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第三話

 湯殿の扉を乱暴に開いた瞬間、頭上から降ってきた(かんざし)が足元に突き刺さった。

 完全に床板を打ち抜いて、床下まで突き刺さっている。

 冗談じゃねえ。こんなもんくらったら脳天が砕ける程度じゃすまねえだろ。

「この簪って、居待の?」

 それほど鋭いというわけでもない俺の勘が告げていた――このままでは、居待に殺される。

 立待が女だと知ってしまった事、何より、風呂場で無防備な立待に遭遇してしまった事。何もかもが最悪だ。

 庭に飛び出し、屋根を見上げた瞬間、ぞっとした。

 天満月を背景に、躑躅色(つつじいろ)の衣に身を包んだ居待が鬼瓦の上に佇んでいた。逆光の中、いつも貼り付けていた作り物の笑みが、消え失せている。

 これまでの『修行』などと言う生易しいものではない。

 居待から放たれたのは、殺気だった。俺たちを本気で殺しにかかっている。

「何で居待がおれたちを追っかけてんの?」

 上半身裸のでこぱちが裸足で腰ひもを締めながら着いて来る。えらく間抜けな格好だ。もちろん、今から風呂に入ろうとしていたのだから、俺もそう大差ない格好だが。

「分からん。たぶん、立待が女だって事を知ったのが駄目だったんだろ」

「えー?」

 次の瞬間、咄嗟に後ろへ跳ぶ。

 ががっ、と破壊音がして、つい今までいた地面に数十本の簪が突き刺さった。

 背筋を冷や汗が伝う。

 昼間、命の危険のない戦闘を経たばかりだというのに、夜にはこれだ。江戸に来てからため息をつく暇もない。

 考えるより先に、助走をつけて屋敷の塀の上に跳び上がった。

 武家屋敷はどこも庭が広く、塀に囲まれているため、見通しがよく、逃げるのに向かない。全力で駆けてもどうせすぐに追いつかれてしまうだろう。

 しかし、うまく町屋に出る事が出来れば、うまく屋根を伝って逃げ(おお)せられるかもしれない。

 冷たい目で見下ろす居待に背を向け、江戸の町へと逃げ出した。

「青ちゃん、その辺に隠れちゃったらどうかな?」

「居待が俺たちの気配を逃すわけねぇだろ」

「それもそうだね」

 何故、居待に襲われるのか腑に落ちないが、今は逃げるしかない。

 刀を持ってこなかったのは失敗だった。俺もでこぱちも丸腰だ。

 最悪格闘戦になった場合、万に一つも勝ち目はない。居待は、羅刹族を一瞬で屠るほどの力を持っているのだ。

 繁華街を挟んで山側が町人たちの住む町屋のはずだ。

 江戸の北は海、南には農村地帯が広がっている。

 ならば選択の余地はない。南に抜ける。

「屋根から行くぞ」

「分かった」

 知らない町の道を走って方向感覚が狂わないよう、姿を隠す事よりも屋根の上を真っ直ぐに南へ抜ける事を優先したい。

 先を行くでこぱちが垣根を足場に町屋の屋根に飛び乗り、俺もそれに続く。墨色の瓦を裸足で踏みしめ、棟の上に上がる。同じような事を考えた輩がいるせいなのか知らないが、瓦は砕破されている箇所が多い気がする。賽ノ地に比べて薄めの瓦は、少し力を入れればすぐ割れそうだ。

