奇術師、荒野で食料調達をする
ズーはエスが危険な相手であると本能で理解した。早急に始末するべきだと考え、岩場から離れたエスへと急降下する。その考え自体が、意図的に悪魔の気配を漂わせていたエスに誘導されたものだとわからずに。エスは焦ることなくズーの眼前に平然と佇んでいる。
「鳥君、私にだけ構っていていいのかね?」
エスの言葉と同時に、ズーは頭上から衝撃を受け地面に叩きつけられた。アリスリーエル達が隠れる岩の上からミサキがズーへと飛びかかり、殴り倒したのだった。エスの前に着地したミサキの手は白く輝いており、【剛毅】の力を纏っているのがわかる。
地面へと叩きつけられたズーだったが、すぐに起き上がるとエスとミサキを睨みつけ再び上空へと飛び上がった。
「しぶとい!」
「ミサキ、実は【剛毅】の力が使いこなせてないのではないか?」
「しょうがないじゃん!あたしのテンションに左右されるんだし」
エスが言うように、ミサキはまだ【剛毅】の力を使いこなせていなかった。それどころか本来の【剛毅】の権能、その欠片すらも発揮できていない。
「海龍の時は使えていたではないか」
「あの時は、気分がのっててって、来たっ!」
会話をするエスとミサキに、ズーが再び急降下する。だがしかし、ミサキに続いて飛び降りてきたターニャの持つ短剣がズーの片目を抉り、ズーの突進はエスたちまで届くことなく弧を描き上空へ昇っていった。
「エス、こんな時に話し込んでるなよ」
飛び去る寸前に、ズーの頭から飛び降りたターニャがエスに文句を言った。それを、笑ってエスは受け流す。
「フハハハハ、降りてきてるのが見えていたから任せていたのだ。ほら、お怒りのようだぞ」
エスが指さす先で、明らかに怒りに満ちた表情でこちらを見ながらゆっくりと高度を落としつつ羽ばたくズーの姿があった。片目からは血を流し、その視線はターニャを捉えていた。
「うわっ!こっち見てる」
「それはそうだろう。片目を潰されて怒らない方がどうかしている」
「ほらほら、逃げるよ二人とも」
真っ先に走り出したミサキに言われ、エスとターニャも走り出す。エスたちと、アリスリーエル達がいる岩場の間にズーがいる状況だが、エスたちは岩場から離れるように走り出した。
「どうすんだよ」
「ふむ、こう二手に分かれて岩場の方へ回り込むのはどうかな?ターニャ右へ私とミサキは左に」
「明らかにこっちに来るだろ!」
エスが出した案が自分を囮にすることだと気づいたターニャが怒鳴るが、エスは悪びれることなく笑っていた。
「フハハハハ、バレたか。まぁ、すぐに隙ができる」
「えっ!?」
ミサキが、意味が分からず声をあげた瞬間、岩場の方から突風が吹き荒れズーを襲った。突風は真空の刃も伴っており、ズーの体に無数の傷をつけていった。
「ああ、肉が傷む!」
「心配するのはそこなのか?よし、岩場に向かうぞ」
ミサキの言葉に呆れたエスだったが、先程の突風がアリスリーエルの魔法だと感じ取り、すぐに方向転換すると岩場へと走り出した。そのエスの後ろをミサキとターニャが走る。その背後で、翼を傷つけられうまく飛べなくなったズーは地面へと墜落した。
エスたちが岩場の側に辿り着き振り返るとズーが飛び上がらず地面に立ち、こちらを警戒していた。怒りに満ちた表情なのは変わらないが、先程の魔法で痛い目を見たためか、すぐに近寄ってこようとせずこちらの様子を窺っていた。
「追ってこないか、賢い鳥だな。まあ、主神権の簒奪を目論んだ鳥なだけはある」
「感心してる場合か!」
「そうだよ。アレを食らってもまだ平気そうだよ」
のんびりとズーを観察するエスだったが、実際には飛ぶこともままならない程の痛手を負っているが、それを感じさせないズーの様子にミサキとターニャは多少の焦りを感じていた。
「まあ、やせ我慢だろう。だが、巨体というのはなんとも厄介なものだ。食用にするという目的がなければ簡単なのだがな…」
エスはズーのしぶとさを面倒に感じ、食料にすることを止めようかと考え始めていた。
エスたちとズーが睨み合っている頃、岩場の隠れた場所でアリスリーエルとサリアが作戦を練っていた。
「あの魔法でも倒れませんか…」
