観戦
待ち合わせ場所に予定よりも早く着いた私は、そわそわしながら明日香と瑞穂を待った。野球部の試合を見に行くと言い出した明日香のことが気になって仕方なかった。
明日香は本当に、今日の野球部の試合を見に行かれるのだろうか。瑞穂が言ったように、明日香は今の田中君との状態を何とかしたいと思っているかもしれない。それは私も理解出来るけど、でもそれは、それなりの勇気がないと出来ることじゃない。だって“何とかする”っていうのは、必ずしも良い方向にいくとは限らないから。
田中君の試合をしている姿を見て、明日香がやっぱり田中君が好きと認識して、どんなことがあっても一緒にいたいと思えたなら、それは凄く良いことで、私達も心から安心するし応援する。でも逆に、明日香より野球が大事だということを見せ付けられたら…。
どういう結果になるにしろ、“何とかする”っていうのは自分で決断を出すという事で、それは自分で自分の状況を変えるという、凄く重要なこと。もし私だったら、そんな重要なことを決めるのは怖くて、逃げ出したくなるかもしれない。だから明日香ももしかしたら“行かない”って言いだすんじゃないかって、心配だった。
先に待ち合わせ場所に来たのは瑞穂だった。
“おはよう”と挨拶を交わしたけど、その後私達のどちらも何も言うことをせず、暫く沈黙が流れた。
もしかしたら瑞穂も、明日香の事が気になっているのかもしれない。“気にするな”とは言ったけど、やっぱり友達だから、気にしないことなんて出来ないと思う。そんな瑞穂の気持ちを感じて、私は
「明日香、来るかな…。」
と、不安な気持ちを瑞穂に伝えた。
「…どうだろう。」
瑞穂はそう私の言葉に返事をし、それから
「来ても来なくても、普通にしようね。」
と言った。
「うん、普通には、なるべくするけど…、でも明日香がもし来なかったら、今日、どうすればいいの?」
瑞穂の言葉に答えつつも、私は再び質問を投げ掛けた。すると
「えー、別に普通に試合見に行けばいいんじゃないの?だって沙和、見たいでしょ?」
と、図星をつかれた。
そう。私がそわそわしていた原因。それは明日香のことが心配だから、だけじゃなく、高瀬君が試合をしている所を見れるのが楽しみだからというのもあった。いつも校庭で練習をしている高瀬君を見ていたけど、試合をしている姿を見るのは今日が初めてだ。高瀬君はどんな顔をして試合に臨むんだろう。それを考えるだけでドキドキして、絶対見たいと思っていた。
「おはよー!」
私がそんなことを考えていた時、明日香が笑顔で私達に駆け寄ってきた。
明日香、来たんだ。
私はどんな顔をしていいのか分からなくて、ちらっと瑞穂を見た。それに気付いた瑞穂は
「普通にするんだよ。」
と、明日香に聞こえないようにボソッと私に話し掛けて、それから
「明日香おはよう。」
と、いつも通りに明日香に挨拶をした。私も瑞穂に言われたようになるべくいつも通りに
「おはよう。」
と挨拶をして、それから
「楽しみだね。」
などと言いながら、球場に向かった。
球場に着くと、私達は前の方の席に腰を下ろした。その前には、ベンチ入り出来なかった野球部の男子達が応援をする為に陣取っている。周りには野球部員の家族らしき人やうちの学校の生徒が、ちらほらと見受けられた。
正直、見に来てる人が少ないなって思ったけど、まだ地方の大会なんだし、こんなものかもしれない。
「この試合に勝てば、準決勝らしいよ。で、準決勝に勝ったら県大会に行けるんだって。」
そう明日香が教えてくれた。
「じゃあ、一杯応援しなくちゃね。」
私が言うと、
「高瀬君以外の人もちゃんと応援するんだよ。」
と、からかうように瑞穂が言った。
そんな話をしてるうちに、試合が始まった。
