奇術師、色欲と相対する
エスたちが蔦の人形たちに囲まれ始めている頃、グアルディアはハリスヴェルトの繰り出す風切り音のみで剣筋の見えない程の速さの斬撃を、手で軌道を反らし避けていた。
「受け流しているだけでは勝てんぞ、グアルディア!」
「あなたに言われずとも、その程度わかっていますよ」
ハリスヴェルトの隙をつき、グアルディアの鋭い蹴りが放たれる。ハリスヴェルトは後方に飛び退くことでそれを躱した。
「チッ!」
飛び退いたハリスヴェルトを逃がさず距離を詰め、腰を落としたグアルディアの掌底がハリスヴェルトの腹部へと吸い込まれるように打ち込まれ、さらに後方へとハリスヴェルトは転がっていった。
「一撃避けた程度で油断するとは、あなたらしくありませんよ。僅かに動きも悪い、何か心配事でもあるのですか?」
転がっていった先で立ち上がったハリスヴェルトは、口の中の血を地面へと吐き捨てると再び刀を構えた。
「貴様がトレニア様のもとに行ったほうが良かったんじゃないのか?」
自分が本気で振るう刀を易々と対処してみせるグアルディアを見て、先程首を斬り落とした悪魔、つまりエスよりも強いのだとハリスヴェルトは考えていた。しかし、グアルディアは首を振る。
「私ではエス様には勝てませんよ。あの方は、我々のように正面から戦うタイプではありません。流石は悪魔と言ったところでしょうか。あなたも感じませんでしたか?不意打ちで首を斬り落としたのに、平然としていることに対する違和感を」
「何が言いたい…」
「やれやれ、あなたは昔から頭が硬いですね。予想されていたんですよ。待ち構えていることも、あなたの不意打ちも。だから、斬られてもいいようにしていた」
「知っていたのならば避けられるだろう。奴は避けることすらしなかったぞ!」
「本当にやれやれですね。あの方が何と言われているか、あなたもご存じでしょう?」
グアルディアの言葉を聞き、ハリスヴェルトは振るう刀を止める。構えを解いていないが、その表情からグアルディアの言葉で何かに気付いたことがわかる。
「奇術師…」
「そう、あなたは周りを驚かせるために利用されただけですよ。現にあなたに付き従っていた衛兵たちは、随分と驚いた表情をしていましたしね。さて、私は急いで皆さんを追いたいので通してもらえませんか?」
「貴様の言うことが事実だったとしても、ここで貴様を見逃すことはできん。退くことはできんのだ!」
グアルディアの言葉に納得し、エスを先に行かせてしまったという自分の失態を悟ったハリスヴェルトだったが、それでも退くことはできないと刀の構えを維持していた。そして、ハリスヴェルトは自分の服の肩を掴むと勢いよく破り捨てる。
「…そういうことでしたか」
上半身が露わになったハリスヴェルトの左胸に球根のようなものが突き刺さっており、そこから生えた蔦のような茎が体に突き刺さっていた。グアルディアはここまでの経緯から、それが『色欲』の植物であると一目見て推測する。つまり、ハリスヴェルトも先のゴルト同様にトレニアの駒になってしまっているのだと理解したのだった。
「俺が受けた命令は首都へ侵入した者の足止め。貴様一人でも、ここで止めねばならんのだ!」
「やむをえませんね」
グアルディアは腰を落とし、ハリスヴェルトに対し半身に構え拳に力を込める。自分と相対し、始めて構えをとったグアルディアを見て、ハリスヴェルトは自分も全力を出せるよう集中するとともに、わずかな感謝を抱いていた。自分を殺してくれるかもしれないと。
一方グアルディアは、ここにエスがいればハリスヴェルトを救えたかもしれないと考えていた。何かしらの手法で行動不能にし後でエスに見せようにも、相手は剣聖と呼ばれるほどの達人。生半可な攻撃では気絶どころか手傷も負わせられない。最悪、命を絶つしかないと覚悟を決るのだった。
「あなたのような好敵手を失うのは、私の人生における損失ですが…」
「ふんっ!今この時、全力で戦おうぞ!」
