昨日の出来事 1
「…おはよう。」
私はリビングに入り、キッチンにいたお母さんに挨拶をすると、大きな欠伸を一つした。
「おはよう。何か眠そうね。」
いつもは朝から元気な私が眠そうにしているのは相当珍しいことなので、お母さんは心配そうな顔をして私を見た。
「うん、ちょっとね。でも大丈夫だよ。」
そうお母さんに告げて、私はソファーに腰掛けてテレビを点けた。
昨夜からずっと、高瀬君のことを思い出していた。前にボールを取ってくれた事とか、野球の練習してる姿とか、昨日の事とか。あまり喋らないけど本当はすごく優しいんだ。そうじゃなくちゃ、いくら暗いからって家まで送ってくれない。そのお礼に高瀬君にチョコをあげた訳だけど…。そこまで考えて、私は恥ずかしくなって両手で顔を覆った。
何であんな残り物みたいな、一粒だけのチョコなんか渡しちゃったんだろう?お礼のつもりが全然お礼になってない。もしかしたら高瀬君に変な奴だって思われてるかも…。
昨夜からそんな事が頭の中をぐるぐる廻って、お陰でよく眠れないし、もう最悪。
学校、行きたくないな。高瀬君に会ったら、どんな顔すればいいかわからないし…。
でもそういう訳にもいかないので、私は朝食を済ませて、重い足取りで学校に向かった。
教室に入ると、いつもは先に来ているはずの明日香の姿が見えなかった。
私はクラスの子に挨拶をしながら席に向かい、椅子に座ってため息をついた。
とりあえずまだ高瀬君には会ってない。でもきっと今日も野球部の練習を見に行くことになるだろうから、放課後顔を合わせることになる。
今日は、練習見ないで帰ろうかな…。でも、明日香一人で行かせるのも気が引ける。明日香に何て言えばいいのかもわからないし…。もし明日香と瑞穂に昨日の事を話したら、絶対またからかわれるだろうから、なるべくなら話したくない。
「おはよう。」
その声にはっと我に返り顔を上げると、いつの間にか明日香が来ていて、私の横に立っていた。
「おはよう。」
私が慌てて笑顔を作って挨拶を返すと、明日香は何だかボーッとした顔をして私の隣の席に座った。
「どうかしたの?」
その様子を不思議に思い声を掛けると、明日香は
「…うん。」
とだけ言って、またボーッとし始めた。心なしか顔が赤いように見えて気になったけど、私も自分の事でかなり頭が一杯だったので、明日香と同じように頬杖をついて、再び考え始めた。
本当にどうしよう。
高瀬君に会わないのが一番いいんだけど。でももし野球部の練習を見に行かなかったとしても、偶然廊下で会っちゃうかもしれない。そうなったらなんて言ったらいいんだろう。…やっぱり明日香と瑞穂に相談しようかな。
私はハアーッと大きくため息をついた。すると隣で明日香も同時にため息をついたので、私達は顔を見合わせた。
「どうしたの?」
「沙和こそどうしたの。ため息なんてついて。」
「おはよう!」
私達がお互いにその理由をいう前に、瑞穂が妙に明るい声で挨拶をしながら近寄ってきた。
「おはよう。…朝から何かテンション高いね。」
明日香がそう言うと、瑞穂は少し動揺した素振りを見せながら
「そんな事ないよっ。」
と言った後、
「何か二人共暗くない?」
と、私と明日香の顔を交互に見た。
「え…。」
明日香が口籠もる。
私はさっきまで二人に相談しようか悩んでいたけど、やっぱりからかわれるのが嫌なので、自分に話を振られる前に
「明日香、何かおかしいんだよ。ため息ついてるし。」
と瑞穂に言った。
それを聞いた瑞穂が
「どうしたの?」
と言いながら明日香の前の席に座るのを見て、私はホッとしながら明日香の方に向いた。
私達に注目された明日香は両手で顔を隠したけど、指の隙間から見える顔の色で赤くなっていることがわかった。
「どうしたのよ?」
瑞穂が身を乗り出して再び明日香に尋ねると、明日香がすごく小さな声でボソッと何かを言った。
「え、何?聞こえない。」
瑞穂はさらに身を乗り出し、私も明日香に近づいた。すると明日香が、さっきよりは大きいけどやっと聞こえる位の声で言った。
「昨日、田中と…キスした。」
「えー!!!」
衝撃的な告白に、私も瑞穂も思わず大きな声を出す。
その声に周りにいたクラスメイト達が一斉に私達に注目し、それに気付いた明日香がさっき以上に顔を赤くして
「声大きいよっ、二人共!」
と、怒った様な表情で慌て出した。
「ご、ごめんね。」
動揺しながら明日香に謝ってから瑞穂に目を移すと、瑞穂は両手で口を隠すような格好をしながら明日香をじっと見ていた。そして
「それで、どうだったの?」
と興味津々といった目をして明日香に尋ねた。
「どうって…。」
明日香が再び両手で顔を隠す。
「いいじゃん。教えてよ。」
と、瑞穂が詰め寄る。
その時
「席に着けよー。」
と言いながら先生が入ってきたので、私達は残念な気持ちになりながら話を中断して、自分達の席に戻った。