奇術師、休憩する
倒れた海龍を警戒しながら仲間たちが、エスとミサキの元へと近づいてくる。それに気づき耳をピクッと動かしたミサキは、耳を伏せエスの背後に隠れた。そんなミサキをエスは、半ば呆れた表情で見ている。
「何をしているのだ?」
「だ、だって…」
「おまえの実力からして、そこまで怯える必要はなかろう?」
「そういう問題じゃ…」
エスとミサキがそんなやり取りをしていると、アリスリーエルにサリアとターニャ、リーナの四人がエスへと声をかける。
「これで、海龍様は大丈夫なのでしょうか?」
「それにしても、ミサキさんが混血だったなんてねぇ」
「まったく気が付かなかったな」
「ミサキ、アリスたちはその姿を気になんてしてないわよ」
恐る恐るエスの背後から顔を出したミサキはリーナの言葉に問い返す。
「本当?」
「はい、混血の方に対しても平等に接するというのが、わたくしたちの国の決まりですから」
「そうよねぇ、だいたい本人には変えようのない事実なのだし。他人がどうこう言うことじゃないわよねぇ」
答えたのはアリスリーエルとサリアだった。それを聞き、ミサキはエスの背後から出てくる。
「ミサキ、あなた【剛毅】の力を使ったのね」
「うん。海龍を救うにはそれくらいしか手がなかったから…」
エスたちの視線が倒れたままの海龍へと向けられる。そこには未だ気を失ったままの海龍が倒れていた。龍の表情がわかるわけではないが、先程までと違い穏やかな表情をしているように見えた。
「さて、目を覚ますまでは暇だな…」
エスがマキトたちの様子を見ようと視線を移すと丁度こちらに歩いてきてるところだった。
「勇者君たちも無事だったようだな」
「ああ、なんとかな。あとは、海龍が目を覚ましたら話を聞かないと」
「えっ!?あなた!」
ミサキの姿を見たアイリスが指をさし声をあげる。それに驚きミサキは再びエスの背後に隠れた。
「混血!なんで混血がぁぁぁぁ!痛い痛い!」
ミサキに詰め寄ろうとしたアイリスの顔をエスが掴み、体ごと持ち上げていた。所謂アイアンクロ―、正式名称でブレーンクロ―と呼ばれるものだ。エスのあまりの行動の早さに、誰も止めることができなかった。
「エルフっ娘、差別的な態度はよろしくないな。それに、これほどファンタジーといえる存在をないがしろにするのであれば、私が全力で相手をしてやろうではないか。この気持ち、勇者君ならわかってくれるのではないか?」
「あ、あぁ、わかる、わかるから!早く、アイリスを放してやってくれ!」
仕方がないとエスが手を放すと、アイリスは頭を押さえ床に尻もちをつく。
「な、何すんのよ!」
「おや?話を聞いていなかったようだな。ならばもう一回…」
「ヒッ!」
エスが再びアイリスの顏へと手を伸ばそうとすると、アイリスは素早くマキトの背後へと逃げた。
「揶揄うのはその辺にしてやってくれ…」
「フハハハハ、勇者君は私が本気でないことには気づいていたか」
「おまえがこんな意味のないこと、本気ではしないだろ…」
楽し気に笑うエスに、ため息交じりに答えたマキトだった。エスを警戒するアイリスを見ながらリーナは小さく呟く。
「エルフは未だ混血を忌避してるのね」
騒ぎで起きたのか、海龍が目を開ける。目だけで周囲を確認した海龍は頭を上げた。
『うぅ、朕は何故こんなところで寝ているのじゃ?』
海龍はゆっくりと体を起こし、自分を見ているエスたちを見下ろした。そして、再び周囲を見渡し、明らかに自分がやったであろう神殿内の損傷を見て、何があったのか理解する。
『どうやら、迷惑をかけたようじゃ』
「ああ、実に、そして大変迷惑だった」
「おいっ!エス!」
「エス様!」
驚き声を上げたのはターニャとアリスリーエルだった。他の仲間たちも慌てた表情をしている。そんな仲間たちを気にかけることなく、エスは続ける。
「港町ではフォルネウスが暴れ、周辺海域も荒れ、この島に至っては草一つ生えていない。それが迷惑でなくて何だと言うのだ?」
『そうか。それほどのに…。勇者に奇術師よ、多大な迷惑をかけてしまったようじゃ』
そして、海龍は床に散らばる砕けたティアラを見る。ミサキの力で【嫉妬】の力は消えているものの、未だ気味の悪い気配だけは残っていた。
