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第四話

 縮尺別に地図を分類し並べ直すと、少しずつ江戸の全容が見えてきた。

 断片的な話から想像していた姿とほぼ変わりない。

 西の峠から下る街道がそのまま海に沿って走っており、船宿や商店の立ち並ぶ賑やかな繁華町となっている。そこから少し内陸に入ると町屋の立ち並ぶ町人地。江戸城に近い海側には武家屋敷が集まっており、浅葱家の屋敷もこの辺りにある。

「で? この赤印が事件の起きた場所だってのか」

「そうや。今月入ってから毎日起きとるさかい、明日も夕方頃に起きるはずや。ただ……」

「ただ?」

 問い返すと、代わりにタケが答えた。

「やられんのが早すぎんだよ。他の隊士が駆け付けるまでもたねえから、どうにも捕まえられん」

「張り込めたらええんやけど、場所が特定できひんねん。せやから、地図に書いたら何か分かるかと思て並べてみたけど、なんも分からん」

 (ケイ)は諦めたように両手を振った。

 他の隊士が駆け付けるまで持たない、とは。敵が相当な手練れなのか? それとも、この二人の実力からみるに、狼士組全体の戦闘能力が低いのか……いや、昼間の大男はそう簡単に倒せるような雰囲気ではなかった。

「やられたってヤツはみんな死んだのか?」

 そう問うと、炯とタケはぎょっとしたように俺を見た。

「何を物騒な事言ってんねん。生きとるに決まってるやん! 死んだりなんぞしよったら、ウチらの手に負えんわ!」

「殺されてないの? じゃあ何で襲われてるの?」

 でこぱちがきょとん、としながら聞いた。

「狼士組は自警団やさかい、無粋な輩から町の人らを守っとる。罪人をひっとらえて奉行所に渡すんが仕事や。せやから、味方も多いんやけど、それ以上に敵も多いんよ。痛めつけて鬱憤を晴らしたい輩は山ほどおるやろな」

 俺たちが今まで暮らしていた賽ノ地では命のやり取りが当たり前に行われていた。ただ命を持って平穏に暮らす事が難しい土地だった。

 が、江戸でその感覚は通じないらしい。

 これが将軍のお膝元であり、賽ノ地が目指す姿という事か。

「生きてるんだったら、襲われたって奴らに話を聞くのが先だろ」

 当たり前の助言を呈し、改めて地図に目を落とした。

 赤丸が町屋に集中してはいるが規則性はなさそうだ。せめて場所だけでなく、狼士組全員の住居と、事件の起きた順序が書き込まれていれば見えてくるものも違うと思うが。

 が、面倒なので言わずにおく。

「他には手掛かりないのか?」

「いや、手掛かりはある」

 タケは、一枚の紙を地図の山の上に叩きだした。

「ふーごう、かく?」

 漢字の苦手なでこぱちが、辛うじて紙の文字を読む。

「そう、『不合格』や。のされた狼士組の隊員の上に、必ずこの紙が置いてあんねん」

 他の隊士が駆け付けるまで持たない。

 襲われはするが、殺されない。

 そして、この『不合格』の文字。

「なあ、狼士組、だったか、その組織にはやっぱ序列とかあんだよな?」

「ああ、あるぞ」

 タケは昼間額に巻いていた鉢巻を取り出した。

 よく見ると、鉢巻の先の辺りには黒い線が何本も刻まれている。タケによると、この線の数が少ないほど高い地位についているのだという。偉くなる度、鉢巻の先を切る仕組みになっているそうだ。炯とタケの鉢巻を見せてもらったが、どちらも酷く長い代物だった。思い返してみると、昼間、この二人を止めに入った大男が首に下げていた鉢巻は短かった気がする。

