奇術師、住処に上陸する
エスたちがシームルグに招かれ住処へと向かっている頃、七聖教皇国の神都ではチサトがアエナを呼び寄せていた。場所は神都の大聖堂、日中であれば神都の住人が絶え間なく訪れる場所ではあるが、現在は夜中でありチサトとアエナ、二人の姿しかない。チサトの前に跪くアエナの姿を月明りがステンドグラスを通じ照らしていた。
「『怠惰』の大まかな居場所がわかりましたよ。アエナ」
「ようやく、ですね」
チサトが『怠惰』の悪魔を狙う本当の理由をアエナだけは知っている。他の聖騎士たちは悪魔から人々を守るためという大義名分だけを知らされているが、アエナだけはチサトの側近として本来の目的を知らされていた。
「ええ。ただ、正確な居場所を探らなければなりません。ですので、少し揺さぶりをかけてみようと思うのです」
アエナは、ただ静かにチサトの言葉を聞いていた。チサトの力は『今は』万能ではない。起きた事象のみを知る、それは嘘ではないが正確には世界の誰かが認識したことのみ知ることができる力だ。今回、エスが幽霊船で発見した短剣から『怠惰』の魔力を感じ取ったため、チサトにも『怠惰』の存在を認識できたのだった。その後の展開も、エスたちの監視を続けていたチサトは全て知っていたが、そちらにはあまり興味を持っていなかった。
「マキナマガファス魔工国に、書簡を出しておきましょう。悪魔との繋がりが疑われるため調査したいとの旨を伝え、反応を見ようと思います。『怠惰』の性格上、確証を得ることはできないでしょうけど、何かしらわかるかもしれません。アエナは、備えとして聖騎士上位陣を招集しておいてください。」
「わかりました。戦闘準備はいかがしますか?」
「そうですね…」
チサトは少し考えた後独り頷くと、アエナへと答える。
「できる限り迅速に済ませたいので、準備だけはしておいてください。今なら邪魔も入らないと思いますから」
そう言いながらチサトは西方面、エスたちがいるであろう方向へと視線を向けた。アエナもその視線から、邪魔をする可能性のある人物たちを想像していた。
「では、そのように致します。それで、勇者たちはどうしますか?」
「そうですね…」
邪魔をする可能性のある人物たちの中に、マキトたちの存在も含まれると考えたアエナがその対応について指示を待つ。
「一応、神都へと帰還させ監視しましょう。真実を知って要らない行動をとられても困りますから。それにエスさんに唆されても困りますからね。海龍の巣の調査が終わったら戻るように手配しておいてください」
「了解しました」
これ以上質問することはないと、立ち上がったアエナはチサトに一礼し大聖堂から出ていった。それに手を振りながら見送ったチサトは、誰もいなくなった大聖堂で一人呟いた。
「まさか、あのドワーフが手掛かりを引き寄せてくれるとは思いませんでした。こんなことなら、さっさとあの森からおびき出しておけばよかったですね。まあ、済んだことは仕方ありません。とりあえず、エスさんたちの足止めが確実になるよう手を打っておきましょうか」
大聖堂からチサトの姿は掻き消え、自室へと転移していった。
翌朝、エスは独り甲板に立ち船の進行方向、その先を見ていた。視線の先には、海から生える巨大な樹が見えていた。葉はなく、ひっくり返した切り株のような姿をしたそれは、島と言っても過言ではないほど巨大だった。その島のような樹の上には、別の植物たちが表面を覆うように茂っている。
「実にファンタジーな光景だ…」
そんな感想を独り漏らし、うんうんと頷くエスだった。少しして、仲間たちが起き甲板へと姿を現す。遠方を眺めるエスにアリスリーエルが声をかけた。
「おはようございます。エス様、あれが?」
「おはよう、あれがシームルグの住処のようだな。気配もするから間違いないだろう」
目の前の巨大な樹の中央と思われる付近から、シームルグの巨大な気配がしていた。まるで隠す気がないその気配から、自分たちを待ち構えているようにも感じた。