 ざっと見渡したが、居待の姿は見当たらない。

 しかしながら、瓦の波は地の果てまで続いているように見えた。

「南に向かえ」

「青ちゃん、南ってどっち?」

「海の逆だ」

 方向を定めて駆けだそうとした矢先、足元に何かが絡まった。

「?!」

 鉄線の先端に鉛をつけた捕獲道具だ。

 鋭く飛来するそれが空を裂く音が鼓膜を揺らした。

 両足が絡まる事だけは避けねば。

 走りながら左腕だけで倒立回転。左腕に、2本の鉄線が絡みついた。

「青ちゃん!」

「足じゃねえから大丈夫だ、気にすんな。走れ」

 と言った傍からでこぱちの方にも鉄線が飛来する。

 でこぱちはこの闇夜でそれを視認したのか、その場でぴょんと跳んで、がん、と足で踏みつけた。

 どんな視力で、どんな反射神経だよ。

 相棒の反則的な身体能力に脱帽する。

 俺の方は、空を切る音で飛んでくる方向を判断して避けたが、何本か巻きついてしまった。行動が制限されるほどではないが、重い。

 こんな重りを軽々投げてくる居待の気がしれない。

「……ったく」

 巻き付いた逆に腕を回して重りを放り棄てながら、足を止めずに南へ向かう。

 やがて、鉄線は飛んでこなくなった。

 俺とでこぱちをこれで捕えるのは無駄だと分かったらしい。

 来る。

 隠す気のない殺気を叩きつけられ、逃げ切れぬことを悟って足を止めた。

 背を向けていてどうにかなる相手ではない。

 死ぬよりマシだ。一か八か、1対2で迎え撃つ。

「でこぱち!」

 分かってる、と言いたげに俺の背の側に戻ってくる相棒が本当に頼もしい。

 屋根瓦の波の向こうに、躑躅色(つつじいろ)の少女が姿を現した。満月の逆光で佇む姿、その表情に笑みはなく、鶯色(うぐいすいろ)の瞳に感情はない。

「居待、怒ってる?」

 でこぱちの問いに応じない。

 怒っている。

 何だかよく分からないが非常に怒っている。

 何かぶつぶつと呟いているようだが、俺の聴力では聞こえない。

 はっきりと聞こえたのは、最後の台詞だけ。

「姉上を辱めた塵はこの世から消えなさい」

 俺はこの時、半分冗談で、半分本気で、死を覚悟した。


 居待が、視界から消えた。

 同時に背後から打撃音。

 振り向くと同時に、目の前の空間を鋭い爪が裂いて行った。

 避け切れずに鼻先を裂かれる。

 ぴりりと痛みが走った。

 でこぱちの姿が見えない。

 瓦の破損具合からすると、居待に屋根から蹴り落とされたか。

 二撃目の前に、居待の手首を掴んだ。

 が、右から空を裂く音。

 左腕を抑えるための腕はない。

「……っ!」

 力ずくで居待の腕を捻り上げ、空に放り出した。

 そのまま瓦屋根に叩きつける。

 手加減する余裕などなかった。

 腕を抑えたまま、腹に膝を入れて乗り上げた。

 居待の鶯色(うぐいすいろ)の瞳が無表情に見上げていた。

 息を整えながら、居待に問う。

「これは、新手の修行でしょうか、師匠」

 尋ねる言葉を間違えた気もするが。

 しかし、その言葉で居待はにっこりと笑った。

 いつもの、作り笑顔。目だけが笑っていない作り笑顔。

「違いましてよ。私は――」

 次の瞬間、うまく力点をずらして居待がするりと捕縛を抜けた。

 しまった、と思うが、遅い。

 腕を後ろに捻り上げられ、俺の方が瓦に伏せられていた。

 完璧な関節技だ

「――俺は姉上に近づく敵を排除するだけだ」

 声が、変わった……?