「体が大きい分、しぶといわねぇ」
大きな魔法を放ったにもかかわらず、ズーの命を刈り取るまでには至らなかったことにアリスリーエルとサリアは驚いていた。
「私もあっちに加勢しに行くべきかしら?」
「待ってください」
槍を構えたまま走り出そうとしているサリアをアリスリーエルが止めた。
「サリアさん、投擲は得意ですか?」
「えっ?そうねぇ、槍なら何度も投げてるわよぉ」
「では、ここからコレを投げてもらっていいですか?」
そう言って杖を持ったまま両腕を頭上に掲げるアリスリーエル。その腕の先に周囲の空気が集まり渦巻き始める。それは徐々に一本の槍とも棒ともとれる形へと変わっていった。
「へぇ、風の槍ってところねぇ」
「はい、風槍と呼ばれる魔法です。術者以外でも投擲が可能ですし、何より風の力で飛距離と速度は想像以上に出ます」
「それは丁度いいわね」
アリスリーエルは頭上の風槍をサリアへと託す。すぐ近くの地面に手に持った槍を刺したサリアは風槍を受け取った。風槍はふわりとサリアの手に乗ると、手から僅かな距離を保ちながら浮いていた。
「触れてないのに持っているってのも変な感じねぇ」
自分の手に感じる慣れない奇妙な感じに笑みをこぼすサリアだったが、すぐに真剣な表情となり風槍を投擲する準備をする。
「合図はわたくしがします。サリアさんは、投擲に集中していてください。狙いは私が補助します」
「わかったわ」
サリアの準備が整った頃、エスたちの方でも動きがあった。
「ふむ、こう見つめ合ってるだけでは埒があかないな」
「って言ってもどうすんの」
エスの言葉にミサキが苛立った声で反論する。
「ふむ、ここはまず怒りを鎮めてもらうのはどうかな?」
「はぁ?」
言ってる意味がわからず声をあげたターニャだったが、次の瞬間エスに脇に抱えられた。
「ちょっと何する気っ!?」
ターニャが言い終わるのを待たず、エスはターニャを抱えたまま一直線にズーへと走り出す。その姿を見たズーは怒りと焦りの入り混じったような咆哮をあげた。
「さぁ鳥君、君の眼をやったやつをくれてやろう」
「なんだって!?」
エスの言葉に驚いたターニャだったが、そのままエスによってズーの前方上空へと放り投げられた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
叫び声をあげるターニャに対し、ズーは噛み砕くべく口を開き待ち構える。それを見て、エスは確信した。
「やはり飛ぶ力はなかったか。神話の通り天命の書板を持っていたのなら、また違った結果になっていたかもしれぬな」
僅かに憐れむような表情をしたエスだったが、両手を広げ宣言する。
「さぁ、フィナーレだ!」
エスたちの様子を注視していたアリスリーエルが声をあげる。
「サリアさん、ズーの口の中へ!今です」
アリスリーエルの言葉を聞き、サリアはズーの口目掛け風槍を全力で投擲する。投げられた風槍は空を切り裂き、圧倒的な速度でズーへと迫ると、口から後頭部へと貫いて消滅した。この一撃により、ズーは絶命し前のめりに倒れた。
放り投げられたままだったターニャは、突如落ちる向きが変わりエスの手元へと引き寄せられ受け止められる。ターニャの体には、投げ飛ばした瞬間からエスが【奇術師】の力で生み出した見えない糸がつけられていたのだった。
「なまじ知識がある分、視線誘導や囮などにひっかかるのだよ」
動かなくなったズーを見つめながらエスはそう呟く。そして、受け止めたターニャへと視線を移した。
「さて、囮役ご苦労だったなターニャ」
「エスぅ!ふざけんな!」
抱きかかえられたままエスに殴りかかるターニャだったが、エスは笑いながら首を動かすだけでそれを躱していた。
「ほら、遊んでないで肉をしまわないと」
「そうだな」
エスは未だ不満そうなターニャを降ろし、ドレルから預かった球体をポケットから取り出す。
「たしか『格納』だったか」
絶命し倒れたズーの体が、エスの持つ銀色の球体へと吸い込まれる。ズーが倒れていた場所には流れ出た血の跡だけが残っていた。
「ほう、流れ出た血は対象外なのだな。よし、戻るとしよう」
