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第五話

 優月が淹れ、冷めては飲み干し、また淹れて貰った湯呑が五つ。

 炯とタケはすぐに合流したのだが、ついでにもう一人、同じ机を囲んでいるヤツがいる。

「というわけで、あたしの調査結果は以上! ここまでで質問は?!」

 ばん、と机を叩いて俺たちの顔を見渡した少女は、自慢げに唇の端をあげた。

 高い位置に朱の薄布で括った黒髪が楽しげに揺れる。躑躅色(つつじいろ)の丈の短い着物がどこかの誰かを思い起こさせるようだったが、大きな目は好奇心に満ちていて、表情も豊か。どこぞの師匠とは全く異なる風情だった。

 タケの大雑把な最初の紹介を鵜呑みにするなら、この少女、朝陽(あさひ)は瓦版屋の娘で、情報を求めていつも江戸の町を駆け回っているらしい。狼士組には非常に協力的らしく、炯たちも別の事件を調査しているとき、取材をしていた朝陽と知り合ったのだとか。

「朝ちゃん、今日も元気だねえ」

 三度目の茶を注ぎに来た優月がその様子を見て苦笑する。

「ありがと、優月! あっ、お団子追加で!」

「おれも食べていい?」

「仕方ないなあ、耶八くんにも一本!」

「わーい、ありがとう、朝陽!」

「いいよ、取材費で父さんに請求するから」

 爽亭の片隅に設置された作戦会議場は、少女の独壇場だった。情報屋だか瓦版屋だか何だか知らないが、地道に被害者への聞き取りを行ったのだろう。確かに手持ちの情報量は桁違い。

 狼士組が襲われ出したのはここ二週間ほどだという事。襲われたのは下っ端ばかりだという事。また何より大きな情報は、犯人が複数名いる事。

 彼女の持つ江戸の地図には襲われた順番と、まだ襲われていない狼士組の下っ端たちの住む家が記されていた。

 話の最後に、赤筆を取り出して隊ごとに色分けした。

 さすがに調査を心得ているらしい。

「この犯人の足取りは3つに分かれてるように見えるの。犯人が複数っていうものあるけど、3点が少しずつ、東に移動してるような……だから、あたしの予想では犯人は3人!」

 確かにそう見える。

「せめてこの3点の犯人が同じ人物か知りたいんだけど、何故か分かんないけどみんなあんまり犯人については教えてくれないんだよね」

 表情豊かな少女は、手にした矢立筆を額に当てながら眉間に皺を寄せた。

「何か、隠したがってる感じ?」

「ウチらが聞けばもっとしゃべるやろか」

 締め上げたるわ、と意気込んだ炯だったが、朝陽に止められ、引き下がる。

「それより、いくつか見張ったほうがいいと思うんだよね。あたしの予想では、次はここかここか、ここ。3か所なら、5人もいれば何とかなると思うのよね」

 5人って、お前も入ってるのかよ。

 到底戦闘力のなさそうな朝陽の提案に、さすがにでこぱちが首を傾げた。

「でも朝陽は戦えないんでしょ? 犯人に会ったらどうするの。危ないよ! それに、ケイとタケじゃ犯人にやられちゃうじゃん」

 さすがの物言いにカチンと来たのか、タケが眉を吊り上げた。

 が、炯がそれを制す。

「……事実や、タケ。そろそろ認めた方がええ」

 炯が隊服の襟に口元を埋めて、告げる。

「ただな、覚えとき、耶八。ウチらかてこのままやないで。すぐ強うなったる」

「うん、いいよ。そしたらもっかい喧嘩しよう!」

 再戦は、いつになる事やら。

 でこぱちは、運ばれてきた団子をもぐもぐ食べだした。

「でも今は、青ちゃんと遊んでるのが一番楽しいや。青ちゃんが一番強い」

「俺よりお前の方が強いだろ」

 反射的に答えていた。

 が、でこぱちはふるふると頭を振った。高い位置で括った飴色の髪がふよふよと揺れる。

「青ちゃんの方が強いよ。おれは、青ちゃんみたいに強くなりたいんだ。だから――」

 一瞬、でこぱちの瞳に闇が降りた。

「――欲しい」

 ざぁっと全身が総毛立った。

 が、それは本当に一瞬だった。

 次に顔を上げた時、其処にいたのは団子を頬張るでこぱちで。

 一緒に座っていた誰も、その事に気づいてはいないようだった。

 気づかれぬよう、細く長く息をついた。

 少しずつではあるが、綻びが産まれてきている。幾度も死線を越え、様々な戦闘を経て、でこぱちにかけられた枷が少しずつ外れている。江戸に来てからというもの、その傾向が如実に現れていた。

