奇術師、塔内部を支配する
時間は少し遡り、エスにより塔が派手に装飾された頃、ターニャは独り侵入場所に予定していた塔の窓が見える場所へ来ていた。そこは塔の周囲を円形に囲む道を挟んだ建物の屋根の上、手には鉤爪のついたロープを持っていた。いつでも侵入するつもりだったターニャだが、目の前の塔を見て唖然とした表情になっていた。
「なんだよこれ…」
派手にライトアップされた塔を見てターニャは独り呟く。しばらくし塔の入口付近が騒がしくなったため、そちらへと視線を移すと、塔からぞろぞろと出てくる男たちが見えた。
「陽動ってこれか?よし…」
ターニャは自分の頬を両手で叩き気合を入れると、手に持った鉤爪を窓へと投げる。鉤爪が引っかかったことを確認すると、屋根の一部にピンっと張ったロープを括り付け、その上を走り窓へと飛び込む。塔へと入り一息ついたターニャは、鉤爪を外し塔の下へと投げ落とした。そこで、ターニャにかかっていた姿を消す魔法が消え、姿が露になった。
「ほんとに切れた。あいつの魔法ってどうなってんだ?」
自分の姿が見えるようになったのを確認したターニャは、頭に浮かんだ疑問を今は考えるときじゃないと振り払うように首を振り、通路の奥に見える階段へと視線を移した。
「捕まってるのは、確か上だったな」
昼間にミサキと偵察に来た時に確認した捕まった人たちがいるであろう上階へと走り出す。階段を駆け上がり、目的の階まであと数階といったところでターニャは、慌てて物陰に身を隠した。
物陰からそっと覗くと、二人の男が立っている。一人は見るからに用心棒と言える鍛えられた体をした大男、もう一人は細身の貴族のように派手な格好をした男だった。男たちの話し声にターニャは聞き耳を立てる。
「まったく、どうなっておるのだ!いつの間に塔をこのように…。女帝様からお借りしている塔に何かあっては私の首が飛ぶぞ」
「フェルゼン様、部下たちが今対処に向かっております。このようなことをした者を女帝様の元まで連れて行けば、お許しくださるはずです」
「フンッ、そうでなければ困るわ。しかし、これでは女たちを乗せるのが後回しになってしまうな」
「騒動が終わり次第、部下たちにすぐにやらせます」
「当然だ」
覗いていた顔を引っ込め、ターニャは深呼吸する。
「あの男がフェルゼンか。で、あっちはフェルゼンの片腕って感じだな。まずは、あの大男の方を何とかしないと…」
そこまで呟いたところで、ターニャは咄嗟に横へと飛び退く。先程までターニャが隠れていた場所には、巨大な剣が振り下ろされ木箱が粉々に粉砕されていた。
「侵入者です」
「クソッ!外に行った連中は何をしているんだ!」
怒鳴り散らすフェルゼンだったが、大男は構わずターニャへと剣を振るう。それを躱し、距離をとったターニャには余裕がなかった。
「なんで気づかれた?それに、あいつ…、姉さんより強いな…」
たった二回剣を避けただけだが、相手の技量が圧倒的に上であることを感じ取り、捕まった人たちの救出失敗を予感し始めていた。
「ほう、小娘か。ギラン、殺さずに捕まえろ。そいつはこの騒ぎを起こした連中の仲間だろうしな。女帝様へ献上する」
「かしこまりました」
フェルゼンの言葉に応えたギランと呼ばれた大男は、一瞬にしてターニャとの距離を詰める。そのあまりの動きの早さに逃げ損なったターニャの首を掴み上げた。逃げようともがくターニャだったが、ターニャの力ではギランの握力に対抗することができない。
そんな時、爆音を響かせ塔が揺れる。ギランが音と揺れに驚き手を離すと、ターニャはすぐに距離をとって息を整えていた。
「はぁはぁ、ヤバい、どうしよう…」
ドレルに渡された超強力睡眠薬をひとつ手に取り、未だ外の様子に気を取られているギランの顏へと投げつける。だが、ギランはそれを軽く躱し、ターニャへと集中する。
「何をしようとしたか知らんが、そんなものには当たらん」
