奇術師、海龍の住まう神殿へと入る
遠方に山のように見えていたものは、まるで海底火山の頂上が海面から顔を出しているような姿の島だった。その黒い岩肌からは溶岩が吹き出している。島の上空では、複数の何かが旋回するように飛んでいた。
エスたちを乗せた船はもう間もなく、その島に着こうとしていた。
「あそこか?」
「ああ、海龍の巣のはずだ。聞いてたのとはだいぶ様子が違うが…」
エスの質問に答えたマキトだったが、自分の教えられていた緑豊かな島という姿と程遠い海龍の巣の様子に戸惑っていた。しかし、聞いていた姿と同じ、所謂パルテノン神殿のような造りをした建物も見えていたため、このような答え方になっていた。その神殿は島を山としてみた山頂付近、半ばまで埋まるような形で建っていた。
「あの上の方にある神殿に海龍がいるはずだ」
「龍なのに神殿に住むのだな。狭くないのか?」
「力のある龍は人化ができるのよ」
エスの疑問に答えたのは、マキトではなくアイリスだった。
「人化、人の姿になれるということか?」
「ええ、そうよ」
「ほう、面白いものだ」
人になれるということは言葉も通じるのであろうと、エスは予想する。実際、シームルグも鳥の姿でありながら言葉が通じたことを考えれば、可能性はあると感じられる。
「人化ができる龍は数種しか確認されてないけどな…」
「それほど多くないというわけか。そういえば、勇者君たちが倒したという水晶窟のドラゴンは人化できなかったのか?」
「ああ、あの時のは龍というよりはモンスター寄りだったな。会話もできなくて、その力自体かなり下の方だった」
「意思疎通ができる龍は、それこそ数体しかいないわ」
なんとなくではあるが、この世界におけるドラゴン、龍は個々の力の差が大きく違うということを理解したエスだった。
「なるほどなるほど、海龍は水晶窟で出合ったのとは格が違うというわけだな」
「そうだ」
「どちらかというと、天龍に近い存在ね」
マキトとアイリスの言葉を聞き、エスは軽くため息をつく。
「また、面倒なことを言いださなければよいな…」
嫌な予感を覚えつつエスが神殿の方を眺めていると、何かが四匹エスたちの乗る船目掛けて飛んでくることに気がつく。それは、島の上空を旋回していたものだった。その姿は、顔から胸までが人間の女性の姿をし鳥の翼と下半身を持つモンスターだった。醜く歪んだ顔が何かを叫んでいるようにも見える。近づくそれを見たアリスリーエルは、エスの隣へと走ってきた。
「エス様、ハルピュイアです!」
「げっ!きったないやつだ。あたし、船の中入ってていい?」
アリスリーエルの言葉とほぼ同時に、ミサキが嫌そうな声をあげる。
「ハルピュイア?ああ、ハーピーか。ミサキ、あいつらは伝承通りに…」
「うん、排泄物を巻き散らすよ」
「しかも、確か食欲旺盛、だったな。そうか、果実の匂いに釣られたのか」
エスは甲板に置かれたテーブルへと視線を移す。テーブルの上にはまだ残っているカットされた果実たちが並んでいた。それをグアルディアが急いで片付けている。こちらへと飛んできている数は四匹、それを見てエスは納得したように頷く。
「なるほど、四姉妹で再現したか」
「どういうことです?」
エスの呟きを聞いたアリスリーエルが首を傾げた。ハルピュイアたちに接触するまでまだ少し時間があるため、エスは説明を始める。
「ふむ、前世の世界ではな、二姉妹、三姉妹、四姉妹と話によってまちまちだったのだ。まあ、その辺はどうでもいいのだが、問題なのは神話の元とされるものを再現していないかということだな」
ハルピュイアの元は旋風や竜巻を司る女神だったといわれている。つまりはそういったものを神格化したものだったということだ。もし、その力を再現しているのではれば船、しかも海上ではやっかいな存在と成り得る。
少しして、四匹のハルピュイアはエスたちが乗る船の正面で動きを止めた。
「チッ、完全にこっちを狙ってやがる」
