風景
修学旅行から帰って来ても、明日香と田中君の仲は相変わらず悪い状態らしく、野球部の練習を見に行かない日々が続いていた。
修学旅行で高瀬君に恋をしていると確信したせいなのか、一日に一度も高瀬君を見られない時もあるというこの状況が、私にとってとても辛いものに感じられた。
でも、明日香や瑞穂にそれを言う事は躊躇いがあった。田中君を連想させてしまいそうな話をして、明日香を悲しい思いにさせてしまうのも勿論嫌だったし、それに合わせて、修学旅行で加奈ちゃんから聞いたあの話が、心に引っ掛かっていた。
明日香がもし田中君と別れたら…いや、今のこの悪い状態でも同様かもしれない。私が高瀬君を好きだと言ったら、この気持ちは嫌がられてしまうんだろうか…。
勿論、明日香が加奈ちゃんの話に出てきた女の子と同じ考え方をするとは限らない。けど、逆に言うと、そう思う可能性もある、ということで…。それを考えると不安で、私は明日香にも瑞穂にも、私が確信した高瀬君に対するこの気持ちを、伝えられずにいた。いつかは二人に言わなければいけないと思いつつも、それをしたら、この気持ちを忘れなければならなくなるかもしれないと考えて、言い出すことが出来なかった。
でももし、私の恋の話をしたあの時に同じ部屋にいた子が、明日香達に喋ってしまったら…と修学旅行から帰って来て暫くは不安だったけど、誰もその話題を口にしていないみたいで、本当に感謝した。
「ねえ、図書室付き合って。」
昼休み、ご飯を食べ終えた瑞穂が、私と明日香に声を掛けた。
「いいよ。」
と立ち上がって、図書室に続く廊下を歩く。
その道すがら、私は高瀬君に会えないかとチラチラ周りを見回していた。けれど、大勢の生徒の中から高瀬君の姿を見つけることは、出来なかった。…今日は会えないのかな。そう考えて、気持ちが沈んだ。
図書室に着くと、私は何やら本を探している瑞穂から離れ、当てもなくぶらぶらし始めた。
校庭ならまだましも、こんな所で高瀬君に会えることは恐らく無いと思うんだけど、それでももしかしたら…という可能性を捨て切れなくて、私はあちこち歩いた。でもやっぱり高瀬君の姿は無くて、私はため息をついて、ぼんやりと窓の外に目を移した。
「瑞穂、何か難しそうな本借りるんだね。」
「そろそろ受験に備えようかなと思ってさ。明日香達も借りれば?」
「ううん、いいよ。ね、沙和?」
いつの間にか明日香と瑞穂が私の近くにいて、そんな会話をし始めた。私は明日香の問いかけに
「うん。」
と返事はしたものの、実はその会話にはほとんど上の空で、目は窓の外の風景に釘付けになっていた。
図書室の窓から、校庭が見えた。あまり来ることがなかったから、今まで知らなかった。
校庭に一人で行く勇気は無いけど、ここからなら、一人でも野球部の練習を見ることが出来る…!
さっきまで沈んでいた気持ちが嘘みたいに、心臓が嬉しさで高鳴った。
「沙和帰ろう。」
ホームルームが終わり、明日香が帰り支度を済ませて私の元へ来た。瑞穂も鞄を持って近づいてくる。
「うん。」
と返事をして私も鞄を持ったけど、心の中は迷いで一杯だった。
そろそろ野球部の練習が始まる時間。図書室のあの場所に行けば、その風景が見られる。その気持ちとは裏腹に、私は帰り支度をして明日香と瑞穂と一緒に、昇降口へと向かっていた。
せっかく高瀬君の姿を見られる場所を見つけたのに、行かないで帰っていいの?と、心の中にまるでもう一人自分がいて、今帰ろうとしている私に言っているように感じた。
「どうしたの?」
下駄箱の手前で私の足が止まり、それに気付いて、明日香が不思議そうに尋ねて来た。私は二人に何て言ったらいいのか分からなくて、“なんでもない”と言ってやっぱり帰ろうかとも思ったけど、でもやっぱりあの場所に行きたくて…。
「ごめん、あのね、読みたい本があるの思い出して…。だから、図書室に行ってくる。」
明日香と瑞穂が、ちょっと驚いたような顔をした。それもそのはず、私は本なんて滅多に読むことはなくて、興味があるという話すらしたことはないんだから。そんな私が“読みたい本がある”なんて、信じられなくて当たり前だ。
でも二人は私の言葉を信じたらしく、瑞穂が
「何で昼休みに行った時に借りなかったの?」
と呆れたように言って、明日香が
「一緒に行こうか?」
と言ってきた。
私は、自分が言った嘘を信じてくれた二人に罪悪感を感じながらも、
「ううん、探すの時間かかりそうだから、先に帰ってて。」
と言って、図書室に走った。
私はひどい子だ。
親友って呼べる二人に嘘をつくなんて。嘘をついてこの場所に来るなんて…!
でも、本当のことが言えなかった。本当のことを言ってここに来るのを拒否されるかもしれないのが、私の気持ちを否定されるかもしれないのが、そしてまた明日香を悲しい気持ちにさせてしまうかもしれないのが、怖かった。
罪悪感を感じながらも、私は図書室に入って適当に一冊の本を手に取り、窓際の席に座った。
思った通りだった。ここからは野球部の練習も、私達がよく行っていた鉄棒の近くのあの場所も、見渡すことが出来た。勿論校庭で見るよりは遠いけど、こうして野球部の練習が見られるだけで充分だ。それにどんなに遠くても、背筋が真っ直ぐに伸びた彼の姿を見つけることが出来る。
私は、本を読んでいる振りをする為に持ってきた本を開いて、また窓の外に目を向けた。
「そろそろ図書室閉めるよ。」
どれくらい時間が経ったのか、図書室の女の先生が私に声を掛けてきた。
もう少し、見ていたかったな。私は残念な気持ちになりながら
「はあい。」
と返事をして、本を持って立ち上がった。
久しぶりに見る高瀬君の野球をしてる姿はやっぱり格好良くて。また絶対見に来よう、そう思った。
「先生、この本、借りてっていいですか?」
私は急いで本を借りる手続きをして、もう一度窓の外を顧みてから、図書室を後にした。