エスはそう言って岩場へと歩きだす。その背を恨めしそうに見つめながらターニャがついていき、それをやれやれといった表情で眺めるミサキが続いた。
戻ってきたエスたちをアリスリーエルとサリアが小さく手を振りながら出迎える。
「お疲れさま、ターニャ。いい囮だったわよぉ」
「姉さんまで…」
笑いながら妹を労うサリアに、ターニャは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「エス様、ミサキさんもお疲れさまでした」
「うむ、アリスも流石だな」
「いいえ、エス様がズーの隙をつくってくださったおかげです」
アリスリーエルが言うように、エスは高まっていた魔力を感じ取りアリスリーエルとサリアが動きやすいよう、ズーの敵意が集中していたターニャを利用し、注意を引くよう行動したのだった。
「ねえ、あのズーの頭貫いたのは何?」
エスがアリスリーエルを労っていると、ミサキが疑問を投げかける。
「あれは、風槍という魔法です。サリアさんに投げてもらいました」
「ちょっと待って!風槍って結構難しい魔法だよね!?」
「もっと上の魔法も使えますよ?」
「アリスの魔法の才は七聖教会最高司祭様のお墨付きだぞ」
「マジで!?」
アリスリーエルとエスの言葉にミサキは驚くことしかできなかった。そんなやり取りをしていると、すでに用意した馬車に乗ったグアルディアとドレルがやってきた。
「おお、うまくいったみてぇだな」
「皆様、お疲れさまでした。どうぞ中へ」
アリスリーエルたちが馬車へと乗り込むのを眺めつつ、エスはドレルに預かっていた銀色の球体を投げて返す。
「ほらっ」
「うぉ、あぶねぇな」
危なく落としそうになりながらも受け取り、鞄にしまいながらドレルは悪態をつく。だが、エスはそれを気にすることなく馬車へと乗り込んでいった。
全員が乗り込んだのを確認したグアルディアがドレルに促し馬車は走り出す。その日、再び荒野を走り出した馬車がモンスターに襲われることはなかった。道中、いくつかの村に立ち寄り村の負担にならない程度に食料を譲ってもらっていく。時には拒否されることもあったが、移動中に狩った獣との物々交換などしつつ順調に進んでいった。
初めに立ち寄った村からすでに十日が経ち、エスたちは現在、山脈近くを流れる川の側で食料を調達していた。川には魚がいなかったが、水場が近いため獣が多くそれを狙ったモンスターの姿も見受けられた。
エスは河原でのんびりと辺りを眺めていた。視線の先では、牙が四本もある猪のような獣を追いかけるターニャの姿が見える。飛び上がったターニャが、走って逃げる四つ牙の猪へと飛びかかると手に持った短剣で首を切り裂き仕留めていた。
「ターニャもずいぶんと狩りが上手くなったようだ。初めのころは手間取っていたのにな」
眺めていたエスは、そんな感想を口にした。それを一緒に眺めていたアリスリーエルが微笑みながら聞いていた。
「流石に慣れたのだと思いますよ。わたくしも料理ができるようになりましたし」
「そうだな。さて、アリスの言っていた洞窟はどの辺りなのだろうな」
「正確な場所まではわかりません。ですが、この辺りなのは確かなはずなんですが…」
エスとアリスリーエルは山脈の山肌を眺める。木が殆ど生えていないため、山脈を昇るためのものと思われる山道が見えていた。エスは自身の異常な視力を頼りに少し遠くの山肌を眺めてみる。すると、山道があるのはすぐ近い山肌部分だけであることに気づいた。
「ふむ、どうやらアリスの予想通りのようだな。山脈の他の場所には山道は見当たらない。つまり、あの山道沿いに件の洞窟がある確率が高いであろう」
「では、そちらに向かうとしましょう」
「その前に腹ごしらえだな。あと、山道沿いに獣もモンスターもいる様子がない。ここで、食料確保も十分にしていくとしよう」
「はいっ!」
アリスリーエルが予定を伝えるためグアルディアの元へ向かうのを見送り、再びエスは周囲を見渡す。仲間たちが獣を何匹か確保しこちらへ帰ってきている様子が見えた。
「あれだけあれば問題はなさそうだな。食料は良し、問題は洞窟内部か」
エスは山脈を眺め未だ見えない洞窟の姿を探しながら、そんな風に呟いていた。