決断
「…明日香、大丈夫かな。」
球場から帰る途中に立ち寄ったファーストフード店で、私は向かいの席に座っている瑞穂に、ため息混じりに声をかけた。
「…どうだろ。」
私の問いかけに、瑞穂はそれだけ言うと、目の前にあったコーラの入ったカップのストローに口を付けた。それを見て、私もオレンジジュースの入ったカップのストローに口を付ける。
球場で泣きじゃくっていた明日香を、私達は家まで送ろうとしたのだけれど、明日香は“大丈夫”と言って一人で帰ってしまった。でも本当に、一人で帰してしまって良かったのだろうか。もしかしたら今も泣いているかもしれないのに…。
その時、瑞穂のバッグの中からピロンという音がした。それに気付いた瑞穂が携帯電話を取り出して、カチャカチャとボタンを操作する。それが一段落すると、瑞穂は携帯電話をテーブルに置いて、それから
「明日香、家に着いたってさ。」
と私に教えてくれた。
「本当?良かった。」
私はひとまず安心して、再びストローに口を付け、そして球場での明日香を思い出した。
最後の打席に立った田中君に、必死に声援を送った明日香。周りのみんなが諦めかけても、明日香は諦めなかった。でも負けてしまって、田中君は蹲って泣いていた。それを見て、明日香も涙を流した。――その涙の意味するところって、やっぱり…。
「ねえ、瑞穂。」
私は下を向いていた顔を上げて、瑞穂に声を掛けた。窓の外を見ていた瑞穂が、私へと視線を戻す。それを確認してから、私は自分が思っていた事を口にした。
「明日香さ、多分田中君の事、まだ好きだよね。」
「…そう、かもね。」
はっきり“そう”とは言わなかったけれど、瑞穂も同じ事を思っていたのだろう。歯切れの悪い口調だったけど、それを認めた。
「やっぱり私、明日香のこと応援したい。」
「それは私も思うけど、でも、どうやって?」
私の言葉を聞いて、瑞穂は両腕をテーブルに置き、前のめりの姿勢で私を見据えた。
「この前も言ったけど、明日香が何も言わないなら、私達は何も出来ないよ。明日香が今日一人で帰ったのだって、きっと何か考えたいことがあったからだよ。その明日香の気持ちを無視して何かするなんて良くないよ。」
瑞穂の言葉に、私は一瞬うっと口籠もった。でも、
「もしかしたら言えないだけかもしれないじゃん。」
と反論をし、
「私、明日香に、どうしたいのか聞いてみる。」
と言った。
「止めときなよ。」
と瑞穂は言ったけど、どうしても明日香の力になってあげたくて、私は絶対に明日香の気持ちを聞こうと決心した。
そうは思うものの、それを明日香に聞くきっかけが中々掴めなかった。
次の日登校してきた明日香は普通に明るくて、そんな話をしていいのかという躊躇が私の中に出てきた。…やっぱり瑞穂のいう通り、明日香が何か言うまで黙ってた方がいいのかな。そんな事を思っているうちに時間は流れ、とうとう放課後になってしまった。
「沙和、帰ろう。」
明日香のいつも通りの明るい声に、私は急いで身支度を整えた。そして瑞穂と三人で廊下に出る。
「ねえ、これからカラオケ行かない?」
廊下を歩いていると、明日香が唐突にそんな誘いをかけてきた。
急な誘いに少し戸惑ったけど、もしかしたら明日香の気持ちを聞けるチャンスかもしれないと思い、私は
「うん、行く。」
と頷いて、それから、瑞穂を見た。瑞穂は
「私は…。」
と言い淀んでいる。もしかしたら今日も塾があるのかもしれない。
その時、急に明日香が足を止めた。どうしたのかと思いながら私も足を止め、そして、明日香の視線を辿った。
明日香の視線の先には、二人の男子の後ろ姿があった。それが高瀬君と田中君だと気付き、私の心臓がどくんと鳴った。
昨日の試合の後、必死に涙を堪えていただろう高瀬君の姿が浮かぶ。そして最後にバットを振った田中君の姿も。“残念だったね、でもかっこよかったよ”そう二人に声を掛けたかった。でも明日香を尻目に、二人に声を掛けるのはどうなんだろう…。