 速まる拍動を悟られぬよう、ゆっくりと数度、瞬きをする。

 日輪戴くこの江戸の地には、魔が棲むのか。ヒト同士の、ヒトとヒトならざるモノの諍いが顕著なこの土地にやってきたのは失敗だったのか。

 後悔せぬよう賽ノ地を出たというのに、まだまだ後悔ばかりが心を占める。

「青、耶八、行くで!」

 またも思索に耽りそうになった時、炯の声ではっとした。

「どこ行くんだ?」

「いっちゃん出そうなとこに決まってるやん。全員で行くで」

「結局全員なのか」

「当たり前やん」

 炯は、朝陽と俺を順に指差した。

「情報は集められるけど戦えへん人間、戦えるんやけど事件に興味のうて動かんヤツ、それから、事件は解決したいんやけども……何もできひん人間」

 最後はため息交じりに。

「せやから、全員()れば何とかなるやろ?」

 が、炯はすぐに顔をあげて笑った。タケも並んで笑う。

 その笑顔を見て素直に、強いな、と感心した。

 自身の器量が払底する部分は、他人の器量を拝借すればよい――実に合理的でかつ当然の考え方なのだが、その実、一歩踏み出すのは非常に難しい。何故なら、他人の力を借りようとすると、自分の実力不足を認める道を避けて通れぬからだ。

 自分たちが情報を持たないから、朝陽を連れてきた。戦う力が不足したから、俺とでこぱちを巻き込んだ。

 自然とそうなったこいつらは素直にすごいと思う。まあ、抜けているところのある二人だ、何一つ考えていないだけかもしれないが。

 それでも、今は弱いこいつらもきっとこの先、強くなる。不意にそんな予感がした。

 少しばかりこいつらに興味が湧いた。

 明後日、江戸城へ登城するまでの間なら、付き合ってやってもいいだろう。

「んじゃあ、おれと青ちゃんは犯人を倒す役目だね!」

 でこぱちがはいっと手を挙げた。

「ほな、行くで」

 炯が締め、全員がそれに続いた。


 地図を手にした朝陽の先導で江戸の町を西へ横断、目的の場所へと向かう。朝陽が指差したのは、江戸町のはずれ、荒川にほど近い町屋の端。

 進む方向に合わせて地図を上下にくるくる回しながら歩く朝陽には不安を覚えたが、夕刻を迎える前に葺屋町(ふきやちょう)界隈へと到着することが出来た。

 細い水路が周囲に巡らされた一帯は、江戸随一の花街として有名だ。

 賽ノ地にも似たような場所は存在したが、規模が全く異なる。

 花街の入り口に架かる橋の向こう、左右の建屋から二階の渡り廊下が通され、覆いかぶさるような墨色の屋根と巨大な朱色の柱が、中を覗く人間の視線を阻むように門を形成していた。門の向こうには漆喰ぬりの建物が左右から押し迫るように並んでいる。

 時間の所為か、今は思うほどの(あで)やかさはないが、ずらりと並んだ提灯が燈れば闇夜に際立つ道導となるだろう。

 と、ふと目をやった朱色の柱の影から、何かの視線を感じた。

 朱色の柱から艶やかな黒い毛並みが見え隠れしている。

 先程の黒猫か、と思ったがどうやら違うようだ。

 囁くような声がした。

「誰か来たわ、秋童」

「何か来たわ、春童」

 抱えるほど太い朱柱に一対の黒猫が身を潜めている。

 こちらの様子を伺うように、左から青目の黒猫が、右から金目の黒猫が小首を傾げて覗いていた。

「あの赤目、知っているかもしれないわ、秋童」

「私は知っているわ、春童」

「おひいさまに知らせましょう」

「そうね、おひいさまに知らせましょう」

 対で囁く黒猫たちは、俺の視線に気づくとすぅっとその姿を消した。

 何だ、あの黒猫は。

 話していたところを見ると、昼間に会った猫と同じく、あやかしのようだ。

 一日で3匹もの猫又を見かけるとは。江戸の住人が気づいていないだけで、あやかしどもは人間の生活に入り込んでいるのではないだろうか。実は、賽ノ地とそう変わらぬ頻度で。

