卒業
体育館に並べられた椅子に、生徒達が座っている。その中からすすり泣く声が聞こえて来て、私も釣られる様に目に涙を浮かべた。
卒業の日。
着慣れた制服ともこの校舎とも、今日でお別れだ。いつもは長くて退屈な校長先生の話も、今日は貴重なものに思える。
過ごしている間は長く感じた三年間も、今思えばあっという間だった。
入学してすぐ、席が近かった明日香や瑞穂と仲良くなった。学校にいる時も遊びに行く時も、私達はいつも一緒だった。楽しい事も辛い事も、三人で分かち合ってきた。
クラスの子とも色々話したな。たまに男子と女子で言い合いする事もあったけど、苦手だった体育祭とか、合唱祭とか、クラスのみんなで協力して応援しあって頑張った。修学旅行の時は恋の話で盛り上がったっけ。
そんなクラスの子とも、今日でお別れ。中には同じ高校に行く子もいるけれど、もしかしたらもうほとんど会わなくなる子もいるかもしれない。
そんな事を考えていたら涙が止まらなくなって、もっとみんなと居たかった、もっとみんなと話したかったっていう想いが、どんどん溢れて出して来た。
私は下を向いて、必死で嗚咽を堪えながら涙を拭った。
式が終わって教室に着くと、私達から少し遅れて先生が入って来た。
先生は黙ったままゆっくりと私達を見回して、それから
「みんな、卒業おめでとう。」
と口を開いた。
「こうして全員で卒業式を迎えられて、先生は本当に嬉しいです。しかも全員進路が決まって…、本当に良かった。」
先生の言葉を聞いて、みんなキョロキョロと周りの子を見始めた。そして目が合うと、どちらからともなしに頬笑み合う。
公立の二次試験の合格発表があったのは、卒業式の少し前だった。試験の日は『絶対に大丈夫』と自分に言い聞かせていた私も、さすがにその日は朝から落ち着かなかった。発表の時間になって自分が合格したと知った時は、悲鳴を上げる位嬉しかった。その後明日香も瑞穂も、そしてクラスの全員が合格したと知って、私達はみんなで喜び合った。勿論お父さんもお母さんもお兄ちゃんも喜んでくれた。でも全員の合格を本当に一番喜んだのは、先生だったのかもしれない。
「みんなは今日で中学を卒業して、それぞれが新しい進路へと向かいます。全員が一緒に居られるのも、今日で最後です。でも三年間この中学で学んだ事やみんなで過ごした事は、決して忘れないでください。先生もみんなと過ごせた事を決して忘れません。…みんなの先生で居られて、本当に幸せでした。ありがとう。」
先生の目が潤んでいる様に見えた。そして私の目からも涙が溢れた。卒業式であんなに泣いたのに、一体どれだけ泣けばいいんだろう…。でも涙は全然止まらなかった。そしてそれは私だけじゃなかったみたいで、教室のあちこちからみんなのすすり泣く声が聞こえて来た。
「先生!」
突然、一人の男子が立ち上がった。私達は涙目のまま一斉にその男子を見た。すると彼は
「俺、このクラスで本当に良かった。それから、先生が担任で本当に良かったです。ありがとうございました!」
と先生に告げた。それを聞いた先生は
「ありがとう。先生も、佐々木の先生で良かった。」
と頬笑んだ。
「私も!」
ガタンッと椅子を鳴らして、今度は千穂ちゃんが立ち上がった。
「私も、先生の事もこのクラスの事も本当に大好きでした。ありがとうございました!」
それを皮切りにして、次々とみんなが立ち上がって先生にお礼の言葉を伝えた。先生も言葉をくれた一人一人に、お礼や激励の言葉を伝える。私も泣きながら先生にお礼の言葉を伝えると、先生はそんな私を見て優しく頬笑んでくれた。
一体何人が先生に言葉を伝えただろう。ふと先生の目から涙がこぼれた。
初めて見る先生の涙に驚きながらも、私達の目からも涙が溢れた。それを見ていた教室の後ろや外にいるお母さん達からも、すすり泣く声が聞こえて来た。
それは、寂しいとか嬉しいとか感謝とか、色々な気持ちが入り交じった涙。決して悲しいだけの涙じゃない。
「またいつか、絶対に全員で会いましょう。」
みんなの言葉が終わると、先生は涙目のままそう言って笑った。
「はい!」