舌打ちをしたドレルの横に立ったエスはその肩を叩き、前方に見える島を指差した。
「わざわざ相手をしてやる必要はないだろう?ドレル、このまま突っ切るぞ」
「ガッハッハッ、そうだな。いくらハルピュイアどもでも、この船の全速力にはついてこれん」
ドレルは操作盤を使い、ハルピュイアに備え停止しようとしていた船を再度全速力で走らせる。ほんの少し速度が落ちたところで、待ち構えるように止まったハルピュイアの下を再加速した船が一瞬で通過した。不意を突かれ、ハルピュイアたちはその動きにまったく反応できなかった。
「あばよ!鳥ども」
「フハハハハ、今は先を急いでいるのでな。いずれまた会おうではないか」
ドレルとエスはハルピュイアたちに向けそんな言葉を口にした。言葉の意味を理解したのか、ハルピュイアたちは素早く振り向くと怒りの形相で船を追い始める。だが、その差は開く一方で追いつくことはできなかった。
ハルピュイアたちを振り切った船はもう間もなく島へと到着する距離まで来ていた。島にハルピュイアがいたためか、島の周囲の海には魚やモンスターなどの姿は一切見当たらない。島の上も同様に生物の姿は見えなかった。こちらは、溶岩が流れるような環境なので、それが原因でいなくなったとも思われる。周辺の様子を観察していると、船は上陸できそうな場所へと着岸した。
「では、海龍に会いに行こうか」
「はい。少し怖いですが楽しみです」
「フハハハハ、アリスもそう思うか。私も実に楽しみだ。相手は待ちに待ったドラゴンなのだからな」
エスとアリスリーエルはそんな会話をしながら、島へ降りるために現れた階段を下りて行った。
「まったく、エスのせいでアリスに悪影響出てるんじゃない?」
「まぁ、私も楽しみだけどねぇ」
「姉さんも、見たこと聞いたことないもの見たりするの好きだね。こっちは不安しかないのに」
「あら?冒険者なんて皆そんなものよぉ」
リーナにサリア、ターニャもそんな話をしながらエスたちを追いかける。その後ろを辺りを見渡しため息をつきながら、ミサキが船を下りていた。
「はぁ、食べる物なさそ…」
周囲は黒い岩肌だけで植物はおろか、モンスター一匹いない。その様子にミサキはため息をつく。
「環境変化でやられたか、ハルピュイアに喰いつくされたんだろ?同類じゃないか」
「なんだとぉ!あたしはあんな汚くないぞ!」
後ろからかけられたマキトの呆れた声にミサキは憤慨する。やれやれといった様子でマキトの後ろをアイリスとフィリアが顔を見合わせ苦笑いを浮かべながら下りてきていた。さらにその後ろをドレルとグアルディアが下りてくる。
「全員降りたな」
全員が船を降りたことを確認したドレルは、腰の鞄から金属の球体を取り出すと船へと向けた。
「『格納』」
前に見た馬車のように、目の前にあった船がみるみるとドレルの手に持った球体へと吸い込まれていく。すべてが球体に取り込まれたことを確認したドレルは、それを鞄へとしまった。
「さあ、ハルピュイアどもが戻ってくる前にさっさと神殿まで行くとしよう」
エスの言葉に皆がそれぞれ返事をする。エスたちは島上部に見える神殿へと歩き始めた。
まるで誰から来ることを想定しているかのように整備され階段となっている道を歩き、エスたちは神殿の前へと到着した。背後には島へと戻ってきたハルピュイアの姿が見えるが、近づいてくる気配はなく島を旋回していた。
「なんだ、あいつらはここが怖いのか?」
「近づいてこないわねぇ」
ターニャとサリアの会話を聞いたマキトも不思議そうな表情をしていた。
「怖い?海龍は穏やかな性格だと聞いていたが…」
「異変の原因は海龍自身ということ?」
ハルピュイアの様子から、マキトとアイリスが海龍の巣の異変について考えていた。そんな中、ドレルがエスへと近づいてくる。
「おい、エス。儂はここで待ってるからよ。気をつけて行ってこい」
「なんだ、ドレルは海龍に興味はないのか?」
「儂の興味は、魔工技術だけだ」
