奇術師、現状を語る
遠く離れた七聖教皇国の聖都、その中心にある教会の一室でチサトは手に持った錫杖で床を叩いた。
「フォークスは失敗しましたか。自信満々で出て行った割には、完敗だったようですね。トレニアにも出し抜かれたようですし、これは本格的に手を考えないと…」
そう言ってチサトは部屋の窓から外を眺める。フォークスの敗因の一端は、チサトにもあることを自分自身で理解はしていた。フォークスがエスの体から出てから、エスは様々な面で腕を上げている。だが、詳しい内容を知りつつもチサトはフォークスに伝えていなかった。フォークスが聞く耳を持たなかったというのも事実ではある。フォークスが勝ち【色欲】、【強欲】、【崩壊】の三つの力の内一つでも持ち帰れば僥倖、そのくらいの気持ちで送り出したのだった。すべて失敗ということに多少の苛立ちを覚えたものの、これも想定通りと気持ちを落ち着かせる。外では魔工国への対応に追われる聖騎士たちが走り回っている様子が見えた。
「あの男に知られてしまったのが最大の失敗ですね。あの男の行動に注意は必要ですが、当面は【怠惰】の対応に注力するとしましょう。【怠惰】さえ手に入れば…」
誰もいない部屋でそう呟き、チサトはゆっくりと部屋を出て行った。
エスたちは、外の対応に向かったグアルディアを待っていた。エスはほんの僅かずつではあるが、未だ塵になっていっている自分の手を見る。
「ふむ、アリス。力を得て早々で悪いのだが、これを治してくれないか?私の力では進行を抑える程度しかできなくてな」
「は、はい!」
アリスリーエルはエスの見せた手を慌てて両手で包むと、体全体から白く淡い光を溢れさせる。【愛】の力の使い方、それをアリスリーエルは本能的に理解していた。一瞬にして、エスの手は元通りとなった。
「助かったぞ。流石は、生と死に関わる権能を持つ【愛】だな。【崩壊】の影響も消せるとは…」
「【崩壊】、ですか?」
「今は気にしなくてもいい。どうせ、後で全部説明する。皆疲れただろう?グアルディアが戻るまで休んでいていいぞ」
エスはアヴィドとトレニアの精神が宿った『強欲』の剣を治った手で握り床から引き抜く。それを眺めながら、【知恵】の力を使い分析していた。詳しい話はグアルディアが戻った後ということで、仲間たちは腰を下ろし休んでいる。飛行船が落とされてからここまで休憩などなかったため、流石に疲れていたようだ。
「ふむ、そろそろこの見た目も何とかしたいものだな」
禍々しい今の見た目もファンタジーらしいといえばらしいのだが、自分には似合っていないと感じていた。何より、その見た目に飽きていたというのが最大の理由でもある。エスは、【知恵】による分析を終えると口の端を吊り上げた。
「まぁた、なんか変なこと思いついたな…」
その表情を見たターニャが呟き、ため息をついた。
「フハハハハ、何を言う。素晴らしい名案を思い付いたのだぞ?」
「絶対、嘘だよ」
笑うエスを見て今度はミサキがため息をつき、ターニャと顔を見合わせると苦笑いを浮かべていた。そんな二人を無視し、エスは『強欲』の剣を手にトレニアの亡骸へと近づく。
『今度は何をする気だ?』
『あら、妾の体に変な悪戯しないでくれる?』
「君らもうるさいな。必要以上に話しかけないで欲しいものだ」
トレニアに至っては自らその精神を『強欲』の剣へと取り込んだにも関わらず、エスは面倒だと首を振る。エスに言われたからなのか、今からエスが行おうとしていることに興味を持ったのか、アヴィドとトレニアは静かにしていた。
「さて、【知恵】の力が教えてくれているように、やってみるとしようか」
エスはくるりと『強欲』の剣を逆手に持つと、勢いよくトレニアの亡骸である人の形をした木へと突き立てた。すると、剣に纏わりつくようにトレニアの亡骸だけでなく、トレニアの死と共に枯れた部屋を覆う蔦も『強欲』の剣へと吸い込まれていく。部屋だけでなく、トレニアが生み出したこの街を覆う蔦や植物が吸い込まれているようで、あちらこちらで地鳴りのような音が聞こえていた。
「エス様!?」
「何してんのよ!」
音に驚きアリスリーエルとリーナが声をあげた。ターニャとミサキの二人は、ほらやっぱり、と言わんばかりの表情を浮かべている。エスへと近づいたサリアがエスの手元を覗き込んでいた。
「あら、形が…」
「「「えっ!?」」」
サリアの言葉を聞き、仲間たちも同じようにエスに近づくと『強欲』の剣を見た。周囲の蔦などを吸い込むたび、徐々にその姿を変えていく『強欲』の剣をエスは楽し気な表情で見ていた。皆が見守る中、点滅するように白と黒の光を帯びていた『強欲』の剣の変化は終わる。黒い片刃の剣身には縦に切れ目が入り、それが紅い目のような形をしている。そして、柄の部分は全体に白い蔦が巻き付いたような見た目へと変化していた。