グアルディアとハリスヴェルトはお互いへと走り出す。グアルディアが抜刀される刀を片手で受け流し、もう片方の拳を突き出す。それを、ハリスヴェルトが鞘で腕を払い避け、受け流された刀を引き戻しながらグアルディアを斬りつける。その斬撃もグアルディアは身を反らすことで回避する。
二人は、攻撃と回避を交互に繰り返しながら攻防を続ける。実力が拮抗しているため、お互い決め手に欠けていた。集中しお互いに隙を窺う。グアルディアが放つ拳が突如、大振りとなる。ハリスヴェルトがそれを見逃すわけはなく、突き出された拳を身を翻し避けつつ、その腕を切り落とすため最小限の動きで刀を振り下ろす。狙いは袖と手袋の隙間、わずかに肌が見えている部分だ。
「もらった!」
グアルディアの拳を斬り落としたと確信したハリスヴェルトだったが、振り下ろした刀からは斬り落とした感触は伝わってこなかった。目の前にあったグアルディアの腕が揺らめくように消える。
「残像かっ!真正面からの戦いを好む貴様らしくない…」
気配を感じた背後へと刀を横薙ぎに振るうが、グアルディアはそれを屈んで回避する。そして、間合いを詰めたグアルディアは掌をハリスヴェルトの胸の中心に添えた。
「私もエス様の影響を受けていたのでしょうかね。さて、化け物にならないことを祈りますよ」
自分の戦い方に、エスからの影響を自分でも感じたグアルディアだったが、そんな考えを振り払い地面を踏み込こんだ。体全体を使い添えた掌へと力を送りハリスヴェルトの胸へと捩じ込む。
「カハッ!」
肺の空気を吐き出しハリスヴェルトが崩れ落ちる。意識が飛びそうになるのを必死に堪えつつ、ハリスヴェルトは鞘を杖のように地面に突き立て倒れようとする体を支えていた。
「あなたのような達人には、その植物は邪魔だったようですね。でなければここまで簡単にはいかなかったでしょう。あなたにはまだ生きていてもらわねば困ります。今は、眠っていてください」
目に見えない程の速度でハリスヴェルトの顎へと拳が振り抜かれる。その瞬間、ハリスヴェルトは僅かな笑みを浮かべていた。グアルディアが言うように、『色欲』の植物から伸びた茎が、僅かではあるものの動きを阻害していた。ハリスヴェルトのような達人にとっては、それが致命的な足枷となっていたのだった。
崩れ落ち地面へと倒れるハリスヴェルトを、グアルディアは受け止め肩に担ぎ上げる。
「さて、皆さんを追いましょうか」
エスたちが向かった先へと歩いていくと、多数の兵士たちが倒れている。皆、一応息はあるものの、身動きがとれるほどの体力も気力も無いようだった。一部の兵士は死んでいたが、鎧を内側から突き破ったような痕跡があり、穴の周囲には焼け焦げた花が見える。そんな倒れた兵士たちの中央で、のんびりと武器の調整をするドレルの姿があった。
「おお、早かったじゃねぇか。こっちは終わってんぞ」
「あなたも無事だったようでなによりです。それにしても、随分と派手にやりましたね」
「加減できるような状況じゃなかったしな。んじゃ、儂らも行くとするか」
「そうです…ねっ!?」
妙な気配を感じたグアルディアが咄嗟に上空へと顔を向ける。ドレルもグアルディアの視線を追うように上空へと顔を向けると、そこには空中を走る人影があった。その人影はエスたちが向かった建物へと向かっている。人影が放つ気配から、グアルディアだけが異常さを感じていた。
「なんだ、あいつは?」
「ドレル、急ぎますよ!」
ハリスヴェルトを担いでいるとは思えない早さで走り出したグアルディアを、ドレルが必死に追いかける。走りながら、ドレルがグアルディアへと問いかけた。
「なんだ?アレを知ってるのか?」
「あれが放っているのは、強烈な殺気と怒気です。向かった先があの建物ですから…」
「狙いは、トレニアかエスたちか!」
「そういうことです。それに、なんとも形容し難い気配を感じました。嫌な予感がします」
グアルディアの不安を感じ取ったドレルは、体力不足な自分の体を呪いつつも必死に走っていた。