「エス様、私もドレルと共に残りますのでご安心を」
入口に残るというドレルにグアルディアも付き合うようだった。
「ふむ、グアルディアがいるのであれば大丈夫だな」
「どういう意味だ!」
「では、行こうか」
エスに無視され、肩を落とすドレルだった。エスたちはドレルとグアルディアを残し、神殿内部へと入っていく。
神殿内部は左右を岩壁に囲まれ奥にいくほど外からの光は遮られていた。しかし、内部に浮遊している球体が光を放っており、神殿内部は予想以上に明るかった。床は大理石のように磨かれ、柱は装飾もなくシンプルな造りをしている。まっすぐと奥に進んでいくと、一際広い空間へと辿り着いた。その奥、少し高くなった場所にある椅子に気怠そうに座る女性の姿を見つける。薄手の布で出来た服は体のラインを強調しており、そのスタイルと相まって妖艶な雰囲気を醸し出していた。服から除く腕や脚には、群青色の鱗がところどころについている。そして、長く真っ青な髪にはティアラのような飾りをつけていた。
「誰じゃ?この神殿に許可なく入ってきた愚か者は…」
そう言いながら気怠そうに座っていた女性は体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。その姿からは想像できない程の圧力をエスたちは感じていた。エスたちはその圧力に覚えがあった。
「なるほど、シームルグの同類か。だが、なんだこれは…」
「まるで、何か混ざっているような感じがします」
エスと同じ違和感に気づいたアリスリーエルが呟く。目の前の女性から感じる神聖な気配、そこに交じり込んだ奇妙な気配を感じていた。
「げっ!レヴィの。エス、あいつ【嫉妬】の力の影響を受けてる!」
「なんだと!?」
ミサキがエスに忠告するが、それに驚いたのはマキトだった。
「忌まわしい人間どもに悪魔か。汚らわしい者共が、この海を守護する神聖なるこの神殿を自分勝手に歩き回りおって!」
次の瞬間、その女性からの圧力が極端に強くなる。立っていられなくなったアリスリーエルとターニャ、アイリスとフィリアが膝をつく。サリアは辛うじて槍を支えに立っていた。
「おのれ、朕の威圧に耐えるか悪魔ども。それに貴様は勇者と言われ担ぎ上げられているだけの若造か。あの小娘め、今度は朕が邪魔になったか。小娘のくせに神に近しい力を持つからと好き勝手にしおって!ああ、妬ましい。朕もここから自由に出たいというのに!」
女性から放たれる威圧の中に、怒りにも妬みにもとれる感情が混じり始める。不快な圧力にエスは顔を顰めていた。女性は一歩、また一歩と目の前の階段を下り始める。
「悪魔どもも、朕の海域で好き勝手にモンスターどもを利用して、朕に対しては何一つ断りもせずに!ああ、許せぬ。まずは貴様らをっ!あああああああぁぁぁぁぁぁぁ」
女性が階段を下り切った瞬間、澄んだパチンという音と共にその姿と声が床に吸い込まれるように消えた。そこには、2メートル四方の穴が開いていた。
「えっ!?」
「はっ!?」
間の抜けた声をあげたのはリーナとマキトだった。二人は視線をエスへと移すと、腕を上げ指を鳴らしたポーズのまま立っていた。エスは仲間たちをそのままに、ゆっくりと女性が落ちた穴の傍へと歩いていくと、覗き込み一言穴の底へと告げる。
「話が長い!」
圧力から解放され、慌てた仲間たちとマキトたちがエスの元へと走ってくると、マキトがエスに掴みかかる。
「おぉい!エス!おまえ、海龍になんてこと!」
「フハハハハ、済まない。下らん恨み言を聞きに来たわけではないのでな。ちょっとイラっとしたから、つい」
「つい、じゃねぇ!」
「ねぇ、エスさん。彼女は?」
エスとマキトが喧嘩をしているところに、底の見えない穴を覗き込みながらサリアが問いかける。
「落ちただけだ。あれだけの力を持つ者が穴に落ちた程度で死ぬことはあるまい」
先程まで自分たちに向けられた圧力から、あの女性が海龍であると全員が確信していた。故に、エスは普通の人間相手なら躊躇われるような深さの穴を落とし穴として使ったのだった。