「当たってくれればいいのに…」
避けられるのは想定内だったターニャは、すぐさまエスに貰った魔道具へと魔力を流す。再び距離を詰めたギランが剣の柄頭でターニャの腹を殴るが、ターニャの体をすり抜けてしまった。
「幻影か」
すぐにそれを幻影と見抜いたギランは、素早く拳を何もない空中へと振るう。気配を察知した、というより培った経験からの勘でギランはターニャがいるであろう場所を狙ったのだった。すると、何かが当たり通路を埃を巻き上げ転がっていく。通路にはどこからともなく倒れたターニャの姿が現れた。
「なんだ!?こいつどこにいた?」
「先程のは幻影です、フェルゼン様。おそらく魔道具で姿を消し幻影を囮に使ったのでしょう」
「ほほう、なるほど。その魔道具も高く売れそうだな」
倒れたターニャを値踏みするように見るフェルゼンの横を、ギランがゆっくりとターニャへと近づいていく。
「クソッ、このままじゃ…」
意識が飛びそうになるのを必死に耐えつつ、近づいてくるギランを睨む。
「すぐに外の連中も連れてきてやる。おとなしくしていろ」
ギランが倒れたターニャに手を伸ばそうとした瞬間、通路内にここにいるはずのない者の声が響き渡った。
「フハハハハ、それは私のものだ。君たちにやるわけにはいかないな」
「誰だ!?」
驚いたフェルゼンが周囲を見渡すが、見える範囲に人の姿は無い。だが、ターニャにはその声が誰のものなのかわかっていた。
「…エス!?」
「姿を消しているのか、それとも隠れているのか」
ギランは手に持った剣をターニャの首に当て声をあげる。
「姿を現せ。でなければ、こいつの命はないぞ」
「それはそれは、そこにいるフェルゼンが許さないのではないかな?」
「構わん、必要経費だ。そいつの魔道具を売って補填してくれる。女帝様には他の者を献上するとしよう」
「ふむ、それは困った」
まったく困っていない口ぶりのエスの言葉に苛立ったギランが剣を振り上げる。
「いい加減に姿を現せ!」
振り上げられた剣が倒れているターニャの首目掛けて勢いよく振り下ろされる。これまでかと思い目を閉じたターニャだったが、振り下ろされた剣は何かにぶつかる様な音を立て、ターニャの首から1cmほど離れた空中で止まっていた。
「な、なんだ!?」
何か硬い物にあたった感触に驚き、ギランはターニャから距離をとる。剣を振り下ろされたターニャもその声に驚き目を開く。ターニャ自身も何が起こったのかわからなかった。ターニャを守ったもの、それはエスが空間魔法で生み出した障壁だった。
「先程から姿を現せと言っているが、私はまだ塔の外なのだよ。見たければこちらにきたまえ。歓迎するぞ?まあ、入口は瓦礫で塞がっているのだがな。フハハハハ」
事実、エス自身は塔の外でサリア、リーナ、ミサキの三人が男たちと戦っているのを眺めている。
「ふざけたことを…」
「さて、ターニャ、大丈夫かな?」
「…ああ」
声だけのエスに答え、フラフラしながらもターニャは立ち上がった。
「では、彼らの遊び相手は私がするから先に行きたまえ。ああ、睡眠薬はそこに置いておいてくれ。この先には捕らわれた者くらいしかいないはずだから必要ないだろう」
「わかった」
ターニャは超強力睡眠薬の入った小袋を床に置くと、階段へと駆け出した。その後をギランが追うが、見えない壁に阻まれターニャを追うことはできなかった。
「何をしている!」
「チッ、なんだこれは!?」
見えない壁に剣を叩きつけるギランだったが、その壁は一切壊れる様子はなかった。
「だいたい、貴様はどこにいる!どうやってこんなことを」
「先程も言ったが、私は外にいる。だが…」
言葉の途中、壁や天井、床から人型の何かが何体も這い出してくる。それらの表面は溶けた金属のように流動していたが、全身が現れるとすべてがエスの姿へと変貌していった。
「初めまして。奇術師のエスだ」