 二人のようにひらひらと靡かせているのは下っ端の証拠というわけだ。

 ああ、大体分かった。

「青ちゃん、分かったの?」

 俺の様子から感づいたらしいでこぱちが聞いてきたが、巻き込まれると面倒なので、目だけで黙ってろと伝える。

 それを炯がちらりと見て、何か言いたげにしていた。

 が、完全にシラを切りとおす気だった。

 すると炯は思い出したように立ち上がり、ごそごそ、と長持を漁った。

 そして俺とでこぱちに向かって服を投げ寄越した。

「それ、とりあえず着とき。追剥に遭うようには全然見えへんけど……何や知らんけど服ないんやろ?」

 受け取ったのは、紺碧の羽織だった。替えの隊服だろうか。

 狼士組でもないというのに、これを羽織るのは気が引けるし、仲間だと思われるのも嫌なので、できれば着たくないが。

「ありがとう!」

 でこぱちは気にしていなかった。

 むしろ嬉しそうに羽織に袖を通した。羽織の裾を持ち上げたり、袖の紋章を確認したり、ご満悦だ。

「これでおれも江戸の町を守る自警団?」

「そうやで」

 炯はにやりと笑った。

「せやから、あんたらも手伝(てつど)うてくれる?」

「何を?」

「一緒に襲撃事件の犯人を捕まえようや」

「やる!」

「はあ?」

 思わず素っ頓狂な声が出たが、その前にでこぱちが宣言していた。

 忘れていた、相棒の得意技――要らぬ喧嘩を売るのと売られるの。落ちている物を拾うこと。厄介ごとを持ち込んでくること。

 俺は大きくため息をついた。


 夜通し地図を眺めて、時折うつらうつらしながら、江戸の地理と感覚を頭の中に叩き込んだ。これで、万一また居待に襲われても逃げることが出来る――と、そんな日は来ない方がいいのだが。

 浅葱家の屋敷に戻ったのは明け方だった。

 剪定中の使用人に立待の居場所を聞き、すぐ道場に向かう。

 朝稽古中だった立待は、俺たちの姿を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。先に謝られてしまう前に、でこぱちと二人、深々と頭を下げた。

