たからもの
「いってきまーす。」
花火大会当日。
私は買ったばかりの浴衣をお母さんに着せてもらって、玄関を出た。
みんな可愛いって思ってくれるかな…?
そんな期待と不安を胸に、待ち合わせ場所へと急いだ。
花火大会に行くことが決まった時、明日香が
「みんなで浴衣で行こう。」
と提案した。どうせなら花火大会らしい、そして可愛い格好をして行こうというのだ。
私は明日香の提案に、すぐに賛成した。可愛い格好をしたいのも勿論あったけど、一緒に行く高瀬君に、可愛いって思って欲しかったから。
そう思って、この前お母さんにねだって、浴衣を買いに行ってきた。そこには色々な色や柄の浴衣がならんでいて目移りして、選ぶのが凄く大変だった。そして最終的に買ったのが、白地にピンクの花と蝶の模様がデザインされたこの浴衣。浴衣の柄に合わせてと、お母さんが蝶の髪飾りをつけてくれた。
「ごめんね、遅くなっちゃった。」
着慣れない浴衣で動きづらくて、私ははあはあと息をはずませながら待ち合わせ場所に着いた。そこには明日香と瑞穂が既にいて、それを見て私はほっとした。
最初花火大会に行くのを渋っていた瑞穂は、明日香に
「息抜きも大事なんだから、絶対一緒に行こう。」
と説得されなんとか頷いてくれた。けれど、本当に来るか心配だったから、いてくれて凄く嬉しい。
「沙和の浴衣可愛いね。凄い似合ってる。」
私を見て、明日香がそう褒めてくれた。
「本当?」
嬉しくて照れ臭くて、少し赤くなりながらも自然と顔がほころぶ。
「ありがとう!明日香も凄く似合ってるよ。」
明日香が着ているのは、紫の生地に大きめの白やピンクの花の模様の浴衣。ちょっと大人っぽい浴衣だけど、それが明日香に良く似合ってる。
瑞穂は、白地に小さな水色の花の模様の浴衣。涼しげなその色使いが、瑞穂にぴったりだ。
「きっと男子もびっくりするね。」
と明日香が楽しそうに笑い、それから、高瀬君と田中君を探して歩き始めた。
高瀬君とは、夏休みに入ってから偶然一回だけ会うことが出来たけど、それから一週間以上会ってなかったから、会えるということだけでも凄く嬉しい。
「いたよ。」
明日香が二人を見つけて指を差した。その方向を見た途端、私の心臓はどくんと大きく波打った。
高瀬君は黒いTシャツにジーンズという格好だ。普通のラフな格好なんだけど、あまり見ることのない私服姿は妙に新鮮で格好よくて、胸がドキドキする。
明日香が二人に駆け寄った。二人が手にしているかき氷に興味を示したらしい。何処で買ったのか聞くと、田中君が
「あそこ。」
と指差した。その方向には、沢山の人が群がる屋台。
「混んでるね…。」
と、明日香はため息をついたけど
「でも、絶対に食べたい。沙和達も付き合って。」
と屋台に向かった。私は瑞穂と一緒に、明日香の後についていった。
かき氷のお店には色々な味のシロップがあって、買う順番を待っている間、どれを食べるか盛り上がった。そんな話をしている間も、私は高瀬君が気になって、チラチラと後ろを気にする。
そんな私に気が付いて、瑞穂が
「どうかした?」
と顔を覗き込んだ。
「どうもしないよ。」
と私は言ったけど、明日香に
「高瀬君のこと気にしてるんでしょ。」
と当てられて、顔を赤くした。
「浴衣姿、可愛いって思われてるか気になるんでしょ。」
…それも、あるけど。
「そんなに気になるなら聞いてみたらいいじゃん。」
「む、無理だよ!」
明日香の言葉に、私はブンブンと首を振った。
すると明日香は
「じゃあ、しょうがないから私が聞いてあげるよ。」と、呆れているんだけど楽しいって顔をして言った。
「ねえ、浴衣可愛いでしょ。」
かき氷を買い男子のいる場所に戻ると、明日香が何の前触れもなく、そう二人に聞いた。
本当に聞いてる…!私は明日香の唐突な発言にびっくりしたけど、高瀬君が何て答えるのか気になって、じっと聞き耳を立てた。でも高瀬君は、何も言わなかった。
田中君が
「浴衣は可愛いんじゃん?」
とふざけるように答える。明日香がそれを聞いて
「ひどーい!」
と言って殴る振りをした。
ふざけて笑う二人。私はそれを見て仲いいな、ってちょっと羨ましくなった。
私もあんな風に高瀬君と話したいな。
いつもそう思うんだけど、実際は話し掛ける勇気も聞く勇気もない。そんな自分が情けない。
…今日は絶対に、高瀬君といっぱい話す!
私は立ち止まって、自分の気持ちを奮い立たせるように、ほとんど溶けてしまったかき氷だった液体を一気に飲み干した。
空になった容器を、既にいっぱいになりかかっていたゴミ箱に捨て振り返ると、そこにいるはずの明日香達が、いなくなっていた。
もしかして、先行っちゃった…?