エスの姿をしたそれらが一斉にそう口にし、優雅に一礼する。すぐさまギランは、一番手前のエスを頭から真っ二つにしたが、斬られたエスはどろりと溶け落ち床に染み込んでいった。
「魔法か!?」
「大男君、正解。その通り私の魔法だ。純粋に魔法とは言えないのだが、それは些細なことだな」
全員が一斉に話すその光景に、怯えながらフェルゼンがギランへと怒鳴る。
「貴様はこいつらを何とかしろ!私は飛行船へ行く。さっさと始末して女どもを連れてこい」
フェルゼンが懐から、札のような物体を取り出し自身の魔力を込めた。だが何も起こらず、焦ったフェルゼンは手に持った札を見つめ、独り声をあげる。
「な、何故だ!転移札が…」
「そうそう、言い忘れていたが、この塔も私の魔法で支配されている。転移などはできんよ。いやはや、一瞬で捕らえられた者たちを運ばれたらどうしようと思ってした対策だったが、まさか逃げ道を塞ぐことになるとは。実にツイているな。フハハハハ」
「塔だと!?」
あまりの魔法の規模に驚いたギランが思わずエスへと怒鳴る。
「ふむ、言い方が悪かったか。すまないが、その認識は間違いだ」
「どうせ支配してるのは、数階だけだろう。私は上へ行き転移札を使う。道を作れ!」
「ハッ!」
複数のエスへと走り出したギランの後をフェルゼンが追う。それを、エスたちは手で制した。
「私の魔力の影響は塔だけではなく、この街全体なのだが。ふむ、やはり信じてもらうためには実際に体験してもらうのが一番か。では、どうぞ」
そう言って道を開けるエスたち。通路に仕掛けられていた見えない壁も、今は解除されている。エスたちの間をギランとフェルゼンが走り抜けようとするが、ギランだけ一人のエスに捕まり後方へと放り投げられた。
「残念ながら、君は通行禁止だ」
「フェルゼン様、先に行ってください。私はこいつらを始末したら向かいます」
ギランとフェルゼンの間を塞ぐようにエスたちは再び通路を埋める。
「フハハハハ、盛り上がっているところ悪いが、大男君。それは死亡フラグというものだぞ」
ギランに対しそう宣言しているエスたちの後ろで、フェルゼンは上階へと駆け上がっていった。それを見送ったギランは、躊躇いなくエスたちへと斬りかかったが、先程と同じく溶けて床へと消えていくだけで、一向に数が減る様子がなかった。それもそのはず、斬られ溶け落ちた傍から新しいエスが壁や天井、床から這い出してきていたのだ。
「キリがない…」
「大男君にはターニャが外に出るまで私と遊んでいてもらおう。存分に楽しみたまえ」
「チッ!」
舌打ちしたギランは再びエスたちへと斬りかかった。すでに退路にもエスたちがおり、進むことも逃げることもできない状態だった。
「ああ、そうそう。私たちに捕まったとしても死にはしないから安心したまえ」
「ふん、お優しいことで…」
「まあ…」
エスたちはその顔に歪んだ笑みを浮かべる。
「死ぬほど苦しい思いはするだろうがな」
先程までとは打って変わり、一斉に飛びかかってくるエスたちをギランは必死に切り捨てていく。先程見せたエスたちの表情に悪い予感を掻き立てられ、ギランは焦っていた。
しばらく、エスたちの相手をしていると、塔の外から爆発音が聞こえる。それと同時に、積極的にギランに飛びかかっていたエスたちが動きを止めた。
「ど、どうした?もう、終わりか?」
「ふむ、タイムアップのようだ。遊ぶのはここまでにして、君にはご褒美をやろう。実は組み上げたはいいが、実験相手がいなくて困っていたところだ。丁度いい…」
エスたちはゆっくりとギランに向けて手を伸ばす。
「な、何を…」
「では、頑張って耐えてみせたまえ」
エスたちがそう告げると、ギランは絶叫をあげ通路の床でのたうち回っていた。エスたちはそれを満足気に見下ろした後、床へと溶けるように消え全員がその場からいなくなった。残ったのは床でのたうち回り続けているギランだけであった。
