奇術師、暴食を知る
エスは、アリスリーエルとミサキを伴いフルクトス周辺の草原へと転移した。背後にはフルクトスを囲む壁があり、目の前の草原には兎などの小動物がちらほらいるだけだが、遠くに数匹のモンスターらしき姿が確認できる。
「この辺りでいいだろう。町から離れたらサリアとターニャにどの程度影響が出るかわからないからな。まあ、この程度なら問題ないと思うが…」
アリスリーエルとミサキをそのままに、エスは一人草原の方へと歩いていく。懸念したのは眷属化に伴う制限のことだった。だが、短時間であれば問題はないことは神都で確認済みである。
「ミサキよ、私と模擬戦をしよう。君の実力を見せてくれないか?」
「いいけど…。勝敗はどうやって決めるのさ」
「ふむ、そうだな。相手に手傷を負わせたら勝ちという事でどうかな?」
「えっ!?やだよ痛いし…」
「やれやれ、多少怪我をしたほうがアリスの魔法の練習にもなるかと思ったのだがな…」
エスは空を見上げながら考える。アリスリーエルを連れてきた目的は果たせないかもしれないと思いながらも、それ自体は予想していたことだった。
「仕方がない、ではこれを使おうか」
そう言ってエスがポケットから取り出したのは二本の木剣だった。
「エス様、それは…」
「そう!こんなこともあろうかと、拝借してきておいたのだよ。フハハハハ」
エスが手に持つ木剣を、呆れた表情でアリスリーエルの見つめている。その木剣は、神都の聖騎士たちの訓練所で使われていた木剣だった。旅の道中、暇つぶしで訓練にでも使おうとエスは用意していたのだった。この木剣であれば、多少の打撲はあろうとも致命的な怪我に至ることはないと考えられた。
「それでも痛そうなんだけど…」
「当てたら勝ちという事でどうかな?」
「はぁ…。わかったよ」
ミサキに向かって、エスは一本の木剣を投げて渡す。それを受け取ったミサキは木剣を手に持ちエスに対し構えた。
「そうそう、魔法などを使うのは当然構わない。君の【暴食】の力もな」
「なっ!?死んでも知らないからな」
「フハハハハ、心配してくれるのは有難いが、君も油断をしないことだ。さあ、かかってきたまえ」
次の瞬間、ミサキとアリスリーエルは自分たちの周囲に何かが広がっていくような違和感を感じた。先手必勝とばかりにミサキは目に見えない速度でエスへと近づくと木剣で薙ぎ払う。しかし、薙ぎ払われた木剣によりエスの姿が煙のように消えてしまう。
「チッ!そういえば、幻惑魔法が使えるんだった」
舌打ちしたミサキはすぐに背後へと向き走り出すと、何もない空間に木剣を振り下ろす。振り下ろされた木剣は乾いた音を立て何もない空間で動きを止めた。すると、徐々に木剣を受け止めているエスの姿が見えてきた。
「おや、気づかれてしまったか」
「あんた、これでもあたしは七大罪の悪魔、その一柱なんだよ」
「ああ、知っているとも。だから、油断などせずに手を打っているのだ」
エスが距離を取り木剣を持っていない方の手を頭上へと掲げる。それにつられミサキが視線をあげると、そこには一本の鉄剣が浮いていた。エスが掲げた手を振り下ろすと、浮かんだ鉄剣はミサキを貫かんと向かっていく。
「殺す気か!」
ミサキの叫び声と同時に、鉄剣の存在自体が消失した。エスはその様子を驚くこともなく観察している。
「あんた!あたしを殺す気でしょ!」
「フハハハハ、そんなことはないぞ」
エスが木剣を上空へと投げると、両手を背後に回し片手三本ずつの鉄剣を取り出した。取り出した鉄剣をミサキの頭上目掛けて投げると、落ちてくる木剣を手に取った。
「えっ!?」
自分の頭上に投げられた鉄剣を見て、ミサキが声をあげる。ミサキの視線の先で六本の鉄剣が無数に分裂し、ミサキを円形に囲むように浮かんでいた。エスは木剣を持たない手をミサキへと伸ばすと握りしめる。それと同時に浮かんでいた鉄剣が一斉にミサキへと襲い掛かった。
「ふざけるなぁ!」
次々と向かってくる鉄剣をギリギリで避けつつミサキは腕を振る。ミサキが腕を振るたびに、数本ずつではあるものの鉄剣が消え去っていった。そしてミサキは気づく。この鉄剣が【奇術師】の力によって生み出されていることに。それを理解したミサキは動きを止めた。飛んでくる鉄剣はそんなミサキに構うことなくミサキの体を貫いていくが、ミサキの体に傷ひとつつく様子はなかった。
「やっぱり…」
【奇術師】の力を知るミサキは、その力が他人を傷つけることないことを理解していた。安心し目の前に立つエスの姿が幻影である可能性を考え、その気配を探ろうとした瞬間、一本の鉄剣がミサキの頬をかすめ薄っすらと傷をつけた。熱さを感じる頬に手を当て、その手を見るとわずかに血がついている。
「なっ!?どういうこと?」
驚いたミサキは、自分の頬を傷つけ背後の地面へと突き刺さった鉄剣へと腕を向ける。すると、他の鉄剣と同様に跡形もなく消えてなくなった。そしてミサキは理解する。その鉄剣の剣身を、まるでコーティングするかのように空間魔法がかけられていたことに。
「これは…。空間魔法…」
「正解だ」
自分の呟きに応えるエスの声が耳元で聞こえたと思った矢先、ミサキは横から蹴り飛ばされ地面を転がった。