圧力が消え安心していたエスたちに、今度は背筋が凍るような殺気が穴の底から放たれる。
「離れろ!」
マキトの声を合図に、全員が穴から後ろへと飛び去る。アリスリーエルはエスに抱えられ、穴から離れた。
『よくも、朕をコケにしてくれたな。貴様ら全員、喰らい尽くしてくれる!』
穴から這い出てきたのは、まさに龍。群青色の鱗を持ち、ヒレのようなものが顔の横にあり、二本の長い髭に口からは鋭い牙が見えていた。頭には人間の姿をしていた時同様に、ティアラのようなものが付いている。長い体をくねらせながら、海龍は穴から這い出した。その声は、シームルグ同様に念話でこちらへと話しかけているようだった。
「フハハハハ、まさしくドラゴン。いや、龍だな。実にファンタジー、見られただけで非常に満足だ!」
『貴様、奇術師か!あの小娘の手先が勇者の小僧と一緒にいるとはな。丁度いい、ここで二人とも始末してくれる』
咆哮をあげる海龍を見て、マキトは咄嗟に剣を構える。マキトの仲間たちも武器を構え、それに釣られるかのようにアリスリーエルやサリアとターニャも武器を手に構えていた。だが、エスはただ一人、首を捻っていた。
「どういうことだ?私が誰の手先だと?」
『死ねぇ!』
エスの言葉を無視し、海龍の口から凄まじい力が放たれる。まるでレーザーのように向かってくるそれを、マキトが壁になるように剣で受け止めていた。
「クッソ!やっぱり水晶窟のやつなんて目じゃないぞ!」
海龍が放ったものは、龍の咆哮。その威力はこの世界における魔法の最高峰、禁術と呼ばれるものすら上回る。つまり、龍の咆哮とは世界最大の火力を持つ攻撃だった。それを受け止めているマキトの剣は、彼自身の様々な力で強化されてはいたが、あまりの威力にヒビが入り始めていた。エスは死角から素早く海龍の顎下へと潜り込むと、そのまま蹴り上げる。海龍の口が閉じられ、マキトが防いでいた龍の咆哮が止まった。
「まったく、やかましい。私も聞きたいことがあるのだから、まずは話し合わないか?」
『貴様らと話すことなどない。さっさと出ていけ!もしくは死ね!』
再び、口を開き目の前のエスへと龍の咆哮を放とうとする海龍だったが、今度は上から口を殴られ床へと顔をめり込ませる。エスは殴った反動を利用し、仲間たちの元へと飛ぶとふわりと着地する。
「やれやれ、聞く耳持たずか。どうやら話し合いは無理そうだな」
「はぁ、はぁ、どういうことだ?海龍は思慮深い性格だったはず、なんでこんなに…」
「だ・か・ら!【嫉妬】の力の影響を受けてるって言っただろ!」
肩で息をしながら呟くマキトにミサキが怒鳴る。その間も、海龍は床から頭を上げ首を振り頭に付いた瓦礫を払っていた。そんな海龍の姿を見ながら、エスはあることに気がつく。
「なるほど、まずはミサキの言う【嫉妬】の力を何とかする必要があるか。ところで、勇者君?」
「な、なんだよ…」
「龍が人化する場合、服はどうなる?」
「服も一緒に生成される」
「ならば、龍に戻った場合は、服は破れてその場に残るのかね?」
「いや、服自体も龍の魔力だか、ら…」
消えて再び龍自身の魔力に変換されると言おうとしたところで、マキトもエスが何を言いたいのか理解した。海龍の額にあるティアラのような髪飾り、龍に戻っても消えないそれが、何かしらの影響を及ぼしている可能性が予想できた。
「そうか、アレが原因か…」
「勇者君、一人でいけるかな?」
「もちろんだ!と、言いたいが…。すまん、手伝ってくれ」
「フハハハハ、いつになく素直じゃないか。イイだろう、私もやつに聞きたいことが山ほどある。さっさと済ますとしよう!」
気になることばかり口走った海龍に問い詰めたいことが沢山あるエスは、マキトの申し出を快く引き受ける。エスとマキトが海龍に向かい走り始めた。他の者たちは静かに顔を合わせ頷くと、エスとマキトの援護をするため動き出した。