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恋の基準値  作者: みゆ
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廊下で

 お昼の休み時間はあっという間に過ぎていって、残り時間も少なくなっていた。疎らだったクラスメイト達は、更に疎らになっている。

「そういえば、次、音楽じゃなかった?」

「そうじゃん!そろそろ行かないとやばいよ。」

 私達は急いで準備をして、廊下に出た。


 授業が始まるまで多少時間があるので、廊下はまだ生徒達で賑わっていた。連れ立ってトイレに行こうと急ぐ女子や窓際で楽しそうに話している男子、それから私達と同じように移動教室に向かう人達。私達はその間を抜けて、ちょっと離れた音楽室へと急いだ。

 私の少し前を瑞穂と明日香が早足で歩き、私はそれを小走りに追う。移動教室の時は、いつも決まってこんな感じ。

 ふと瑞穂が足を遅めて、私に並んだ。いつもなら『遅いよ』と私を急かす瑞穂がこんな行動をするのは珍しい。私は明日香の後を必死で追いながら瑞穂の顔を見た。

 瑞穂は私の隣に並んではいるものの私を見る訳ではなく、かといって進行方向を見ている訳でもなくて、何だかそわそわした感じで視線を泳がせている。

「どうかしたの?」

 不思議に思って問い掛けると、瑞穂は視線を逸らしたまま私に近寄って、小さな声で話し掛けてきた。

「あのさ…、沙和のお兄ちゃんて高一だったよね?」

「そうだよ。」

 私の返事を聞いて、瑞穂が私の耳元に更に顔を近付ける。

「でさ、さっきの話なんだけど…、お兄ちゃん、何て言ってた?」

「さっきのって…。」

 瑞穂が言っている“さっきの”っていうのは、私がお兄ちゃんに話した…というさっきまで教室でしていた話だということは分かる。でもあの時、私がお兄ちゃんに何て言われたか瑞穂はもう聞いてるし、それを聞いて笑ってたし…。

 瑞穂は、私が何を聞かれているのかを解っていないことを察したようで、小さくため息をついた。それから今度は少し赤い顔をして、私の目をじっと見てきた。

「な、何?」

 その目が何だか怒っているように見えて、私は瑞穂から離れるように足を早めた。けれど、瑞穂はそれを逃がさないとするかの様に私の手を掴んで、そしてぴったりと私にくっついた。

「何〜!?その話ならさっきしたじゃん!」

 びくびくしながらそう言うと

「そうじゃなくてっ。」

と瑞穂は大きな声を出して、そして更に私に顔を近付けてボソッと言った。

「そうじゃなくてさ…、その…、沙和、お兄ちゃんにそういう経験あるか聞いたんじゃないの?お兄ちゃん、どうだって言ってた?」

「そういう経験って…。」

 それが私とお兄ちゃんが…ってことではないのは、教室でしていた会話からも理解できる。…とすると瑞穂が聞きたいのは、お兄ちゃんが他の女の人とエッチな経験があるかという事…?

「何でそんな事聞くの!?」

 確かにあの時お兄ちゃんに聞いたけど(教えてくれなかったけど)、家族のそんな話をするのは、さすがに相手が友達とはいえども恥ずかしいよ!

「何でって…」

「何二人で話してるの?」

 瑞穂が赤い顔をして何か言いかけたその時、明日香が自分だけ会話に入っていなくてつまらないといった風に、私達の間に割って入ってきた。

 それを見た瑞穂が何故か

「何でもないよ!ね、沙和?」

と、慌てたように私に同意を求める。

「え、う…うん。何でもないよ。」

「何よ〜?ずるい!私にも教えてよ!」

「本当に何でもないって。」

 明日香に“何でもない”を繰り返す瑞穂。その横で、私はお兄ちゃんの“そういう経験があるか”という話をしなくて済んだことにほっとしていた。

 それにしても、瑞穂がそんな話をしてくるなんて珍しい。そういう話を面白がってしてくるのは大抵明日香で、いつも瑞穂はその話に乗ってくるって感じなのに。というか、さっきの瑞穂の話方、面白がってるって感じじゃなかったような…。



「あ!」

 いきなり明日香が大きな声を上げた。

「わあ!何!?」

 その声にびっくりして、私達は反射的に明日香を見た。

「何?!どうしたの?」

「高瀬君だ。」

 明日香は瑞穂と私に目もくれずに、私達の後方に向かって手を振り始めた。

「高瀬君!」


「誰?高瀬君って。」

「さあ?」

 瑞穂と私は初めて聞くその名前に首をかしげて、明日香の視線の先を辿った。すると明日香に呼ばれて振り向く、男子の姿が目に入った。

「…あれ?」

 あの人の顔、何か見たことある様な気がする…。

 高瀬君と呼ばれたその人は、何だか不機嫌そうな顔で明日香を見ていた。

 明日香はそんな彼の表情はお構い無しに、大きな声で彼に話掛けた。

「昨日はありがとう〜!」

「何?昨日何かあったの?」

 瑞穂が不思議そうに明日香を見る。私は何処かで見たことがあるはずの彼の顔をじっと見つめて、必死で誰だったか思い出そうとした。

 高瀬君は明日香のお礼の言葉を聞いて、不機嫌そうな顔のまま軽く頭を下げると、すぐに背を向けて去って行った。

「うわあ、何か感じ悪いね。」

 瑞穂が呟く。

「明日香、あの人に何かお礼言うようなことされたの?」

「うん。昨日野球部見てた時に、ボールが飛んできて私達に当たりそうになったんだけど、高瀬君がボールを取ってくれたんだよ。ね、沙和。」

「あ、そうか!あの時の!」

 明日香の言葉を聞いて、私はようやく彼が誰だったのか思い出した。

「“そうか”って…。沙和、覚えてなかったの?」

「え、だって、あの時顔見たの一瞬だったし…。」

 でも高瀬君の後ろ姿は、野球部のユニフォームは着ていないけど、確かにあの時の彼と同じ背筋が真っ直ぐに伸びた後ろ姿だ。


「ていうか、こんなことしてる暇ないよ!授業はじまっちゃう。」

 はっとしたように瑞穂が言った。

「そうじゃん!急がなきゃ!」

 明日香が走り始めた。

「ほら!沙和も急いで。」

「うん。」

 私はもう一度振り向いて、高瀬君の後ろ姿を見た。そして瑞穂に手を引かれながら音楽室へと走った。

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