着信
高校の合格祝いに、お父さんが白い携帯電話を買ってくれた。この中に、何人の電話番号が登録されるのかな――。
卒業式から数日後、私は自分の部屋で携帯電話の着信履歴を見つめながら、はあっとため息を吐いた。ディスプレイに表示されるのは、何度見ても明日香と瑞穂の名前のみ。
この買って貰ったばかりの携帯電話には、六件の電話番号しか登録されていない。明日香と瑞穂と家族と家、その六件。この中に、今一番知りたい高瀬君の電話番号は登録されていないのだ。
高瀬君に遊びに誘われたあの卒業式の日、私は高瀬君の連絡先を聞こうと、急いで彼を探し回った。でも既に彼は帰ってしまっていたみたいで、何処を探しても見つける事が出来なかった。だから私は高瀬君の連絡先を知らないし、高瀬君も私の連絡先を知らない。そんな状態で電話がかかってくるなんて絶対にあり得ないんだけど、何度も何度も着信履歴を見ては、その度にため息を吐く。
私は携帯電話をテーブルに置いて、近くにあったクッションを抱え込んだ。そしてもう一度ため息を吐いて、そこに顔を埋めた。
…高瀬君の電話番号、明日香に頼んで、田中君に聞いてもらおうかな。そうすれば連絡取れるし。
でも私から高瀬君に電話するの、なんとなく恥ずかしいかも…。いや、恥ずかしいというよりも、多分物凄く緊張する。
じゃあ逆に、田中君から高瀬君に私の携帯番号を伝えてもらうのはどうだろう…。でもそれだと『そっちからかけて』って言ってるみたいで、なんとなく図々しいかなあ…。
…やっぱり明日香に聞いてもらおう。それで私から高瀬君に電話しよう。間違いなく緊張するだろうけど、こんな風にモヤモヤ考えてるよりはずっといい。
それにこのまま考えてても、ただ不安が募るだけだ。高瀬君があの日連絡先を教えてくれなかったのは、実は私をからかっただけだから…そんな風に思い始めてしまいそうだ。
私はクッションに埋めていた顔を上げて、テーブルに手を伸ばした。ちょうどその時、着信を知らせるメロディが携帯電話から鳴り出したので、私はビクッと肩を震わせ、それから携帯電話を手に取ってディスプレイを確認した。
電話を掛けてきたのは、偶然にも明日香だった。そのタイミングの良さに嬉しくなりながら、通話ボタンをぽちっと押して
「もしもし、明日香?」
と大きな声で話し出すと
「うわっ、びっくりしたあ。沙和出るの、超早くない?」
と、明日香が驚いた様な声を出した。それがおかしくてクスクスと笑いながら
「私もちょうど、明日香に電話しようと思ってたところなんだ。」
と伝えると、明日香は
「何?どうしたの?」
と、自分の用件は言わずに私に尋ねてきた。
「あのね…、明日香にちょっとお願いがあるんだ。」
「え?何?」
「うん…。あのさ、田中君から高瀬君の電話番号、聞いてもらえないかな?」
「どうして?」
「どうしてって…。高瀬君に私から連絡してみようかなって、思ったから…。」
それを聞くと、明日香は急に黙り込んだ。その沈黙に、もしかしたら駄目ってことなんだろうかと不安になり、恐る恐る
「明日香…?」
と彼女の名前を呼ぶと、明日香は
「沙和、高瀬君からまだ連絡来ないの?」
と私に問いかけた。
「うん。だって…高瀬君、私の番号知らないし。だから私から電話してみようって。」
「………しいな…。」
「え?」
「ううん!何でもない。とにかく、もう少し高瀬君からの連絡、待ってみなよ。」
「え?だから高瀬君、私の番号知らないって…。待ってたって来る訳ないじゃん。」
「絶対大丈夫だから。」
「大丈夫って、何が大丈夫なの?」
彼女が何を言っているのか分からなくて、私は責め立てるように明日香に尋ねた。でも明日香はその質問に答えることはせず、代わりに
「あ、キャッチ入った。ごめん沙和、また電話するね。」
と言って、突然電話を切ってしまった。
「え、ちょっと明日香?」
慌てて彼女の名前を呼んだけれど、電話は既に切られていた。ツーツーという機械音だけが携帯電話から聞こえてくる。
結局、高瀬君の電話番号は聞けなかった。本当に、どうしたらいいんだろう…。
私ははあっとため息を吐くと、携帯電話をテーブルに置いた。
「沙和!ご飯よ。」
一階から、夕食が出来た事を告げるお母さんの声が聞こえた。
「はあい。」
そうお母さんに返事をして、ちらっと携帯電話を見る。
ご飯食べ終わったら、もう一度明日香に電話してみようかな。それで今度こそ高瀬君の電話番号を聞いてもらおう。
私はノロノロと立ち上がり、部屋のドアを開けた。ちょうどその時、携帯電話の着信メロディが鳴った。
もしかして明日香かな?さっき中途半端に電話切られちゃったから、もう一度掛け直してくれたのかも…。
私はドアを開けっ放しにしたたまま、テーブルの方に向かった。そして携帯電話を手に取ると、ディスプレイに表示されているのは明日香の名前ではなくて、全然見た事がない携帯電話の番号だった。
誰だろう…。もしかしたら間違い電話かな?
