奇術師、救出依頼を達成する
「いやはや、実にお困りのご様子。どうかされたのかな?フェルゼン殿」
突然かけられた声に飛び跳ねるように驚いたフェルゼンが背後を振り向くと、楽し気な表情を浮かべたエスが操縦室の扉の前に立っていた。
「な、なんだ!?何故貴様がここにいる!ギランは、ギランはどうした?」
慌てふためくフェルゼンを見ながら、エスはやれやれと首を振った。
「私がここにいても不思議はない、そう思える程度にはいろいろと見せてやったと思うのだがな。まあ、時間もあることだ。質問に答えてあげよう。まず、私がここにいる理由だが…」
話していたエスに対し、フェルゼンが近くにあった本を投げつける。おそらくは飛行船の操縦に必要なことが書かれた物だろうが、フェルゼンは構わず投げていた。投げられた本は、エスをすり抜け背後にある操縦室の扉へと当たる。
「なっ!?」
「まったく、人の話は最後まで聞きたまえ。この体は本体である私が作りだした幻影だよ。散々似たようなものを下で見たであろう?つまり、幻影の姿であればこの街のどこにでも私は現れることができるのだ。以前のように街ひとつ丸ごと作るよりは楽ではあったが、あれよりは広いからな。街全体に魔力を広げるのには骨が折れたよ。そして、君が心配している大男君だが…」
エスはポケットから大きな布を取り出すと、自分の横の床をフェルゼンの目から隠す。そして、布が除けられるとそこには白髪となり、何もない空中を見たままパクパクと口を動かしながら床に座るギランが現れた。その様子から生きてはいることがわかるが、フェルゼンの恐怖を煽るには十分な姿であった。
「ヒィ!よ、寄るな!化け物め!」
近場にあるものを手当たり次第に投げるがエスに当たることはなく、隣にいたギランには当たっていた。頭に当たった本の衝撃でギランが倒れるが、痛みを感じている様子もなく相変わらずパクパクと口を動かしていた。
「おや、酷いことをする。君の部下なのだろう?もっと優しくしてあげたまえ」
「く、来るな!」
ゆっくりとエスはフェルゼンの前へと移動する。フェルゼンは逃げようと後退るが、背後には操縦用の計器が並び逃げる場所などなかった。操縦室に広さはない。然程時間はかかることなくエスはフェルゼンの眼前に立った。逃げ場なく追い詰められたフェルゼンは、諦めたかのようにエスに問いかける。
「何故だ。何故貴様は私にこのような真似を。私は貴様に何もしてないぞ」
「ふむ、私の仲間に手を出そうとしていたのは、先程聞いたのだがな?あと下で、君の部下も私の仲間を売り物にするようなことを言っていたぞ?」
「そ、それは、それは詫びよう。必要なら詫びとして金も払おう」
「金は必要ではないな。実際、私たちには大きなスポンサーもついている。ま、その必要もない程度には稼ぐ力もあるしな」
「では、何が望みだ。できる限り望みを叶えてやる。だから…」
自分を見逃してくれ、そう続けようとしたが、フェルゼンはエスの表情を見て言葉を止めた。先程まで笑みを浮かべていたエスは、今は無表情でフェルゼンを見下ろしている。
「始めから私はお前を潰すために来たのだよ。私の仲間に手を出そうとした、それだけで十分な理由だが、ここに来る途中に立ち寄った町や村の者たちとの約束がある」
そう言ってエスはフェルゼンの額へと手を伸ばす。
「安心しろ、あそこに転がる奴よりは軽めだ。部下に感謝するんだな。実験台になってくれたおかげで加減もわかったのだから…」
エスのその言葉を最後に、フェルゼンの意識は恐怖に染め上げられる。エスが幻惑魔法を研究するうえで生み出した、その人が思い描く恐怖の対象を見せ、さらに精神に恐怖を直接植え付けるという拷問に等しい魔法だった。魔法の性質上、加減に失敗すれば対象が廃人になってしまう可能性があり、うかつにテストをすることができなかったのだが、先程加減の必要がなかったギランに試した結果、魔法の完成に至ったのだった。
「アガガガガガガガ…」
異常な声をあげ、フェルゼンはその場に倒れる。気を失ったのだと理解したエスは、ポケットから取り出したロープでフェルゼンの手足を縛ると、フェルゼンとギランの顏にターニャから受け取った超強力睡眠薬を投げ当て、二人をそのままに操縦室から煙のように姿を消した。
ターニャの合図を見たエスの仲間たちは、すべてうまくいったのだと胸をなでおろしていた。一部始終知るエスとしては、そろそろこの祭りもお開きにすべきだと考え、目の前の結界に閉じ込められている者たちを見下ろす。
「さて、中の処理も済んだ。あとは君たちだけなのだが、さてどうしようか」