ターニャはゆっくりと階段を登る。その横をターニャに目もくれず、焦った表情で駆け上がっていくフェルゼンが追い越していく。
「あ、あいつ…」
まるでターニャに気づかなかったかのように、フェルゼンは走って行ってしまった。捕らえられた者たちが連れていかれるかもしれないと感じたターニャは急ぎ階段を駆け上がった。
しばらくして、ターニャは通路の両側に牢屋が連なる場所へと辿り着く。すすり泣く声が聞こえるその通路を進んでいくと、たくさんの女性たちが閉じ込められた、少し広めの牢を発見する。
「見つけた!あいつは、いない?」
牢の前で周囲を見るがフェルゼンの姿はない。
「どこ行ったんだ?」
「あなたは?」
女性たちを連れていかれると思っていたターニャだったが、予想が外れ呆然と周囲を見ていた。そこに、牢の中から声をかけられ我に返る。
「そうだ、助けにきたよ」
ターニャはフェルゼンへの警戒をそのままに、牢の扉の開錠を試みる。ほんの数秒で牢の扉が開き、ターニャが中に入る。
「ほんとに出られるの?」
「でも…、逃げたらあの男が…」
怯える女性たちだったが、次の瞬間牢の中に声が響いた。
「ターニャ、よくやった。皆の中心に立つのだ。お前を起点にして転移させる」
聞こえてきたのはエスの声だった。ターニャは黙って頷くと、捕まった女性たちが集まっている中心へと移動する。エスは肉眼で見ていない者たちの転移に関して不安が残っていたため、眷属であるターニャを【奇術師】の力の起点として利用しようと考えていたのだ。
「エス、いいぞ」
「では、皆を塔の外へとご案内しよう」
すると、展開された箱が元に戻るかのように、ターニャたちを木の板が覆っていきターニャたちを箱の中へと閉じ込める。箱の中は、どこに明かりがあるのかわからないが何故か明るく、全員の顔がよく見えた。箱が完成すると、外から爆発音が響いた。
「な、なに!?」
「何が起きてるの?」
「大丈夫、私の仲間が外で戦ってるだけだよ」
慌てふためく女性たちをターニャがなだめていると、突如として箱の中の空気が変わる。その変化に気づいたのはターニャだけだった。空気が変わったのと同時に、ターニャたちを閉じ込めていた箱が弾けるようにして消えた。驚いた女性たちが周囲を見渡すと、そこはエスたちがいる方から見て塔の裏側にあたる場所だった。ターニャが偵察の時に確認した裏口部分を見るが、そこには守っているはずの者の姿は見えない。
「よし、すぐに移動しよ。こっち」
ターニャが先導し、女性たちは塔裏手の街中へと消えていった。
一方、ターニャが牢に到着したころ上階へと走るフェルゼンは疲労と焦りが入り混じった表情で、さらに上層の階段を登っていた。すでに、走る体力はなく歩きだ。
「どうなっている。本当にやつが言うようにこの塔を支配してるというのか…」
道中、なんども転移札を使ってみてはいるものの、飛行船へ転移できずにいた。それどころか、転移札で転移が可能な他の階や、街中にも転移できなかった。
フェルゼンは必死に階段を登り、最上階である飛行船の発着場へと辿り着いたが、目の前に浮かぶ飛行船に違和感を感じ立ち止まった。
「なんだ…。揺れて…ない!?」
普段は多少風に揺られるなりして動いているはずの飛行船は、微動だにせず空中に停止していた。風がないのかとも思ったが、自分の体に触れる風がそれを否定する。フェルゼンは恐る恐る飛行船へと近づいていくが、地表から響く爆発音を聞き慌てて飛行船へと駆け込んだ。操縦室へと飛び込んだフェルゼンは、すでに正常な判断ができる状態ではなく、部下たちを見捨て逃げようと飛行船を動かそうとする。だが、計器などに異常がないにも関わらず、飛行船が動く気配はなかった。
「クソッ!」
操作盤を叩くフェルゼンの背後に近づく者がいたが、フェルゼンは焦りからその存在に気づかずいた。