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恋の基準値  作者: みゆ
31/58

きらめき

「高瀬君!頑張って!」

 バッターボックスに立つ彼に、みんなが声援を送る。何人かの人達は“もう無理だよ”という顔をしてグラウンドを見ているけど、そんなの構っていられない。

 相手のピッチャーがボールを投げた。その一球目を、高瀬君は見送った。

「大丈夫かな。」

 瑞穂が不安そうな顔をして高瀬君を見る。

「大丈夫だよっ。高瀬君、あんなに練習頑張ってたんだもん、絶対に打つよ!」

 私は不安を取り去るように、力強い声で瑞穂にそう告げた。

 二球目はボールだった。それを見ていた私の心臓は、壊れてしまいそうな程大きく鼓動していた。とにかく彼に頑張って欲しかった。彼自身の手で、勝利を掴んで欲しかった。私は緊張した面持ちで祈る様に彼を見つめ、再び

「高瀬君!頑張って!」

と彼の名前を叫んだ。

 次のボールを、相手のピッチャーが投げようとしている。高瀬君がそれを真剣な表情で見据えているのが分かる。次の瞬間、ボールが投げられた。高瀬君はグッとバットを引き寄せて、そしてそれを大きく振った。

 “カーン”といういい音がして、ボールが飛んで行く。そしてそれは後ろの方の、誰もいない所に落ちた。

「沙和!やったよ!」

 興奮した面持ちで、瑞穂が私の手を握り振り回す。

「うん!!」

 まるで自分の事の様に嬉しくて、私は満面の笑みで瑞穂に応えた。

 相手の選手がボールを追いかけている間、高瀬君は必死で走って、そして二塁にたどり着いた。

「凄いじゃん、沙和!高瀬君、格好いいね!」

 明日香の声と

「うまくいけば、本当に逆転できるかもよ!」

という瑞穂の声。

 私はまだ興奮が覚めなくて、足を震わせたまま

「うん!!」

と大きく頷いて、このまま勝ってくれる事をひたすら願った。


 でも、私達の願いも虚しく、次の選手は三振に終わってしまった。

「…次打たなかったら、負けちゃうよ。」

 先程とは一転した瑞穂のため息混じりの声に不安と焦りを感じ、私は顔の前で手を合わせながら、祈るように目を瞑った。

 まだ、高瀬君が野球をしている姿を見ていたい。楽しそうに、そして、一生懸命野球をしている彼の姿を。だから、お願い…!勝って!

「次って、田中君だよね…。」

 瑞穂の呟くような声。私はそれに反応して、瞑っていた目を開いてグラウンドを見た。その先には、今正にバッターボックスに入ろうとしている、田中君の姿があった。

 さっきから鳴り止まなかった声援が、更に大きくなった。その真ん中に彼は立っている。

 恐らく田中君は今、凄いプレッシャーを感じているだろう。自分が打たなければ負けてしまうという重大な責任と、周りの期待と祈りを、一身に背負っているのだから――。

「田中君、頑張って!」

 私は大きな声で田中君の名前を呼んだ。瑞穂も同じように、田中君に声援を送っている。でも明日香だけは、それをしなかった。ただ黙って、田中君をじっと見ていた。

 明日香が何を思っているのか気になって彼女を見つめたけど、次の瞬間さらに大きくなった周りの声に、私の視線はグラウンドに戻された。

「何?どうしたの?」

 慌てて何があったのか尋ねると

「ストライク取られたんだよ。」

と、神妙な面持ちをしながら瑞穂が教えてくれた。

 打って…!

 私はまた祈るように手を合わせて田中君を見た。きっと私達の学校を応援しているみんなが、そう祈っているだろう。前にいる野球部の人達は、声が枯れそうな位必死になって、田中君を応援している。

