奇術師、墜落する
地面へと降り立ったエスは、自分に対し武器を向ける衛兵たちを見る。
「衛兵諸君、お勤めご苦労」
「エス様、皆さんに一通りの説明はしておきました。これですぐにでも出発できますよ」
「ほほう。流石グアルディア、仕事が早い」
グアルディアにエスは満足気に頷いてみせる。衛兵たちは訳が分からずそのままの格好で固まっていた。そんな衛兵たちの姿には触れず、グアルディアが声をかける。
「それでは、皆さん。牢にいる者たちはお任せしますね」
「わ、わかりました」
グアルディアの言葉に我に返った衛兵たちの隊長と思われる者が返事をすると、他の衛兵を連れ塔の中へと入っていった。それをエスとグアルディアは見送る。
「どうやって言いくるめてきたのだ?」
「人聞きが悪いですね。私はお願いしただけですよ」
「ふむ、まあそういうことにしておこう。では、私は先に行っているぞ」
グアルディアは無言でエスの側へと近づく。【奇術師】の力で転移するには、グアルディアも連れていくしかない距離だ。
「おいて行かれては困りますからね。私も歩きでここを登るのは嫌ですよ」
「やれやれ、置いて戻るつもりだったのだがな」
エスは仕方ないと言った表情で指を鳴らす。エスとグアルディアは発着場へと転移した。発着場ではドレル以外の者たちが待っていた。転移する瞬間を見ていたため、アリスリーエルたちに驚きはない。
「お疲れ様です、グアルディア」
「お待たせしました、アリスリーエル様。それに皆さんも、早速出発しましょう」
エスとグアルディアが戻ってきたのを見計らったように、飛行船の入口からドレルが顔を出す。
「おい、エス。なんか客室の後ろから不気味な声が聞こえるんだが…」
それを聞き、エスが何かを思い出した表情で笑い出した。
「フハハハハ、そうだそうだ。今回の主犯格三人を閉じ込めてあったな。そうか、睡眠薬が切れているから一人目を覚ましているのか」
エスは呻き声がうるさくては空の旅も楽しめないだろうと思い、三人をどうするか考えながら飛行船へと歩き始める。実際は、一人はほぼ廃人と化しており声を発することはない為、二人の対応だけでよい。もう一度、眠らせてしまえばよいだろうと、エスは考えていた。そんなエスに続き、アリスリーエルたちも飛行船へと向かう。
エスは飛行船に入るなり、客室後方のフェルゼンたち三人を押し込めたスペースへと歩いていく。それに、乗り込んでくるのを待っていたドレルも続き、その後をアリスリーエルたちが続く。鍵をかけた扉に近づくにつれ、段々と聞こえる呻き声が大きくなっていった。
「ふむ、客室まで僅かに聞こえる程度だったし、ここでこの程度なら飛んでしまったらわからなそうだな」
「確かに聞こえねぇだろうな。ていうか、こんなとこに押し込んだのか?」
そんなエスの呟きに後ろからドレルが答える。エスはドレルに笑顔で頷く。
「こいつらに客席など贅沢は必要なかろう?首都まで運べればいいのだから、これで十分」
「ま、いいけどよ。んじゃ、儂は操縦室に戻るぞ。そうそう、操縦は大丈夫そうだ。自動操縦もあるみたいだしな」
「便利なものだ」
「出発する時は言ってくれ」
手を振りながらドレルは操縦席へと向かっていった。それを見送ったエスは、ふとミサキを見て扉を指差しながら問いかける。
「ミサキ、これを放置しても大丈夫か?」
「なんであたしに聞くのさ?」
「おまえの耳ではうるさいかと思ってな」
「ああ、大丈夫大丈夫。普段は人と変わらない程度の聴覚しかないよ」
「ならば結構。こいつらは首都まで放置で決定だな。さて、客室に戻るぞ」
エスたちが客室に戻ったところで、グアルディアが操縦室へと入っていく。アリスリーエルたちは客室の窓から風景を楽しんでいた。エスもグアルディアを追い操縦室へと向かうと、入口に立ちドレルに声をかける。
「ドレル、出発だ。目的地はこの国の首都」
「おうよ。おまえが渡した資料によると、だいたい丸一日程度かかるらしいぞ。客室でのんびりしてろ」
「そうか。では、任せたぞ」
エスに答えるように手をあげ、ドレルは操縦するため機械の操作を始めた。その横にはグアルディアが立っている。
「エス様、ドレルの方は私が見ておりますので、アリスリーエル様たちをよろしくお願いします」
「ああ」
エスは客室に戻ると、飛行船の乗り降りに使われている扉を閉める。それで察したのか風景を楽しんでいたアリスリーエルたちが、各々好きな席へと座り始めた。
