奇術師、知恵を知る
「貴様も気づいているだろ!『色欲』の悪魔はまだ生きている」
「そのようだな」
距離をとったフォークスがエスへと警告するが、エス自身もそれは気づいており理解もしていた。このまま、『色欲』の悪魔を放置していいかは不明であるが、アリスリーエルの命を狙ったフォークスを放置できなかった。
「どうしたものか。奴の言う通りあちらを放置できないが、こちらも無視するわけにはいかないしな」
「エス様!」
そう呟きながら、エスは一瞬だけ視線を蕾へと向けてしまう。その隙をフォークスは見逃すことなく、咄嗟にポケットから布を取り出し姿を消す。アリスリーエルがエスの名を呼び、エスがフォークスへと視線を戻した時には、ふわりと床へと落ちていく布だけがあった。
「流石は奇術師。否、私の真似か」
エスはポケットから取り出した魔導投剣を二本後方へ投げる。それは弧を描くように飛んでいくと、アリスリーエルを守るように周囲を旋回し始めた。
「チッ、面倒なことを」
アリスリーエルの近く、何もない空間から声が聞こえ、そちらを見ると揺らめくように現れるフォークスの姿があった。
「『色欲』の狙いが解らん以上、この女を生かしておくのは危険だと何故理解できん」
アリスリーエルへと剣を向け、フォークスはエスへと怒鳴る。
「理解はしている。が、許容はできないな」
フォークスへと答えながらエスは距離を詰めた。エスとフォークスは縦横無尽に部屋を飛び交いながら武器を振るい、エスの狙い通りアリスリーエルからフォークスを引き離すことに成功する。その間もエスはフォークスにぴったりと近づき、剣の届く範囲から離れることはなかった。
「クソッ、これだけ近づかれては…」
「【奇術師】の力は使えない、だろう?」
「それは、貴様も同じだろうが!」
焦るフォークスだったが条件はエスも同じだと考え、エスの攻撃を避けながら距離を取ろうとする。それを逃がすまいと、エスは手に持った魔器を使い突きを放った。エスの身体能力で繰り出された突きの速度は凄まじいものがあるが、フォークスもエスと同じ悪魔であり『奇術師』である。エスが突きを放つため構えた隙に、大きく横に飛び距離をとった。
「ガッ!何が!?」
避けたはずのフォークスを、突如痛みが襲い声を上げた。痛みがする腿へと視線を向けると、いつの間にか短剣が突き刺さっていた。短剣には見覚えがあった。エスが愛用している魔導投剣である。
「いつの間に…」
「たった今だよ」
笑みを浮かべ答えるエスへとフォークスは怒りの表情を向けながら腿に刺さる魔導投剣を抜くと床へと投げ捨てた。投げ捨てられた魔導投剣は、金属音を響かせ床を転がる。魔導投剣によってできた傷は、まるで映像を巻き戻すかのように塞がっていった。
「ほほう、それは私にはできないな」
「ふん!」
面白くなさそうな表情で剣を構えたフォークスがエスへと斬りつけるが、エスは魔器を使い振り下ろされた剣を逸らす。逸らされた剣が床を叩くのと同時に、フォークスは膝をついた。
「グッ、またか!」
膝をついたフォークスが手で押さえた肩には、まるで上から降ってきたかのように刺さる魔導投剣があった。それを引き抜くと、すぐ傍に立ち笑みを浮かべながらこちらを見下ろしているエスへと投げつける。
「おっと、危ないじゃないか」
至近距離にも関わらず、やすやすと柄を掴んで魔導投剣を受け止めたエスが呟く。先程同様に、フォークスの傷はたちまち塞がっていった。
「どういうことだ!」
「何がだね?」
「貴様も【奇術師】の力は使えなかったはずだ」
「ふむ、君も私の中にいたのだから学習したのではなかったのか?」
エスは軽く背後へと飛び距離をとる。それはフォークスに力を使える状況を与えることにもなり得るのだが、エスは特に気にしている様子はなかった。
「まあいい、少しだけ教えてやろう。君の知る通り、私は【奇術師】の力自体は使ってはいない」
「なんだと!?」
「だいたい、使っていたら君も気づくのではないか?」
同じことに思い至ったのか苦い表情を浮かべるフォークスを、エスは満足気に頷きながらそれを眺めていた。フォークスは思い出したようにアリスリーエルの方を見る。先程、アリスリーエルを守るために出したと思われる魔導投剣を使ったと考えたからだ。だが、アリスリーエルの周囲には未だ旋回し続けている魔導投剣があった。
少しし、満足したのかエスが腕をあげ指を鳴らすと、エスの周囲に空中から溶け出るように複数の魔導投剣が姿を現した。