私達も泣きながら笑って、先生の言葉に返事をした。
「本当にこれで卒業なんだね…。」
一人、又一人と帰っていく教室の隅で、明日香が呟く様に言った。
「うん…そうだね…。」
私もそう呟いて、また溢れそうになった涙を慌てて拭った。
教室のあちこちから『また会おうね』とか『元気でね』といった声が聞こえてくる。私達の所にも帰る間際の子達が挨拶に来て、その度に寂しい気持ちになりながらも笑顔で挨拶を返した。
突然、私達から少し離れた場所で
「えー!!」
という数人の子の大きな声が聞こえた。びっくりしてそちらに視線を向けると、話題の中心にいるのは、どうやら修学旅行の時同じ部屋だった知美ちゃんの様だった。
何があったのか気になって、私はじっと聞き耳をたてた。ちょっと離れた場所に居るから良く聞こえないけれど、知美ちゃんの周りにいる子達は、知美ちゃんの事を心配している様だった。
「…後悔したくないから。」
知美ちゃんの声が聞こえた。するとみんなは口々に
「頑張って!」
と知美ちゃんに伝え、それを聞いた知美ちゃんは
「うん。」
と力強く頷いて、教室を出て行った。
「どうしたんだろうね?」
知美ちゃんが教室から出て行った後、私はそう言って明日香と瑞穂を見た。
「うん…。」
そう言いながら、明日香と瑞穂が顔を見合せる。
「何?」
その答えが気になって二人を見ると、瑞穂がふと私を見て
「ねえ、沙和。」
と私の名前を呼んだ。
「何?」
「今日、高瀬君と会った?」
「え…?」
突然の瑞穂の言葉に、私は顔を赤くした。
「…卒業式の時にちらっと見たけど、でも、会ってはいない…。」
「高瀬君と、何も話さなくていいの?」
瑞穂の問いかけに、私の心臓が重く早く鼓動し始める。
「…話したいよ。話したいけど…。」
「絶対話した方がいいって。だって今日が最後になっちゃうかもしれないんだよ?」
…瑞穂の言う通りだ。だって私達は、今日で中学を卒業するんだから。この学校で高瀬君と会う事は、多分二度とない。
いつかゆみさんが言っていた様に会いたかったら会いに行けばいいんだろうけど、もし会いに行ったとしても会えるかどうかなんて分からない。それ以前に、本当に会いに行かれるかどうかすら分からない。
高瀬君が近くにいる確実なチャンスは、もう今日だけなんだ。今日を逃したら、二度と話せないかもしれない――。
「私…」
「沙和。」
口を開いたその時、後方で私を呼ぶ声がした。
「…お母さん。」
振り返ると、そこにはお母さんの姿があった。お母さんは私達に近付くと、笑顔で
「みんな、卒業おめでとう。あと、受験合格も。本当に良かったわね。」
と言った。
「ありがとうございます。」
明日香と瑞穂が、お母さんにお礼の言葉を返す。
「まだ色々話したい事はあるだろうけど、お母さん、買い物したりしなきゃいけないから…。だから沙和、そろそろ帰りましょう。」
「…え?」
お母さんの言葉を聞いて、私は顔を曇らせた。そして明日香と瑞穂に顔を向けると、二人共心配そうに私を見ていた。
「また春休みにも会えるでしょう?」
そんな私達を見て、お母さんが声を掛ける。
「そうだけど…。」
確かに明日香と瑞穂とは春休みにも会えるけど、でも今私が帰りたくない理由はそれじゃなくて…。
「ねえ、春休みにみんなで遊ぼうよ。」
暫く黙ってお母さんと私を見ていた明日香が、笑顔で言った。
「田中達も誘うからさ。だから、今日はこれでバイバイしよう。」
「え…。」
“達”という事は、高瀬君も一緒にという事なんだろう。明日香は多分私が悩んでいるのを見て、必死で考えてくれたんだ。
「うん。絶対に遊びに行こう。」
瑞穂も笑顔で私を見る。
「じゃあ、帰りましょうか。」
「…うん。」
私はまだ後ろ髪が引かれる思いでいたけれど、仕方なくお母さんの言葉に頷いた。二人がこう言ってるんだもん、また高瀬君と会えるよね…。
「明日香ちゃんも瑞穂ちゃんも、また家にも遊びに来てね。」
「はい、絶対行きます。じゃあ、沙和またね。」
「うん、またね。」
私を笑顔で見送る明日香達に手を振ると、私はお母さんに付いて教室を後にした。