「エス様、出発ですね?」
「うむ、これからこの国の首都に向かう。一日程度で着くようだからしばらくは空の旅を楽しむとしよう」
嬉しそうにはしゃぐミサキとターニャが見え、アリスリーエルとサリア、リーナも窓の側の席で外を眺める。少しして飛行船は僅かに上昇すると、ゆっくりと動き出した。
(目指すはトレニアのいるこの国の首都。しかし、これでも襲撃を受けたとしたら、私たちの行動が何を使って監視されているのかがわからなくなるな)
エスは、トレニアが自分たちを監視していることは確実だと判断している。そして、それは諜報員のような者を使っていると推測していた。その仮定を裏付けしようと、先の塔に攻め込む際に使った魔法で探ってみたが、それらしき存在は見つけられなかった。そのため、本当に監視されているのか、それすらも疑わしくなっていた。
そんなエスの心配を余所に、何事も起きることはなく空の旅は順調に続く。然程高く浮いていない飛行船からは、岩と砂の荒野と時折街道沿いに町が見えていたが、半日ほど経つと草木が増え始める。どうやら首都に近づくほど緑が濃くなっているようだった。だが、それと共に異様な気配が地面から漂いはじめ、徐々にその気配が強まっていた。
「これは…」
声を出したのはリーナだった。ミサキも若干震えた声でエスに告げる。
「エス。トレニアの領域に入ったよ」
「ふむ、やはりこの気配は『色欲』か。しかしどこから…」
エスが地面を見下ろすが、気配を漂わせるような存在が見当たらない。街道らしき場所にも、人の姿はなく見渡す限り無人であった。
「おかしいな…」
そんな風に感じながらも、飛行船は首都へと向け進んでいく。
順調で平和な空の旅は、突如終わりを告げる。首都まであと1時間程度といったところで、突然飛行船のガス袋に穴が開く。
「クッソ!なんだ!?」
「何かが、上にぶつかったみたいですね」
操縦用の器機で状況を確認するドレル。同様に操縦室にいたグアルディアは何かが飛行船上部にぶつかったと分析していた。
「チッ、暗くなってきたところで襲撃か」
「こう暗くては見えまっ!?」
グアルディアが、見えないと言おうとしたところで再び飛行船が揺れる。外はすでに夜となっており、明かりなどなく周囲が見えない。遠くに首都らしき都市の明かりは見えるが、それは目印にできる程度であった。操縦室の扉が開き、エスが入ってきた。
「ドレル、もう少し優雅な運転をだな」
「馬鹿言ってんじゃねぇ!」
ドレルの怒鳴り声と共に再び飛行船が揺れる。明らかに飛行船を狙い、何かが飛んできていた。
「エス様、おそらくは…」
「ああ、襲撃だな。いったいどうやって私たちの居場所を掴んでいる?」
エスは操縦室の床へ視線を落とす。だが、エスが見ていたのはその先の地面であった。見えるわけではないのだが、昼間以上に強く感じる『色欲』の気配に違和感を感じていた。そこでエスは一つの結論に思い至る。
「そうか、そういうことか」
「何かわかったのですか?」
飛行船が激しく揺れ、グアルディアはその先をエスから聞くことができなかった。先程から飛行船へと何かがぶつかる回数が増えてきている。エスに続きミサキが操縦室へと飛び込んできた。
「エス!鳥が何匹も突っ込んできてるぞ!」
「下からも来るわ!」
リーナの叫びを聞き窓へと視線を移すと、高速で上へと飛んでいく木が見えた。それは太く大きな杭のような形をしており、飛行船から離れた場所では飛ん来ておらず、明らかにこの飛行船を狙ったものだと思えた。
「このままじゃやべぇぞ」
「ドレル、回避しながら行けますか?」
「無茶言うんじゃねぇ!飛行船の機動力じゃどうにもなんねぇよ」
次の瞬間、エスはドレルの首根っこを掴み後ろへと放り投げる。投げられたドレルが壁に頭をぶつける音が響いた。
「いってぇなテメェ!何しやっ!?」
痛みで閉じていた目を開いたドレルが見たのは、先程まで自分がいた場所を貫いた杭だった。
「脱出するぞ」
エスはそれだけ言うと、客室へと向かう。何も聞かずグアルディアとミサキもその後を追った。ドレルも、素早く立ち上がるとその後を追う。客室では、首都への到着が夜間になるかもしれないと仮眠をとっていたアリスリーエルたちが、すでに目を覚まし臨戦態勢をとっていた。
「エス様!グアルディア!」
「話は後だ、飛行船から脱出する」