その頃、エスたちは未だ蔦人形に足止めを食らっていた。倒しても湧いてくる蔦人形を各々の武器で切り捨てながら、少しずつではあるが建物の奥、『色欲』の気配が強い場所を目指して進む。
「きりがない…」
「いいから、手を動かしてターニャ」
「やってるよ!」
泣き言を口にするターニャだったが、サリアに言われなくとも手を休めることなく蔦人形を切り捨てていた。
「だけど、このままじゃ時間だけが過ぎるわ。エス、あなただけでも先に行って。行けるでしょ?」
このまま足止めされ続ける状況は、アリスリーエルの救助が間に合わなくなりかねないと感じたリーナがエスだけを行かせようと声をかける。そんなリーナに飛びかかろうとした蔦人形の姿が一瞬で掻き消えた。
「リーナの言う通りだよ。エス、アリスを助けに行って。あたしがいるからこっちは大丈夫!」
リーナを救ったのは、ミサキの【暴食】の力だった。
「仕方がない、ここは任せる。無理はするなよ」
四人が頷くのを見たエスは、『強欲』の剣を振り奥へと続く道を作る。先程から、【強欲】の力で蔦を奪い消し去っているものの、すぐに新しい蔦が伸びてきて、床などを覆ってしまっていた。サリアとターニャに気づかれないよう、【崩壊】の力を使ってみたものの、結果は同じであった。
再び床が蔦で覆われようとする、その合間にエスは建物の奥へと走り抜けた。それを見送ったミサキとリーナ、サリアとターニャの姉妹は再び自分たちを取り囲む蔦人形の相手をする。
「このままじゃジリ貧ねぇ…」
「エスがトレニアを抑えるまで堪えるにしても無理があるぞ」
サリアとターニャの姉妹が泣き言を口にするが、その腕は次々と近づいてくる蔦人形を切り払っていた。しばらく、蔦人形たちの対処を続けていると、突然蔦人形たちが動きを止める。直立不動となった蔦人形たちがピクピクと動いており、何かに縛られ動けなくなっていると思われた。ふと気配を感じたリーナが、自分たちが入ってきた方向へと視線を移し驚愕の声をあげる。
「嘘、でしょ…」
そこに立っていたのはグアルディアとドレルが目撃した人影と同一人物であった。
リーナたちに蔦人形を任せ走るエスは、『色欲』の気配からしてまだ少し時間がかかりそうだと焦燥感に駆られていた。そんなエスが向かっている奥の部屋では、アリスリーエルが捕らえられた蔦から吐き出されていた。自由になったアリスリーエルが自分の体を確認するが、傷一つなく無事なことにほっとする。
「ここは?」
辺りを見渡すと、そこは蔦に囲まれた部屋。様々な色の花が咲く部屋の最奥には、一際巨大な蕾があった。その蕾がゆっくりと開き上半身だけの女性、トレニアが姿を現す。
「やっと会えた。待っていたわ、フォルトゥーナ王国の王女様」
「あ、あなたは?」
「妾はトレニア、『色欲』の悪魔と言えばわかる?」
「『色欲』、あなたがわたくしに呪詛をかけたのですね!」
トレニアから感じる威圧感に耐えながら、アリスリーエルは立ち上がると杖を両手で握り締めトレニアを見つめる。
「いいわ、あなた。あなたを選んだのは間違いじゃなかったわね」
「選んだ?」
「確かに呪詛をかけたのは妾、ちゃんとした理由もあるのだけど…」
トレニアの視線が部屋の一つしかない出入口がある方へと向く。アリスリーエルもそちらへと視線を移すと、エスが部屋へと入ってくるところだった。
「もう来たのね…」
「ふむ、下半身が花でなければ眼福と言っても良かったかもしれんな。さて、自己紹介しよう。私はエス、奇術師のエスだ」
「知っているわ。そして、あなたも知っての通り、妾が『色欲』の悪魔、トレニアよ」
エスはトレニアへと『強欲』の剣を向ける。
「私の所有物に手を出したのだ。ただでは済まさんぞ」
「あら、先に手を出したのはそちらだと思うのだけど?」
「ん?」
少し考える素振りをしたエスだったが、そういえばと思い出した表情を浮かべる。
「そうかそうか、そういえば先に呪詛をかけていたのはそちらだったな。だが、今は私の所有物だ」
