野球ボール
「昨日、お兄ちゃんに怒られた。」
放課後、いつものように校庭に来た私は、隣にいた明日香に話かけた。瑞穂は塾があるからと授業が終わったら早々に帰って行ったので、今日は二人だけだ。
「なんで?」
野球部をじっと見ていた明日香が、私の言葉に反応してこっちを向いた。
私は少し赤くなりながら、俯き加減に話を続けた。
「昨日の…、瑞穂が言ったことお兄ちゃんに話したの。そしたら…。」
「やだ〜!」
明日香がいきなり大きな声を出したので、びっくりして顔を上げると、明日香もまた赤い顔をして私をじっと見ていた。
「あの話したの?!やめてよ。恥ずかしいじゃん!」
「どうして?」
「どうしてって…、そんな話してるんだって思われちゃうんだよ。恥ずかしいよ。」
いや思われるもなにも実際そういう話をしていた訳だし…。でもそう思われるだけで恥ずかしいんだ。
確かに私もお兄ちゃんに話す時、ちょっと恥ずかしくて躊躇ったけど…。
「ごめんね。」
明日香の気持ちがちょっと分かったので、素直に謝ると、
「もういいよ。言っちゃったものはしょうがないし。」
という返事が返ってきたのでほっとした。
「それに、言ったのは瑞穂だしね。」
「そうだね。」
責任を瑞穂に押し付けて、顔を見合わせてへへっと笑い、私達は再び野球部の練習へと目を移した。
「で?」
「え?」
程なくして、明日香が疑問の声を発した。
さっきの話はもう終わったと思っていたので、何を問われているのか分からずに同じように疑問の声を発すると、明日香が少し言いずらそうに
「だからさ、キスとか、その…エッチとかって話したんでしょ?沙和のお兄ちゃん、なんて言ったの?」
と、小さな声で聞いてきた。
「え…。」
治まりかけていた恥ずかしさのメーターがまた上昇する。再び顔が熱くなる。
黙ったままの私を見て
「言い始めたのは沙和なんだから、教えてくれたっていいじゃん。」
と、明日香がキラキラした目をして急かしてくる。
「うん…。」
確かに私が言いだしたんだから答えなきゃいけないかな…と思い、私は口を開いた。
「あり得ないだろって言われた。」
「そっか。そりゃあそうだよね。」
それを聞いて、明日香はちょっとつまらなそうな顔になった。
「…何、その顔。」
「えー、だってさ、“出来る”って言われたら面白いじゃん。」
「もう!面白がらないでよ!出来る訳ないじゃん!」
あれ?
ふと自分の言ったことに疑問を感じる。
私今、“出来る訳ない”って言ったよね…。
昨日お兄ちゃんと話した時は、そんな経験ないから出来るかどうかなんて分からないって思ってたのに…。何で“出来る訳ない”って言ったんだろう…。
そういえば昨日お兄ちゃんに“ちゃんと否定しろ”って言われたっけ。そのせいかな…。
「どうしたの?」
急に黙り込んだ私を、明日香が不思議そうに覗き込んだ。
「ううん、なんでもない…」
「危ない!!」
私の言葉が終わるか終わらないかという時、グラウンドの方から危険を知らせる叫び声のような声が聞こえた。その方向に目をやると、私達の方に凄いスピードで飛んでくるボールが目に入った。
「キャッ!!」
当たるという恐怖を感じて、私達はぎゅっと目を閉じ寄り添って身を屈めた。
その直後、前方でパンッという何かが弾けるような音が聞こえた。
あれ?ボール、飛んで来ない…?
暫くしてもボールがぶつかる気配がないので、私は恐る恐る目を開けた。
目の前には、ほっとしたような野球部員数人の姿と、ちらっと私達を見て走り去る一人の男子の姿があった。
「びっくりしたあ!沙和、大丈夫だった?」
同じように目を開いた明日香が、私に問い掛けてくる。
「うん…。大丈夫。」
私は走り去る男子の後ろ姿を目で追ったまま、明日香に返事をした。