奇術師、住処へと招かれる
「…仕方がない」
エスが【崩壊】の力を使う覚悟を決め、揺れる船の手すりへと手をかける。エスのいつにない真剣な表情から何かを感じ取ったリーナが、エスを肩に手をかけ引き留めた。
「ちょっと、エス。まさかあの力を使うんじゃないでしょうね」
リーナはエスが、【崩壊】の力を仲間たちに見せたがっていないことについては薄々気がついていた。そんなエスが普段と違う深刻な表情で船から飛び出そうとしていたのだから、リーナにもエスが何を考えているかが理解できた。
「少々面倒事になるかもしれんが、仕方あるまい。アレは逃げようにも逃げられんだろう」
「そりゃそうだけど!」
エスの言うことも理解できる。そのため、リーナも強く引き留めることができなかった。
エスとリーナがそんなやり取りをしている最中、カリュブディスは顔を水面へと近づけていく。船からの距離はかなりあるが、エスたちの心には危機感だけが募っていった。
「…何をする気だ?」
マキトは独り呟き、カリュブディスがとる行動を注視していた。カリュブディスは水面へと口をつけると、海水をとてつもない勢いで吸い込み始めた。吸い込まれる海水の流れの影響を受け、エスたちが乗る船も徐々にカリュブディスへと引き寄せられていた。
「ヤバいぞ、このままじゃ!」
いち早く自分たちの置かれた状況を理解したマキトが声をあげた。それに僅かに遅れ気づいたグアルディアがドレルへと問いかける。
「ドレル!この流れから逃げられないのですか?」
「今やっとるわ!チッ、吸い込む力が強すぎる…」
ドレルはすでにカリュブディスへと流れる海流から逃れるべく、船を全速力で動かしていた。しかし、逃れることはできずカリュブディスへと引き寄せられる時間を、引き延ばすことしかできていなかった。
エスは状況から、このままでは船が破壊されるのも時間の問題だと感じ、手すりから身を乗り出した。
「エス様!?」
「エスさん!」
アリスリーエルとサリアの声を背に受けながら、エスは甲板から水面へと飛び降りる。今度はリーナも見ているだけだった。エスは海面に立つとゆっくりとカリュブディスへと歩き始める。
「今後、面倒事が増えたら貴様のせいだ」
エスが苛立ちを隠さずそう口にした後、右手へと【崩壊】の力を纏わせようとする。その時、遠方から飛来した巨大な何かが船とエスの上空を通過し、カリュブディスへと飛び去って行った。その何かは白い光の塊のようなもので、弾丸のようにカリュブディス目掛けて飛んでいく。
「なんだ?」
エスはその何かに気をとられ、右手に纏わせようとしていた【崩壊】の力を霧散させてしまう。
「しまった…」
自分の右手を一瞥したエスだったが、先程の何かが気になりカリュブディスへと視線を移すと、その何かは一瞬にして異常な速度に加速しカリュブディスへと衝突した。水飛沫を巻き上げ仰け反るように跳ね飛ばされたカリュブディス、白く光る何かはそのまま弧を描くように上空へと飛んでいった。カリュブディスを隠すように巻き上がった水飛沫が収まり、姿を現したカリュブディスは肩から上がなくなっており、そのまま海へと沈んでいった。
カリュブディスが水柱を上げ海中へと沈む。周囲の水の壁もそれと同時に消えていった。カリュブディスが沈んだ衝撃で起きた波が船を揺らしたが、態勢を低くし近くにあるものにつかまっていたアリスリーエルたちは無事だった。その波の動きに合わせ、エスは海面から甲板へと飛び移った。
「なんとか無事だったな」
「エス様。先程の光はいったい…」
「いったい何が起こったんだ?」
エスが甲板に戻ったのをアリスリーエルが迎えていた。そこに空を見上げながらターニャが近づいてきた。よく見ると他の者たちも空を見上げている。エスも同じように空へと視線を移した。
「エス!また来るぞ!」
上空を眺めていたエスたちに、周囲の機器から先程の光が近づいてきていることを知ったドレルが注意を促す。エスたちの視線の先では遥か上空から先程の白く光る何かが落ちてきていた。このままであれば船に衝突する進路だった。