一瞬電話に出る事を躊躇ったけれど、もし間違い電話だったら違っている事を教えてあげた方がいいかも…と思い、私はちょっとビクビクしながら通話ボタンを押した。
「…もしもし?」
「もしもし…。山口さん?」
電話の相手は、男の人だった。その人が私の名字を口にする。
その声に聞き覚えがあって、私は心臓をどくんっと波打たせた。そして震える声で
「…はい。」
と返事をすると、電話から
「あの、高瀬だけど…。」
という声が聞こえてきた。
「な…なんで私の携帯番号…?」
突然の事に心臓をドキドキさせながら尋ねると、高瀬君は
「昨日水野さんに偶然会って、それでその時教えてもらった。」
と言った。
「水野って…明日香?」
「うん。」
私の疑問に、高瀬君が返事をする。でも明日香、さっき電話してた時、そんな事言ってなかったのに…。
…そういえば『連絡待ってみなよ』とか『絶対大丈夫』とか明日香言ってた。あれってもしかしなくても、高瀬君に私の携帯番号を教えたからだったんだ…!
「あのさ…。」
電話の向こうから、少し低いトーンの高瀬君の声が聞こえた。その声にドキドキしながら
「うん、何?」
と尋ねると、高瀬君は
「あのさ…、遊びに行く話だけど…。」
とちょっと言いずらそうに言った。
「う…うん。」
次に続く言葉が何なのか、ドキドキしながら相づちを打つと
「急だけど…、明日か明後日、暇?」
と、高瀬君が私に尋ねた。
「無理だったら、いいけど…。」
私は顔を赤くして、彼には見えないのにブンブンと数回首を振った。
「だ、大丈夫!明日でも明後日でも、いつでも暇だよ!」
私の少し上擦った声を聞いて、電話の向こうの高瀬君が小さく笑った。姿は見えないけれど、どんな表情をしているのか何となく分かる。
「じゃあ、明日でいい?」
暫しの間を空けて、高瀬君がそう尋ねた。私はさっきみたいに上擦った声を出さぬ様なるべく冷静を装いながら、高瀬君の誘いに
「うん。」
と返事をした。
高瀬君の着信履歴。それがディスプレイに表示されている。言葉にならない程嬉しくて、何度も何度もそれを見返す。
明日になったら高瀬君に会えるんだ。どうしよう、凄く楽しみで落ち着かない…!
ふと視線を感じて、私は部屋のドアの方を見た。するとそこには意味深な顔をしたお兄ちゃんが立っていた。
「な、何?!」
私は驚いて大きな声を上げた。いつからそこにいたんだろう…。それを考えると恥ずかしくて、自然と顔が赤くなる。
お兄ちゃんは私の大きな声に動じる様子もなく
「飯。」
とたった一言私に告げた。
「あ、うん。」
そういえばさっきお母さんにそう言われたっけ…。 私は慌てて立ち上がると、お兄ちゃんに付いて廊下を歩きだした。
「あのさあ。」
ふとお兄ちゃんが私の方に振り向いた。そしてニヤニヤした顔で、私を見る。
「さっきの電話、男?」
「だ、誰だっていいでしょ!!」
やっぱり聞かれてたんだ!!私は恥ずかしくなって、お兄ちゃんに向かって再び大きな声を出した。
「ふうん。」
お兄ちゃんはそう言うとニヤニヤしたまま前を向いて、それから階段を降り始めた。
何で聞かれちゃったんだろう。タイミング悪いよ!でも知られちゃったなら、いっそ協力してもらおうか…。
「あの…、お兄ちゃん。」
私は階段の中間地点にいるお兄ちゃんに声を掛けた。それに気付いて、お兄ちゃんが私を見る。
「あ、あのね、ご飯食べおわったら、一緒に服選んで欲しいの。」
「は?何で?」
「訳は後で話すから。だからお願い!」
「…めんどくせえな。」
お兄ちゃんはそう言うと、頭をボリボリと掻きながらキッチンに向かった。その後を、私も急いで追いかけた。