帰り道 2
高瀬君の呼び声に、私が恥ずかしくて赤くなっていたほっぺたを右手で押さえながら振り向くと、彼は真っ直ぐに私を見ていた。
「一人で帰るの?」
「え…うん。明日香は田中君と帰るみたいだから…。」
高瀬君は私の返事を聞くと、顔を上に向けて、それから私の足元辺りに視線を落とした。
その後に言葉が続くのかと暫く待っていたけれど何も言われないので、再び
「じゃあね。」
と告げて、なんとなく残念なような気持ちになりながら私は高瀬君に背を向けた。
学校から家までは、歩いて二十分程の距離。ほとんど人通りもなくて、街灯もぽつりぽつりとしかない。
こんなに暗い中を一人で歩くのは初めてで、ちょっと怖くて、いつもはゆっくりな私も自然と早歩きになっていた。とにかく夢中で歩いた。
しかし流石に二十分間も速く歩き続ける事は出来ない。駆け足したい程怖いことには変わりないけど、体力がない。私は足を遅めて、はあっと息を吐いた。
その時後ろでガチャンという音がして、私はビクッと肩を震わせて反射的に振り向いた。その先には自転車を押しながら歩いている男子がいて、よく見るとそれはさっき話していた高瀬君だった。
高瀬君の家も、こっちの方向だったんだ。今まで会ったことなかったから知らなかった。まあ朝はともかくとして、帰りは野球部の練習遅くまでやってるし、会わなくても不思議じゃないか。
後ろに知り合いがいることに安心して、私はゆっくりと歩きだした。
相当ゆっくり歩いてるのに、高瀬君は全然追い付いてこない。時々ちらっと後ろを見てみるのだけれど、私達の距離は縮まることも広がることもない。
…なんか、ストーカーされてるみたい。
多分高瀬君はそんなことをする人じゃないと思う。でもずっと後ろをついて来られるのと変わらないこの距離が、嫌というかソワソワするというか、とにかく違和感があった。
私は体ごと後ろにぐるんと向き、高瀬君の所まで駆け寄り横に並んだ。
高瀬君は、びっくりしたような顔をして私を見たけれど、すぐにいつもの不機嫌そうな顔になって目を背けて立ち止まっていた。でもそんなこと関係なしに、私は
「後ろからついてきたらストーカーみたいだから、一緒に帰ろ。」
と彼に告げた。
隣に並んで歩いているのに、彼はほとんど喋らなかった。でも沈黙は嫌だから私は一人で話してた。私の質問にも“うん”とか“そう”とかしか彼は言わなかったけど、男子と二人で帰るのが初めてだからか私は妙に楽しくて、気が付けば角を曲がればすぐに家に着くという場所まで来ていた。
「家、ここ曲がってすぐなんだ。高瀬君ちは?自転車で来てるってことは、まだ遠いの?」
「…うん。」
相変わらずの返事に私は苦笑して
「じゃあね。」
と手を振って角を曲がった。
瑞穂が言ってたように高瀬君は愛想がなかった。けど一緒に帰ってくれたし、前にボール取ってくれたし、きっといい人だ。
そこまで考えて、私はふと足を止めた。
そういえば、高瀬君にボール取ってくれたお礼言ってない。
私はさっき曲がったばかりの角まで駆け足で戻って高瀬君が行ったであろう方向を見たけど、そこには高瀬君の姿はなかった。
…自転車に乗って、もう行っちゃったのかな。そう思いながら何気なく逆の方向に目をやると、何故かそこに自転車に乗ろうとしている高瀬君の姿があった。
「高瀬君!」
思わず大声で彼を呼ぶ。
高瀬君が自転車に乗った状態で振り向いた。
お礼を言おうとして戻ったのに、それよりも彼が思いがけない方向にいたことが気になって
「なんで?家、あっちじゃないの?」
と、高瀬君のいる方向とは逆の方向を指差して問いかけた。
高瀬君はそれには答えず、何故か私から視線を逸らした。
どうしてあっちにいるんだろう。
答えてもらえなかったので、私は頭の中で自分なりに答えを探した。学校に忘れ物してきたのかな?でもさっきまでそんなこと言ってなかったし。…じゃあ、彼の家は学校から見て私の家の方向とは違う場所にあるとか?ならなんでここまで一緒に…。
「…もしかして、送ってくれたの?」
私の問いかけに、彼はすぐには答えなかった。でも私は返事を待って、そのまま彼を見ていた。
暫くの沈黙の後、高瀬君は目を逸らしたまま、独り言のようにボソッと言った。
「…暗かったから。」
心臓が、きゅんって縮まったみたいになった。
その後ドクドクと大きく速く動きはじめて、なんだか顔も熱くなってきた。
どうしちゃったんだろ、私…。
急に襲った体の変調に戸惑いながらも、高瀬君が気になって、目が逸らせなかった。
“ありがとう”と言えばいいのに、何故か言葉にできなかった。ううん、正確に言うなら、言葉にしたくなかった。私が何か言ったら、高瀬君は自転車に乗って帰っちゃうような気がしたから。でも、このまま何も言わなくても、高瀬君、きっと帰っちゃう。
どうしよう…。頭の中でそんな事をぐるぐる考えていると、ふとカバンの中に入っている“それ”の存在を思い出した。
私は急いで高瀬君に駆け寄り、カバンの中からそれを取り出して高瀬君の胸のあたりに押し付けた。
「これあげる!送ってくれたお礼。」
“それ”は、家に帰ってから食べようと楽しみに残しておいた、クリアパックに入った一粒だけのチョコレート。
高瀬君が相変わらずの表情でそれを手にする。
心臓がさっき以上に大きな音をたてて、苦しくなるくらいに速く鼓動していた。
私はなんだか居たたまれなくなって、
「じゃあね!」
と必要以上に大きな声で高瀬君に言って、家に向かって走った。