「やれやれ、いい加減のんびりさせてはくれないだろうか…」
そんなエスの呟きが届いたのか、落ちてきた白く光る何かは船の僅か上空で翼を広げた鳥の姿に変わった。翼を広げた瞬間、纏っていた白い光が空中に散る。
「えっ!?」
「なんで?」
マキトとアイリスが驚きの声をあげた。それに続くようにミサキとアリスリーエルも声をあげる。
「あー!ウナギ泥棒!」
「シームルグ!」
光の中から姿を現したのは、昼間に見たシームルグだった。シームルグは羽ばたきながら、甲板にいるエスたちを眺めている。羽ばたきにより発生する波で船が揺れるが、それに構うことなくエスたちはシームルグの動きを注視していた。
「何故、助けるような真似を…」
そう呟いたのはアイリスだった。
『やはり、奇術師だったか…。舞踏家はまだわかるが暴食、それに教皇国の勇者か。不可思議な組み合わせだ』
突然、頭の中に響くように声が聞こえてきた。それが、シームルグの発したものであることはすぐに理解でき、エスはその体験に心を躍らせていた。言葉が通じることを知ったミサキが、捲し立てるようにシームルグに叫ぶ。
「ウナギを返せぇ!アレはあたしのだったんだぞ!楽しみにしてたのに!」
『元気な娘だ。暴食よ、何故貴様はこの者たちと共にいる?』
「な、何故って…。エスがついてくれば美味いもの食わせてくれるって言ってるからだよ」
「そんなこと言ったか?」
ミサキとシームルグのやり取りを聞いていたエスが首を傾げる。
「フォルネウスのヒレ!」
「ああ、すまない。忘れていた。フハハハハ」
「なんだってぇ!約束は守れよ!」
今度はエスに食って掛かるミサキだった。その最中、船の揺れに耐えられなくなったのかアリスリーエルが倒れそうになる。それをエスが手を貸し支えていた。そんな船上の状況を興味深げにシームルグが見ていた。
『なかなか愉快な関係のようだな。ここでは落ち着いて話もできぬ。この先にある我が住処、そこまで来るがいい。シーサーペントの礼だ、歓迎しよう』
「いやいや、私たちも先を急いでいるんだが…」
『奇術師、おまえが今知りたいことも知ることができるやもしれんぞ』
それだけ言うと、シームルグは一度大きく羽ばたくと上昇し自分の住処へと飛び去って行った。
「返事も聞かずにさっさと行ってしまったな。あの鳥、何か知っているのか」
「エス様、どうしましょう?海龍の巣への途中ですし寄っていくのも有りかとは思いますが…」
シームルグの飛び去った方をエスたちが眺めていると、そこへマキトたちがやってきた。
「エス、シームルグの招待に応じてみよう」
「ほう?」
エスは、マキトにとって依頼の方が優先だと思っていた。そのマキトから、シームルグの住処へ行かないかと言われた故、不思議に思ったのだった。
「私もマキト様の意見に賛成。あいつ何か知ってる…」
「だな、向こうから接触してきたくらいだ、何かあるんだろ」
アイリスとマキトがエスと話す後ろでは、フィリアが無言で頷いていた。
「ふむ、勇者君たちがいいというなら行ってみるのも有りだな。おまえたちはどうだ?」
エスは自分の仲間たちの方へと視線を移す。
「構わないわよぉ」
「あんな巨大な鳥の住処ってのも興味あるしな」
サリアとターニャの姉妹は、シームルグの住処に行くのは賛成のようだった。その横でリーナも頷いている。グアルディアは無言で立っているだけだったが、その表情から反対するつもりはないとわかる。
「それならば、折角のご招待だ。行ってみようじゃないか。ドレル!」
「おう、どうせ海龍の巣への途中だ。テメェらはのんびり待ってろ」
ドレルの返事に寄るつもりだったことを知り、やれやれと首を振るエスと苦笑いを浮かべる仲間たちを乗せ、船はシームルグの住処を目指し出発した。