「だったら、力尽くで奪い返して見せなさい!」
「きゃっ!」
場に似合わぬ可愛らしい声で驚いたアリスリーエルは、トレニアが作り出した蔦で出来た檻に閉じ込められた。
「アリス、おまえは本当に檻が好きだな?」
「好きで入ってるのではありません!」
アリスリーエルと話すエスへと太く巨大な蔦が叩き下ろされる。エスが軽く横へと飛び退くと、それを待ち構えていたように無数の棘が伸びてきていた。エスは『強欲』の剣を振り、棘を一掃する。
「アヴィドも余計な物を残してくれたわ」
そんな言葉を口にしつつも、トレニアは片腕を振り上げる。すると、エスを突き上げるように足元の蔦が波打った。波打つ蔦の隙間から、薔薇の棘のような形をした小さな棘が無数に飛び出しエスを襲う。
「おっと!」
突き上げられ、空中へと投げ出されたエスは、迫りくる無数の棘を『強欲』の剣で奪い去っていく。
棘の対処に手一杯だったエスは、周囲を色とりどりな蔦が囲まれ球体状に捕らえられた。自分を取り囲む蔦を『強欲』の剣で奪い去ろうとしたが、一度に奪えた蔦は一色のみですべてを奪い去ることができなかった。
アリスリーエルが空中にできた多彩な蔦で作られた球体を心配そうに見ていた。球体は床や壁、天井から伸びた蔦に支えられ空中に留まっている。エスの気配は消えておらず、生きているとはわかるものの相手は『色欲』の悪魔である。エスがいつまでも無事だとは思えなかった。
「死になさい!」
「エス様!」
トレニアの声と同時に床や壁、天井から尖った蔦が次々と突き立てられエスが捕らえられている蔦でできた球体を貫いた。アリスリーエルの悲痛な叫びが響く。だが、トレニアはエスを貫いたはずの蔦から伝わる感触に違和感を覚えていた。
「チィッ!」
トレニアが腕を伸ばし開いた手を握り締めると、蔦の球体は圧縮され小さくなる。
「逃げられたわね。どこにいる?」
周囲を見渡すトレニアを嘲笑うように、エスの笑い声が響き渡る。あちらこちらに反響し、その笑い声からはエスの居場所を見つけ出すことができなかった。
「フハハハハ、実に危なかった。まさか、【強欲】の力にそんな攻略法があるとはな。いい勉強になったぞ」
「いいから出てきなさい!」
無差別に太い蔦で壁や天井を叩き始めたトレニアだったが、それでもエスの居場所はわからなかった。しばらくして、石でできた床板が下から突き上げられるように動く。だが、その上を這っている蔦のせいで僅かにずれるだけであった。
「ああ、申し訳ないのだが、この蔦どかしてもらえないかな?」
「そんなところにいたのね!」
エスの声が聞こえたずれた床板目掛け、何本もの太い蔦が叩きつけられる。
「今度こそ…」
「フハハハハ、イッリュージョン!私はここだよ」
声が聞こえた方へと床に叩きつけた蔦の一本を振るうが、エスの眼前で慌てて蔦を止める。その様子を焦ることなく、エスは眺めていた。エスの手には、先程まで握っていた『強欲』の剣はなかった。
「エ、エス様?」
「どうやってそこに入った?」
エスが立っていたのはアリスリーエルのすぐ横、檻の中だった。ここまで、トレニアが一切アリスリーエルへ手を出していないことから、何らかの理由があってアリスリーエルに危害を加えられないのだろうと予想していた。その予想の裏付けと、安全に脱出という目的のため、アリスリーエルを起点として床下から転移したのだった。
「そう、【強欲】ではなく【奇術師】の力を使ったのね」
「その通り!」
「本当に面倒な力…」
顔を歪め恨めしそうにエスを睨むトレニアだった。エスはアリスリーエルを抱き寄せ、ポケットから魔器を取り出し剣を形作ると内側から檻を切断する。外へと脱出したエスは、そっとアリスリーエルを放すと魔器をトレニアに向けた。
「さて、第二ラウンドといこうではないか」
「残念、第二ラウンドは無しだ!」
エスの言葉に答えた声は、この部屋にいる誰のものでもなかった。その声と同時にトレニアがいる部屋の最奥、その天井が崩れ落ちた。