。面白いものを見せてやろう。君らも見ているといい!」
エスは集まっていた奴隷たちにもそう告げると、再び指を鳴らすと先程までいた塔の傍へと転移して戻ったのだった。
塔の傍で住人たちが働く様子を見ながらしばらく待っていると、ハリスヴェルトの命令で来たと思われる兵士たちが現れ、住人たちを説得し連れていった。そんな兵士たちを眺めていたエスのもとに一人の兵士が近づいてくる。
「エス殿ですね?ハリスヴェルト様から伝言です。宮殿へ全員が移動後、合図をするとのことです」
「了解した。では、のんびり待つとしよう」
エスは、その場で跳躍し塔の飾りとして設置されている像の上へと乗ると宮殿の方へと視線を移した。
少し時間が経ちエスが伸びをしていると、宮殿の方で光の玉が打ち上がりまるで花火のように爆ぜた。その魔力にエスは覚えがあった。
「アリスリーエルの魔法か。あれが合図ということでいいのだろうな」
エスが周囲の気配を探ってみると、エスが指定した範囲内に人の気配はなかった。
「よし、では始めよう!」
エスが右腕を振り上げ指を鳴らす。すると、エスの指定した範囲沿いに何本かの素材不明な棒が地面から伸びていった。それは、範囲を調べていた時にエスが地面に触れた場所からだった。すべての棒が塔より高くなると、それ以上伸びることはなくなった。
「準備完了、ではいってみよう!本来の【奇術師】の力を試させてもらうか」
腕を振り上げたまま、エスはもう一度指を鳴らす。そびえ立つ棒を基準とし、範囲を取り囲むように巨大な布が覆っていく。それにより、周囲から被害のあった場所が見えなくなった。
その様子を宮殿で見ていた住人たちから驚きの声があがる。ハリスヴェルトもあまりの規模に驚いていた。
「あれがエス様本来の力ですか…」
「馬鹿げた規模よねぇ…」
「何アレ…」
アリスリーエル、サリアとターニャがそれぞれ感想を呟いていた。ミサキとリーナも呆れた表情で布で包まれた場所を見ている。
そんな仲間たちの様子などわからないエスは、淡々と作業を進めていく。【知恵】を利用し周囲の情報を確認する。布で覆われた範囲内が周囲から見えていないことを確認したエスは笑みを浮かべた。
「実に便利、これなら死角を作らなくても視線が切れた瞬間を狙うのも可能かもしれんな。それはさておき、仕上げといこうか!」
再び指を鳴らす。すると覆っていた布が一瞬だけ輝き光の粒になって消える。布を支える軸になっていた棒も同様に消えていった。
宮殿から見えるようになったそこは、驚くことに塔が崩れ瓦礫が降り注いだという事実がなかったかのように、元の姿に戻っていたのだった。
隠された範囲内で様子を見ていたエスは、自分の力がいかに馬鹿げているのかを確認することになる。建物が映像を巻き戻すように修復されていき、崩れ落ちた瓦礫は綺麗さっぱり消えていく。街並みは、エスが思い描いた地点の様子へと戻っていった。ただ、消し去ってしまった飛行船までは元に戻ることはなかった。
「フハハハハ、素晴らしい。しかし、実に異常な力だな。おっと…」
思わずふらついたエスは、地面へふわりと降り立ち膝をつく。
「ふむ、流石に規模が大きすぎたのか。なんという倦怠感…」
エスはその場に倒れると大の字になり空を見上げた。
「便利ではあるが、規模に対してリスクが伴うか。万能すぎる力など面白くもないし、丁度よいのではないかな?フハハハハ」
寝転がりながら、結果に満足気に笑うエス。そんなエスの耳には、遠くから近づいてくるたくさんの足音が聞こえていた。地面に倒れているエスを見つけたアリスリーエルが慌てて駆けつける。
「エス様、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。ちょっと疲れただけだ」
アリスリーエルに声をかけられ、体を起こしたエスは笑みを浮かべ答えた。
「無理しすぎだよ」
「これだけの規模なんだから、そりゃ疲れもするでしょうよ」
アリスリーエルに続き駆け寄ってきたミサキとリーナも、呆れたように呟く。その後ろではサリアとターニャが頷いていた。
「さて…」
エスはふらつきながらもゆっくりと立ち上がると、仲間たちと共に来た兵士や住人たちの前に立ち宣言する。
「見ての通り建物は直ったぞ。建物内まで保証しかねるが確認してくれたまえ」
エスの言葉を聞き、住人たちはそれぞれ自分の家へと走っていった。それを見送った兵士の一人がエスへと礼を告げる。
「ありがとうございました。宮殿にてハリスヴェルト様がお待ちです。ゆっくりで構いませんので、お戻りください」
「ふむ、ではここは任せるとしよう」
エスに深々と頭を下げた兵士は、周囲の兵士たちへと状況確認などをするよう命令する。命令を受け、数人の兵士が塔へと入っていくのが見えた。
「それじゃ、あたしたちは戻ろっか」
「そうね。エス、歩ける?」
「問題ない。と言いたいところだが、ゆっくりで頼む」
リーナの言葉に問題ないと答えたエスだったが、自分でも近距離の転移すらできないほど疲労していることを理解し訂正した。
「仕方ないな」
「肩貸しましょうか?」
「フハハハハ、そこまでは必要ない」
「そ、残念」
ターニャとサリアの二人は、いつでもエスを支えられるよう傍に近寄っていた。アリスリーエルは一人、塔の上部を眺めている。それに気づき、ミサキが声をかける。
「アリス、どうかした?」
「いえ、飛行船は戻らなかったのですね」
「あれは完全に消してしまったからな。もっと力が制御できるようになれば可能かもしれんが、今はこれが精一杯だ」
アリスリーエルの疑問に答えたエスだったが、【奇術師】の力の予想外の強さに思わず使いこなせなかったことを口にした。
「十分異常なんだけど…」
「そうね。フォークスなんて目じゃない程の規模よ」
少し悔しそうにするエスに対し、ミサキとリーナはため息をついた。
「アリス、戻るぞ」
「はいっ!」
アリスリーエルに声をかけ、エスは仲間たちと共に宮殿へと戻っていったのだった。