『これは?』
「覚えていないのか?そのティアラの影響で暴れていたのだぞ?」
『まったく覚えておらぬ。覚えておるのは眠っていたところに何者かが侵入し、朕の頭に何かを乗せたということだけじゃ』
「何者か?このティアラは自分でつけたのではないのか?」
『うむ、状況からして侵入してきた者につけられたのであろうな。あまりの激痛に目を覚ましたのだが、それ以降のことは覚えておらぬ。朕が油断していたことは否定できないのじゃが…』
申し訳なさそうにする海龍を見て、マキトたちも海龍の巣に関するチサトからの依頼は完了したと判断した。
「黒幕はわからなかったけど、これで俺たちの目的は完了だな」
「そうですね。神都へ報告に戻らないとですが…」
「とりあえずエスたちと西の大陸まで行ってから考えよう。俺たちには足がないしな」
ここでエスたちと別れても、自分たちだけでは海を移動できない。そのため、マキトは奴隷国家ポラストスのある西の大陸まではエスたちに同行するつもりであった。フィリアもマキトと同じ気持ちなのか頷いていた。エスは海龍を見上げながら、やれやれと首を振る。
「さて、その姿、実にファンタジーでいいのだが…」
『なんじゃ?』
「いちいち見上げていないといけなくて話しづらい。人の姿になってくれないか?」
『う、うむ、そうじゃな…』
エスたちの目の前で、海龍の姿が白く光りみるみる小さくなっていき、人の姿をとる。海龍を包んでいた光が消えると、初めて見たときの姿である妖艶な女性の姿へと変わった。
「これでよいかの?」
「ふむ、これで首が疲れなくて済む」
首に手を当て頭を動かしてたエスは、海龍を見据え問いかける。
「まったく、今代の奇術師は遠慮がないのぉ」
「そんなことより、この島の周囲にモンスターが多すぎるのだが、どうにかできないか?私たちはこれからポラストスまで行かねばならんのだ」
「ポラストスじゃと?」
そこまで言って、海龍の視線はアリスリーエルへと向く。エスの眷属となったことで抑えられてはいるが、その体には『色欲』の悪魔にかけられた呪いが確認できる。
「なるほど、『色欲』に会いに行くのだな。それにしても…」
今度は、まるで遠くを見るように周囲を見渡す。今いる場所から海は見えないが、海龍には何かが見えているようだった。
「モンスターどもが。操られている間に、ずいぶんと朕の領域を荒らしてくれているようじゃな。どれ」
海龍は自分の前で手を叩く。まるで音が広がるように、何かが周囲へと放たれた。一瞬にして島の周囲から感じられたモンスターの気配が消えていく。ハルピュイアたちは、海龍が正気を取り戻した時には逃げ去ったようだ。
「これで西の大陸付近までは安全に行けるじゃろう」
「ほう、それはありがたい。シームルグのところからここまで、かなり邪魔されたからな」
船の性能に物を言わせこの島まで来たため、エスが言うような邪魔は受けていなかったのだが、誰もそのことには触れなかった。
「シームルグ、神鳥が近くまで来ておるのか?」
「ここに来る直前に会いました」
驚く海龍にアリスリーエルが頷き答える。
「ならば、島の再生は神鳥に手伝ってもらうとしようぞ。それで、おぬし達はすぐに出発するのかえ?」
「ああ、と言いたいところだが…、少し休んでからにするべきだろうな」
仲間たちが疲労困憊の様子を見て、エスはすぐに出発することを諦める。
「だいたいは海龍、おまえのせいなのだ。休むところくらい用意してもらわねばならないな」
エスは、そう言って海龍を睨む。ばつが悪そうに海龍はエスから視線を反らすと申し訳なさそうに告げる。
「仕方ないのぉ。ならば、奥にある部屋を使うがよい。なに、朕からの詫びじゃ。のんびりしてゆけ」
「ふむ、ありがたく使わせてもらおう」
「では、わたしくはグアルディアとドレルを呼びに行ってきますね」
「まって、アリス。私たちも行くわぁ」
神殿入口へと向かうアリスリーエルをサリアとターニャの姉妹が追い、三人で仲良く入口へと歩いていく。海龍が周囲のモンスターたちを追い払ったとはいえ、戦いの影響で神殿の一部が崩れるかもしれない。そう思いサリアとターニャはアリスリーエルの護衛として同行しようとしたのだった。建物が崩れた程度では、アリスリーエルだけでも問題ないのだが、エスは姉妹を止める気もなかった。三人の背を見送ったエスは、マキトたちへと話しかける。