空はまだ星が瞬いている。先程まで嵐だったのが嘘のように晴れ渡っていた。エスは、シームルグの住処までの時間暇だったため、グアルディアと共にドレルの元へと来ていた。他の者たちは、甲板で思い思いに過ごしている。
「ドレル、これを見てくれないか」
エスがポケットから取り出したのは、幽霊船で手に入れた短剣だった。それを手にしたドレルは、様々な角度から短剣を眺める。
「ほう、これは鍵だな」
「鍵?」
ドレルの言葉にエスが聞き返す。
「そう、鍵だ。他の魔道具を起動し動作させるための鍵となる魔道具だ」
「他の?それが刺さっていたのは幽霊船だぞ」
「ほう、詳しく聞かせろ」
エスはドレルに幽霊船で見たことや出来事を細かく話す。壁や天井、床を這っていた血管。心臓のようなものを吊り下げた植物。シービショップたち。それらの話を聞き、ドレルの表情はだんだんと険しくなっていった。
「なるほどな。あの船自体が魔道具だったんだろうよ。それにしてもシービショップが死んで人に戻ったか…」
「そう見えただけ、かもしれないがな」
「いや、心当たりはある。だがな…」
ドレルは一人考え込んでいた。エスの横で静かに立っていたグアルディアは一度頷くと、真剣な表情でドレルを見た。
「ドレル、エス様であれば話しても問題ないでしょう」
「…そうだな。エス、今から聞くことは他の奴らに言うんじゃねぇぞ」
「フハハハハ、私は口が堅い方なのだよ。特に面倒事になりそうな話なぞ、するわけがなかろう?」
疑いの目をエスに向けるドレルだったが、面白そうなことには首を突っ込むくせに面倒事を避けたがるエスの性格は理解していた。それで納得したドレルは説明を始める。
「幽霊船がこの船を狙ったのは、おそらく偶然じゃねぇ」
「ふむ…」
「エスの話を聞くまでは予想でしかなかったが、話からして魔工国がけしかけてきたもので確定だろう」
「魔工国では、人をモンスターへと変化させる実験が秘密裏に行われている、という情報は我が国でも掴んでいました。シービショップが人に戻ったということからしても魔工国が関係していると思われますね」
ドレルの言葉をグアルディアが補填する形で話を進める。
「船底にあったっていう空間を歪めて広げた倉庫も、魔工国で実用化していた技術だ。まあ船自体、魔工国のもんだがな…」
船が魔工国製である以上、中で使われる技術も魔工国のものであるのは必然だとドレルは語る。だが、それでも疑問は残る。
「それだけでは、魔工国がけしかけてきた理由にはならぬだろう?」
「そうだな。船自体の機構を見れてねぇから予想でしかねぇが、カリュブディスを封じて輸送する機能もあったんだろうよ。幽霊船に何かしらの不具合が発生したら開放するようになっていた、そう儂は考えてる」
「つまり、幽霊船自体も餌として用意されており、幽霊船自体の力で私たちを沈められれば御の字、沈められず返り討ちにあったのならカリュブディスが解放されるようにしてあったということです」
「出港前に魔工国の連中とひと悶着あっただろ?あれで儂らのことを知ったんだろうな。シームルグの助けがなかったら、今頃儂らは海の藻屑だ」
「なるほど…」
確かにそれであれば筋は通るとエスも感じていた。ただ放棄されていた魔工国の船が幽霊船になっただけであれば、カリュブディスまで現れることもなかっただろう。しかも、乗組員だったシービショップたちは元々人であった。それも魔工国の技術であるとしたら、幽霊船自体が魔工国の意思で造られたものであるのは確実だ。目的が達成できたとして、マキトたちが巻き込まれたとしても幽霊船と化した船がしたことだという理由で、自国の関与を否定するのも予想できる。チサト相手にその言い訳は無駄だとは思うが、他の国に対しては十分通じる。それに加え、出港前の出来事、すべてが偶然とは思えなかった。
「狙いは、おそらく儂なんだろうな…」
「まだ、魔工国はドレルを狙っているようですね」
「やれやれ、面倒なしがらみがあるのだな…」