互いの学校の選手が挨拶をした後、うちの学校の野球部員がバッターボックスに立った。瑞穂によると、どうやらそれは先攻と言うらしい。
バッターボックスに立っていた男子がボールを打った。でもその男子はその場から動こうとしない。
「なんで止まってるの?」
不思議に思い尋ねると
「ファールだからだよ。」
と瑞穂が教えてくれた。
その後も私は、何かある度に瑞穂に質問した。何度かそれを繰り返した後
「野球部の人が好きなら、もう少し野球のルール、勉強しなよ。」
と、呆れたように瑞穂に告げられ、私は
「…はあい。」
とふてくされながら返事をした。そんなやり取りを聞いて、瑞穂の隣で明日香が笑った。
試合は両チーム共点が入らないまま流れていき、やっと点が入ったのは六回だった。その回最初のバッターがホームランを打ったのだ。
ワーッという大きな喚声が、球場にこだまする。それを聞いた私が、瑞穂の腕を揺すりながら
「今の、入ったの?」
と尋ねると、瑞穂が満面の笑みで
「うん、ホームランだよ。一点入った。」
と私を見た。
「やったあ!凄い!ねえ、今打ったの何て人?」
「確か…一組の、林君だと思う。」
明日香に名前を教えてもらった私達は
「林君凄い!かっこいいね。」
「うまくいけば、このまま林君のお陰で勝てるかもよ。」
と、話したこともなく顔もうろ覚えの彼を褒め合った。
しかし私達の喜びは、束の間のものだった。七回裏、うちの学校のエラーで、相手に二点が入ってしまったのだ。
「やばいよ。」
「うん。しかも今のせいで、空気悪くなったよね。」
「どうしよう…、このままだと負けちゃうよ。」
私達は口々に不安を言い、それからこのまま何もしない訳にはいかないと思って、スタンドの周りにいるみんなと同じように大きな声で応援し始めた。でも次の回は点を入れることが出来ず、とうとう最終回になってしまった。
「これで点入れなかったら負けだよ。」
瑞穂の言葉に不安が募る。
「きっと大丈夫だよ。きっと点入れて、同点どころか逆転だって出来ちゃうよ。」
明日香の、それを信じているというような力強い声。私はその声にうんと頷いて、グラウンドに声援を送った。
一人目の選手がバッターボックスに立った。周りの人達が
「頑張れー!」
と口々に叫ぶ。私達も同じように彼を応援した。
それに応えようとしたのか、彼は一球目でバットを大きく振った。でも彼の打ったボールは、あっさりと相手の選手に取られてしまった。
それを見て、スタンドの空気が割れた。ため息をついて“もう無理だ”と言う人達と、希望を捨てないで必死に応援を続ける人達とに分かれた。
私の中にも“もう無理かも”という気持ちはあった。でも、どうしても諦めきれなかった。
この試合に負けたら、三年生は部活を引退しなくてはいけない。それは、学校の校庭で高瀬君が野球をしている姿を見られなくなるという事だ。でもそんなの嫌だった。毎日一生懸命練習をしている彼を私は知っている。そしてそれに弱音を吐くどころか、仲間と楽しそうにしている彼の姿も。彼は本当に野球が好きなんだと思う。だからここで負けてしまって部活を引退してしまうのも、彼の悲しい顔も見たくない…!
「次、高瀬君だよ。」
瑞穂の声に、心臓がどくんと鳴った。そしてまるで自分のことみたいに緊張して、足が震え出した。
高瀬君はいつもと同じ様に背筋を伸ばして、バッターボックスに向かった。その彼の姿を見て、私はどうしても黙っていることが出来ず
「高瀬君!頑張って!」
と大声で叫んだ。
彼は今、何を思っているのだろう。彼が打たなかったらいよいよ負けが近づいてしまうという、この重大な場面で。
「高瀬君!頑張って!」
大きく鼓動する心臓と震える足を止められないまま、私はバッターボックスに入った彼の姿を見つめて何度も彼の名前を叫んだ。