「若干シンプルな見た目になったが、いまいち邪悪さが消えないな。ファンタジーなものも見れたし、今回はこれで良しとしよう」
剣を抜き、エスが満足気に眺めていると剣から声が聞こえてきた。
『あら、広くなったわねぇ』
『なんだ?この邪魔な植物は!』
アヴィドとトレニア、二人のそれぞれの声を聴きエスは面白そうに問いかける。
「中も変化があったのか?こちらから見えないのは残念だ」
『えぇ、過ごしやすくなったわ。アヴィドは煩いけどね』
『エス!貴様、何をしてくれる』
「ふむ、楽しそうで何より。さて、私も一息つくとしよう。流石に今回は疲れた」
変化した『強欲』の剣をいつも通りに消し去ると、エスは近くの瓦礫へと腰を下ろした。その隣りへアリスリーエルが腰を下ろした。何かを思い悩んでいる様子のアリスリーエルに、エスは声をかける。
「どうかしたのか?」
「エス様、わたくしはこれからどうしたら…」
「トレニアに託された力のことか?」
アリスリーエルが自分の質問に静かにゆっくりと頷くのを見て、エスはやれやれと首を振る。
「まったく、便利な力が手に入ったというのにな。その力が邪魔だと言うのなら私が奪ってやろう。だが私が知る限り、その力を使いこなせるのはアリス、おまえだけであろう。それでもというなら止はしない」
「…はい」
「恐らくではあるが…」
エスは言葉を止め天井を眺める。おそらくこちらを見ているであろう相手を思い浮かべて。
「いや、確実にだろう。その力もやつの狙いの可能性が高い。正確な理由までは【知恵】の力でもわからないがな。持っていては面倒に巻き込まれるのも間違いない」
「やつ、ですか?」
「ああ、七聖教会の最高司祭チサト。フォークスをけしかけてきたのはチサトだ」
「そ、そうなのですか!?」
「詳しい話は皆が揃ってからだな。力のことはゆっくり考えてみるといい」
(チサトが関与しているとして、目的は恐らく力の回収。だが、何一つ成功せずに失っただけだったわけだが、これで終わりということもないだろうしな)
エスは静かに思考しつつ、仲間たちの様子を眺めていた。アリスリーエルは隣で思い悩んでいるが、サリアとターニャの姉妹とミサキは何か話をしているようだった。リーナに関しては、アリスリーエル同様に何かを悩んでいる様子であった。ドレルはすでに瓦礫の上で横になり寝ている。
「はあ、試練を乗り越えても、また試練といったところだな。のんびりこの世界を堪能できるのはいつになることやら」
この後の話も踏まえ、エスはこのままでは観光もままならないと頭を抱えた。
それからしばらく経ち、グアルディアがハリスヴェルトと伴い戻ってきた。
「皆様、お待たせ致しました」
「そっちは終わったのか?」
「ええ、ハリスヴェルトのおかげで皆信用してくださいました」
「それは重畳、ハリスヴェルトだったな。どこかこの人数が入ってゆっくり話ができるところはあるか?ここは落ち着かないのでな」
「なら、応接間を使えばいい。ついてこい」
ハリスヴェルトはゆっくりと部屋の外へと向かう。
「ドレル、起きなさい。場所を移しますよ」
「あ!?ああ、わかった」
グアルディアに起こされ不機嫌そうな声をあげたドレルだったが、全員が立ち上がり部屋を出ようとしているのを見て慌てて起き上がる。
ハリスヴェルトの案内でエスたちが辿り着いたのはトレニアと戦った部屋の半分程度の広さではあるが、高価そうなソファやテーブルが置かれていた。壁際に置かれる装飾品等は戦いの余波によるものか、床に落ち壊れてしまっているものもあった。壁や天井、床にはところどころ、蔦があったと思わせる穴が開いている。思い思いの場所で寛ぐ仲間たちを見て、エスは話を始めた。
「早速だが、改めてみんなに紹介しておこう」
そう言って指を鳴らすと、エスの隣に宙に浮いた一本の剣が現れた。剣身を下にふわふわと浮かぶ剣、姿は変わったが『強欲』の剣である。
「引きこもりのアヴィド君と、これまた引きこもりのトレニア君だ。仲良くしてやってくれ」
『誰が引きこもりよ!』
『我は引きこもりではない!』
グアルディアとハリスヴェルトは驚いているが、他の者たちは先ほどのエスの行動を見ているため、それほど驚いた様子はなかった。
「『強欲』と『色欲』は死んでいないのですか!?」
「ふむ、どっちも力を失い心だけがここにある。つまり、出涸らしみたいなものだ。安心したまえ」
『『誰が出涸らしだ!』』
「フハハハハ、仲の良いことだ。アヴィドの力は私が、トレニアの力はアリスが引き継いでいる。ここからは、私が【知恵】の力で知り得たことなのだが…」
エスは一息つき、自分が【知恵】の力を発動したとき、自然と頭に入ってきた事柄を話し始める。