「まあな。とりあえずコレは預かっておくぞ」
ひらひらと振って見せた短剣を、ドレルは腰に下げた鞄へとしまった。特にこれといった面白味のない短剣には興味がなかったエスは、ドレルの行動を無視し別のことを考えていた。
(魔工国か。やはり一度行ってみた方が良さそうだな。『怠惰』に関する何かがありそうだ。それに、面白そうなものがたくさんありそうだしな)
エスは、短剣に宿っていた『怠惰』の魔力については、ドレルとグアルディアの二人だけでなく他の仲間たちにも伝えていなかった。チサトの依頼を律義に果たす気はなかったが、どうにも魔工国のことが気になって仕方がなかった。
「今後は、魔工国の動向も気をつけないといけませんね」
ため息交じりにグアルディアがそう言うと、ドレルは頭を抱えていた。
「いい加減、儂のことは諦めてくれ…」
ドレルもうんざりした声を出す。エスはふと疑問を口にする。
「ところで、ドレルと魔工国の間に何があったのだ?」
「ああ、魔工国が儂の故郷を焼き払ったことは言ったよな?」
「ふむ、そんな話を聞いた気がするな」
「覚えときやがれ!その理由がな、儂が魔工国のお偉方に非協力的だったって理由なんだ」
「ほう…」
ドレルの研究所に行った際、ドレルの口から魔工国に故郷を焼き払われたことは聞いていた。しかし、その詳しい理由までは聞いていなかった。ただ、エス自身ドレルの身の上話に興味などなかったのだが…。
「奴ら、非人道的な実験やら軍拡のための研究やらばっかでな。儂はもっと面白可笑しい研究がしたかったのに、無理矢理そんな研究をさせようとするから断ってたらよ…」
「ドレルの技術や知識は転生者としてのものもありますからね。魔工国はその知識を利用しようとしたのでしょう。利用できないなら殺してしまえと、ドレルの故郷を狙ったようです」
「んで、逃げ延びたフォルトゥーナ王国で、たまたま拾ってくれた王様に魔道具を献上して、隠れ家を用意してもらったってわけだ」
「まあ、魔工国がそんな扱いをする技術者がこちらに逃げてきているのですから、恩を売って利用しようという手だったわけなのですがね」
「おおい!初耳だぞ!」
「ええ、あなたには言ってませんでしたし。何より、その程度の情報は私たちの方でも掴んでいるのは当然ではないですか」
グアルディアの暴露する裏事情を聞き、その内容が内容だったためドレルがグアルディアを睨みつけていた。
「あなたも助かるし、私たちも助かる。実に有意義な取引だったと思いますが?」
「そうだがよ…。もう少し、隠すとかしたらどうなんだ!」
「それこそ、今更でしょう?」
頭を抱えたドレルが盛大にため息をついた。それを笑みを浮かべながらグアルディアが見下ろしている。
「まったく、魔道具を輸出している割には面倒な国なのだな。魔工国という国は」
「ええ、油断のならない国です。ですが、今回のことでドレルが国外に出ていることはわかったと思うので、王国の方では国境付近でちょっかいを出されることはなさそうですね」
「よし、気になることはあるが、魔工国に行くのは後回しにするとしよう」
マキナマガファス魔工国。フルクトスの一件以来、エスは魔工国に対し興味を抱いていたのだが、自分とドレルの関わりも魔工国には知られているだろうと考えた。そして、フォルトゥーナ王国とは表面上交易があるものの、その裏では嫌がらせを受けているということも知った。アリスリーエルの存在が、魔工国へ訪れた時にどのような面倒事を引き起こすかわからない以上、今は様子見し訪問するのは避けた方がいいという結論に至ったのだ。
「さて、では私は甲板に行くとしよう。どうせ、到着は昼間であろう?」
「ああ」
「ならば、他の連中には休んで貰うのがいいな。甲板での見張りは私がやるとしよう。流石にもう、何もないとは思うがな。フハハハハ」
「不吉なこと言うんじゃねぇ!」
怒鳴るドレルを無視し、エスは独り操舵室から出ると甲板に向かって歩いて行った。