「どうしたの、青ちゃん?」

「いや、何でもねぇ」

 花街の方角から視線を外した。

 ちょうど、ここまで先導してきた朝陽が手にした地図を閉じるところだった。

「よし、ここだね。じゃあ、犯人が現れるまで待機!」


 まさか炎天下で待機を命じられるとは思っていなかった。

 待機になった瞬間、どこぞへ遊びに行ってしまったでこぱちの背を見送り、花街の門の下で日差しを避けた。

 待機解除まで昼寝をしたいが、日影が見当たらない。梅雨終わり、陽炎の立ち昇りそうな陽気に紺碧の空が映える。雲一つない空に、押し迫るような漆喰の壁と墨色の瓦波。

 乾ききった土の道に、禿(かむろ)と思しき少女が打ち水をしていた。まだまだ10にも届かぬ年に見える。切りそろえた白髪と相対するような鮮やかな韓紅の衣を纏い、小さな手で大きな柄杓を両手持ち。桶から汲んだ水を懸命に撒いている。

 桶の水を撒き終わったらしい少女は、額の汗を拭い紺碧の空を見上げた。

 そして空になった桶を勢いよく両手で持ち上げた時に、門の下に佇む俺の姿を見止めたようだ。大きな目を細めて笑った。

(あに)さん、日向は暑いおすから、うちでちぃっと休んでいっておくんなし」

 よたよたと桶を持ち上げながら。

 体の大きさに似合わぬ桶を運びづらそうにしてるのを見て放っておくわけにもいかない。上から桶を取り上げて、禿の横に並んだ。

(あに)さん、ありがとう。今時分は姐さん方もまだなんで、夕もじまでゆっくりして行きなんし」

「日陰を借りただけで法外な請求してきたりしねぇだろうな」

 そう言うと、禿はころころと綻ぶように笑った。

「わっちはそんな事はしんせん。でも、春ちゃんと秋ちゃんには気ぃ付けておくんなまし」

「そりゃどうも」

 禿に言われた場所に桶を片付け、ありがたく人気のない店の一角に寝転がる。ここは、心地よい風が吹き抜ける絶好の場所だ。

 若菜色の風。

 どこか懐かしい香りのするそれに、微睡は深まった。


 心地よい昼寝の時間を貪り始めてからしばらくして、人々のどよめきで目が覚めた。

 騒がしいのは店の外だ。

 遊女たちが客を呼ぶ格子から外を見てみると、人だかりが出来ていた。掛け声とともに、向日葵色の上着が翻る。

 集まった客たちから拍手が巻き起こる。

 よくよく見ると、先ほどの白髪の禿が、逆立ちをしたでこぱちを両手で持ち上げ、大道芸のような事をしている。そして、そこへでこぱちの背中をのそのそとよじ上る白い毛玉。

 でっぷりと太った猫が逆立ちしたでこぱちの足の上へ登りきった。

 招き猫の如く、ふとましい前足をこいこい、と動かしたところで拍手喝采。

 そこからさらに、手を繋いでいた禿の少女とでこぱちが、ゆっくり片手を離していく。さすがにでこぱちの身体が揺れる。

 集まった観客から小さく悲鳴。

 しかしそこは抜群の平衡感覚で安定し、禿、でこぱち、白いでぶ猫の塔が出来上がった。

 観客からご祝儀が飛ぶ。

 狼士組と争った時と同じだ。小銭やら食べ物やらがばらばらと投げ込まれている。どうやら、これが江戸の流儀らしい。

 と、逆立ちしたでこぱちと目が合った。

「あ、青ちゃん」

「何やってんだ、でこぱち」

「つむぎとね、麻呂丸とね、小銭稼ぎしてた!」

 放り投げられた食べ物や小銭を拾い集めたでこぱちが、格子の方へ寄ってくる。両手いっぱいの戦利品を手にして嬉しそうな相棒。

 後ろから、つむぎと呼ばれた白髪の禿が重そうな白猫を抱えてついて来た。

「あ、(あに)さん、起きなんした? そろそろ姐さん方が来られる時分なんよ」

「分かった、出るよ」

 見物客が集まりすぎて、格子越しに俺が見られているようで落ち着かない。

 すぐに店を出てでこぱちと合流した。

 大道芸の為に刀を下ろしていたでこぱちが、刀を結わえる紐を結びながら駆け寄ってくる。風呂敷に包んでもらったらしい食べ物を腹側に抱えていた。

「そろそろ炯たちのところへ戻るか」

「うん!」

 つむぎと麻呂丸に手を振って、花街を出ようと歩き出した時。

 門の向こうで悲鳴が上がった。

 あの声は、朝陽だ。

 少し離れすぎた。間に合うか?

 人通りの多くなってきた夕刻の大門を駆け抜けた。

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