目の前の男たちを眺めながら、エスは少し考え込む素振りを見せる。フェルゼンとギランに使った魔法を全員にかけることも考えたが一人を対象にする魔法のため、この人数にかけるのは面倒だと思っておりどうするかはすでに決まっていた。
「ドレル、これはどの程度の時間効果があるのだ?」
隣にいるドレルにポケットから取り出した小袋を見せる。それはターニャが持って行ったはずの超強力睡眠薬が入った小袋だった。
「なっ!?そりゃ…」
驚いた表情で小袋を見たドレルだったが、ここまで共に旅をしてきた故の慣れか、エスがすることだからとすぐに冷静さを取り戻しエスの問いに答える。
「そうだな、だいたい半日ってぇところか」
「ほほう、それだけ効果があるのならば、この人数に使っても問題なさそうだな」
エスは手際よく男たちに睡眠薬を投げつける。何故かエスが投げる睡眠薬は結界をすり抜け男たちの顔面へと命中していた。途中で睡眠薬が結界に遮られていないことに気づいた者がエスへと武器を投げた。だが、結界に阻まれ武器は地面へと落ち、驚く男を見てエスは面白そうに笑っていた。
「フハハハハ、なかなか賢い。それだけの賢さがあるのであれば、私たちを敵に回す方が愚かだとわかるだろうに…。ああ、奴隷として戦わざる得なかったのかな?安心したまえ、命令に従うしかなかったのであるならば、これ以上私たちに手を出さないと誓えば上のやつらよりは優しく扱ってやるつもりだ。まあ、今は眠りたまえ」
そう言って睡眠薬を顔面へと投げつけ眠らせた。一人を除き全員が睡眠薬で眠ったことを確認し、残った一人を見る。
「お、おい!起きろ貴様ら」
残った一人、それは豪華な身なりの男だった。
「ああ、無駄だ。無駄無駄。そいつらは起きねぇよ。その睡眠薬は強力すぎてな、極端な話、腕を切り落としたって効果がある間は起きやしねぇ」
近くに眠り倒れている男を蹴っていた豪華な身なりの男にドレルが説明する。だが、それを信じられないのか、信じたくないのか、豪華な身なりの男は他の眠っている者を蹴り始めた。だが、未だエスがかけた魔法により守られているため睡眠薬の効果がなくとも、蹴りの衝撃で起きるようなことはなかったのだった。
「やれやれ…」
エスは面倒だと思いながらも豪華な身なりの男へと近づく。結界を素通りしながら、エスは一回指を鳴らし男たちを包むすべての結界を解除する。その音に驚き振り向いた豪華な身なりの男は、ようやくエスが近づいてきていることに気がついた。
「チッ!?こんなことをして…」
「フェルゼン様が黙ってないと?いやはや、君には悪いがそのフェルゼン様は君らを見捨てて逃げようとしていたから飛行船の中で眠らせてあるぞ」
「な…。そ、そんなことは…」
豪華な身なりの男は遥か頭上に浮かぶ飛行船を見上げる。だが、これだけの騒動が起こっているにも関わらず、フェルゼンだけでなくギランすら姿を現さないことに、エスが言うことが事実なのではないかと思い始めていた。
「さて、君は他の者たちとは別扱いだ。大好きなフェルゼンやギランとかいう大男と同じ目にあってもらうとしよう。なに、おそらく死にはしない、安心したまえ」
エスがゆっくりと手を伸ばす。それから逃れるようと必死に逃げ出す男だったが、突如頭を抱え地面をのたうち回り始めた。エスは、目の前でのたうち回る男が仲間たちに向けた視線から、よこしまな感情を感じ取っていた。エスがそう感じたのは当然のことで、男は自分が気に入った女性に対し奴隷として売られる前に手を出していたのだった。フェルゼンはそれを知りつつも、自分に仕える者に対する報酬として黙認していた。その対象として仲間が見られたことがエスにとっては不愉快であり、魔法の威力はギランに使ったほどではないにしても、廃人になるギリギリに近いものとなっていた。
「エス様、これは?」
男の様子が突然変わったことに驚いたアリスリーエルが、エスへと問いかける。他の者たちも同様に思ったのか、エスの答えを待っていた。
「拷問用の魔法、といったところだな。幻惑魔法を利用し作りだした、相手の精神を恐怖で染め上げる魔法だ」
「ちょっと待って!それって、幻惑魔法というより精神に干渉する…」
驚いて声をあげたのはミサキだった。
「精神に干渉するような魔法は、使用者が国家レベルで管理されているものです。魔法の存在や構造も公開されていないはずです」
ミサキと同じ結論に至ったのかアリスリーエルも考え込んでしまっていた。
「ふむ、精神に干渉する。確かにそうかもしれないな。しかし、考えてみたまえ。幻惑とは何か?言葉自体の意味としては目さきを惑わすことだが、幻覚、幻聴、見えている聞こえていると錯覚させるこの魔法の性質は、どちらかと言えば精神に干渉するものに近いのではないかな?」
