奇術師、乱入者と相対する
崩れ落ちる天井を見ると、切れ目の部分で白い光の粒子が散っている。エスとトレニアにはそれが何を意味するのかすぐに理解した。それに加え、エスには自分の言葉に答えた声に聞き覚えがあった。声について考えていると、トレニアが崩れる天井を太い蔦で払いのけながら声をあげる。
「【崩壊】の力!?奇術師はここにいるのだぞ。一体誰が?」
天井を崩した力が【崩壊】の力を利用したのだとわかっているトレニアは、崩れる天井を睨みつける。エスが天井を崩したのではと始めは考えていたが、第三者の声がしたため別の誰かが崩したのだと判断した。
次の瞬間、崩れた天井の穴から人が飛び降りてくる。トレニアの頭上へと落ちてきた人物を蔦で払いのけようとするが、振るった蔦はその人物をすり抜けてしまう。
「何!?」
「フハハハハ、その【色欲】の力はワタシがいただくぞ!」
すり抜けてしまう蔦を見て、トレニアが驚きの声をあげる。落ちてきた人物はどこからともなく取り出した、純白の剣身をし柄が美しく装飾された剣をトレニア目掛け振り下ろし床へと着地する。
崩れ落ちる天井が巻き上げた砂埃の中、トレニアの首が胴から離れ床へと転がる。トレニアの体が生えていた巨大な花も一瞬で枯れゆっくりと倒れていった。エスは自分の足元へと転がってきたトレニアの首を見ると花から生える体同様に暗い茶色に変色し、まるで枯れた植物のように萎れてしまっており、先程までの美しさはまるでなかった。
トレニアが首を切り落とされた頃、グアルディアの元でも異変が起きていた。
「ガアァァァァ!」
グアルディアに担がれたハリスヴェルトが、突然叫び声をあげ身をよじる。突然のことにグアルディアは担いでいたハリスヴェルトを地面へと落としてしまった。
「どうしたのですか?」
すぐさまハリスヴェルトの様子を確認するグアルディアは目を見開く。
「なんだ?何があった?ってなんじゃこりゃ」
グアルディアの肩越しに地面に倒れもがいているハリスヴェルトを見たドレルは驚愕する。ハリスヴェルトの胸にある球根のようなものが急速に枯れていき、泡立つように消えていったのだ。
「こいつぁ、エスがトレニアを殺ったのか?」
「それよりドレル、薬を出してください」
「ああ?あれはまだ実際に使えるか試せてねぇぞ」
「構いません。理論上は使えるのでしょう?」
「あ、ああ。当然だ。儂が作った薬だぞ」
グアルディアに促されドレルは慌てて自分の鞄を探り、取り出した小瓶をグアルディアに手渡した。小瓶の中には、薄緑色の液体が入っており、液体の中に漂う粉末がキラキラと光を反射していた。手渡された小瓶の蓋を開けたグアルディアは、中の液体を球根のようなものがなくなり、心臓や肺が見えるのではないかというほど空いた胸の穴にかけた。すると、みるみると傷は塞がっていき、苦しそうにもがいていたハリスヴェルトの表情は穏やかなものになり、もがくこともなくなった。
「そいつぁ、生きてんのか?」
「ええ、息はしています。流石はアリスリーエル様の魔法ですね。見た感じ古傷でしたが綺麗に塞がっています」
液体に含まれていた粉末はアリスリーエルが練習も兼ね、上位の回復魔法を込めた魔結晶の粉末であった。グアルディアが使用したのは、その魔結晶の粉末と人体に触れることで混ぜられた魔結晶に込められている魔法を起動させる特別な液体とを混ぜた試作品だった。
「しかし、エス様がこんなあっさりとトレニアを手にかけるとも思えないのですが。まさか、さっきの…」
「あいつか!」
エスであれば、アリスリーエルにかけられた呪詛が確実に取り除かれると判断しなければ、トレニアを殺してしまうことはないだろうとグアルディアは考えていた。ドレルもエスの性格を考えれば、そのくらい慎重に行動するだろうと思っている。それに、先程見かけた空を歩いていた人影がトレニアを殺した可能性も十分にあった。
「推測でしかありませんがね。もしかしたらすでにアリスリーエル様の呪詛が解除でき、トレニアが用済みとなった可能性もありますが…」
「とにかく行ってみるしかねぇな。なぁんか行きたくねぇがよ」
「クッ、どうなって…」
グアルディアとドレルが会話をしていると、球根らしきものが取り除かれ傷が治ったハリスヴェルトが目を覚ました。使った薬の効果で、仮死状態に近かった気絶からも回復できたようだった。
「歩けますか?トレニアの元に急ぎますよ」
ハリスヴェルトは違和感を感じ自分の胸を見る。そこにあるはずの球根らしきものはなく、胸に空いていた穴すらなくなっていることを理解する。