「勝手に風呂に入って本当にすみませんでした」

「でした!」

「いえ、いいんです! 自分こそ申し訳ありません。普段、道場の方の湯殿を使う方がいらっしゃらないので、油断しておりました。本当にお気になさらないでください!」

 慌てて頭を振る立待。

「あ、でも……出来れば、秘密にしておいてください」

 立待は少し視線を伏せた。

「自分は浅葱家の跡取りですから、浅葱の名に泥を塗る訳には参りません」

「大丈夫。誰にも言わないよ!」

 でこぱちが笑って、立待もつられたように笑った。

 これで居待の溜飲も少しは下がればいいのだが。

 謝罪という名の必須の催しを終えて、昨日から先延ばしになっていた風呂にようやく辿り着いた。湯の中で足を伸ばして落ち着き、一日を振り返る。

 なんとも騒がしすぎる初日だった。

 着いて早々、江戸の町のど真ん中で狼士組に喧嘩を売られ、夜は立待の風呂を覗いて居待に殺されかけ、さらに夜中は何故か昼間争った狼士組の面々と作戦会議。

 炯に借りた狼士組の羽織は、洗濯しておいてもらえるようお願いしておく。この紺碧の羽織をに袖を通す事は二度とないだろう。洗濯が終わったらすぐに返すつもりだ。

 着替えた上着は、俺が猩々緋色で、でこぱちが向日葵色だった。

「狼士組の羽織も気に入ってたんだろ。あっちはいいのか?」

「うん。こっちの方がいいや。だって――」

 だって、の後の言葉はうまく聞こえなかったが、この色合いが一番落ち着くことは確かだ。

 賽ノ地でも、江戸でも。

 この二色(ふたいろ)を翻し、俺たちは戦っていくのだろう。

 これまでも、これからも。

 そうやって俺は、訪れつつある変化をわざと見過ごそうとした。忌避できぬ変易に気付かぬ振りをし、迫る宿世を絶とうとした。

 脳裏の片隅で、心の奥底で、平穏には到底、及び難いと感づきながら。



 風呂を上がって食事を頂き、少々の仮眠をとって、午後。真夏に近づく江戸の日輪の下、炯たちとの約束を守る為、再び屋敷を後にした。

 落ち合う場所に指定してきたのは、爽亭(さやかてい)だった。

「爽亭って、昨日会った優月のお店だよね?」

 昼寝で元気になったでこぱちが楽しそうについてくる。

 その背には、刀が二本。

 先ほど立待に頼んで用意してもらった俺の新しい刀だった。

 狼士組の言で、江戸が賽ノ地とは全く異なる治安だという事が分かった。抜身の刀なんぞ振り翳していようもんなら、また面倒事に巻き込まれかねない。

 そこで、いつもは左手に抜身で持ち歩いていた刀をでこぱちに預けることにした。

 預かりもの、というだけで相棒はご機嫌らしい。まるでお使いを言いつけられた子供のようにはしゃぎ、嬉々として刀を担いでいた。

 しかし、昨日狼士組と派手に喧嘩をしたせいだろうか。町を歩くと、俺たちを見てひそひそと呟く声が聴こえなくもない。

 隠密になるために江戸に来たはずが、またも意図なく目立ちつつある。

 面倒事から遠ざかろうとすればするほど、徐々に中核へと向かっている気がするのは何故だろう。

 めんどくせぇ。

 江戸の町に幾つ目かのため息を落とした。

 進行方向に爽亭が見えてきた。昼時を過ぎ、客も少なそうだ。淡藤色の髪の少年がちょうど、暖簾をあげて外の様子を見ているところだった。

「優月ー!」

 でこぱちが大きく手を振ると、優月も気づいて柔らかな笑みと共にこちらに手を振りかえした。

「来てくれてありがとう。昨日は大変だったね。怪我しなかった?」

「もちろん怪我なんてしてないよ。おれたち、強いから!」

 胸を張ったでこぱちを見て、優月は再び笑った。

「寄ってく? 今なら空いてるよ」

「いや、人と待ち合わせしてんだ。外でいい」

 出してもらった茶を啜りながら、外の腰掛で炯たちを待つ事にした。

 にしても、まさかこの腰掛け、あの男が化けてんじゃないだろうな。

 念のため何度か殴りつけてみたが、どうやら本物のようだった。

「何を警戒しているのだ?」

 隣から唐突に声が聞こえて、ぎょっとした。

 はっとして隣を見たが、誰もいない――いや、いた。

 しっとりとした毛並みの黒猫が一匹、行儀よく腰掛けに座っている。よく見ると、その尾は二股に別れていた。

「昨日、あらぬ疑いをかけられたから、一応な。男が男の尻を触る趣味はないだろうが」

「ああ、比良(ひら)の奴か」

 猫は鼻を鳴らし、毛氈(もうせん)に伏せた。

「比良? お前、アイツの知り合いか?」

「……」

 返答はなかった。

 代わりに、静かに問う声が返された。

「お前は驚かんのか?」

「何にだ?」

 黒毛に煌めく金の瞳が細められた。

「猫が喋る事にだ」

 自分で言うか。

 と、思いつつ、ここでも江戸と賽ノ地の違いを実感する。

 当たり前のようにあやかしが闊歩し、羅刹族が現れ、俺たちのような盗賊が日常的に命のやり取りをしていたあの場所と、将軍が管理する江戸の町は大きく異なる。良くも悪くも江戸の采配が届かない賽ノ地は北倶盧洲(ほっくるしゅう)の中でもかなり異端なのだろう。

「別に珍しいもんじゃねえだろ。無意味に喧嘩を吹っかけてくる化け狐だって、団子を盗む化け狸だっている。そもそも、町奉行お抱えの隠密からしてあやかしだからな」

 そう答えると、黒猫は金色の目を丸くした。

「それはお主の故郷の話か?」

「故郷……かどうかは知らんが、江戸に来る前いた場所の話だよ」

 毛氈に伏した黒猫の身体には大小様々な傷が刻まれていた。傷の一つ一つがこの黒猫の生まれ来た道と現在の複雑な立場とを示しているようだった。

 金目に灯る光も酷く鈍っているように見えた。

「まあ、お前みたいなヤツが珍しくもない場所だって存在するって事だ」

 そしてようやく分かった。

 江戸に来てから自分の赤目を思い知らされる理由が。

「他と何か少し変わってるって言やあ、排除しようとすんのは人間の性だろ」

 半分は黒猫に、半分は自分に言い聞かせるために。

 自分が逸脱しているかどうかに興味はない。が、それによって気づかされる『何か』だけはひどく恐れていた。

 自分の感情を誤魔化すように、黒猫の頭にぽん、と手を置いた。

 大きな金色の目で見上げてきた黒猫の目が、団子をねだる時のでこぱちの目に似ている気がした。

「本人は別に、普通から逸脱しようとなんかしてねえってのにな」

 慰めでも何でもない。そんなものは求めていない。

 そんな事、この黒猫だって分かっている筈だ。この黒猫が何者で、何故ここへやってきて俺に声をかけたのかは知らないが。

「どうせお前も、俺の赤目を見て寄ってきたんだろ」

「……違いない」

 黒猫は小さく鳴いて、飛び降りた。

 土の地面はかさかさに乾いていて、軽く土埃が舞った。姿勢を正した黒猫は少し目を離した隙に視界から消えていた。

 入れ替わるように、丸盆に危なっかしく湯呑を乗せたでこぱちが暖簾の向こうから顔を出した。

「今、誰かいた?」

「猫又が来てたんだ」

「え、あやかし? いいなー! おれも会いたかったな! また来るかな?」

「どうだろうな」

 当たり前の相棒の反応にほっとした。

 軽く唇の端をあげて、頭を撫でてやると、何で何で、という顔をしながらも嬉しそうだった。


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