エスの言葉にハッとした表情を見せたのはアリスリーエルとミサキの二人だけでなく、その場にいた仲間たち全員であった。
「なるほど、確かに近いものがありますね。名前に惑わされ考えもしませんでした…」
グアルディアはそう呟き、早々に国に連絡し幻惑魔法の使い手に監視をつけるべきなのかもしれないと考えていた。精神に干渉する魔法自体、国家としては非常に面倒なものであるからだ。多くの人を簡単に扇動することができ、国に対して敵対させることすら可能である。魔法の影響を受けた者は、使用者以上に魔法に対する適性が無ければ、自分が魔法の影響下にあることすら気づけない。故に国家レベルで管理されているものなのだ。
「まあ、そのあたりは私には関係のない話だが…。ふむ、幻惑魔法の延長線上に精神に干渉する術があることは口にしない方がよさそうだな。このことは誰にも口外しないと約束しよう」
「そうしてくださると助かります」
エスが自分の研究結果が世界にとって好ましくないものだと理解し、口外しないと約束する。それを聞き、エスは約束すると言ったことは守ると信じているグアルディアは軽く頭を下げるだけであった。だが、当のエスはというと精神に干渉するという事実に気づき、これは調べてみるのも面白そうだと好奇心を膨らませていたのだった。この先、しばらくは実験台にも困らないだろうし、という考えもある。
「さて、あとはターニャが戻ってくるまで待つだけだな」
「そうですね。塔の中も大丈夫なのですよね?」
「問題ない。中に残っていた二人は拘束してあるからな」
アリスリーエルに問題はないと告げるエス。
「いつの間に…」
それを聞き呆れた声をあげたのはリーナだった。だが、そんな呟きを無視しエスは素早く街の上空へと顔を向ける。その真剣な表情から、ただ事ではないと感じた仲間たちも同じ方を見るが夜空が広がるだけで何も見えなかった。ただ一人、エスにだけその姿が見えていた。
エスたちがいる街の上空に浮かぶ人物は面白くなさそうに塔の根元付近を見つめていた。自分の存在に気づいたエスを見て舌打ちをする。
「やっぱりやつの魔法か。街全体を覆ってるとか馬鹿げた規模だ…」
そこに浮かんでいたのはエスが知る人物、『傲慢』の悪魔ギルガメッシュだった。ギルガメッシュは先程と同じように手を伸ばす。街をドーム状に囲む魔力に触れ、エスがそれに気づいていることを感じ取った。
「俺様なら侵入は楽だが、奇術師があの時より力をつけてるのは確実だな。ま、今回は偵察だけのつもりだったし十分か…」
ギルガメッシュは独り呟き、さらに上空へと飛び上がる。
「結果はトレニアに伝えるとして、さっさとこの国を出た方がよさそうだな」
ギルガメッシュはトレニア、この国で女帝と呼ばれる『色欲』の悪魔の居城へと飛び去った。ギルガメッシュが去ったのを確認したエスは、仲間たちへと視線を移す。心配そうにエスを見るアリスリーエルの頭に手を置くと、何があったのかを説明し始めた。
「面倒なお客さんが来ていたが、どうやら諦めてお帰りになったようだ。これで祭りはお開きだな」
その言葉と同時に捕まった女性たちを連れたターニャがこちらに走ってくるのが見えた。
「おおい!」
「ターニャ!あなた、大丈夫?」
真っ先に気づいたサリアがターニャに駆け寄ると、ターニャの体に見える多数の擦り傷を見てサリアが声をあげた。
「すまなかったなターニャ、そちらに意識を向ける前に発見されているとは思っていなかったのだ」
「私も油断してたし仕方ないさ。それに生きてるんだから問題ない」
「ターニャさん、こちらに」
ターニャの治療をアリスリーエルに任せ、エスはターニャが連れてきた女性たちを見る。全員目立った怪我はないように見えた。
「さあ、こっそり見ていた住人たちよ。捕らわれていた者たちはここにいるぞ。迎えに来てあげたまえ!」
その言葉に真っ先に反応した者がいた。
「姉ちゃん!」
「ラルム!」
それはエスたちがこの街に着き、塔の様子を見に来た際に騒ぎを起こしていた少年だった。それに気づきラルムへと走り出した一人の女性、ラルムがエスたちに救出を依頼した姉のトレーネだ。姉と抱き合うラルムを見て、エスは満足気に頷く。姉弟の様子を見た住人の中から、捕らわれていた女性たちの関係者が次々と姿を現し、無事を確かめ合っていた。
「これにて一件落着ってやつか?」
髭を撫でながらドレルがエスに声をかけた。
「街の住人的には一件落着だろう。あとは、この国の首都に乗り込み大元を叩くとしよう。観光は、残念だがその後だな」
エスの視線の先にはのたうち回る一人の男と眠る多数の男たちがいた。