「貴様がこれを?」
ハリスヴェルトが、自分の胸を押さえグアルディアに問いかけた。グアルディアは頷くことも首を振ることもしない。
「傷を塞いだのは確かに私ですが、胸にあった植物は勝手に消滅しましたよ」
「まさか!トレニア様に何かあったのか!?」
「それを確認しに今から向かうところです。あなたも来ますか?」
「当然だ!…クソッ」
勢い良く立ち上がろうとしふらつくハリスヴェルトに肩を貸したグアルディアとドレルは、エスたちがいる建物へと駆け込む。しばらく進むと、ミサキとサリア、ターニャが動揺した表情であたりを見渡していた。部屋を覆う蔦が茶色に変色し枯れており、彼女たちの周囲には人型の枯れた蔦の塊がいくつも倒れていた。ただ、リーナだけは独り言を呟きながら床を見つめていた。
「グアルディア、ドレル?」
「皆さん無事で何よりです。ところでエス様は?」
「先に行ったわよぉ。私たちも行こうかと思ってたところなの」
「ただなぁ…」
ターニャの言葉に、ミサキとサリアが複雑な表情を浮かべる。
「何か問題が?」
「さっき、一人入ってきた奴がいたんだけど…」
「その人がエスさんにそっくりだったのよ」
「そいつが奥に行った途端、この有様だからさ…」
言い難そうにしていたターニャの代わりに、サリアとミサキが順に説明する。それを聞き、グアルディアもある程度の状況を把握した。
「まったく、私たちのことは無視だしこの蔦人形たちの攻撃はすり抜けて何匹か白い塵に変えちまうし。このまま、そんな奴が向かった奥に行って大丈夫かって考えてたんだ」
「エスさんの足手纏いになるのも嫌だしねぇ」
グアルディアはターニャとサリアの説明を聞き、さらに違和感を感じていた。そして、その違和感の答えはリーナの口から告げられた。
「あれはたぶん、エスの前任者。前奇術師フォークスよ…」
「前奇術師!?では、死んでなかったということですか?それに、エス様は復活した奇術師ではなかったということですか?」
「そんなの、私にもわからないわよ!」
グアルディアの質問に、リーナにしては珍しく感情的に怒鳴る。それに驚いたグアルディアたちは黙ってしまった。
「ご、ごめんなさい。本当にわからないのよ。フォークスは確かに私の目の前で死んだわ。なのに…」
「ならば、さっさと奥に行って確かめれば良い。こんなところで、あれこれ言っていてもわかることなど何もないだろ」
グアルディアに肩を貸してもらったままで黙って聞いていたハリスヴェルトだったが、痺れを切らしそう告げた。その言葉に頷いたミサキが声をあげる。
「その通り、自分の目で確かめに行くよリーナ。サリアとターニャも早く!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
真っ先に走り出したミサキをリーナが追いかける。その後をサリアとターニャも続いた。
「やれやれ、あなたにしては役に立つ発言をしますね」
「うるさい。さっさと俺を連れていけ」
ハリスヴェルトの態度にため息をついたグアルディアは、仕方ないという表情で歩き始める。周囲を興味深げに眺めていたドレルが、その後ろをゆっくりと歩いて行った。
仲間たちがエスとアリスリーエルの元へと向かっている頃、エスはもう一人の奇術師、フォークスと睨み合っていた。
「ワタシから奪った力返してもらおう。それと、貴様の持つ【強欲】もワタシが頂くぞ!」
「はて、どちら様かな?君のような知り合いはいない気がするのだが」
エスは目の前の人物が何者であるか、だいたいの予想はついていた。聞き覚えのある声だけでなく、先ほどの言葉からそれは確信に変わっていた。だが、それを知らないアリスリーエルは驚愕の表情で二人を交互に見ていた。
「エス様が、二人?」
「いやいやアリスよ、よく見たまえ。私の方がナイスなルッキングなうえ、知的であろう。あのような、頭の悪そうなのと一緒にしないでくれ」
「貴っ様!ワタシへの贄だった分際で!」
アリスに首を振って見せるエスの背後から、激昂したフォークスが飛び掛かり剣を振り下ろす。エスはそれを華麗に躱してみせた。当たると思っていなかったのかフォークスは驚くことなく、すぐさま振り下ろした剣をエス目掛けて振り上げる。
「おや、意外に冷静ではないか」
「死ね!」
振り上げられた剣を、エスは僅かに体を反らし避ける。追撃の可能性を考えたエスは、そのままフォークスと距離をとった。
「それで、君は誰に言われてここに来たのかな?ふむ、そうだな。折角だし私が当ててやろうか?」
