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恋の基準値  作者: みゆ
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ぬくもり

 野球部の練習は終わっていて、部員達が道具の片付けや校庭の整備を始めていた。校舎から出ると、高瀬君は

「ちょっと待ってて。」

と私をその場に残し、顧問の先生にお礼を言う為走って行った。

 もうすぐ引っ越してしまう高瀬君にとっては、来たくても中々来れないであろう中学。お世話になった先生とも暫く会えない所為か彼らの話は結構長くて、私は高瀬君を待ちながらもう一度校舎に目を移して今まであった事を思い出していた。

 もう来る事もないだろうと思っていた学校で、最後に最高の思い出が出来た。

通っていた時には出来なかった、高瀬君と二人で校内を歩くという経験。それは心の中にずっと残って私を嬉しい気持ちにさせてくれるだろうけど、いつか色褪せて寂しく思ってしまうかもしれない。そしたらまたここに来よう。そして嬉しかった気持ちを思い出そう。きっとそれは、これから高瀬君と離ればなれになってしまう私の力になってくれるから。

「ごめん、待たせて。」

 背後から声を掛けられ、私はそちらに目を向けた。

「話、終わったの?」

 いつの間にか私の後ろに立っていた高瀬君にそう尋ねると、彼はこくんと頷いて

「そろそろ…帰ろうか。」

と私に告げた。

 昼間私達を暖かく照らしていた太陽はもう沈みかけていて、青かった空は赤く染まっている。時計を見なくても今が何時位なのかなんとなく分かるし、もうそろそろ帰らないといけないという事も分かっている。でももっと高瀬君と一緒に居たくて『まだ帰りたくない』と言い掛けたけれど、さっき私が泣いた事で高瀬君を困らせたから、これ以上彼を困らせる事は出来ないと思い、私は寂しさを無理矢理押し殺して高瀬君の言葉に頷いた。


 切ない気持ちを抱きながらも高瀬君の隣に並んで歩き出そうとした時、後ろから

「先輩!」

という男子の声が聞こえて振り向いた。声の主は一人の野球部員だった。彼はこちらに向かって走って来ると私達の前で立ち止まり、はあはあと肩で息をしながらも強い眼差しで高瀬君を見つめた。

「あの…先輩、俺も付属行きます。だから待ってて下さい。」

 彼の言葉に、高瀬君が笑顔になった。そして

「頑張れよ。」

と応援の言葉を告げた。

 二人の嬉しそうな表情を見て、私はそんな彼らがちょっと羨ましくなった。私にも、あんな笑顔を向けてくれたらいいのにな…って。

 高瀬君の言葉を聞くと、その男子は高瀬君に向かって大きく頭を下げて、大勢の野球部員が待つ校庭の隅へと走って行った。同じ高校に行くと言う為だけに、全力で走って来たんだ…。本当に高瀬君の事が好きなんだな。

「高瀬君って、人気あるんだね。」

 去っていく男子の背中を見つめながら私がそう言うと、高瀬君は

「別に…。そんな事ないよ。」

とちょっと素っ気なく答えた。

「あるよ。だって今の子、付属行くって言ってたもん。」

「ただ付属で、野球したいだけじゃん…?」

「違うよ。きっと高瀬君と一緒に野球がやりたいんだよ。」

 きっとあの彼は、これからいっぱい頑張るんだろうな。私は高瀬君と同じ高校に行く事を諦めてしまったけれど、彼は絶対に諦めない様に思う。一生懸命勉強して、親や友達を説得して。そして来年の今頃にはきっと、高瀬君と同じ様に、付属入学を決めているんだろうな。