「まあ、まだ距離はある。着くまでは暇だがのんびり過ごすとしよう」
到着するまでエスたちには何一つできることはない。故にのんびり過ごそうと、エスは甲板に用意したベンチへと横になり空を眺めた。広がる青空を海鳥らしき影が横切っていた。そんなエスの傍にアリスリーエルが腰を下ろし同じように空を見上げている。
「エス様、シームルグは何を知っているのでしょう?」
アリスリーエルは、昨晩から感じていた疑問をエスに聞いてみる。答えが返ってくることを期待していたわけではないが、なんとなく聞いてみたのだった。
「行ってみなければわからんな…」
「そう、ですよね…」
「ふむ、不安か?大丈夫だ、敵対することはあるまい。敵対するような相手であれば、昨夜船を沈められていただろうしな」
アリスリーエルの不安が、シームルグに対するものだと思ったエスはそう答えた。あのカリュブディスのような化け物を一方的に屠るシームルグに警戒心を持たない方が、危険だと考えていたからだ。エスが予想した通り、アリスリーエルはシームルグの強大な力を目の当たりにし、招待に応じることに不安を覚えていたのだった。
そんな二人の元に、サリアとターニャの姉妹にリーナとミサキの悪魔娘たちが近づいてくる。
「優雅だな…」
「まだ着いてないわねぇ」
「そのベンチどっから持ってきたんだよ!」
ミサキ、サリア、ターニャの順にベンチで横になるエスへと声をかけていく。ただ一人、リーナが難しい顔をして何かを考えていた。
「リーナもシームルグに会うのは不安なのか?」
「違うわ。どうにもあのシームルグってやつ、どっかで見たような気がするのよ。それより、誰か不安に思ってるの?」
「アリスリーエルがな」
リーナはアリスリーエルの顔を見る。その表情はいつも通りに見えるものの、僅かに強張っているように見えた。
「大丈夫よ。あんなデカい鳥が私たち全員を食べるより、海にいる巨大なモンスター捕まえた方がよっぽどお腹が膨れるでしょう。無駄に殺しをするのは人だけよ」
「そうですね。ここまで来たのですし…」
エスは上体を起こし、アリスリーエルの頭に手を置く。
「どんな状況だろうと楽しめ!例え絶望的な状況であっても、楽しめる者が最も得をするものだ」
「…はい」
僅かな不安はあるもののアリスリーエルの強張っていた表情が和らいだのを見て、エスとリーナは笑みを浮かべた。
しばらく時間が経ち、船のすぐ上にシームルグの住処である巨大樹の枝が見えていた。近づいたことで、住処の異常な大きさがよくわかる。
「まさに島だな。実際は樹だが…」
「どこか降りられる場所はありませんか?」
呟くエスの隣でグアルディアが上陸場所を探していた。そんな風に辺りを見渡していると、甲板にドレルの声が響く。
「今、泊めるからおとなしく待ってろよ!」
どうやら停泊場所が見つかったようで、しばらく待っていると他の場所より僅かに低い枝の間に停泊した。だが、甲板から枝の上までそれなりの高さがあった。エスであれば飛び移れるであろう高さだが、他の者たちには無理だ。エスの力を使えば転移も可能だと思われるが、枝の上部の様子がわからないため転移の際に何が起こるかわからない。エスがそんなことを考えていると、甲板から透明の板が複数現れ階段状になり枝の上部へと伸びていった。
「ほれ、上陸できるぞ。陸じゃねぇけどな。ガッハッハッ!」
甲板へと降りてきたドレルが、上陸できる旨を告げ笑う。
「上にも伸ばせるのか。実に便利な機構だな」
「だろう?魔法ってのはほんと便利だよな。こういった汎用性の高さは機械にゃ難しい」
エスとドレルが枝へと伸びた足場を眺めながら頷いている。
「とりあえず行ってみよう」
「行きましょう、エス様」
ターニャとアリスリーエルが、足場の元でエスを呼ぶ。
「儂は船を見てるからお前らで行ってこい。カリュブディスのせいでどっかやられてねぇか見ときたいしな」
「ふむ、確かに動けなくなっても困るしな」