焦って辺りを見回すけれど、花火に押し寄せる人達に隠れてしまって、みんなの姿を見つけることが出来ない。呆然と立つ私を、周りの人達が邪魔そうに見て通り過ぎていく。
一人になってしまった事が不安で泣きそうになった。けれど、みんなまだそんなに遠くには行っていないはずだと思い直して、歩きだそうとした。その時、誰かがグッと私の腕を掴んだので、私は驚いて、掴まれた腕の方向に反射的に目を向けた。
私の腕を掴んだのは高瀬君だった。彼は無表情のままで
「そっちじゃないよ。」
と私に告げる。
見つけてもらって安心して、私は何も言わず、高瀬君をただ見つめた。数秒後高瀬君に
「大丈夫?」
と聞かれなければ、そのままずっと彼を見ていたかもしれない。
「ごめんね…!あ、明日香達は?」
私ははっと我に返って、赤くなった顔を誤魔化すように、キョロキョロと辺りを見回す振りをした。すると高瀬君は
「あっち。」
と、私とは逆の方向を指して、私がそれを見たことを認めると、すぐにそっちの方向に歩き出した。
歩きづらい人混みと、慣れない浴衣。それでもはぐれる訳にはいかないと、歩幅の広い彼を必死で追いかける。途中、人波に流されそうになったり躓きそうになって歩みを止めたりしたけれど、その度に彼は振り向いて、私を見失わないようにしてくれた。
何度かそれが繰り返された時、高瀬君が急に私の隣に並んだ。
「…速い?」
いつもと変わらない口調で私に尋ねる。
「ううん、そんな事ないよ。」
と私が首を振ると、
「でもさっきから、はぐれそうになってる。」
と彼は言った。
私が思ってることバレバレなのかな…。でも彼に気を遣わせたくない。
“大丈夫”そう言おうとしたて、口を開きかけたその時だった。
高瀬君の手が、そっと私の手に触れた。
「はぐれたら困るから…。」
高瀬君はそう言って、私の手を引いて、歩き出した。
一瞬何が起きたのか分からなくて、私は彼にされるがまま足を踏み出した。でもすぐに手を繋がれているという状況を理解して、そしたら、心臓がどうにかなってしまいそうな位に大きく鼓動し始めた。顔も、凄く熱い…!
もう暗くなりだしているというのに、夏の蒸し暑さは昼間と変わり無く私達を包んでいた。けれど、それとは違った熱さが、高瀬君と繋がっている手から、どんどん全身へと広がっていく。
心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思った。それ位近い距離に彼がいた。でも周りの喧騒が、高瀬君に聞こえないように、心臓の音を掻き消してくれる。
きっと高瀬君にとったら、こんなの何でもないことなんだ。春休みにジェットコースターに乗った時と同じように、ただ私を気遣ってくれているだけ。
でも、私の気持ちは、あの時とは違う。
私ね、高瀬君のこと、好きなんだよ。
勇気がなくて口に出せないこの想いが、繋いだ手から伝わって、高瀬君に届けばいいのに。そして、このままずっと高瀬君の手が、離れなければいいのにって、思った。
無事にみんなを見つけると、繋いでいた手は自然と離れた。
もうちょっと、繋いでいたかったな…。
離れたその手を見つめて、私は残念な気持ちになった。
「何処行ってたの?心配したよ。」
瑞穂と明日香が、私に駆け寄る。
「ごめんね。」
心配させてしまったことが申し訳なくて、私は素直に二人に謝った。
花火を見る場所を確保して、始まるのを今か今かと待つ間、明日香が
「高瀬君と二人きりで、何か話した?」
と、私に尋ねた。
「何も…。」
「何も、話さなかったの?」
そう、高瀬君と二人で歩いている間、私達はお互い何も話さなかった。ドキドキしすぎて話せなかったというのもあるけど、彼がすぐ側にいて手を繋いでくれている、それだけで幸せだった。
手を繋いで貰ったこと、明日香達に言ったほうがいいかな…。私はちょっと悩んだけど、やっぱり今は秘密にしておこうと思った。二人だけのあの時間を口にすることが、なんだか勿体なかった。それにもし口にしたとしても、あの時のドキドキや幸せな気持ちは、きっとうまく伝えられない。だから、私の心の中だけに、大事に大事にしまっておくことにした。
ドーンという音と共に、歓声が上がる。
空には赤や緑やオレンジなどといった、色とりどりの花火が広がる。
「綺麗だね。」
私達は誰からともなくそう言い、目を輝かせた。
すぐ側には大好きな友達と、大好きな人。そして大好きな花火。
大好きなものに囲まれたその時間は、凄く幸せで、凄く大切で…。
「また来年も来たいな…。」
私の呟きに、明日香は
「うん…、来年もみんなで来れたらいいね。」
と言って、なんだかしんみりしたような笑顔を見せた。