「いつの間に!?」
「フハハハハ、それではタネ明かしだ。先程までの私の行動の中で、君の視界が一時的に狭まったものがある。いつかわかるかね?」
少し考えたフォークスは正しい答えに辿り着く。この隙に攻撃すればよかったのだが『奇術師』としての矜持からなのか、エスが使ったトリックを知りたいと考えてしまっていた。
「あの突きか…」
「正解!あの瞬間、君の視線は私の攻撃へ集中していた。その隙にこうしておいたのだ」
エスはその時の行動を再現して見せる。ポケットから取り出した魔導投剣を幻惑魔法を利用し見えなくすると後ろ手に放り投げる。すると、エスの周囲に浮いている魔導投剣が一本増えていた。
「私から言わせてもらえば、君は力に頼りすぎではないかな。共に少々旅をしたのに何を見ていたのだ?」
「ふん!ワタシから奪った力すら、まともに使いこなせない奴が何を言う」
「そう、そこだ!」
エスは何かを思い出したように声を上げ、フォークスを指差した。
「私が使う力と君の使う力、同じもののはずなのにどうしてこうも違うのかな?」
エスが【奇術師】の力を使っても、傷を癒すことはできなかった。傷を負う前に、力を発動し傷を負ったように見せかけることはできたが、受けてしまった傷を治癒することは、試してみてもできなかったのだ。だがフォークスは、魔導投剣によって負った傷をエスの目の前で癒して見せた。その際に【奇術師】の力が使われていたのは、エスにも十分感じ取れていた。
「貴様に教えてやる筋合いはない」
「ふむ。まあ、その通りか。仕方がない、力ずくで聞かせてもらおう」
もう少し観察すれば何かわかるかもしれないと、エスは腕を体の前へと伸ばし周囲に浮遊させていた魔導投剣をフォークスへとけしかける。舌打ちしたフォークスは、最小限の行動でそれらを回避していた。
「やはり、不意を突かなければ当たらないか。しかし…」
徐々に強くなってきている『色欲』の気配、アリスリーエルの背後にある蕾も気配に同調するかのように大きくなってきていた。そちらも気になるのだが、フォークスを放置して対処などできるわけもなくどうしたものかと頭を抱える。
「ああ、もう鬱陶しい!全て消し去ってくれる!」
怒鳴り声をあげ体を白く輝かせたフォークスが、迫りくる魔導投剣全てを殴り塵へと変えていく。足が触れている部分の床も塵になり始めていた。
「ほほう、【崩壊】はそんなこともできるのか。面白い、実に勉強になる。だがしかし、困ったな…」
それを見て、明らかに自分より力の使い方を熟知しているフォークス相手では、倒すことも追い払うことも自分には難しいと理解する。これでは役に立たないと、手に持っていた魔器に宿していた魔力を消しポケットへとしまう。
「何か、流れが変わるような出来事があれば…」
魔導投剣を消し去り、体を輝かせたまま突進してくるフォークスをエスは大げさに避ける。かすりでもすれば、その時点で自分が消滅させられる。故に、ギリギリで躱すのは危険だと判断したのだった。今までと違い大きく避けたエスを見て、フォークスは笑みを浮かべた。
「貴様でもこの力は怖いか」
「ああ、怖いな。非常に怖い。使っている分には経過が楽しめず、つまらない力だと思っていたが、いざ自分に向けられるとたまったものではないな」
口調は余裕がありそうではあるが、内心は逆でエスは焦っていた。エスの口から出たのは【崩壊】に対する純粋な感情だった。いかに経過を楽しむか、それを重視するエスにとっては、一瞬で物事が終わってしまう【崩壊】という力は実につまらないものだった。だが、今はその一瞬が自分に向かってきている。抗うことすら許されず消滅させられることを理解しているエスだからこそ、大げさに避けてみせたのだ。
「まずいな」
思わず弱音を呟くエスの脳裏に、神鳥シームルグからの警告が思い出される。『この先、おまえは避けようのない試練にみまわれる』、試練というものが今の状況なのだろうと否が応でも理解するしかなかった。エスは、崩壊をまとい弾丸となったフォークスを避けつつ考える。
「生き延びねば全員道連れか。生き延びるしかあるまい」
エスが手に取ったのは『強欲』の剣。それを頭上にかざし、エスは宣言する。
「【崩壊】を奪う!」
エスの宣言通り、【崩壊】の力を奪うため【強欲】が発動したが、フォークスは白い輝きをまとったままエスへと飛びかかってくる。先程までと同様に、大きくそれを躱した。無意味だったかのように見えたが、エスは変化を見逃さなかった。瞬きほどの一瞬だが、白い輝きが消えていたのだ。