ドレルの理由に納得したエスは、島へと伸びる階段へと足をかける。その背後からマキトが声をかけてきた。
「エス、俺たちも船に残ってるから、おまえたちだけで行ってきてくれ」
マキトたちが残る理由が思い当たらず、エスは首を傾げる。その姿に理解できないという意思を感じ取ったマキトが理由を口にした。
「いや、アイリスのやつがシームルグに会いたくないらしくてな…」
マキトが背後に立つアイリスへと視線を移す。それに合わせエスも視線を移すと、アイリスはやや暗い表情で俯いていた。
「その理由次第で私たちも対応を考えないといけない。何故なのか教えてくれないか?」
少し考えたエスはアイリスに対し理由を聞こうとした。その内容次第では、シームルグに対する対応を考えなければならない。場合によっては自分一人で行くことも考えていた。そんなエスの言葉に、アイリスは頷き答える。
「わかったわ。シームルグを見た時から、何か見覚えがあるのような気がして一晩考えてたの。それで思い出した。あれは…」
そこで、アイリスは一度言葉を止める。そして、深呼吸するかのように息を吸い続きを話し始めた。
「神鳥。天龍と同じくこの世界を見守る存在の一柱なのよ。その役目がなんなのかわからないから、私は会えない。もし、天龍と敵対してる存在だったらマキト様を危険にさらしてしまう」
「ふむ、なるほど…」
天龍の話を聞いていたエスとしては、アイリスの言い分は納得できる内容であった。アイリスの住んでいた国は天龍の庇護を受けている。シームルグ、神鳥が天龍に敵対する存在であればアイリスのことを知った場合、危害を加える可能性は十分に考えられた。もしそうなった場合、マキトを含め皆が危険にさらされることとなる。それを避けたいのだというアイリスを、無理やり連れていくことはできなかった。
「わかった。では、勇者君たちも船を守っていてくれたまえ。この辺にモンスターはいなそうだが、ドレルが船の点検に集中できるようにな」
「ああ、わかった」
マキトの返事にエスは笑みを浮かべ頷いた。船にマキトたちが残るのに、ドレル一人だけでは何かと問題があると感じ、近くに立っていたグアルディアに声をかける。
「グアルディアも残っていた方が良いのではないか?」
「…そうですね。では、エス様。アリスリーエル様をよろしくお願い致します」
「ああ」
エスの思惑を理解したグアルディアは一礼すると、ドレルと共に船内へと歩いて行った。マキトたちは甲板で過ごすようだ。
「さて、では改めて行こうか」
エスの言葉にアリスリーエル、サリアとターニャの姉妹、そしてリーナとミサキの悪魔娘たちが頷き、エスを先頭として枝へと伸びる階段を登り始めた。
階段を上がりきると、樹の上とは思えない見渡す限りの草原が広がっていた。周囲には木々が生い茂り、森のようになっている場所も遠目に見えている。足元には見たことのない花が咲いていた。鳥や虫の声も聞こえているが、大型の動物やモンスターの気配は一切しなかった。
「ここ、ほんとに樹の上なの?」
そんな呟きを漏らし、リーナが辺りを見渡していた。皆同じ気持ちだったようで、同様に辺りを見渡している。エスはゆっくりと辺りを見渡しながら、シームルグの気配を手掛かりに居場所を探っていた。しばらくして、シームルグの居場所と思しき魔力というより神聖な力のようなものが集まる場所を発見した。それは、七聖教皇国ですら感じたことのないほどの神聖なものだった。
「どうやら、あちらにいるようだな。ご親切に気配を消していないのだが、気配が強すぎていまいち大雑把な方向はわかるが場所が特定できないな…」
「では…」
「とりあえず、行ってみるとしよう。どちらにせよ、無視したところで奴ならば船を追ってくることは容易だろうしな」
逃げることはできない、エスの言葉から仲間たちはそう理解した。ただ、エスとしては逃げたところでシームルグは何もしてこないという確信はあった。シームルグからは敵意と思われるものが一切感じられない。そのことからも、招待に応じるか応じないかはこちら次第なのだろうと思っていた。
