神頼み
ほぼ最後となる進路調査が済むと、三年生の教室は勉強一色になっていた。この前までテレビやゲームや遊びの話をしていたとは信じられない程、ほとんどの人が勉強に必死になっている。私達もその波に飲まれて、真剣に勉強をするようになった。
瑞穂はもともと勉強に励んでいたからさほど変わりはないだろうけど、私と明日香の生活は明らかに変わった。今まで買ったことなんてなかった問題集を買って、家に帰るとテレビも見ずにすぐ勉強を始める。分からないことはその日のうちにお兄ちゃんに聞いたり次の日学校で先生に聞いたりして、今までみたいに分からないままで放置することが無くなった。学校での会話も、自然と勉強や受験の話題が増えた。
もうすぐ冬休み。
この休みが終われば、すぐに私立の試験や公立の前期試験が始まる。せっかくの休みなのに、遊んでる暇なんかない。
「冬休みさ、初詣位はみんなで行こうよ。」
終業式が終わった帰り道、明日香がそう提案した。
「毎日家に籠もって勉強なんて、絶対無理!せめて一日位は気晴らししようよ。さすがに瑞穂もお正月は塾ないでしょ?」
「そうだね。冬期講習は受けるけど、三が日は休みだったと思う。私も神社で合格祈願したいから、初詣は行くよ。」
「…結局受験の話になるんだ。」
そう言って、明日香がつまらなそうな顔をする。それを見た瑞穂が
「受験生なんだから当たり前でしょ?!」
と、厳しい口調で明日香に告げた。
「沙和も行くよね?」
「うん。今のままだと受かるか自信ないから、神様にお願いしとこうかなって。」
「そっか!そうだね。神様にお願いすれば何とかなるかもしれないね。色々お願いしたい事あるけど、私も受験に合格しますようにってお願いしよう。」
「何言ってるの?」
私と明日香の会話を聞いて、瑞穂が冷やかな目で私達を見た。
「努力があってこその神頼みだよ。何もしないでお願いしたって、絶対に叶わないんだからね。だから初詣に行く時以外は、ずっと勉強する事!分かった?」
「…はあい。」
瑞穂の力説に、私達はうなだれながら返事をした。
勉強しないと合格出来ないって、そんな事は分かってる。けどちょっと位なら、そういう事考えてみたっていいじゃん…。
「何か瑞穂…、先生みたいだね。」
明日香が瑞穂に聞こえないように、私の耳元で囁いた。
「うん。本当。」
私が小さな声で明日香の意見に同意すると、それに気付いた瑞穂が私達を見て怖い顔をした。
「何か言った?」
「ううん、何も言ってないよ。」
今話してた事が瑞穂にばれない様にと、私と明日香は笑って適当に話を誤魔化した。それからそれ以上突っ込まれない為に早足で歩き始めた。
そしてお正月がやって来た。
殆んど家にいて外にあまり出なかった所為か寒さに免疫がなくなっていて、私は冷たい風に必死に耐えながら神社へと続く道を歩いた。明日香も私と同じらしく、ずっと“寒い”を繰り返している。
「ちょっとは我慢できないの?」
そんな明日香に、瑞穂が呆れた様な声を出す。
「だって寒いんだもん!…瑞穂は寒くないの?」
「…寒いけどさ。でももうちょっとで神社なんだから我慢して。お参りが済んだら、何か暖かい物奢ってあげるから。」
「本当?絶対だよ!」
瑞穂にそう言われて、明日香はようやくおとなしくなった。
寒さに耐えながら辿り着いた神社は、大勢の人で賑わっていた。
どこを見ても人だらけ。お参りをしようと待つ人の列は、中々進んでいかない。それどころか人の波の所為で、境内から押し出されそうになる。
「マジ無理。寒くて凍えそうだし中々進まないし…。」
数十分その状態に置かれて、明日香が泣き言を言い出した。
「もう帰りたい。」
「何言ってるの?初詣行こうって言いだしたの明日香でしょ?」
「そうだけど…。でもこんなに混んでると思わなかったんだもん!」
人混みの所為か、瑞穂の顔にも苛立ちが見えてきた。私も正直イライラしそうになっていたけど、お正月からつまらない言い争いなんてしたくなくて、何とかみんなの気分を変えようと必死で話題を考えた。
「そうだ瑞穂!前期試験、本当に受けないの?」
ようやく見つけた話題はあんまり考えたくない受験の事だったけど、何も話さないよりはましだと思って、私は言葉を続けた。
「瑞穂なら絶対前期試験合格できるのに、どうして受けないの?」