エスがそう言った瞬間、脱出することを予想していたように乗り降りに使われる扉を、飛んできた丸太のような杭が変形させ使い物にならなくしてしまった。
「なるほど、飛行船ごと始末するつもりか。だが、残念」
エスが指を鳴らすと、エスたちの体が布に包まれ操縦室から見えていた街道へと転移する。転移が完了すると同時に、エスは自分たちの周囲に空間魔法による結界を張った。待ち構えていたように周囲から伸びてきた蔦が結界に阻まれ止まる。上空では大量の丸太のような杭が突き刺さり、飛行船が墜落し始めていた。それに追い打ちをかけるように、周囲の木々の枝が上を向き捻れ、杭のようになると飛行船へと飛んでいく。
「エス、これは?」
リーナが状況を確認しようと飛行船を見上げたままのエスに問いかける。
「あの三人は、無理か。どうやら、トレニアは植物を使って私たちを監視していたようだな。周囲の植物すべてが敵だと思った方が良さそうだ」
墜落する飛行船から、連れてきた三人を転移させようと思ったが、すでに三人を閉じ込めていた部屋が破壊されているのをエスは感じ取り救出を断念する。
エスは地表から感じられる『色欲』の気配から、トレニアが植物を使い自分たちを監視していたのではないかと予想した。首都から遠ければ遠いほど、その監視が緩く襲撃そのものが小さかったのだろうと考えられる。そして、自分の拠点である首都の周辺に入った途端に、この歓迎だ。植物で監視していたのは確実であろうと考えられた。
「植物を寄生させて操り、私たちの行動を植物を使い監視する。確かに納得できますね」
「決定打として、転移した瞬間からこの歓迎だからな」
納得できたと頷くグアルディアだった。エスたちを突き刺そうと伸びる蔦が、何本も向かってきては結界にぶつかり地面へと落ち、エスたちのいる街道を緑に染め上げていた。このままでは、ここに足止めされてしまう。結界自体も数日程度は余裕で張り続けられるが、それでは何の解決にもならない。そう考えたエスは、アリスリーエルに声をかける。
「アリス、この周辺一帯の植物を焼き払えないか?」
「少し難しいかと…」
「こいつを使え!」
話を聞いていたドレルがエスに投げ渡したのは、塔を襲撃した際に使った魔道具だった。それを受け取り、見たエスは笑みを浮かべる。
「フハハハハ、ドレルも役に立つな」
「いつも役に立たねぇみたいに言うんじゃねぇ!」
「アリス、準備はいいか?」
「いつでも大丈夫です!」
ドレルが取り出した魔道具を見た瞬間から、アリスリーエルは魔力を集中させていた。選んだ魔法は『火炎旋風』、火と風の合成魔法だ。
エスはアリスリーエルの言葉を聞き、手に持った魔道具を上空へと投げる。それはエスの張った結界を素通りすると、結界から2m程度上空で制止した。
「いきます!」
アリスリーエルが発動した『火炎旋風』は魔道具に吸い込まれ、魔道具に付けられた赤と緑の魔結晶に光がともる。
「『発動』」
光がともったことを確認しキーワードを唱えたのはエスだった。その瞬間、結界の外は炎の風が吹き荒れる。草木を焼き払い、地面を焦がしてエスたちの周囲を焼け野原に変えていく。魔法の効果が切れたところで、魔道具はゆっくりとエスの手元に落ちてきた。
「実に便利、実にファンタジー。やはりこの世界はこうでなくてはな」
周囲に植物がなくなり、自分たちへと向かってくるものがなくなったのを確認したエスは結界を解いた。手に持った魔道具をドレルに返そうとしたその時、遠方から何かが飛んできた。それは杭。飛行船を落としたものと同様のものであった。エスは飛んでくる杭を一瞥すると、自分に当たる瞬間に裏拳で杭を殴り飛ばした。
「鬱陶しい。今、私は感動しているのだ。邪魔はしないでもらいたいものだな」
殴り飛ばされ、遠くへと飛んでいく杭を見ながらエスが呟く。
「それで、これからどうするの?」
「歩きで向かうしかないわねぇ」
「大丈夫です。また、襲ってくるなら全部焼き払いますよ」
笑顔で物騒なことを言うアリスリーエルに、リーナとサリアが顔を見合わせ苦笑いを浮かべる。
「サリアの言う通り、歩いてくいかないね」
「そうだな。ここでこうしていても仕方がない。行くとしよう」
ミサキがやれやれといった表情で言うように、ここからは歩きで向かうしかない。それを理解している仲間たちは、肯定するエスの言葉に全員が頷く。飛行船を失ったエスたちは首都へと向け歩き出したのだった。