「私が持つ力、アリスの持つ力、ミサキの持つ力、これら七大罪の悪魔の力と言われているが、実際は、この世界を創った神、つまり創造神の力が分割されたものだ。だが、人が使うには強すぎる力のため、力を使いすぎ体が変化してしまったのが七大罪の悪魔である。まあ、悪魔については知っていたな」
仲間たちが頷くのを見てエスは話を続けようとするが、それをハリスヴェルトが止めに入る。
「待て待て!では、トレニア様は力の使い過ぎであのようなお姿に!?」
『そうよ。妾が力を使いすぎたせいで、あのような姿になったの』
「そ、それは…。つまり俺たちが大戦時、トレニア様に頼りすぎたせい、なのですね?」
ハリスヴェルトの言葉に、トレニアは沈黙で答える。ハリスヴェルトは悔しそうに床を見つめていた。
「その大戦とやらは気になるが話を続けるぞ。実は分割された力は七つではなかったのだ」
驚く仲間たちを無視しエスは近くにある、まだ無事な壺へと触れる。触れた手が白く光ると壺が白い塵へと変わり消滅した。
「八つ目の力、【崩壊】だ」
『エスよ。見せてよかったのか?これで、この者たちは我ら同様、逃げられぬぞ』
「どうせもう逃げられん」
エスの行動に言葉を失い呆然とする仲間たち。それを見たアヴィドがエスへと問いかけたが、エスは肩をすくめ軽く答えた。そして、エスは逆にアヴィドへと問いかける。
「おまえの言っていた『あの女』とは、チサトのことであろう?」
『気づいていたか』
「これだけ情報が揃えば当然だ。だからこそ、チサトが動き始めていると思われる現状、皆も知るべきことは知っておくべきだと考えたまでだ。アリスが力を受け継いでしまったしな」
「どういうことですか!?」
声をあげたのはアリスリーエルだった。
「悪魔の天敵である勇者君を国へ連れ戻し、フォークスをけしかけたのがチサトだからだ。フォークスは私の中にいたのだ。七聖教皇国を出る瞬間まではな。その時は気づけなかったが出国の時、チサトに私の中にあったフォークスの精神と、力の殆どが奪われていた。ただ、腑に落ちない点もあるのだがな」
そればかりはチサトに直接聞かねば推測することしかできない。推測でしかないのであれば今語るべきではない。そう考えながら話を続ける。
「【知恵】の力を使い、フォークスから得られた知識、それによると私の持つ【崩壊】を含めてすべての力を欲してるようだな。回収して何をする気なのか、目的は全く見当がつかないが…」
「エスの言う通りなら、何でもできそうね。ところでエス、私の【舞踏家】やあなたの【奇術師】は違うの?」
「ああ、そちらは悪魔という種族特有の力だからチサトの狙いではないはずだ」
「そう、なら少し安心できるわね…」
リーナはフォルトゥーナ王国やレマルギアで会った他の悪魔たちの顔を思い出しながら、ほっと胸をなでおろした。
「ミサキ」
エスがミサキに手招きする。嫌な予感がしつつも、ミサキはエスの傍へと歩いて行った。近づいてきたミサキの額へとエスは手を伸ばす。そして、何かを握るように手を動かすと、エスの手の中に異様な紋様が現れ、それを握りしめていた。
「神の呪い…」
七聖教皇国でチサトが見せたものを覚えていたアリスリーエルが呟く。
「神の呪いね。いやはや、知っていても言えないとは面倒なものをかけられたものだな」
エスはそのまま紋様を握り潰し消し去ってしまった。あまりの出来事にミサキが驚きの声をあげる。
「ええぇ!?」
「よし、これでミサキの呪いは解けたな。神の呪いとは名ばかりの、チサトがかけた呪いだ。まあ、神の力を利用してかけてあったから、あながち間違いではないか。この呪いで死んだ場合、持っていた力はチサトの物になっていたはずだ。恐らくは、おまえたちがどこにいるのか、把握する狙いもあったのではないか?」
「えっ!?でも、チサト様も神の呪いがかかってたよな!?」
神の呪い、それがチサトのせいだと断言したエスの言葉に疑問を抱いたターニャがエスへと問いかける。
「呪いをかけた本人なら、自分にもかかっていると偽装するくらい容易にできるだろう。さて、ここまでが私たちが置かれている状況といったところだな。まったく、もっとこのファンタジーな世界を、のんびりと堪能させてはくれないものかね」
エスは大きくため息をつき、近くにあった一人用のソファーに座った。エスが手を頭上へと伸ばすと、『強欲』の剣がその手に吸い込まれるように握られた。握った剣を眺めつつ、エスは剣に話しかける。
「君らの出番は今日はもうないだろう。眠っていてくれたまえ」
『そう?妾も疲れたしそうさせてもらうわ』
アヴィドは無言だったが、トレニアからの返事を聞きエスは剣を空中に投げる。
「もはや『強欲』の剣という呼び名も変えねばな…」
そんなことを呟きながら、空中に溶けるように消えていく剣を眺めていた。
「で、今後についてなのだが…」
エスは皆の表情を眺めつつ、話を続ける。