「え…。」
瑞穂の顔が赤くなった。それは明らかに寒さの所為だけじゃない。明日香もそれに気付いたみたいで、不思議そうに瑞穂を見る。
瑞穂は暫く黙っていたけれど、やがて言いずらそうに口を開いた。
「…後期試験で入りたいから。」
「だから、何で?」
「…何でだっていいでしょ。」
「ええ?教えてよ。」
その理由が知りたくて、私は更に瑞穂を問い詰めた。さっきまで不機嫌そうにしていた明日香も、好奇心に満ちた目で瑞穂の顔をじっと見ている。
その視線に耐えきれなくなったのか、瑞穂は仕方なさそうに口を開いた。
「…先輩が…後期試験で合格したから、私もそうしたくて…。」
「先輩って、瑞穂の好きな人の事?」
私の問いかけに、瑞穂は更に顔を赤くして黙って頷いた。
「瑞穂可愛い〜。」
それを見た明日香が、満面の笑みで瑞穂をからかい始めた。
「好きな人と同じ条件で高校に入りたいなんて、マジで恋する乙女じゃん。」
「う、うるさいよ!」
「やっぱ高校入ったら告白する訳?」
「それは…合格してから考えるっ。」
「いいなあ、好きな人と一緒の高校生活。それは受験勉強も頑張れちゃうよね。」
そうか…。受験に合格したら、瑞穂は好きな人と同じ高校に行けるんだ…。
私は志望校に合格しても、好きな人と一緒に高校に行ける訳じゃない。大好きな友達はいるけど、好きな男子はそこにはいない。
高瀬君はきっと付属に合格して、中々会えなくなるだろう。そしたらきっと私は高瀬君に会いたくて、毎日寂しい想いを抱くだろう。
自分で違う高校に行くって決めて納得したはずなのに、考え出すと止まらなかった。好きな人と同じ高校に行ける瑞穂が、凄く羨ましかった。
「…いいな。」
思わず口にした呟きに、明日香と瑞穂がはっとした様に私を見た。そして心配そうな表情をする。
「あ、ごめん!何でもないよ。」
私は慌てて笑顔を作った。せっかく明るい雰囲気になってたのに、私の所為で暗くなるのは嫌だった。
「沙和、やっぱりまだ高瀬君と一緒の高校行きたい?」
私の思いとは裏腹に、瑞穂が真剣な表情で私を見つめた。
「その話はもういいじゃん。それより瑞穂の先輩の事もっと教えてよ。」
何とか話を逸らそうと、私は瑞穂にそう告げた。でも瑞穂は
「教えてよ。」
と言って、ひたすら真剣な表情で私を見る。それでも私が話を逸らそうとすると、瑞穂は
「私も言ったんだから、沙和も言ってよ。」
と、じっと私を見つめた。
多分私が何を言っても、瑞穂は私の気持ちを聞こうとするだろう。それはきっと興味本位とかじゃなくて、私を心配しての事なんだ。
「…うん。」
話を逸らすことを諦めて、私は小さく頷いた。
「高瀬君と同じ高校行きたいって、まだちょっと思ってる…。でも高瀬君が付属受かる様に、ちゃんと応援するよ。それに私も…東高に行くって決めたから、絶対に合格する。」
「沙和…。」
瑞穂が切なそうな顔をして私を見る。
「そんな顔しないでよ!大丈夫だから。」
私はこの空気を変えたくて、わざと元気に瑞穂に告げた。
「…ずるい。」
「えっ?」
思いもしなかった言葉を聞いて、私と瑞穂はその言葉を発した明日香を反射的に見た。
「ずるいって…、何が?」
明日香が何を言っているのか分からなくてそう尋ねると、何故か明日香は不貞腐れた様な顔をして、じっと私達を見た。
「だってずるいじゃん。二人だけ恋してて、私はしてないなんて。」
「…そんな事言われても…。」
「明日香だって恋すればいいじゃん。」
「…相手がいないもん。」
「田中君は?」
「田中はもうただの友達なの!そんな感情とっくにないよ。」
そんな事を言われても、どうしたらいいのか…。明日香に何を言ったらいいのか分からなくて、私と瑞穂は黙り込んだ。
「よし、決めた!」
そんな沈黙を破るように、明日香が大きな声を出した。
「高校行って凄い格好いい人見つけて、その人と付き合う!」
「うん、そうしなよ。」
「そうやって神様にお願いする!」
「…は?」
再びの明日香の予想外な言葉に、私と瑞穂は顔を見合わせた。
「…それって…。」
「神様にお願いしてどうにかなる事…?」
「誰が何と言っても絶対に叶えてもらう!駄目って言われても聞かないから!」
本気なのかふざけてるのかわからない明日香の言葉と真面目な表情が可笑しくて、私と瑞穂は声を出して笑った。