死体の残滓と狂乱の帰還
谷底に横たわるカマキリの巨体は、すでに動かなくなっていた。
折れた鎌がだらりと垂れ、黒ずんだ体液が地面を染めている。
「……ほんとに、死んでるよな?」
恐る恐る近づき、俺は息をひそめた。
戦闘の衝撃で半壊した外殻、その裂け目からきらりと光るものが覗いている。
俺は思わず手を伸ばした。
――硬質な小さな結晶のような欠片。
熱を帯び、脈動しているようにすら感じる。
「これ……アイテム、なのか?」
まるでゲームのドロップみたいに、カマキリの体からこぼれ落ちたそれを、俺はそっと拾い上げる。
掌に吸い込まれるように消え、頭の中に情報が流れ込んできた。
【スキル結晶:鋭刃化】
使用者の武器や爪を、一時的に鋭利に変化させる。
「おお……!アリにも使えそうだな」
ほんの少し、胸が高鳴った。
あのデカいアリなら、この力を活かせるかもしれない――そう思った矢先。
――カサッ……カサササ……。
音が、四方から。
ぞっと背筋が凍る。
「……まさか」
カマキリの死体に群がるように、無数の気配が近づいていた。
蜘蛛、ムカデ、そして見たこともない甲殻の小型モンスター。
血の匂いに釣られて、次々と姿を現していく。
「おいおい、冗談だろ……!」
俺は後ずさりしながら叫んだ。
一体だけでも厄介なのに、この数は無理だ。
目の前が黒く埋め尽くされる。
息が詰まり、逃げ場を探そうと振り返った、その時――
――ズドドドドド!!
地響きと共に、闇の中から狂気が飛び込んできた。
「オオオオオオオオ!!」
「コロス!! コロス!! コロス!!」
「カマキリイイイイイ!!!」
全身ぼろぼろで、それでもなお燃え盛るような瞳を宿したデカいアリが、再び現れたのだ。
俺は思わず二重ツッコミを入れる。
「おい、ちょ……一度スキルオフになったのに、なんでまだ聞こえるんだよ!神様、オンにしてんのか!」
デカいアリは頭を振り、さらに「カマキリイイイ!!コロス!!」と絶叫。
「いや、ちょっと待て!!カマキリ、もう死んでるって!」
俺は両手で叫ぶアリを制止しようとするが、土煙と共に全力疾走で敵に突進していく。
敵は頭突きや脚払いで吹き飛ばされ、谷底全体に土煙と叫びが渦巻く。
デカいアリの狂乱と暴走が、戦場を完全に支配していた。
俺は呆然と立ち尽くした。
恐怖と安堵と、そして……もう一度始まった狂乱の戦いに。
だが、手にしたスキル結晶の可能性が、わずかに希望を灯す。
「……これで少しは、あいつに付き合えるかもしれない」
狂気と混乱の谷底で、俺とデカいアリの新たな戦いは始まったばかりだった。