悩んでいた私の隣で、明日香が動いた。
「田中。」
と声を掛けながら、明日香が二人に駆け寄る。
思いもしなかった明日香の行動に、私と瑞穂は呆然とした。
明日香が
「まだ落ち込んでるの?」
と、田中君に声を掛けた。それを聞いた田中君が
「うるせえよ。」
と言いながら明日香を見る。
「まあ負けちゃったけどさ、また高校に入ったら野球できるんだし、そんなに落ち込まないで元気だしなよ。」
今まで田中君に挨拶すらしなかった明日香が、田中君と話してる…。私と瑞穂はびっくりして、顔を見合わせた。
「まあ…そうだけど。」
そう答えた田中君の表情はふて腐れていたけど、でもその目は、なんだかほっとしている様にも見えた。
「そうだ、私達これからカラオケ行くんだけど、二人も行かない?」
「俺達は…、これから野球部に顔出すから。」
「そっか。じゃあまた今度ね。」
そう言うと明日香は
「じゃあね。」
と告げて、田中君も
「じゃあ。」
と言って、高瀬君と歩きだした。
「沙和、高瀬君に何も言わなくて良かったの?」
私達の所に戻ってきた明日香が、そう私に尋ねる。
確かにさっきまで、高瀬君達に声を掛けたいと思っていた。でも今私達の目の前で明日香がした意外な行動に、私はそんなことはすっかり忘れてしまっていた。
「明日香、田中君と、仲直りしたの?」
私は明日香の問いかけに答える代わりに、明日香に質問を投げ掛けた。すると明日香は一瞬間を空けてから
「昨日、田中と話したんだ。」
と話し始めた。
「結論から言うと、私、田中と別れたんだ。」
明日香の言葉にびっくりして、私と瑞穂は再び顔を見合わせた。だってさっきあんなに仲良さそうに話してたのに?別れたなんて信じられない…!そんな私達の驚きを余所に、明日香の言葉は続いた。
「昨日田中が試合してる所見て、分かっちゃったんだ。やっぱり田中は野球が好きなんだなって。今までも知ってはいたけど、でも私より野球の方が好きだなんて嫌だなって思ってた。…でもさ、そんなこと言ったって無理なんだよね。」
悲しげに笑う明日香を、私と瑞穂はじっと見つめた。昨日私達と別れた後、明日香は瑞穂の言った通り、色々考えてたんだ…。
「分かってはいるんだけど、でも、好きな人と一緒にいたいっていうのは変わらないんだよね。だから仲直りしてまた付き合っても、同じ事で喧嘩しちゃうと思って…。だから別れちゃった。」
「…本当に、それでいいの?」
心配そうな顔をして、瑞穂が明日香に尋ねた。すると明日香は“うん”と頷いて
「そうするのが、一番良かったんだよ。」
と言った。
「別れたといっても、全く口きかない訳じゃないし…。今までずっと私達話さなかったじゃん?それ、結構嫌だったんだよね。だからね、友達になろうって。田中も同じこと思ってたみたいで、うんって言ってくれた。」
すっきりしたような明日香の表情。私はそれを見て泣きそうになった。
明日香達はそれが一番いい方法だと思って、別れて友達になった。その決断を否定する気はないけど、それまでずっと悩んでいた明日香の気持ちを思うと、涙が溢れそうになった。
「ちょっと!何で沙和が泣きそうな顔してるの?」
それに気付いた明日香が、私に声を掛けた。
「泣かないでよね!釣られるじゃん。」
やっぱり明日香だって、別れたことが悲しくない訳じゃないんだ。でも頑張って田中君に声を掛けて、そしてこうして笑っている。そんな明日香を前にして、私が泣く訳にはいかない。私は慌てて涙を拭った。
「早くカラオケ行こうよ。」
それを見ていた瑞穂が、私達に声を掛けた。
「え?瑞穂、大丈夫なの?」
「勿論。だから早く行って、一杯歌おう!」
「うん、そうだね。」
私達は急いで靴を履いて、駆け出すように外に出た。