 マジか、この兄妹――いや、姉弟、か。

 事情は知らねえが、そんな秘密を知っただけで殺されてたまるか。

「お前も、立待と同じなのかよ」

 居待が手に力を込めて瓦屋根に押し付けた。瓦が腹に直に当たってひやりとした。

 伏せられた時に割れた瓦が頬に刺さる。

 その瓦の一欠けを口に含んだ。

 大丈夫だ、でこぱちが屋根から落ちた程度でやられるはずはないから。すぐに戻ってくるはずだ。

「青ちゃん、大丈夫?!」

 声がした瞬間、居待に向かって含んだ瓦を吐き出した。

 捕縛が緩んだ隙をついて、渾身で左腕を引き抜く。

 立ち上がる勢いで足元を払い、でこぱちの元に戻った。

 でこぱちの額にも、赤い痣が出来ていた。おそらく居待に蹴られた痕だろう。

「ごめん、落ちちゃった」

「大丈夫か?」

「うん、平気だよ」

 確かに元気そうだ。

 おそらく背中から落ちたんだろう。背中じゅう、泥まみれになっていたが。

「純粋な力勝負ではまるで敵いませんね」

 作り笑いを張り付けた居待が、肩を竦める。

「種族が、違いますものね」

「……」

 江戸に来てから、嫌いな赤目をやたらと主張される事ばかりで辟易してきた。

 自分の出生は知らない。この手に在るのは、猩々緋色の過去と、でこぱちと共に放浪した日々、そしてきさらたちと過ごした賽ノ地の生活だけだ。

 自分が夜叉族なのか、と聞かれると即答できない。ただ、自分自身がそうは思っていないというだけだ。

 そしてもし、夜叉族である事を認めてしまえば、何かが崩れてしまいそうな気がしていた。

「認めた方がよろしいのでは?」

 いつの間にか殺気を収め、いつもの調子に戻った居待がくすくすと笑った。

「背に負う痣は、隠し果せませぬ。ほら、貴方のご友人が気にしているように」

 居待の言葉で振り向くと、でこぱちがじぃっとこちらを見つめていた。

 居待ではなく、俺を見ている。

「でこぱち?」

「……青い痣は、夜叉」

 でこぱちがぽつりと呟いた。

 すぅっと背筋が冷えた。

 居待の殺気とは異なる不穏な空気が漏れ出す。

「夜叉は、敵」

 ぶつぶつと何かを思い出すように、首を少し傾けながら。

 俺はこの感覚を知っている。

 賽ノ地で羅刹族に襲われた時、そして――耶八が、俺の右腕を奪っていった時。相棒の中に眠る羅刹の血が騒ぎだす。

 耶八が何かを始める前に、何かを思い出す前に止めなくてはいけない、という妙な確信があった。

 危険を承知で、居待に背を向けた。

 瓦を一枚、手に取ってそのまま額に勢いよくぶつける。

 割れた瓦の向こうに、一瞬、意識を飛ばしそうになった耶八の顔。

「……?」

 耶八は額を抑え、ぶるぶると首を振った。

 次に俺を見たのは――おそらく、でこぱちだった。

 広いでこに皺を寄せ、混乱した表情を見せている。

 後ろで見ていた居待がくすくすと笑う。

「あらあら、これは危うい(えにし)でありますこと」

「うるせぇよ」

 手元に残していた瓦の欠片を指で弾いた。

 それを最小限の動作ですっと避けた居待。先ほどまでの物騒な殺気は落ち着いていた。

「隠しておいた方が、よろしいのでは?」

 何を、とは言わなかったが。

 袂からするりと布を取り出して、風にのせてこちらへ渡した。

 有り難く受け取って、腰の辺りに巻いておいた。

 確かに、俺たちは強くなった。

 生きるために戦うような瀬戸際の戦闘は少なくなった。そして、戦いを楽しむ程度には強くなった。

 しかしながら、生命権を得る為ではない戦いが積み重なるにつれ、でこぱちが、少しずつ『耶八』に近づいていくような気がするのも事実だ。

 考えても詮無い事だと分かってはいても、どうしても危惧せずにはいられない。あの日、賽ノ地で俺の右目と右腕を奪っていったのは、紛れもなく、隣にいるこいつなのだから――俺は心のどこかで、耶八の狂気を畏れているのだろうか。

 それとも――。

 思索にふけりそうになった時、屋根の下から声がした。

「なあ、あんたら」

 不機嫌そう女の声。

「さっきからウチの屋根の上で何してはんの?」

 見下ろすと、昼間会ったばかりの狼士組の女がこちらを見上げていた。

 結い上げていた蜜柑色の髪を流して、羽織も脱いでいるが、間違いない。

 さらに後ろから、タケも出てきた。何だ何だ、と手を翳して見上げている。

「仕返しの嫌がらせなん? 五月蠅(うるさ)てかなんわ。昼間の事なら謝るさかい、静かにしてや」

 振り向けば、居待の姿は消えていた。



 屋根から降りて、でこぱちと共に素直に謝罪すると、女もすぐに憤慨をおさめた。

 家の中からは灯りが漏れており、地図と思しき紙類が散乱していた。

「作戦会議中やねん」

「こんな遅くにか?」

 空っぽの頭を三つ集めて、何を練る気だ。

 と、思ったが最後の一人の姿がない。

「あいつは?」

「ん? ああ、セイの事か? あいつなら、小鉄先輩の制裁で眼鏡が割れたから、しばらく出てこんぞ。当分は(ケイ)と二人だな」

 そりゃ難儀な事だ。

 そのまま立ち去ろうとしたのだが、でこぱちの姿がない。

「これって江戸の地図ー?」

 相棒は、ちょっと目を離した隙に、とっとと家に上り込んでその辺の紙束を物色し始めている。

 少しばかり気になった事があれば、これだ。

「せやけど、バッチい手で触らんとって」

「じゃあ、手、洗ってくるよ。水ある?」

「共用だけど井戸があるぜ。案内してやるよ」

 でこぱちを連れて行ったタケの背中を、そう言うこっちゃない、と睨みつけた炯。どうやらこの女も苦労していそうだ。

「あっちよりアンタの方がまだ話、通じそうやな」

「まあ、あれはタケと同類だと思ったほうがいい」

 そう言うと、炯はため息で答えた。

 とは言え、江戸の地図には俺も興味がある。

 今日のような事が二度とないとは限らないのだ。もちろん、居待に命を狙われて南へ逃亡する事など、そうそうあって欲しくないのは確かだが。

「俺も興味あるんだが、地図見ていいか?」

 炯は一瞬、渋りそうになったが、其処へちょうど楽しそうな二人が帰ってきた。

「手、洗ってきたよ! 地図見せて!」

 言われた通りに手を洗ってきた天真爛漫なでこぱちを無下に追い出すことは出来なかったのだろう。

 眉間に皺を寄せながら、俺たちを中へ迎え入れてくれた。


 狭い町人長屋の部屋中に地図がばらまかれていた。

 縮尺も様々、範囲も不揃い。

 とりあえず並べ直そう。

 そう思って手に取ると、地図に赤い標が書き込まれていた。

「ねえ、この目印、なあに?」

「……事件の起きた場所や」

 俺たちへの警戒を表そうとしたのか、紺碧の羽織を纏った炯が静かに告げた。

「事件?」

「ここ最近起きとる、狼士組襲撃事件の起きた場所や。ウチとタケは今、それを追ってんねん」


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