エスは今までの経緯から、フォークスがここにいる理由と背後にいる者に気づいていた。自分たちに対し害がないのであれば、面倒だから放置しておこうと考えていたのだが、今現在迷惑を被っている。そのことが、エスを苛立たせていた。
「君の背後にいるのは、七聖教会。その最高司祭であるチサトだな?」
「貴様に言う必要などない!」
「フハハハハ、この状況でそれは肯定しているのと変わらんぞ」
再びフォークスがエスへと斬りかかるが、回避に専念しているエスには全く当てることはできずにいた。エスの言葉で最も混乱していたのはフォークスではなく、アリスリーエルであった。
「チサト様が…。どういう…」
独り呟き床を見つめているアリスリーエルの背後の壁で、蔦にあった枯れたはずの花が徐々に閉じ色づき始めていた。動揺しているアリスリーエルだけでなく、エスとフォークスもその花に気づいていない。
「君が私から抜け出たのは気づいていたのだが、それはいいとしていくつか聞きたいことがある」
「なんだ!?」
エスはフォークスが振るう剣を避けながら問いかけた。
「何故、【強欲】を持っていかなかった?」
「ふん!教える必要はない!」
「なるほど、持っていけない理由があったというわけか」
その瞬間、躱せないタイミングで振るわれたフォークスの剣を、エスは【奇術師】の力を使ってすり抜け、そのまま距離をとる。
「図星を突かれて焦ったのかな?では次だ。何故、【色欲】の力を狙った?君の行動からして、私の持つ【強欲】の力も欲しているようだが、その理由は何なのかな?」
「狙っているのはそれだけではない。貴様に奪われたワタシの力の一部もだ!」
「いやいや、これは今は私のものだよ」
斬りかかってくるフォークスの剣を、取り出した魔器で剣を生成し受け止める。エスはフォークスの言葉から、自分の持つ【奇術師】と【崩壊】の力は、本来の強さから見て一部でしかないのだろうと予測する。つまり自分とフォークスとで力の差がある可能性があった。どの程度の比率で力が分かれてしまっているのかわからないため、迂闊に力に頼るのはやめておこうと考える。ただ、警戒するべきはフォークスの持つ【崩壊】の力であると気を引き締めるのだった。
剣を撃ち合い、その勢いを利用しエスは再びフォークスとの距離をとる。
「近づく度に嫌な感じを受ける剣だな」
「ふん。聖別された金属で作られた剣だからな。貴様を滅ぼすにはもってこいだ」
「なるほど、所謂聖剣と言ったところか。実にファンタジーな代物、素晴らしい。いやいや、そうじゃない。君も悪魔だろうに、何故そんな剣を握って平然としている?」
「ワタシ用だからだ!」
「やれやれ、面白くない冗談だ」
フォークスが距離を詰めようと飛ぶが、それと同じ速度でエスも部屋中を飛び回る。床だけでなく壁や天井を縦横無尽に飛び交いながら、エスはさらに情報を引き出そうとフォークスに話しかけた。
「まあ、ある程度は聞き出せたか。だが、君はいつまで【色欲】を手に入れずにいるのだね?」
「なっ!?」
二人は足を止める。エスの言葉を聞き、フォークスは自分が未だ【色欲】の力が手に入れられていないことに気がついた。先程まではエスに対する敵意で忘れていたのだが、トレニアを殺したにも関わらず【色欲】の力が手に入らないのはおかしいと今になって気がついたのだ。
「どういうことだ!?」
エスとフォークスは同時に、【色欲】の力を探る。そして、二人は同時に同じ場所へと顔を向けた。
「えっ!?な、なんですか!?」
視線を向けた先はアリスリーエルのいる場所、正確にはその背後にある大きく膨らむ蕾だった。驚いたアリスリーエルが声をあげるが、二人はその背後に注目していた。
「チッ!」
いち早く動いたのはフォークスだった。フォークスは邪魔な位置にいるアリスリーエルを斬り捨て、背後の蕾へ向かうべく剣を振り上げる。だが、振り下ろすよりも早くアリスリーエルの前へと回り込んだエスがフォークスを蹴り飛ばした。
「何故だ!何故貴様の方が早い。ワタシと同等の力のはずだ!」
「いや、おそらくは能力的な部分に関して君の方が上だろう。私の中にいたのなら知っているだろう?アリスは私の、奇術師の眷属だぞ?」
「クソッ!そこを退け!」
「断る!」
向かってくるフォークスにエスは魔器で応戦する。エスも【色欲】の力の行方が気になっていたが、このままにすればアリスリーエルを殺されてしまうと感じ、防御だけでなく攻撃にも打って出ることにした。予想外の反撃にフォークスが戸惑っていると、徐々にアリスリーエルの背後にある蕾が開き始めた。