「せっかくだ。島をゆっくり見物しながらシームルグの元へ向かうとしよう」
「賛成!こんなとこ初めてきたし!」
「ほんと、長く生きてるけど、こんなところ初めてだわ」
エスの言葉に真っ先に同意したのはミサキだった。ミサキ自身も悪魔となり長く生き、あちらこちらを主に美食目的で旅をしていたが、シームルグの住処のような場所は見たことがなかった。リーナもミサキと同じく、見たことのない風景に心を躍らせていた。
「そうですね。せっかくですし、見て行きましょう。書物でもこんな場所は見たことがありません」
「そうねぇ」
「あっちの方に何かあるぞ」
ターニャが遠くを指差し走り始める。それを歩きながらアリスリーエルとサリアが追いかけていった。
「やれやれ、元気なお嬢さんたちだ」
「私たちも行きましょ」
リーナに頷いて返し、エスたちはターニャを追った。神聖な力に満ちている割には悪魔であるリーナとミサキに不調は見られず、エスは疑問に感じていた。自分自身も同様の立場ではあるが、妙な感覚を感じていた。
「なんだろうな。これは…」
答えなど見つかるわけもなく、エスはとりあえず景色を楽しもうとターニャたちの方へ視線を向けた。
しばらく歩いていくとターニャたちが何かを覗き込むようにしている。何があるのかと興味を惹かれたエスが、後ろからターニャたちの見ているものを覗く。そこには窪地があり、地面が見えないほど所狭しと生える水晶があった。その水晶は、以前見たことのあるものと酷似していた。
「ほう、魔結晶か…」
エスの隣へと歩いてきたリーナとミサキも同じように覗き込み、その光景に息を呑む。
「以前見た場所以上だな…」
「これ、ただの魔結晶じゃない…。純度だけじゃなくて帯びてる力も…」
一番初めに発見したターニャが、目の前のものがただの魔結晶でないと告げる。
「これは、神気です。魔力とは比べ物にならない程の力があります…」
魔結晶に宿るものがなんなのか、震える声で説明したのはアリスリーエルだった。アリスリーエルには、それが自分の知る魔力を圧倒的に凌駕する力だと理解していた。サリアとターニャ、リーナの三人はいまいちその力を感じとることができなかったが、エスとミサキには異常な力であることが理解できていた。
「神気か、まさに神鳥だな。エルフっ娘の記憶は正解だったということか。さて、シームルグとはいったい何者なのだろうな」
「エス、どうする?このまま帰るってのもありだと思うけど…」
心配そうにエスに問いかけるミサキだったが、エスの目は興味津々といった様子でシームルグがいるであろう方向に向いていた。
「いいな、素晴らしい。これは期待できそうだ」
シームルグが去り際に放った『おまえが今知りたいことも知ることができるやもしれんぞ』という言葉をエスはあまり信じていなかったのだが、魔結晶に宿る力からもしかしたらと思いはじめていた。
「さて、さっさとこの地の統治者に挨拶しに行こう。向こうも待っているだろうしな」
「ええ、そうですね」
エスの言葉にアリスリーエルが応えると、他の仲間たちも頷く。エスたちはシームルグが待つであろう場所へ向け歩き始めた。
予想以上に広い草原を歩き木々が生い茂る林を抜けると、一面の花畑が眼前に現れた。その花畑の中央に、こちらを見据えたたずむシームルグの姿が確認できる。
『待っていたぞ、奇術師』
エスたちの姿を確認したシームルグの低い声がエスたちの頭の中に直接聞こえてきた。シームルグの傍へと歩きつつ、エスが話しかける。
「昨夜も思ったが、不思議な感覚だ。これは、どんな力なのだ?」
『念話のことか?』
「ふむ、念話と言うのか。確かに鳥の声帯、鳴管だったか。それでは人の言語で話すのは無理か」
『鳴管とやらは知らぬが、我にとって人と話すにはこの方法しかないのでな』
そう言うと、シームルグは翼を広げ一声鳴いた。広げた翼が起こす風で、花弁が舞い散った。
『我が住処へ、よく来た。歓迎しよう』