「勇者君、君らの依頼はこれで完了なのだろう?」
「ああ、海龍も正気に戻ったみたいだし、この海域も安定するだろう」
「それでこれからどうするのだ?」
「さっき、アイリスとも話したんだが、西の大陸まではおまえたちに同行するつもりだ。実際、足もないしな…」
「まあ、そうか。こんな海の真ん中に置いていくのも、流石に気が引けるな」
「って、まさか、置いてくつもりだったのかよ!」
「フハハハハ、勇者君たちなら帰ることができるかと思っていたよ」
「んなわけあるか!」
エスがマキトを揶揄い遊んでいると、アリスリーエルたちがグアルディアとドレルを連れ戻ってきた。
「無事、済んだようだな」
「エス様、お疲れさまでした。詳細はアリスリーエル様に聞きました」
ドレルとグアルディアがそれぞれエスに声をかける。グアルディアは、入口からエスたちの元まで歩いてくる間に、何があったのかをアリスリーエルから説明を受けていた。ドレルもそれを聞いていて状況は把握している。アリスリーエルたちが戻ってきたのを見た海龍が口を開いた。
「これで全員揃ったようじゃの。部屋はこっちじゃ」
海龍の案内で、エスたちは奥の部屋へと移動する。その部屋の入口は、始めに海龍が座っていた椅子のある場所のすぐ横にあった。中に入ると全員が座ってもまだ余るほどの数の椅子とシンプルな石造りの長テーブルがあるだけで、装飾も何もない部屋だった。テーブルにはクロスがかけられ椅子の座席部分には布がひかれていた。部屋は神殿内と同様に淡く光る球体が浮かび、部屋の中を明るく照らしていた。
「ふむ、これでは殺風景じゃな…」
海龍が腕を振ると、壁がまるで水槽のように変化し色とりどりの魚が泳いでいる姿が見えた。エスたちは、興味深げに変化した壁へと近づく。
「これは、水?」
「何これ、壁じゃない!」
驚いたミサキが声をあげ、水槽のようになった壁に触れたリーナがさらに大きな声をあげる。触ったリーナの手は水に濡れていた。
「クククッ、驚いたかえ?壁の部分だけ海中と繋げたのじゃ」
自慢げに話す海龍の言葉を聞きながら、エスも近場の壁へと触れてみる。その手は抵抗もなく水の中へと入っていった。
「ほほう、なんとも不思議なものだ。イイ!実にファンタジーだ!」
目の前の幻想的な光景に大喜びのエスは、そのまま近くへと泳いできた魚を捕まえようと手を動かしたが逃げられてしまった。
「流石に体全部をこの中には入れたくないな。魚君、今日のところは見逃してあげよう」
エスはそう言って、水の中から手を引き抜く。濡れた手をポケットから取り出した布で拭きながら、エスは海龍へと尋ねた。
「ところで、食事は出ないのかね?」
「食事?そこの者たちはまだわかるが、悪魔であるおぬしには食事など必要なかろう?」
悪魔であるエス、リーナとミサキに関しては実際には食事は必要なく、かわりに人の感情を糧にしていることを海龍は知っていた。しかし、そんな悪魔であるエスから食事の要求とあって、海龍も驚いていた。
「何を言う!食も人生の楽しみの一つではないか!ま、悪魔生ではあるがな、フハハハハ」
ただ、楽しむために食事をすると言い放つエスの言葉に、海龍は呆れた表情をした。
「本当に、今代の奇術師は変わったやつじゃの。まあよいわ、『暴食』のは別として舞踏家、おぬしも食べるのか?」
ミサキについては、『暴食』の名の通り食事をするのだろうと海龍は判断したが、リーナに関してはどうするのかわからず問いかけた。
「ええ、お願いするわ」
「ふむ、よかろう」
海龍が二度手を叩く。すると、何もなかったテーブルの上にたくさんの料理が現れたのだった。素材としては海の幸がメインであり、様々な種類の料理が並べられている。エスは、料理に顔を近づけると匂いを嗅ぐ。
「これは食べられるのか?」
「当然じゃ!周囲に魚がおれば、おかわりも用意きる。存分に楽しむがよい!」
「フハハハハ、便利なものだ」
エスたちは、各々好きな席に座ると海龍の用意した食事を楽しむことにした。