 そんなみんなの祈りが通じたかのように、田中君がボールを打った。

「打ったよ!」

 私はそれを見て、大はしゃぎで瑞穂の腕を揺する。

 そのボールはどんどん遠くに飛んで行った。でも

「…ファールだよ。」

と、ボールがフェンスに当たりそうな所で、瑞穂がため息混じりに言った。

「あと一球か…。」

 さっきまで大きかった声援が小さくなった。何人かの野球部員は泣いていた。…きっともう負ける、みんながそう思っていただろう。私も、悲しいけど、そう思った。

 そんな風に、みんなが諦めかけていたその時だった。

「田中!頑張って!」

 明日香が、大きな声で田中君の名前を呼んだ。

 その声にはっとして、私は明日香に顔を向けた。

 明日香は今にも泣きそうな顔をしていて、でも、まだ諦めていないというように、強い眼差しで田中君をじっと見据えていた。そして再び田中君に向かって声援を送った。

 きっと明日香は信じてるんだ。例え周りのみんなが諦めたとしても、田中君だけは諦めないということを――。だから明日香も諦めないんだ。

 野球をしている田中君を、明日香はずっと見てきた。だから田中君が凄く野球を好きなことを、誰よりも良く知っているのだろう。その野球のせいで二人の仲はうまくいかなくなっているけれど、田中君の想いが分かるから、応援せずにはいられないんだ…。

 私は明日香から目を離して、再びバッターボックスに立っている田中君を見た。田中君は諦めた素振りなんて全く見せずに、真っ直ぐピッチャーを見据えていた。

「頑張って!」

 私は明日香がしたように、田中君に声援を送った。それを聞いた瑞穂も、そして野球部員や周りの人達も、再び田中君に声援を送り出した。

 静かになっていた観客席が再び盛り上がったせいか、グラウンドにいた選手達が顔を上げた。でも田中君はそれに反応することもなく、じっとピッチャーを見据えている。“何があっても打ってやる”。きっとそんな気持ちで田中君はいるのだろう。

 相手のピッチャーが、上げていた顔を田中君の方に戻した。…いよいよ最後の一球となるかもしれないボールが投げられるんだ。私は祈りながら、ぎゅっと目を瞑った。


 “カーン”という音と共に、周りの声が更に大きくなった。田中君がボールを打ったんだ…!その音と声に導かれ、私はぱっと目を開けた。

 田中君の打ったボールは大きく弧を描いて、そして、グラウンドの後ろの方にいた選手のグローブに収められた。



 ――負けたんだ…。

 私は顔の前で合わせていた手をすとんと下に落とした。

 終わってしまったという現実が、私を悲しい気持ちにさせる。

 グラウンドでは相手の選手達が一ヶ所に駆け寄って、嬉しそうに騒いでいた。それと引き替えに、私の学校の野球部員はがっくりとうなだれるようにしてその場に立っていた。

 田中君がバットを落として、蹲った。片腕で顔を覆っているその体勢で、彼が泣いていることが分かった。

 彼は今、どんなにか悔しい思いを抱いているだろう。最後のバッターとしてみんなからのプレッシャーを一身に背負い、それに負けることなく、ただ勝つことを信じてバットを振った。でもその一振りが、敗北へと導いてしまったのだから。

 そんな田中君の元へ、暫く二塁で佇んでいた高瀬君が歩み寄った。そして何かぼそぼそと田中君に声をかけ、手を伸ばして田中君を立ち上がらせた。そして、二人でベンチに向かった。

 泣いている田中君の横で、高瀬君は真っ直ぐ背筋を伸ばし顔を上に向けていた。それは、彼が空を見ているようにも見えたけれど、でももしかしたら、必死で泣くのを我慢して…の行為なんじゃないだろうか。

 彼の気持ちを思うと凄く切なくて、そしてそうしている彼の姿がなんだかとても綺麗に見えて、涙が溢れそうになった。


「明日香?大丈夫?!」

 私の横で、瑞穂が慌てたように明日香に声をかけた。それを聞いて、私は溢れそうになっていた涙を必死で抑えて、明日香へと顔を向けた。

 明日香は下を向いて泣いていた。いや、泣いているというよりも、泣きじゃくっていた。

「明日香、泣かないで。」

 私も慌てて、明日香に声をかけた。

「負けちゃったけど…でもそれ、田中君のせいじゃないよ。田中君頑張ったじゃん。」

「そうだよ。田中君の前の人が打ってたらこんな風に負けなかったんだし。たまたま田中君が最後だったから田中君のせいに見えただけで。でも田中君は悪くないよ。」

 私と瑞穂は田中君を庇うように、明日香に代わる代わる慰めの言葉をかけたけど、明日香の涙は止まることがなかった。

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