「なるほどなるほど、察するに【暴食】の力は捕食し、それが何かを理解できるのだな。ところで、その力は味もわかるのかね?」
起き上がるミサキを見ながら、エスは一人頷き納得すると、疑問を投げかける。ミサキは立ち上がりながらエスを観察していた。
「奇術師が空間魔法まで使うなんて聞いてないぞ」
「そうか、私の前任者は勉強不足だったのではないかな?それに、男子三日会わざればなんとやらと言うではないか」
「適当か!」
「さて、大体君の力は理解できた」
エスは目にも留まらぬ速度で腕を振り上げる。ミサキですら微かに目で追える程の速度で投げられたそれは、草原の彼方へと飛んでいった。
「今のは?」
「魔導投剣といってな。私の愛用品だよ。複製品ではあるが。そして…」
ミサキの背後を指さすエス。背後から何かが迫ってくる音を聞き、エスを警戒していたミサキは振り返る。迫ってくるものの姿を見て、アリスリーエルも杖を構えていた。
「では、最終テストといこう!」
そう告げたエスは、アリスリーエルの傍へと転移するとアリスリーエルと共に姿を消してしまった。
「あんのやろう!やってやらぁ!」
怒声をあげ、ミサキは木剣を投げ捨てた。
こちらに向かってきたのは、体長五メートルほどの山猫のような顔に犬のような体をし、鋭い爪を持ったモンスターだった。転移したエスとアリスリーエルは、フルクトスを囲む壁の上へと移動していた。そのモンスターの脇腹にはエスが投げた魔導投剣が深々と刺さっている。
「エス様、あれは大食漢のモンスター、グーロです。その体はあらゆる部分が様々な材料として利用可能だと言われています」
「ふむ、前に見た似たものよりも大きいな、グーロか、見た目ともに私の知ってる伝承とほぼ一緒ではあるな。それはそうと、大食漢と暴食の戦いか。なかなか、興味深いカードだな。フハハハハ」
だが、エスが興味を持ったその勝負は一瞬で終わってしまう。ミサキが腕を振るとグーロの姿が消えてなくなってしまったのだ。ミサキはグーロがいなくなったことを確認すると、壁を見上げる。
「奇術師!降りてこぉい!」
「やれやれ、やかましい娘だ」
エスは手に持っていた木剣をポケットへとしまうと、アリスリーエルを抱えふわりと壁から飛び降りる。そして、アリスリーエルを地面に立たせると指を鳴らした。鳴り響く音と同時に、エスたちの周囲に満ちていた僅かな魔力が消失した。
「え!?エス様、今のは?」
「あんた、何したの?」
周囲に薄っすらと広がっていた僅かにしか感じ取れないほどの魔力、それが一瞬にして消え去ったことに驚いたアリスリーエルとミサキを見てエスは笑みを浮かべる。
「万が一のために備えておいた私の、そう必殺技みたいなものだ」
「必殺技?」
「うむ、私は“幻惑世界”と呼んでいる。まあ、今回は必要なかったがな。フハハハハ」
首を傾げ聞いてきたアリスリーエルに答えつつ、エスは笑っていた。エスが使った“幻惑世界”とは、神都でマキトたちと模擬戦を行った際に使った【奇術師】の力と幻惑魔法の混合技、それをさらに発展させたものだった。この“幻惑世界”がその力を発揮するのはまだ先のこととなる。
「だが、まだまだ改良の余地はありそうだ。何事も精進あるのみ、だな。さて、ミサキの実力も申し分なかった。流石は七大罪の悪魔の一柱だ」
「当然だ!」
エスの言葉に、胸を張って威張るミサキだった。すでにミサキの頭からは模擬戦の勝敗条件など消えてしまっている。エスも有耶無耶にするつもりだったため、あえて触れることはしなかった。投げ捨てられた木剣を拾いつつ、エスは苦笑いを浮かべていた。
「やれやれ、調子のいいやつだ。だが、これなら船旅も楽になりそうだな。アリス、ミサキの頬を治してやってくれ」
「えっ?あ、はい!」
アリスリーエルはミサキへと駆け寄ると、掌へと魔力を集中させミサキの頬へと近づける。淡い緑色をした光がミサキの頬にあった傷を包み、みるみる傷が消えていった。その様子を眺めながらエスは拾った木剣をしまう。
「ありがと」
「いえ」
ミサキはアリスリーエルに礼を言うと、そのままエスに駆け寄った。
「あんたねぇ、こんなか弱い超絶美少女にモンスターけしかけるとか、頭おかしいんじゃないの?」
「寝言は寝てから言いたまえ。さて、宿に戻るとしようか。どうも、グーロのせいで兵士が集まってきたようだしな」
「あんたのせいだ!」
エスが見上げた壁の上を兵士たちが集まり始めていた。エスはアリスリーエルを手招きし傍に近寄らせると、指を鳴らし三人で元いた宿の部屋へと転移した。ふう、と息をつくミサキとアリスリーエルだったが、エスは構うことなく告げる。
「では、部屋に戻って休みたまえ。明日は早いだろうしな」
「わかったよ…」
「それでは、エス様。また明日」
「ああ」
二人が部屋から出ていったのを確認し、エスは部屋に備え付けられている椅子に座ると魔力を操り始める。自身の周囲に薄く満遍なく魔力を広げていき、部屋中を満たす。
「ミサキにはこの広げた魔力に気づかれたな。これをわからないようにするか、別の何かと誤認させるか…。さて、何かいい手はないものだろうか…」
エスは独り呟きながら魔力の強弱をつけたりなど、いろいろな手法を試し出発までの残りの時間を過ごすことにした。
所々修正(2020/05/09)