「帰ろう。」

 じっと校庭を見つめる私を促す様に、高瀬君が声を掛けた。私はそれに従って歩きだしたけれど、まだ帰りたくないと思っている所為か、自然と足が遅くなった。

「どうしたの?疲れた?」

 少し遅れて歩く私に気付いて、高瀬君が立ち止まる。

「ううん…疲れた訳じゃ、ないんだけど…。」

 ――もっと一緒にいたいから。

 たったそれだけの言葉を口にする事が出来なくて、私は俯きながら高瀬君に向かって足を進めた。そんな私を、高瀬君はどんな気持ちで見ているのだろう。

 疲れるって思われているのならまだいいかもしれない。でもこんな風に俯いていたら、まるで私が不機嫌な様に思われてしまうんじゃないだろうか…。今日高瀬君といられて凄く嬉しかったのに、最後に彼を誤解させてしまうなんて絶対に嫌だ。

 そう思って、私は顔を上げて笑顔を作ろうとした。でもその前に高瀬君が私の手に再び触れたので、私は顔を上げる事が出来なくなってしまった。

 私の手を引く様に、高瀬君がゆっくりと足を進める。私はされるがままに、高瀬君の後ろを歩く。

 高瀬君の手は温かかった。さっきもそう思ったけれど、それ以上に温かく感じた。

 学校で手に触れられたのは、図書室から校舎の外に出るまでのほんの少しの間で、今みたいに長く繋がれていた訳じゃない。だからなのか、さっきは安心感を覚えたその手が、今は凄く緊張するものに思える。

 高瀬君の手を、私は握り返す事が出来なかった。心の中は緊張感と恥ずかしさでいっぱいだった。でもその手を離してほしくはなかった。――ずっと繋いでいてほしい。そう思った。


 もうすぐ、高瀬君と待ち合わせた公園に着いてしまう。そしたらきっとこの手は離れてしまうだろう。

 お願いだから、まだ着かないで。高瀬君ともっと長く繋がっていたいから…。






 夕方の公園に人の気配はなかった。繋がれていた手が離された事に便乗するかの様に静けさが襲ってきて、私は心臓が縮む様な寂しさを覚えた。

 …もう『サヨナラ』を言わなきゃいけないんだ。

 高瀬君は私の手を離すと、じっと私を見つめた。それから持っていた袋に手を入れて、おもむろに一つの小さな袋を取り出した。

「これ…。今日付き合ってくれたお礼。」

 高瀬君が差し出したそれは、妹さんのプレゼントを買うために入った雑貨屋さんの物だった。

「…貰っても、いいの?」

 私の問いかけに、高瀬君が無言で頷く。私はそれを手にすると

「開けていい?」

と言って彼の顔を見上げた。


 本当に貰っていいのかな…と思った。お礼なんて、私には貰う資格はないんじゃないかとも思った。だって今日高瀬君といられて嬉しかったのは、私の方だから。でも高瀬君が私の為に何かを買ってくれた事が凄く嬉しくて、私は気持ちを舞い上がらせながら、高瀬君から受け取った小さな袋を開いた。

 袋の中身は携帯ストラップだった。雑貨屋さんで私が欲しがっていた、ハートのチャームが付いた携帯ストラップ。

「本当にいいの?」

 妹さんにあげるんだと思っていた物が私の手元に来て、私は驚きと嬉しさを隠せない顔で高瀬君を見上げた。

「…元々山口さんに渡そうと思って買った物だし。」

 高瀬君がそう言って頷く。

「ありがとう…!」

 何だか泣きそうな気持ちになって、私は手の中にあるストラップに視線を落とした。

 高瀬君に貰った物は、これで二つ目だ。受験の前に貰ったお守りと、この携帯ストラップ。どちらも私が欲しかった物で、そんな理由もあるからなのか、私の大切な宝物となる。ううん、違う。高瀬君から貰った物なら、きっとどんな物でも宝物になるんだ。

「付けて、いい?」

 高瀬君の了承を得ると、私はバッグから携帯電話を取り出し、苦戦しながらストラップを取り付けた。ピンク色のそれは、白い携帯電話の脇でキラキラと輝いて、思っていた通り可愛くてとても綺麗で…。

「ありがとう…!大切にすれね!」

 満面の笑みで高瀬君にお礼を言うと、高瀬君も嬉しそうな笑顔を私に向けた。

『恋の基準値』をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます!!次回最終話となります。

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