「これは、対処できる可能性があるということか。白い光…」
エスの頭の中でいくつかの経験が一つに繋がるような感覚を覚えた。一瞬だけ『強欲』の剣を見るとふわりと床に着地する。そして、徐に『強欲』の剣を床に突き立てると柄を両手で握りしめ目を閉じた。その間も、フォークスは方向を変えエスへと向かってきている。
「大人しく殺されるつもりなど毛頭ない。ひとつ、試してみようか。【強欲】、本来の姿を見せてみろ!」
エスは強く念じる。ミサキが見せた【暴食】と【剛毅】のように、自分に宿る【強欲】の本来の姿である【知恵】、それを引き出そうとしていた。それを察したフォークスは、焦ったようにエスへと向かう。
「させるか!」
エスは舌打ちをしつつ、再び空中へと逃れる。フォークスも執拗にエスを追いかけていた。空中に足場があるかのように飛び回るエスに、フォークスは違和感を覚えていた。
「貴様、【奇術師】の力も使わず何故そんな動きができる!?」
「フハハハハ、秘密だ。それにしても随分焦っているではないか」
エスは奇襲用として空中に待機させてあった、幻惑魔法で隠してある魔導投剣を足場に飛び回っていた。先程フォークスに見せたのは一部だけであり、消滅させられなかった数本は今もエスの周囲に浮かんでいる。隠していたいくつかも、フォークスの【崩壊】に触れ消滅してしまったが、回避に使う足場としては十分な数がまだ残っていた。魔導投剣の維持操作、【強欲】の本来の姿を引き出すための力への集中、フォークスの回避と集中力を必要とする行動をいくつも同時にこなしながら、エスは勝機を探していた。脳が焼き切れるかのような錯覚を覚える。
「貴様はその剣がなければ【強欲】の力もまともに使えない。そんな者が本来の力を引き出せるわけがあるまい」
剣に頼っている。フォークスに言われエスは納得すると同時に、一つの可能性に思い至る。『強欲』の剣は、あくまで【強欲】の力を効率よく利用するための、いわば装置のようなものである。それを利用して本来の姿を引き出すのは無理なのではないかと考えられた。
「アドバイスどうも。なるほど、そういうことか」
エスは躊躇いなく『強欲』の剣を投げ捨てる。空中を回転しながら飛んで行った剣は、アリスリーエル近くの床へと突き刺さった。
「では…。やれやれ、せっかちな奴だ」
剣を手放し再び【強欲】の力本来の姿を引き出そうとするエスの眼前に、白く輝くフォークスが迫りくる。タイミング的に回避は不可能と考えたエスは、咄嗟に左手に【崩壊】の力を込めるとフォークスを殴り倒した。白い輝きが消え床を転がりながら飛んでいくフォークスを見ることなく、エスは自分の僅かに痛みがする左手を見てみる。その手の皮膚が塵になっているかのように、白い光の粒が散っていた。
「やはり力は奴の方が上、か。だが、チャンスだ」
フォークスを見ると、エスの様な【崩壊】の力の影響は見当たらなかった。そのことから、自分とフォークスとの【崩壊】の力の差は大きいと思われた。このチャンスを逃すことなく、エスは両腕を広げ自分に宿る【強欲】の力へと集中する。エスの体から【強欲】の力が湧き出る黒いオーラのような形をとって具現化した。立ち上がったフォークスが再び【崩壊】をまとい突進してくるが、それよりも早くエスに変化が現れた。
エスの体から湧き出ていた黒いオーラが、一瞬にして白いオーラへと変化する。それと同時にエスの表情に余裕が戻った。
「貴様!」
そのまま、突進を続けていればエスを始末できたかもしれなかったが、予想外に早く変化が現れフォークスは【崩壊】を解除し足を止めてしまった。
「フハハハハ、そういうことか。なるほど、確かにこれは【知恵】であり、そして【強欲】だ」
エスは自分の力の本質を理解し、高らかに笑う。エスの頭の中には、【知恵】の効果により目に見える周囲の、様々な情報が流れ込んできていた。それに伴い、フォークスに対する勝ち筋も見えていた。【知恵】という力は、戦闘において直接的に力を振るうものではない。だが、情報というものは優位に立つためには非常に有用なものである。知識、情報を貪欲に収集するその力の有様は、強欲とも言えるとエスは納得する。
「さあ、反撃といこうじゃないか。そろそろ退場してくれたまえ、先輩」
エスは素手のまま、フォークスへと走り出す。その背後から、エスの意思とは関係なく床から勝手に抜けた『強欲』の剣が追従してきていた。